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発作 3
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「ほんっとうに……最低だなお前ら。マジで連日男装だけとは……最低だ!」
ギルがまだ怒っている……。食事中もずっと怒っていた。
美しいサヤを美しくしておかないことにご立腹だ。
俺は知らなかったのだが、サヤの荷物の中にはちゃんと女物の衣服があったらしい。休みの日に、部屋の中でくらい女性の服装をと準備してくれていたのだ。なのに、そんな日は一日も無かった。
「お前らほんと、分かってるか?
考えろよ、女装して十日以上過ごす自分を想像しろ! ぜんっぜん気が休まらねぇって気付けよ!」
「気色悪すぎて想像したくありません」
ギルの言葉にうんざりした顔で答えるハイン。
そうは言っても、セイバーンでは男装してもらうしかない。別館の中にまで本館の使用人が来るという事件もあったので、今まで以上に気が抜けない。
渋る俺に、ギルはキレた。その結果、メバックにおいてはサヤを絶対に男装させないと宣言されてしまった。本気で怒っているギルに、俺も降参するしかなかった。
よって、今サヤは女装……もとい、女性の装いになるべく、ルーシーの部屋に退室させられていて、俺はひたすら怒り続けるギルに、謝っていた。
「絶対痛かったぞ……腰の皮膚がめくれてたって……ただでさえ敏感な部分なのに……」
「悪かったよ……」
「言えねぇよな……男二人に腰を晒すわけにもいかねぇしな……くそっ、俺がいれば気付いてやれるのに……!」
「…………」
それはそれでサヤにとって良いかどうか微妙だ……。なんとなく、半泣きになっているサヤが想像できてしまう……。
そう思いつつも、俺は……ギルであれば、もっとサヤに配慮できたのだと……そう考えると暗い気持ちになった。
「さっき……夏場のサヤの服装がどうなるかも聞いた。
下着、肌着、更に補整着があって、服なんだよな……」
「そうだ。確実に暑い。肌を隠す服になるだろうし、尚更だ。
正直俺は勧めねぇよ。特に、外に出すべきじゃない。下手したらぶっ倒れるぞ。
月の半分、だけだとしても……無理がある」
土木作業なんざ以ての外だぞと、ギルは俺を睨みつけた。
俺は小さくなるしかない……だって、指摘されなければ、きっと今まで通り、サヤに頼っていた……。近づく雨季に焦り、作業を早める為サヤに無理をさせる自分が、目に見えるようだった。そしてきっとサヤは、それでもニコニコ笑っているのだ……。辛かったり、痛かったりを悟らせず……。そして俺は、それに気付きもしないのだ…………。
腹の奥底の、黒いもやもやが疼く。
帰す方法を探すと約束しているのに、それについては何一つ行動できていない。それどころか……サヤを帰すことを、俺は嫌だと思っている……。
罪悪感に胸が潰されそうだ。サヤはあんなに、頑張ってくれてるのに、俺がサヤにした仕打ちときたら、これなのだから。
「サヤを男装させないで済むように、考えてみるよ……」
「おう、そうしろ……。なんだよ……素直だな」
「サヤに怪我までさせてたんだよ……。素直にもなるさ。明らかに俺が悪かったんだから」
前ここに来た時、サヤが嫌だと言ったとしても、俺はサヤを説得すべきだった。
少しくらいセイバーンから離れたとしても、ここにいれば、サヤは怪我なんてすることもなかったし、異母様に目をつけられるようなこともなかった……。
結局今日まで俺は、サヤに何一つしてやれてない……。
