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影 10

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 御者台で濡れてしまったサヤとハインは、いつもの調理場の風呂に直行だ。残った三人が、先に準備も済まし、風呂に入っている筈だ。

「叔父様、あの大きなお風呂、設計図を写してもらいましょう。あれ、うちにも作ったら良いと思います!中庭の端、調理場の裏なんて丁度良いと思いますけど?」
「あのなぁ……ここは水路があるから出来るんだよ。メバックじゃ無理だ」
「じゃあせめて鍋風呂だけでも!」
「……使用人多いんだから、あんなんじゃ回らねぇだろうが」

 私室に戻ると、帰るのをゴネるのは止めたらしいルーシーが、ギルにそんな話をしていてびっくりした。ここで待機するように言っておいた為だ。俺の部屋はもう、皆の憩いの場と化しているのだ。
 ルーシーの我儘に、ギルがうんざりした顔。彼女がここを離れるのを嫌がっていたの……風呂の所為もあったのか。
 だがやはり水汲みが問題だよなと考える。

「おう、お疲れ。首尾は?」
「予定の範疇には収まっていると思う。風呂の話か?」
「ああ……。けど、井戸水を桶で汲み上げるんじゃ、手間が掛かって仕方ねぇよ」
「でももう湯浴みになんて戻れないもの!   叔父様だって相当気に入ってるくせに!」
「叔父って言うな」

 あー……。よく分かるその気持ち。風呂を知ると、湯浴みでは綺麗になった気がしない。解放感もやめられない。

「井戸水なぁ……リカルド様にも、王都の騎士訓練所にあれを作りたいって言われたんだよな」

 先程の会話を思い出し、そう呟くと、ギルに呆れた顔をされた。
 何……?   俺だって予想していなかった珍事件だぞ。なんで俺がなんかしたみたいな顔をするんだ。

「……お前、敵視されてたよな……?」
「軍特化型の方というのは本当みたいだ。軍事ごとに有益な人間は気に入るらしい。
 焼き石で風呂が沸かせることをとてもお気に召された様子だよ。軍に誘われた」
「……おいおいおい……人たらしも大概にしとけよ……」
「いや、大丈夫だよ。半分以上演技だろう」

 俺を側に呼ぶ為の方便だ。気に入った風を装っているだけ。有益だとは思っているみたいだけど。

 マルが帰るまでの間を、井戸水をどう効率よく汲み上げるかと言う話に終始した。
 水車に取り付けた、水の受台。あれは便利だ。桶の水を風呂場まで運ばずとも、その場で流し込めば良いのだから。
 あれで労力は格段に減るだろうが、それでも大変だよなと、頭を悩ませる。
 そうこうしているうちに、マルが戻った。ルーシーが気を利かせて、俺の寝室の準備に席を外す。王家の関わるごちゃごちゃした話には踏み込まぬのが吉だと、彼女も理解しているのだ。

「如何でしたか?   首尾の方」
「とんでもねぇぞ。人たらし全開だ。軍に誘われるほど気に入られたらしい」
「いやだから、あれは半分以上演技だって言ってるだろ」

 そんな会話から、先程のやりとりをマルに説明していく。
 話すうちにサヤも戻って来た。まだ髪をしっとりと濡らし、より黒く艶やかなになっている。きっと大急ぎで戻ったのだろう。

「風邪を引くから、そんな頭でウロウロしちゃ駄目だ」
「でも……」
「サヤ、こっち来い。ここ座れ」

 話に加われないのが嫌で、大急ぎで戻ったらしい。
 そんなサヤに、ギルが渋面で手招き。長椅子に座った所を、手拭いで丹念に水気を吸い取りだす。サヤに触れられる様になってから、ギルのかいがいしさがたまに、グサリとくるのだが、彼はこれが普段通りなので、口を挟むわけにもいかない。
 サヤは少々恥ずかしいのか、初めはわたわた「自分でします!」と騒いでいたが、話を聞いとけと窘められ、渋々受け入れた様子だ。

 そんなサヤが、俺をちらりと見る。
 何か言いたげだ。

「どうしたの?」
「あ、いえ……な、なんでもないです……」

 また言わないつもりか……。ちょっとムッとしてしまった。

「……サヤがそのなんでもないことを言うまで、話進まないけど?」

 意地悪かなと思いつつ、そうでもしないとサヤは言わないだろうから、引かないことにする。俺が口を噤むと、他二人も無言になった。

「……もう!   本当に、たいしたことじゃないのに……」
「うん。でもそれは聞いてから判断する。言ってごらん?」

 そう促すと、暫く渋ってからポツリと「レイシール様が、なんだか、いつもと違います……」と、言った。

「今までのレイシール様と、なんだか、違います……。何を、どうかって言われると、答えられないですけど……」
「ああ、それは確かにな。ちょっと懐かしい感じだ」
「そうですねぇ。やっとレイ様らしくなってきたって感じですかね」

