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獣 9

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 六の月、二十六日。
 本日、夕食の賄い作りはハインが担当となった。
 とはいえ、下準備は村の女性陣に任せておけば問題無いらしい。
 彼女らは、俺が未だ警戒続行中であることを察してくれていて、サヤちゃんは護衛を頑張りなと、応援してくれるそうで、彼女の手をできるだけ煩わせない様、立ち回ってくれるのだという。
 本日、サヤは夜が長い。本館へ忍として侵入し、マルを運ぶという仕事があるからだ。
 なので、昼食の賄いを作った後は、仮眠をしっかり取る様、予定を組み直した。
 当然マルも同じ予定なので、只今仮眠中だ。

「味付けも、ほぼ問題無いんです。ただやはり、しょっぱい味のものに砂糖を入れたり、汁物に酢を入れたりする感覚は分からないみたいで……」
「うん……俺もそれ分かんないかな……」
「人の舌は、複数の味で味覚を刺激される方が美味だと感じるものなんですよ」
「うーん……でもしょっぱいものに砂糖を入れたら、美味しく無いと思うよ……」
「いつも美味しいって食べてらっしゃいますよ」
「えっ?   俺が食べたのにも入ってたの⁉︎」
「そりゃあ入ってますよ。私のところでは、隠し味って言うんです」

 護衛を兼ねての仮眠となるサヤは、俺の部屋で、長椅子に横になっている。
 仮眠くらい部屋でゆっくり取れば良いと言ったのだが、夜は夜でサヤが抜ける為、ギルやハインの負担が増える。だから、物音で起きれるサヤが、護衛兼、仮眠という状態だ。
 なので只今、ギルも仮眠中だ。
 本当に人手不足が痛い……。皆の負担が半端なくて、申し訳なさすぎる。だから少しでもしっかりと休んで欲しいのだが……。

「……サヤ。話してないで、寝ないと」
「そうなんですけど……なかなか眠気がやって来ないんです」
「話してるからだよ」
「違いますっ」

 長椅子で丸まっているサヤがぷぅっと頬を膨らませる。
 ……その表情は反則だと思うんだ……。可愛い……何かに似てる……なんだっけ。

「こんなに燦々と日が照ってるのに眠くなんてならないですっ」
「じゃあ、帷を下ろそうか?   多少は暗くなると思うよ」
「そうするとお仕事の邪魔をしてしまうから嫌ですっ」
「……なら、ちょっと疲れたし休憩する」

 俺がそう言って伸びをすると、サヤが「えっ、そんな……」と、狼狽えた声を上げる。
 帷を下ろしに行こうとすると「あっあのっ、下ろさなくてもちゃんと寝ますからっ」と焦った声で言うのだ。
 ちらっと視線をやると、鼻の下まで上掛けを引き上げて、必死に目を閉じている姿があり、つい吹き出してしまった。
 俺の仕事の邪魔をしたと思ったんだな。

「いや、大丈夫だよ。本当は、一区切りついたんだ。
 サヤもお茶飲む?   気分転換に」

 こんな日中に、なかなか寝れないのは仕方がない。
 そう思って声を掛けると、サヤは謀られたと悟った様子だ。また、ぷうっと頬を膨らませた。
 その顔にまた吹き出してしまう。分かった。栗鼠だ。頬に食べ物を詰め込んでる時の顔だ。

「……なんで私の顔見て笑うんですか……」
「いや、他意は無いんだ、ごめん…………っくっ」
「まだ笑ってる!」

 ああ、癒される。
 サヤが居てくれて本当に良かったと思う。
 彼女が一生懸命元気に振舞ってくれているのは分かってるんだ。俺とハインとギルが、ギクシャクしない様に、凄く気を回してくれている。
 先程も、ハインと夕食の隠し味について話していた。
 サヤと料理の話をする時は、ハインの表情も、心なしか和む。きっとハインにも、彼女の気持ちは伝わっているのだろう。
 彼女の慈悲は凄まじい。とても大きく、温かい。
 夏場、香草茶など、お湯で入れるお茶は暑いので、朝方朝食とともに大量に作り、冷ましたものを水差しに入れてある。それを湯呑みに注いで、一つをサヤに差し出した。

「はい、どうぞ」
「……ありがとうございます」
「怒ってる?」
「怒ってませんっ」

 笑われたことを恥ずかしいと思っているのか、顔が少し赤い。
 なんて愛らしい生き物なのだろうかと感心しているだけだから、別に恥ずかしがる必要なんてないのだけれど、理由を知らされずに笑われているのだから、あまり良い気分ではないだろう。

「ごめん。サヤが可愛かっただけなんだよ。
 たまに、頬をぷって膨らませるだろう?あの仕草がなんか栗鼠みたいで……」

 意地悪する気もなかったので、正直に理由を教えると、サヤの顔がより赤くなった。

「かっ、……、わ、私、やってしまってたんですか⁉︎」

 はい?