頼るだけ頼って、その上危険に晒してしまった……。
落ち込む俺の横で、ギルの話は土嚢のことに移り変わっていく。
「土木作業といやぁ……土嚢……か。言われてみれば簡単なことなんだが……。凄ぇな……誰が考えついたんだ、そんなもん」
「数十年、水害対策は遅々として進まなかったのですからね。サヤが土嚢を教えてくれなければ、きっとまた十数年……下手をすれば、数十年、水害に悩んでいたのでしょうね」
土を袋に入れる。それはただ単純に、それだけのことなのだが、水害に悩まされてきたセイバーンの誰にも思いつけなかったことだ。
サヤの国では、何百年も前に、その方法が編み出されていたらしい。
「これの凄い部分はその先だよ。土嚢の上から補強を進めれば、今後の氾濫を回避できる可能性すらある……しかも少しずつ、強化していけるんだ。毎年一から作り直す必要すらない……道の問題はあるけど、本当に……画期的だ」
そう。サヤの教えてくれたことによると、土嚢を用いて水害対策したのち、それを解体するのではなく、さらに補強していけば、河川敷という水害を防ぐための備えに改造できるのだという。これはまさにセイバーンが求めて止まなかった、画期的な水害対策というやつなのだ。
「しかもなんなんだよこの図面……なんでこんなもん描けるんだよ……訳わかんねぇな」
サヤの描いた図面を見てギルが唸る。川の断面図と、河川敷の予想図だ。
似た地形を知っているからと言っていたが…知ってて描けるなら誰も苦労しない…。
ざっくりと簡単なものではあるが、有ると無しでは全然違う。言葉で説明できない部分を、絵が上手く表現していた。
「で、大店会議で、これを作っていくって提案すんのか」
「まだその段階に無いよ。まず土嚢で氾濫対策をする。それが成功したら、その土嚢を補強し、氾濫の起きない川に改良していく話に進める。でないと、土嚢が有効かどうか、伝わらないだろ?」
「……成る程。久しぶりに考えた感じだな」
「考えてましたよ。数時間心ここに在らずでしたからね」
ボソボソとギルが言い、ハインが答える。
俺はそれを無視し、深呼吸。決意を固めた。
「マルに、サヤのことを話そうと思う」
暫く、反応がなかった。
次の瞬間、胸倉を掴み持ち上げられ、俺は一瞬息が詰まって咳き込んだ。
「おぃ……マルには隠すんじゃなかったのか……あの情報馬鹿に知られてみろ、サヤが骨までしゃぶられるって、分かってるよな?」
止めに入ろうとしたハインを手で制して、俺はギルを見る。こっちも真剣なんだ。きちんと俺の口で言わなきゃならない。
「……っかってる。けど。サヤの教えてくれたことを、きちんと、活かそうと思ったら……マルが必要なんだ」
「……どういう意味だ?」
「土嚢は、未知の技術じゃない。手近にある袋に土を詰めるだけの、思い付きさえすれば、誰にでもできるものだ。
けど、河川敷はどうだ? 土嚢を使って補強した後に、更に次の段階にしていくなんてこと……誰が思いつける? 川幅を広くする理由や、土嚢の壁の上に道を作るなんてことを。
これを誰が思いついたんだって、そんな話になったらなんて言うんだ? サヤを出すわけにはいかない……。だが俺たちでは、サヤの身代わりはできないと思ったんだ。
……これ以外にも、沢山、細々したことが、きっと変わっていく。
今回の収穫で、麦の干し方が変わる。各家庭ごとにしていた収穫すら、変わるかもしれない。特殊な料理も増えると思う。
一つ一つは、たいした変化じゃないだろうが……それが全てセイバーンからだ。
なんか変だって、なるのは、時間の問題じゃないか? それで、サヤのことが知られたら……サヤはどうなる……?
