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秘密 6

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 クリスタ・セル・アギー様は、アギー公爵家で三十人以上いらっしゃるお子の、真ん中辺りの方だ。
 アギー公爵様には第一夫人から第八夫人までいらっしゃる。お子も、成人をとうに済ませた方から、赤子まで揃っており、同じ月に生まれた子も少なくない。
 もう誰が何番目で性別は如何かなど、どうでも良いといった感じで、ご兄弟皆、好き嫌いはあれど概ね仲が良く、後継争いがあるという噂は聞かない。貴族社会には珍しい、円満家庭だ。
 これだけ妻を抱えて、妻同士の諍いも無いというのだから凄い。まあ、情報が伏せられているだけかもしれないが。

 クリスタ様は現在二十二歳。体質のこともあり、学舎へは途中編入されて来た。俺より上の学年にいらっしゃったのだが、講義への参加自体が難しく、進級出来ぬ為、そのうち同学年となった。
 男性とは思えないくらい細身なのは、陽の光を浴びられず、運動もままならないのだから仕方がないことだと思う。俺より少し濃い灰髪で、紅玉の様な赤い瞳、抜ける様な白い肌で、まるで精霊のように見目麗しい方だ。
 性格は……見た目の繊細さに比べて天地がひっくり返った様というか……豪快で、ちょっと独善的で、気高くて……雄々しくて……なんというかこう……人の上に立つ為に生まれたような、そんな方。

「当時は、俺と身長差もあまり無かったし……なんか良い具合に利用されてたな……」

 陽の下に長時間いなければならない式典だとか、参加したいけれど体調が許さない行事ごとに、替え玉として駆り出されていた。あまり人前に出ない方だったし、兄弟も多いから、案外俺が入れ替わっていても気付かれなかったし、同席しているご兄弟方もノリノリだったんだよな……。

「ご兄弟の方が入れ替われば良い様に思いますけど……」
「いや、うん……俺も何度も、そう進言したよ。だけど、経験を積めとか、他の貴族の顔や名を覚えるにはうってつけだとか、なんか良い様に言いくるめられて……。クリスタ様ってなんか、逆らい難いというか、従ってしまう雰囲気がある方なんだよ。……まあ、俺が流されすぎだったって話なんだけどね……」

 客間の窓の大きを測りながら、俺はサヤに、クリスタ様のことを語っていた。
 どんな方なのかと聞かれた為だ。で、いざ思い出してみると……なんだかこんな思い出ばかりだった。

「部屋からあまり出られない方と、どうやって知り合われたのですか?」
「んー……暇な時に、他学年の講義に紛れ込んでいたんだけどね、その一つで、ユーズ様と押し問答してるところに出くわして……なんかなし崩しに……」

 実家に帰らず、学舎にこもりきりだった俺は、構ってくれる友人が居ない時は暇だった。その暇をつぶす手段として、どうせだから予習、復習をしようと、他学年の講義に潜り込んでいたのだが、そこで、体調が思わしくないのに、講義に出ると言って聞かないクリスタ様と、ユーズ様が大喧嘩をしていたのだ。講義中の講堂で。
 近くに座っていた俺は、どんどん険悪になる雰囲気にたまりかねて、講義は代筆しておきますからと、声をかけた。それがきっかけだったと思う。
 味をしめたのか、気に入られたのか、それからは結構そんなことをしてくれる相手を、クリスタ様は増やしていき、俺もその中の一人となったわけだ。

 必要とされる。
 それは、俺にとって特別なことだった。
 そこに居て良いと、役割があると言われることに、俺は弱かった。
 クリスタ様は、どこかでそれを、分かっていらしたように思う。何かと理由をつけては俺を呼び出し、役割を与えてくれたのだ。色々振り回されたけれど、それでも俺にとっては、大切な時間だった。
 実際、あの経験が無ければ、ここに戻って、領主代行を言い渡されても、俺に出来ることは今より更に、少なかったのじゃないかと思う。
 ああいった場で、なんとなくでも見聞きしていたことは、少なからず、俺の糧となっていた。

