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執着 3

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   サヤを、囲う?

   囲う。という言葉の意味を考えた。
 考えたら、頭を埋め尽くしたのは、母のことだった。

 妾 思者 悪女 情婦 色女 淫乱 隠女 愛妾 手掛女 囲者 敷女 阿婆擦れ ……

 陰で言われていた棘のある言葉が次々と頭の中に溢れてしまって、血の気が引いた。

「レイシール様!」

 ハインに鋭く呼ばれて、囚われかけていた意識が辛うじて踏みとどまる。
 唖然とした顔で皆が俺を見てて、何故だかジンとする手を見下ろしたら、拳を握った自分の左手が、机に思い切り叩き付けられた後だった。

「?……うわっ、痛っ」
「お、おぃ……」

 尋常じゃなくジンジンと痛い小指側の側面。慌てて引っ込めて、右手で庇ったら、手が触れただけで痺れるほどに激痛が走って、すぐに手を離す。こっこれは……っ⁇

「あれ?なんで俺……?」
「あ、いや……すまん。紛らわしいこと、言ったな。専属契約を結ぶことを、囲うって言うんだ。
 つまりな、サヤの考案した意匠が、相当出来が良かったんだ。だから、バート商会のみに意匠案を卸す、専属の意匠師になってもらえる様、交渉して来いって言われたわけなんだ。
 その……妙な意味は、一切無い。大丈夫だ、安心してくれ」

 珍しくギルが戸惑った顔で、遠慮気味にそう言う。
 サヤもびっくりした様で、すっかり固まってしまっていた。
 ハインが真剣な顔で俺に手を伸ばし、打ち付けた箇所を丹念に確認してから「骨を痛めてはいないと思うのですが……」と、眉を寄せた。

「えーと、つまり……どういうことです?
 サヤくんが意匠師になるという話ですか?従者を辞めて?」

 一人、たいして動じた様子もなく、マルがそんなことを口にしたものだから、サヤが慌てて両手を振った。

「ちっ、違います!    私、従者を辞めるつもりなんてありませんから‼︎
 ただあの……ギルさんにはお世話になりっぱなしで……お返しできるものがあるならば、お手伝いしたいなって、そう思ってます。
 ちょっと恥ずかしいんですけど……それほどまで言って頂けるって、光栄なことだと思いますし……。
 それでその……、契約条件は、全部こちらの都合で構わないそうなんです。どんな条件でも飲んで良いって、ギルさんのお兄様方は仰ってるそうで……」
「ああ、そこは俺の一存で決めて良いってなってるから、安心してくれ。
 それに元々な、意匠師には兼業の者が多い。だから身元を伏せてる者も多い。
 この際だから、サヤに、メバックでの仮姿を作っちまうのはどうかって思ってな、それを提案しに来たんだよ」
「ああ、それは名案ですね。仮姿ですか。確かにサヤくんの為にも、良いように思いますよ」

 そう前置いてから、マルはサヤに仮姿を作ることの利点を教えてくれた。

「例えばですよ?    こちらで何かしらあって、サヤくんがメバックに避難したとします。
 ただ闇雲に、メバックの中に姿を隠しても、いつ頃逃げて来たどんな人物なんてのが分かっている以上、見つけるのは案外簡単です。サヤくんには特徴的な黒髪もありますしねぇ。
 ですが、元からメバックに居る筈の誰かに成り代わられると、これがまあ、とたんに難しくなるんですよ。
 また、サヤくんがただ女装するより、メバックに住む誰かという肩書きを名乗る方が、正体が判明しにくい。前々からそうである人が、居たことになっているわけですから、疑う余地がないでしょう?サヤくんとその人物が同一だと考えるのも難しくなります。セイバーンとメバック。住んでる場所が違いますしねぇ。
 図案は手紙でやり取りしたっていいわけですし、馬なら三時間で届けることができます。セイバーンに居ながらでも仕事は出来ますよ。
 しかもギルの一家が身元を保証してます。王都に店を構えた大店の専属意匠師ですからね。
 サヤの隠れ蓑にもってこいですよ!
 あと、意匠師って案外、女性が多いのでね。顔を隠し易いですよ。あ、紫紺の鬘のサヤを意匠師のサヤとするのは如何ですか?僕が情報の補強をすればもう鉄壁ですよ」

 乗り気で楽しそうに話すマル。
 場の空気がここだけ違う。そう、マル以外は全く楽しそうじゃなかった。
 俺を心配そうに見る三人。その表情に、俺の無意識の行動が相当衝撃だったことが伺えて、俺の背中に汗が伝った。

