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閑話 馬術

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 夕刻手前になり、サヤが賄い作りの為に別館を後にした。
 ギルは散歩してくると別館を出ていて、俺は個人的なことに時間を費やしていたのだが、戻ったマルが、今日の報告にやって来たので、ここ最近の決まり事である、お茶を入れることにした。
 人足たちも、杭などの木材加工や運搬で、今日の仕事を終えたそうだ。
 あの後、血気盛んな人足が、多少土建組合員とやり合ったりしたらしいが、大きな問題となるようなことは無かったらしい。
 警告二回の男は大人しくなり、むしろ積極的に仕事をしていたと、マルは笑った。

「いやぁ、サヤくんに助けられましたねぇ。
 正直びっくりしすぎて動けなかったので、あのままじゃ殴り飛ばされてました」

 やはり、悠然と構えていたわけではなく、動けなかったのか……。
 ヘラヘラ笑うマルに、あまり無茶をしないでくれよと言っておく。
 あの状況であんな台詞を挟めば、喧嘩を売っていると思われても仕方がない。

「というかですね、レイ様がいけないんですよぅ。ルカに注意されてたのに、矢面に立たないで下さいよ。おかげで僕も姫役なのに、しゃしゃり出ちゃいましたし」
「サヤに下品な視線が集まるくらいなら、俺が矢面に立った方が良いと思ったんだ」
「レイ様……サヤくんは十四歳の少年設定なんですよ。それ、忘れてやしませんか?」
「忘れてない。けど、サヤはああいった視線や言動で、体調を崩す場合があるんだ。
 注意するべきだよ。前に一度、倒れたこともあるんだから」

 気を付けるにこしたことはないと思うのだ。
 サヤは少々のことは我慢して笑っているきらいがある。だけど、その少々が積み重なるのが怖い。
 サヤには頼れる人が居ない、天涯孤独の身の上なのだ。自分だけの問題は棚に上げて、余計無理を重ねそうに思えてしまう。
 サヤにもう少し、息抜きができる環境があれば良いのだけれど……事情を知る女友達もおらず、男に囲まれて、男装して過ごすというのは、やはり、かなり厳しい状況だと思うのだ。

「はぁ……。サヤくんですか。無体を働かれかけたことがあるんでしたっけ?」
「ああ。詳しくは知らないけどね……。すぐに助けが来たから、たいしたことはされていないと言っていたけど……かなり深く、心に刻まれた傷なのだと思うよ。あんなに強くなるまで鍛錬を重ねて、無意識に間合いを取るような癖が、身につく程にはね」

 視線や、言葉で、あんな風に震えてしまうくらいに、深く刻まれているのだ。
 そんな不安や恐怖を吐露できるような相手が居ない彼女は、溜め込んでおくしかない。
 それがどれほど身を削ることであるかは、俺が一番良く知っている。
 だから、極力守ってやりたい。
 不安や恐怖を溜め込みすぎると、いつか壊れてしまうかもしれないのだ。

 俺の話を聞いていたマルは、大袈裟だと思っているのか、あまり深くは考えていない様子だ。
 それでも、俺の考えは尊重してくれる気であるらしい。うーんと、悩んでから、ポンと手を打った。

「レイ様、サヤくんに馬術を教えたら如何です?
 メバックまでは馬車なら半日ですけど、馬なら三時間ほどで済みます。
 サヤくんが自在に馬を乗りこなせるようになれば、メバックへの日帰りだってできるわけです。
 休日に、遊びに行くくらいの気晴らしは、させてあげられますよ」

 馬か。
 そういえば、サヤは馬が乗れないのだった。
 サヤの世界には馬車が使われていないらしく、馬も乗ったことがないと言っていたのだ。
 メバックまでや視察では、基本が馬車だったので、そのまま馬車を利用していたけれど、馬に乗れる様になれば、行動範囲はずっと広がる。