 サヤの言に対し、ギルとマルが、そんな風に返す。
 俺は自分の何かが変わったとは感じていなかった為、首を傾げるしかない。

「姫様が来たしか。
 ……彼の方は、なんだかんだでこう……引きずられるっつうかな」
「持ってるものを最大限出すよう、無言の圧力が掛かるといいますか、ねぇ」

 そう言ってこくこくと二人で頷き合う。
 まあ、言わんとすることは俺にも分かる。姫様には風格があるのだ。この方の為に尽くさねばならないといった気持ちにされられる。

「心配すんな。こいつは元からこんななんだよ。
 学舎に居た頃から、腹の探り合いみたいなもんは得意だったんだ。
 サヤが感じてる違和感はな、多分あれだ」

 サヤの頭にぽん。と、ギルが手を乗せた。
 そうして腰を屈めて、長椅子の後ろから、サヤを覗き込む様に、顔を寄せる。
 俺に聞こえない様に、何かを言った。顔が近くて、そのことが妙に胸を掻き乱す。

「あっ、そうかもしれません」
「だろ?」
「じゃあ、姫様方が仰っていた……ギルさんは、ご存知ですか?」
「ん?   何か言ってたのか?」

 そうすると、また俺の方を伺ってから、サヤが手で、己の口元を隠す。
 ギルの耳にそれを当てがって、また何かを囁いた。
 なんだか恋人同士が睦み合っているようにしか見えず、イライラが募る。
 いい加減、俺を前にして内緒話をするのはやめてくれと抗議しようとしたら、ギルがぶはっ!   と、吹き出した。

「そ、それ……サヤは、見てねぇのか?」
「レイシール様の後ろ側にいましたから」
「見りゃ良かったのに!」
「え?   なんです?」

 マルも分からない様子で、首を傾げると、サヤがちょいちょいとマルを手招きする。
 そして同じように何かを囁いた。すると、

「あああぁぁ、それは残念、サヤくんは見るべきでしたね !
 いやぁ、残念っ。色々なことが結構物凄く、勿体無い感じがします!」
「そんなにですか?」
「凄いんですよ。あれは見ると、男でも押し倒………」
「マル!   それは言っちゃ駄目なやつだ!」

 二人して腹を抱えて笑い崩れる。
 サヤはよく分からないといった様子で、ひたすら困惑顔だ。
 そうこうしていると、大笑いしている声に痺れを切らしたのか、ルーシーが寝室の準備を終えて「大事な話じゃないんですか⁉︎   なら混ぜて欲しいんですけど!」と、やって来る。
  
「いや、お前はやめとけ……見るな。少なくとも今は見るな」
「え?   何を?」
「いやいや、こっちの話です。うん。ルーシーは見なくて良いです。ていうか、見るとややこしくなります」
「もおおぉ!   何言ってるのか全然わかんない!」

 憤慨するルーシー。俺も同じ心地だ。なんなんだよ……。サヤは何を聞いたんだ?

「どっかで見せてやりたいんだがなぁ……難しそうだな」
「そうですねぇ、まあでも、出る様になったなら、その機会もあるのじゃないですかね?
 正直ホッとしましたよ。まあ、それはそれで問題ありになるわけですが」
「いやまぁ、な。けど、やっぱり喜ぶべきことだろ。本当に、良かったよ……」

 急にしんみりとし出す二人。
 だから、何⁉︎
 俺が一体何⁉︎

 そこでようやっと、俺が絶好調にイライラしていることが伝わった様子だ。
 ふふん。と、笑われた。ああくそっ、ムカつく‼︎

「なんだよその顔。何話してたか気になってんのか?」
「知らない。俺には関係ないことみたいだし」
「そうだな、関係ねぇな」

 人の悪い笑みを浮かべ、ギルがマルと目配せし合う。
 そうしてからもう一度、サヤの耳に顔を寄せた。

「サヤ、あのな……、……」
「え?」
「……、……。……」
「そう、だったんですか」
「……、……。お前のお陰だ、ありがとうな」
「ま、まだ、終わってませんから……」

 真っ赤になったサヤが、小さくなって顔を俯ける。
 そんな彼女を、ギルが愛おしそうに見つめて、頭をポンポンとするものだから、俺の堪忍袋の緒が切れた。
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