「そ、その……すまない。事情はちゃんと、理解した。サヤがやりたいと思う事を、止める理由は無いよ。従者をやりながらだと、大変かもしれないけれど……それは承知の上なんだろう?
 サヤが才能豊かなのは知っていたつもりだったけど……服まで思い付けるだなんて、本当に凄いな。うん。しかも、アルバートさんまで認めるだなんて……」
「……ああ、本当にな。まあ、多分そうなるだろうと思って送ったけどな……。なんせワドが、サヤの下図を買い取りましょうって言い出したくらいだから」
「そ、そんな大層なことじゃないんです!    私の世界の服を写してるだけなんですよ?」
「だからぁ……、写せねぇよ!    普通着てたって、写せねぇんだよ!    それが出来りゃあそこらじゅう意匠師だらけだっつーの!
 レイ、サヤはな、学校で服を作るクラブカツドウとやらをしてたそうでな、下手な意匠師よりよっぽどなもんを描くぞ」

 ギルが、意図して空気を和ませようとしてくれているのは、嫌という程分かった。
 ドキドキと早鐘を打つ心臓に、俺も静まれと、言い聞かせていた。
 手が痛い……。なんであんな事をしてまったのか、全く分からない。今までだって、そういった言葉を聞いたことは幾らだってある。なのに、何故ギルの言葉に、今更頭が真っ白になってしまったのか……。あんな風に、振り切れるくらいの怒りが、瞬時に湧き上がってしまったのか……っ駄目だ……今は、保留にしよう。下手なことを考えて、また振り切れてしまったら、皆を心配させてしまう……。

「じゃあ決まりですね。
 あ、名前を決めませんか?意匠師は通り名を持ってる人が多いですよね?
 会議の時のサヤくんは結構大人っぽく見えましたしねぇ……あれなら二十歳としておいても大丈夫そうです。メバック在住の二十歳。うん。良い感じだ。男装のサヤくんと、本来のサヤくんとの年齢差も生じますし、同一人物としての特定が、よりしにくくなるでしょうね。
 そうそう、異国めいた名前は却下ですよ?あまりサヤくんを連想しない名前にしてくださいね」
「そんなこと急に言われてもな……知り合いの名前しか思い浮かばねぇよ……」

 頭を掻くギル。ハインは元から考える気が無いようで、ルーシーくらいしか思い当たりませんねと言って、ギルに怒られていた。
 サヤも同じく考えていたのだが、あ。と、呟いてから少し逡巡し……。

「あの……カメリア、というのは如何でしょう」
「カメリア……アメリアでもメアリでもくカメリア……。聞き慣れてるような、慣れてないような、絶妙な名前ですねぇ。由来はなんですか?」
「え……、椿の、英名です。植物の名ですね」

 サヤの返答に、マルはにこりと笑った。

「ああ、それなら良くありますねぇ!地方の植物なら、知らない名前なんて幾らだってあるでしょうし、女児に花の名を付けるのも一般的です。良いんじゃないですかね。
 ではそれで決めちゃいましょう。
 メバック在住の二十歳女性意匠師、通り名はカメリア。それで専属契約をお願いしますよ、ギル」
「なんでお前が仕切ってんだ……。まぁ、いいけどよ…。
 じゃあ、それで兄貴に報告するぞ。細かい契約はこっちに任せてくれ。悪いようにはしないから。サヤの事情を踏まえて取り決めとく」

 俺もそれにこくりと頷いて応えた。
 そうか……これでサヤは、従者だけでなく、意匠師となったわけだ。万が一、従者を辞めても、もう問題無い。サヤは、俺の助けなど無くても生きていけるよう、手に職を持ったのだ。

 ……あれ……?
 なんだ……?なんでこんな、不安になるんだ……?

 心臓が、痛い気がした。だけど実際痛い訳がない。痛いのは左手だ。俺は何かを勘違いしている。感情と、痛む場所が錯綜している。どういう訳か、サヤが遠くなったような気がしてる……。
    それは、当然起こることだ。起こらなければならないことだ。近い未来に、サヤは故郷に戻る。俺の前に留まっていたりはしないのだ。それでもサヤは、この世界に自分の痕跡を残すと決めた。ここに居る間は俺と時間を共有するのだと決めた。俺の罰と戦うと決めた。俺を大切な思い出に分類してくれると言った。サヤは、元からカナくんを想っていて、サヤの世界で幸せになるべきで、サヤはそうなるに相応しい、素晴らしい娘で、俺なんかが想って良いような相手じゃなくて、そもそもが、前提が、俺とは絶対に、交わらない、異界の、娘で……。

 住む世界が、違いすぎる。
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