「それは考えてなかったな……。
 そうか、馬か……良いかもしれない」
「ついでに、レイ様の息抜きにも、ハインの息抜きにもなれば良いんですけどねぇ。
 ここに来て改めて思いましたけど、ハイン……あれはもう中毒ですね。レイ様中毒です。
    僕が見ている限り、生活のほぼ全て仕事に使ってますよ。あれだけくっついてちゃ、レイ様も気が休まらないでしょうに……。
    しかも、護衛できないときは監禁って……。発想が怖いですよ」
「ああ、それはもう慣れたから。
 けど、仕事をし過ぎなのはずっと気になってるんだ……。過労死しそうで、そっちの方が怖い。
 サヤが来てくれてから、随分ゆとりは出来たんだけど、そうしたら普段できない仕事をまた組み込むんだよ。
 自分のことに時間を使えっていうのはそれこそ、嫌という程繰り返し言い聞かせてるのに……睡眠と鍛錬と趣味の時間は確保してるから大丈夫って言うんだ。
 違うだろ?    やっぱりそうじゃないよな?」
「ハインの鍛錬ってどうせ仕事絡みですよね……。趣味って料理でしょう?    それだって仕事みたいなもんじゃないですか……。
 他に何かないんですか、ハインには。仕事が絡まない時間は。これじゃあ寝ることまで仕事の為にしてそうで怖すぎます。
 このままじゃ、レイ様が例え結婚しても、レイ様の身の回り全部に手を出して来ますよ。どこの小舅かってくらいに」
「……いや、その予定は皆無だから、安心して良いよ」
「……レイ様貴族ですよ。政略結婚の可能性を捨てないで下さい」

 いや、無いと思うよ。
 セイバーンは豊かだし、収入には困っていない。兄上すらまだ結婚していないというのに、俺があえて妻をもらう理由も無いだろう。
 婿に行くことも無さそうだ。ここの領地管理は特殊だし、父上が快復されない限り、俺はこの仕事から解放されない。
 そして、父上が快復した場合も、母がもういない以上、父上の補佐は俺が行うことになると思うのだ。
 そしてそうなれば、俺は貴族を辞める。政略結婚は無い。
 サヤが元の世界に帰れているならば……という前提はあるけれど。

「脱線してるから、話を戻そう。ハインの仕事中毒をなんとかしようって話だっけ」
「違います。サヤくんが気分転換できる様に、馬術を教えませんかって話ですよ」
「ハインに相談してみるけど……あいつ時間作れるかな……」

 そう、問題はハインなのだ。明日からなら、丁度サヤが戻って日常業務の分担ができる様になる。俺が少し仕事を手伝えば、都合が付けられるだろうか。
 俺が変われる業務、何かあったかな?
 そんな風に考えていたら、違いますって。と、マルが言う。

「ハインの仕事増やしてどうするんですか。レイ様が教えてあげれば良いんですって。馬、乗れますよね?」
「そりゃ、多少は乗れるけど……手綱を長く握ってられないからね……」
「何も駈歩を長時間できる様になるまで練習する必要無いでしょ。
 速歩ができる程度に乗れる様になれば、後は自分で勝手に練習しますよ、サヤくんのことだから。
 あの娘、運動神経抜群に良さそうですし」

 目が追いつかない動きするんですよ?    と、マル。
 この世界に来て、力が強くなったと言っていたサヤだが、力が強くなると動きも早くなるのか、本気のサヤの動きは目がついていかない。消えているのかと思う程だ。
 工事を続ける間、俺は結構やることが無い。午前中に日常業務を終えてしまえば、午後からはほぼ監禁されつつ自由時間だ。
 何故なら、俺がうろつくことが邪魔になるからである。
 俺が動けば護衛が必要で、護衛ができるのがハインとサヤしかしないのだ。二人の仕事を邪魔しない様にと思うと、俺は別館内で大人しくしておくしかない。
 サヤの仕事は賄い作りが主だから、日常業務を終えれば、それ以外の時間は比較的空いている。
 午後にまとまった時間を作ることは可能な気がした。
 明日以降なら、異母様方もいらっしゃらないしな……。ハインとしていた見回りをサヤに交代してもらって、見回りついでに、馬の練習をすれば良いか……。

「そうだな。じゃあ、そうしよう」
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