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異話 錘 2

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「へぇ……すげ。なんで?木通って秋だろ?」
「なんでかは……分からない、です……」

 そこは、小さな泉の、ほど近くにあった。
 望郷の泉とよばれているって、村の人に教えてもらった。願いを叶えてくれる、不思議な泉だそうだ。
 それと、食べ物がない時は、ここに来ると何かしらあるって。
 春の走りであるこの時期は、茱萸も木通も、実る季節じゃない。
 けれど、泉に程近いここは、年中実りがあった。

「取り過ぎたら、いけないから……」
「ああ、木通は人数分だけにしとく。茱萸は……手拭いで包めるだけにしとく」

 そう言って、木通を五つだけ手に取る。

「にしても、お前貴族なのに、こんな庶民の食いもん、知ってんだなー」
「貴族はまだ、短い、から」

 そう答えたら、その人の手が、ピタリと止まった。

「貴族はまだ……二年くらい。
 それまでは、普通だったから……。木通も茱萸も取って食べてたから……。貴族の食べ物より……こっちの方が好きだから……たまに、どうしても、食べたくなって……」

 罪悪感で、くらくらする。
 本当はそんなことを言ってはいけないのに。
 母は、ここが良いのに、僕は、ここが嫌。
 ここは、怖いし痛い。何が悪いのかも分からないのに、怒られる。仮面をつけた人だらけで、気持ちが塞ぐ。
 僕が僕なだけで、いけないことになる。
 僕が望むだけで……壊される……。

「……貴族の前は、どこに居たんだ?」
「分からないです。小さかったから……」
「地名くらい覚えてるだろ?」
「覚えてないです……小さ過ぎて……ぜんぜん……」
「二年前って……何歳だ?」
「三歳でした」
「……ん?……三歳……え⁉︎じゃあ今五歳⁉︎」
「もうちょっとで六歳です」

 そう言う僕に、その人は口をあんぐりと開けて、びっくりした顔をした。
 まじまじと僕を、上から下まで見て、しゃがみこんで頭を抱える。

「五歳って……道理で小さい……いやでも、五歳って、普通もっと、馬鹿だろ⁉︎」
「?」
「いや、別にいいんだけどな……俺の五歳って、食う、寝る、遊ぶ。くらいしか無かったなとか思っただけで……」

 はあ……と、溜息をつくその人が、一体何を言いたいのか分からなかった。
 戸惑うしかない僕を見て、もう一度溜息をついて、口元が笑顔になる。しゃがんでしまったから目は見えないけれど、きっと苦笑しているのだ。
 そうして手を伸ばしてきて、僕の頭をぐしゃりと、撫でた。

「そっか……お前……馬鹿でいるわけには、いかなかったんだよな…………」

 何かを知っている風に、察している風に、そう言った。

 山道を下る時も、その人は僕の手を握った。
 黙ってしまっているその人を見上げると、何か思案顔の、凛々しい顔だった。
 綺麗な瞳……。こんな不思議な色合い、宝石にだって、無い気がする。
 視線を逸らして、僕も考える。
 傭兵……って、もっと、乱暴で、怖い人だと、思っていた。
 話したことは無かったけれど、見かけたことは当然ある。大きくて、筋骨隆々で、もっと粗暴だったと思う。
 だけどこの人は……そんな雰囲気とはかけ離れていた。
 細くて、若くて、所作もどこか、洗練されている気がする。
 喋り方はガサツだけれど、僕みたいな子供にも、優しくて丁寧だ。
 いい人……。うん。優しくて良い人だ。

 麓まで降りてきたから、そこで別れることにした。
 こんなに長い時間いるつもりなく、黙って出てきてしまったから……麺麭だけ渡して帰るつもりでいたから、急いで帰らないといけない。
 別れる間際に、懐から取り出した麺麭を渡した。
 ちょっとびっくりした顔をして、手拭いの中を確認した。
 大したものじゃないと恐縮する僕の頭をわしゃわしゃとかき回して、ありがとうなと言った。
 そして一瞬だけ、皮肉げな……どこか遠くを見る目をして、笑った。