「やらない様に、気をつけてたのに……カナくんにも、餅みたいって、ガキかって揶揄われて……人前でするな、恥ずかしいって言われたことがあって……も、申し訳ありませんっ」

 顔を両手で隠して下を向いてしまった。
 カナくんめ……あの表情の何が恥ずかしいんだ。可愛すぎてたまらないとすら思うのに!
 いや待て、たまらないは却下だ。それはちょっと変態っぽい。

「恥ずかしくないよ。とても愛らしいだけだ。
 俺は好きだよ。サヤみたいに表情がくるくるするのは本当に可愛い。
   表現が自然で豊かで、気持ち良いとすら感じる。決して、恥ずかしい表情なんかじゃない」

 あの表情が見れなくなるのは嫌だ。
 上目遣いにこちらを見てくる表情も好きだけれど、あれはこう……駄目な感情が掻き立てられそうでちょっといけない。頬を膨らませる顔は、不埒な感情を刺激しない。ただひたすら可愛いのだ。
 ……駄目だ。俺の思考がなんかちょっとやばい気がしてきた。

「れ、レイシール様はたまに……すごく恥ずかしいことを、臆面もなく仰いますね……」
「えっ⁉︎   やっぱり俺、恥ずかしい⁇」
「ちっ、違います!
 私の世界の男性なら、言わないかなって思う言葉で、褒めたり、慰めたりして下さるので……わ、私が恥ずかしくなるんです……」
「え?   そんなことないと思うよ……?   俺なんか、口下手なくらいで……」
「あります!   だって、だって私……あちらでは可愛いとか、愛らしいとか、う、美しいとか、言われたことないですから……」
「嘘っ⁉︎   絶対それは無い!   サヤは本当に可愛らしいし、美し……」
「いいい言わないでくださいっ」

 座褥クッションに顔を埋めてしまった。
 うなじまで赤く染まっていて、その細い首元が、なんというか妙に艶めいて見えてしまい、急いで視線を外す。

「本当に、無いんです。私は地味ですし、武術を習ってますし、あのこともありましたから、男の方にはつい警戒してしまって……あまり好感の持てる態度の人間では、ありませんでしたから……。
 だからその……褒めて頂けるのは、嬉しいのですが……慣れていないもので、つい、恥ずかしさが勝ってしまいます。申し訳ありません……」
「……いや、謝ることなど無いよ。……ただ、俺が冗談とか、お世辞で言ってるんじゃなくて、本当にそう思ってるんだって、誤解しないでくれると、嬉しい……」
「う、またそうやって、恥ずかしいことを言うぅ……」

 カナくんは、サヤを褒めなかったのかな……。
 先程名が出て来たこともあり、ついそんな風に考えてしまった。
 サヤの一番近くにいて、サヤが気持ちを寄せている相手。なのに……サヤはカナくんに嫌われていると言う。過去の経験から、男性を怖いと感じ、つい警戒してしまうサヤを、彼は煩わしく思うようになったのだと、そんな風に聞いた。
 さっきの言葉だって……あんな風に言われたら、傷付くよな……。俺なら、人前では絶対にすまいと、気持ちが張ってしまうと思う。そうやって、どんどん苦手意識が育ってしまったんじゃないのか?
 ここにサヤが来てひと月と少し……。長いような、短いような時間だが、サヤはすぐ俺に触れられる様になったし、ギルにだって……昨日は、ハインやマルもきっと大丈夫だと言っていた。
 彼女は努力家だ。この世界に一人で放り出され、必死で慣れたのかもしれないが……それでもこの期間に、努力して慣れたのだ。
 なのに故郷では、彼女は六年、苦しんでいた。
 彼女の口ぶりからして、カナくんには、多分触れられないままなのだ。
 だけどあんな言い方をする相手じゃ、慣れるなんて、無理だって気もする。
 カナくんは……サヤのこと、どう思って、どう扱っていたんだ?

「あの、こんな居た堪れない話はやめましょう。
 それよりもその……どうせ寝られないなら、この機会に聞いておきたいことが、あるんです」

 不意にそんな言葉が耳に飛び込んで来て、俺は思考を慌てて切り離した。
 つい、カナくんのことを考えて、眉間にシワが寄ってしまっていた……。視線をやると、まだ赤い顔のサヤが、座褥を抱きしめたまま、こちらを伺っていてドキリとする。
 う……カナくんのことを考えていたこと、バレてませんよね……。

「なに?   聞いておきたいことって」

 内心ドキドキしつつも、そんな風に答えると、サヤは真剣な顔で視線を落とした。
 あ、真面目な話であるようだ。俺も居住まいを正す。

「ハインさんのことです……」
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