「……クリスタ様は、レイシール様を、高く評価されてたんですね」
「え?   そういうんじゃないよ。背格好が似てたし、彼の方はなんだかんだで、世話焼きだったんだ」
「そうでしょうか……。クリスタ様は、レイシール様に、言葉通り経験を、積ませようとされていた様に、思いますけど……。お身体の弱いクリスタ様の身代わりなら、ご兄弟や従者の手は必須なのでしょうし……、何かあれば、周りが手助けできる体制で、代役に立てていた様に聞こえます。良い距離感で、貴族社会を体験出来る様、配慮されてたのじゃないですか?」

 サヤの指摘に、改めて考えると、あれは確かに、破格の待遇だったと気付く。
 言葉に詰まれば、体調を理由に周りが距離を取ってくれていたし、あの人はどこの誰だとか、事前に教えてもらえてた。貴族同士のやりとりや駆け引きを、自身の目で見ることが出来た。
 そうか……。彼の方は、俺に、そんな風に、してくれていたのか……。

「俺……本当に恵まれていたんだな……。
 あの時はただ大変で、ボロを出さない様にと考えるので、精一杯だった。
 ハインもギルも居ないし、不安で仕方なくって、考える余裕が持てなくて……。でも、本当だ。凄く、良い経験をさせてもらってた。妾腹の二子には、本来経験出来ないことだ」
「うーん……そうではなくて……、クリスタ様は、レイシール様を、必要とされていたんじゃないのでしょうか?
 なんていうか、貴族社会で立ち回れる様に……矢面に立たされても、大丈夫な様にって」
「いやいや、俺は後継ではないって、クリスタ様もご存知だ。それは必要無いことだよ」
「でも、学舎は立身出世の場だったのでしょう?
 なら、その経験は、とても有効だった様に、思えますけど……」

 サヤの意見に、 俺の顔が自然と渋面になる。
 あのね……ほんと言うけど、俺、全然そんなことを期待される成績じゃ、なかったからね?

「……サヤまでお声が掛かるとか、言わないでくれよ。みんなは変に高評価したがるけど、ほんと俺、凡庸だったんだから。
 どの教科でも主席どころか、五位内に収まったことって殆ど無いし、指を麻痺させてからは、武術なんか底から数えた方が断然早かったんだからね」
「なら言わせて頂きますけど、人の評価というのは、数値だけのものではないと思います。
 貴族というのは、上に立つ方々ですよ?   そうである以上、人の使い方、接し方だって、重要な要素です。
 私の世界では、人との摩擦が少ないことや、問題解決の能力を高く評価する職種があったりします。
 成績より、人間を磨く方が、難しいんですよ?」
「それなら尚のこと俺はぼんくらだと思うけど?   貴族らしくないから奇姫なんて言われてたんだ」
「貴族らしくない方を必要とする場合だってあると思いますけど」

 引かないな、サヤも……。なんだってみんな、俺を高評価したがるんだ……自分のことは自分が一番分かっているんだけどな。

「私は……今私の話を、こんな風に、普通に聞いてくださるレイシール様を、凄いって思いますよ。
 身分が絡むと人は……人を、人として見れなくなったりしますから」

 何やら意味深なことを言う。
 人を、人として見れなくなる……か。そうだな。貴族の中には、領民を家畜程度の感覚でしか見ていない者も少なくない。
 とはいえ……元庶民の俺としては、過去の俺を家畜として見るとか、無理ってだけの話なのだけど。

「サヤ、そろそろ賄い作りでしょう?   後はレイシール様と進めておきますから、行って下さい」

 他の部屋を掃除していたハインが戻ってきて、そろそろ時間だと教えてくれた。
 サヤも「では、行ってまいります」と、立ち上がる。
 それを見送り、部屋の掃き掃除を再開する。そうして充分な時間をあけてから、サヤがもう、別館から遠く離れたと判断したのだろう。ハインは箒を吐く手を止め、言った。

「サヤが無害であることくらい、数日観察すればすぐに分かりそうなものです。
 クリスタ様の急な暴走に、混乱されただけなのでは?」

 先程の、ルオード様のことだ。
 俺の心配は、ハインに筒抜けであったらしい。
 大抵の人間を敵視することから始めるハインが、サヤに関しては早々に無害認定したものな。
 そう考えると、ハインより温厚なルオード様なら、すぐ誤解は解けるように思える。