そのまま別れて、館に戻って……朝から姿をくらましていたことを叱られた。
 勉強の時間を終え、昼食を終え、暇を持て余して本を読んで過ごした。
 あの人は、いつまでここに居るのだろうかと考える。
 あの口ぶりだと、矢傷がある程度癒えるまで居るのかな……。
 川縁の若夫婦って……きっとあの家だ。ユミルちゃんが居る家。ニコニコ可愛い赤ちゃんだ。
 でも。
 早く、セイバーンを離れた方が良い。
 この村は田舎だから、傭兵を雇うようなお仕事はほぼ無い。
 それに、僕と話してたことが分かってしまったら、危ないかもしれない……。
 まあ、もう会いに行かなければいい。
 まだバレてないと思うし、もう会わないなら、気付かれない。

 ……無性に悲しくなってしまって、本を閉じた。
 どうせ読めてない。さっきからずっと、目が文字の上を滑っていた。
 もう、会わなければいい……。僕は危ないんだから、簡単に、誰かに近寄ったらいけないんだ。
 でも……。
 あの人は足を怪我しているから……山道を一人で歩かせるのは、心配。僕が行かないと、遠慮して山に入らないかもしれないし……。そもそも、足の怪我があるのだから、山道を歩き回るのは良くない。傷に響く、痛いと思う。
 あの人に会わなくても、お手伝いくらいなら……うん。薪を拾って、あの場所に置いておけば、気付いてくれるかもしれない。

 そう思うと、少し気持ちが楽になった。
 会えなくてもいい、ちょっと手助けがしたかった。
 だけど早朝は怒られる……。昼食の後のこの時間か、軽食の後の短い時間なら……薪集めくらいなら……。
 懐かしい、記憶が脳裏を掠めた。
 母と手を繋いで、散歩がてら、薪を拾った。
 僕は小さかったから、たいした量は持てなくて、けれどカラカラに乾いた小枝を探すのは得意だった。
 なんだか、懐かしいな……。あの時は、何も怖いものなんて、無かったのにな……。
 父上は傍に居なかったけれど、それが普通だった。だから僕は、悲しくも寂しくもなかった。
 でも母は、そんな生活が嫌だったんだ。僕が産まれた所為で、父上の傍にいられなくなった。
 僕が居なければ、母はずっと今みたいに、父上のお手伝いを続けていられた……。

 だから、要らないって思ったのかな…………。

 コンコンと、扉が叩かれた。
 ハッとして顔を上げる。御領主様がお呼びですと、冷えた声音の使用人が告げてきた。

 嬉しいけれど、嬉しくない時間。
 父上とお話ができる。けれど、父上が少し、寂しそうな顔をする時間。
 僕が、聞かれたことしか答えないから。机を挟んで、触れ合うこともしないから。
 一緒にいなかったあの頃は、手を繋いだり、膝に座らせてもらったりしてたのに、近くになった方が、遠くなった。

「伺います」

 本を戻す為に席を立って、棚に向かう。
 重たい皮表紙の、分厚い本。持ち上げる時、右腕にズキンと響いた。
 気付かれないようにしないと……。普通にしてたと思うのに、あの人にはバレてしまったし……。
 袖をめくると、青紫の花が毒々しく咲いている。だいぶ色付いたから、もう暫くすれば薄れ、痛くなくなってくる。
 袖をきっちり戻して、扉に向かった。
 嬉しいけど、嬉しくない時間。
 父上とお話をした後は、兄上が来る。父上と何を話したか問い詰められて、機嫌が悪いと叩いたり、蹴ったりされる。
 それでも、僕にはかけがえのない時間。二人きりの時の父上は、仮面を被っていない。つくりものじゃない顔をされるから。

 怖くないと思える人は、ここには殆どいない。
 二人の時の、父上だけだ。
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