「とはいえ、我々の目の無い所でサヤに無体を働かないとも限りません。極力、サヤは一人にしない様にいたしましょう」

 今日はどうしようもありませんが。と、付けたし、小さく溜息を吐く。そのハインの表情に、普段あまり見せない、不安要素に懸念を示すような、本当は今だって一人にさせたくないんだという苦悩が見て取れて、こいつも変わったなぁとしみじみ思う。
 俺に関わること以外は瑣末ごと。そんな風だったのに、サヤのことを本当に心配していると分かる。だが、守る対象が増えたことで、ハインの負担は増すばかりだ。
 俺といいサヤといい、人手不足なのに人手がいる事態に陥り過ぎだよな。
 しかし、一人にしないのは正直無理だと思う。

「……そうしたいのはやまやまだけどな……。俺たち、三人なんだよ……。
 俺に護衛が必ず必要で、サヤが一人になれないってなったら、どうしようもないと思うんだ」

 そんな俺の感想に、ハインが異を唱える。

「レイシール様とサヤが極力行動を共にすれば解決する問題です」
「だけどサヤには賄い作りがあるだろう」

 今みたいに、一人で出かける時間は、どうしても出来る。俺が賄い作りについて行くわけにはいかないんだから。
 そう思ったのだが、ハインの考えは違う様だ。

「賄い作りは、明日の朝食でひと段落出来ます。
 明日の昼以降は、早急に、あの料理人にサヤの味を覚えさせて、そちらに丸投げすれば問題ありません」

 無茶苦茶言ってますよハインさん……。
 いくらなんでも、そんな簡単に憶えられるものでもないと思う。サヤの料理は、調味料も調理法も特殊なことが多いのだ。
 そう思ったのだが、ハインは問題無いと言い切った。

「あの料理人のうちに獣人がいます。なら、人より鼻がきく。
 私などより、血も濃い上に、料理人と名乗るのです。大丈夫な筈ですよ」

 一度味わえば、だいたい察しはつくだろうと言うのだ。

「……獣人は、臭いが混ざっていても、分類が可能です。更に味で確認すれば、再現自体は難しくありません……」

 使われた食材、調味料が匂いで判別できるのだと、視線を俺から外したまま、そんな風に言った。
 そして最後に小声で「……獣ですから」と、付け足す。

 獣人に、その様な特性があるだなんて知らなかった俺は、目を見張るしかない。
 そして、ハインがそれについてを俺に話してくれたことに、胸が熱くなった。
 だけど、最後の一言はいただけないな。

「種の特技。だろ?そんな言い方するな」

 獣だなんて言うな。俺は、そんな風に卑下してほしくない。

「そうか……。ハインが料理を好きになったのは、そんなことも関係してた?」
「…………そう……ですね。……人より、有利であることは、自覚しておりました。
 匂いを確認すれば、どの調味料が使われているかは、判別ができましたから」
「ハインはなんだって上達が早かったけど、料理はワドも褒めてたもんな」
「…………」

 ふいと、顔を背ける。
 今も、獣人という己を、受け入れたくはないんだろう。だけど、俺たちの為に……選択できる行動を増やす為に、口にしてくれたのだ。

「ありがとう。そうだな……食事処の準備の為として、あそこに出向く回数を、増やすか。
 そこでサヤに、できるだけ品数を作ってもらって、ガウリィらに憶えてもらおう」

 試作を沢山作るとでも言えば、別段怪しくもない。雨季の間の暇つぶしだとでも言えば良い。
 そう思っていた矢先……。
 俺を呼ぶルカの声がした。レイ様どこだー!と、何時ぞや聞いた様な、切羽詰まった声。

「どうしたルカ⁉︎」

 慌てて廊下に出て叫ぶと、  走り回っているらしいルカが「どこだっつーの!」と、怒りを露わにまた叫ぶ。
 急いで階段に向かうと、駆け上がってきた様子のルカとぶつかってしまった。
 よろけた俺を、ごつい手が容赦なく掴む。

「あんたなぁ!   なんで何時もどこ居るか分んねぇんだよ‼︎」
「す、すまない。どうした?   ルカ……手、手が、痛い……」

 ギリギリと力一杯握られていて、尋常じゃなく痛い。しかし、ルカはそんなことになど、気にもとめていない様子で、そのまま俺を引っ張ってどこかに向かおうとする。
 そのルカの腕を、今度はハインが掴んで止めた。

「何をする。離せ」
「今てめぇにかまってる暇なんざねぇんだ!   サヤ坊やマルの旦那が斬られちまう‼︎」
「⁉︎」
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