だから、マルを……取り込もうかと。
サヤの言う数々の知識を、一番理解できるのは、マルじゃないかな。表面的なことじゃなく、二手、三手先まで……見えるのはと、いう意味で。
それをマルに与える代わりに、サヤの情報を、隠してもらう約束を、しようと思った。
サヤの身代わりを、マルにしてもらうんだ。
水害対策は、待った無しだ。喉から手が出るほど、欲しい技術だ。今までのやり方と、土嚢を使ったのでは、強度にどれほどの差があるのか、マルに計算してもらってる。その先の河川敷も……。
マルの頭から出てきたのなら、納得できる。少なくともメバックの商人たちや、学舎でマルを知っている者は、納得できる。異界の少女の身代わりができる頭脳があるのは、マルだけだと、思う」
俺の長い説明の間、ギルの手は緩まなかった。
「それじゃすまねぇって言ったんだ。
サヤの国の、世界の、様々なことを聞き出そうとするぞ、あいつは。それが問題にならないわけがねぇって言ってんだよ。
それをお前はどうするつもりだって聞いたんだ」
「マルなら大丈夫だ。サヤを拷問したり、脅したりする奴じゃない。けど、マルより危険な奴がサヤを知ったら、異界の女性に配慮なんてしないかもしれない……。何をされるか分からない相手から守るために、マルを取り込むんだよ。そして、マルは情報の専門家だ。正当な報酬なり、取引無しにサヤの話をばら撒くようなことはしない」
しばらく睨み合う。
サヤの知識は、何を狙われるか分からない……。サヤが計り知れないからだ。
逆に言えば、マルに与える餌は選べるということだ。マルは情報の選り好みはしない。新しいことを知れるならそれで良いのだ。けれど、サヤに配慮をしない相手は、そうではない可能性が高い。そう、異母様に知られてしまったら……サヤは……。
「…………ま、考えた感じだな」
ギルが手を離した。
俺は長椅子に放り出される。
「マルが、乗ってくれりゃ、それでいいんだろうが……乗るのかあいつ」
「乗らないと思う?俺は情報がそこにあると知ってて食いつかないマルなんて知らないよ」
「……そりゃそうだな」
襟元を直し、安堵の息を押し殺す。
ギルが説得できて良かった……。メバックの商人の一人であり、貴族相手に商いをし、王都に本店があるバート商会だ。その影響力は大きい。彼が是と言うなら、メバック商人の三割は是に傾くと思う。そもそもが俺との繋がりでメバックに来たギルだ。反対に回られたら、それだけで俺への信頼度がガタ落ちするところだった。
「何にしても、とりあえずはメバックの商人連中を納得させる必要があるわけだけどな。そこで頓挫する可能性もあるわけだが……どうなんだ、いけるのか?」
「たぶんね。サヤは、知識として知ってるだけで、作ったこともないし、実物を見たこともないと言ってたけど」
「……え?……だ、大丈夫なのか?」
俺の返答に、ギルが唖然とした顔で、そう聞いてくる。
俺からしたら、その疑問こそが不思議だった。つい、小首を傾げてしまった。
「大丈夫だよ。サヤは賢い。根拠の無い適当なことは、喋らないよ。
ただ知ってるだけと言ったって、きっとサヤの中には膨大な知識がある。下手をしたら、マルくらい……もしくはマル以上の知識が蓄えられているのだと思うよ。
サヤはそれを頭の中できちんと検証して、意味があると思ったから、言ったんだ。
サヤは何日も考えてたよ。それだけで充分、信用に足る」
異母様に堂々と嘘をついてみせたサヤ。
あんな突発的な、心の準備をする余裕すらないような中でも、サヤはちゃんと考え、行動し、見事勝ちを収めたのだ。サヤは賢い。
「へえ…………。前来た時よりなんか、随分と……。お前、まさかサヤに気……」
それまで黙って、やり取りを見守るだけだったハインの手が、目にも留まらぬ速さで振るわれ、ギルの後頭部を叩いた。
「……いてぇな……何しやがる」
「どこかの馬鹿の頭に悪い虫がいたのでつい」
なに……?なんでハインは急にギルに喧嘩をふっかけたんだ?
そのままお互いに視線で刺し合いを始める二人。俺が慌てて止めようとしたところで、コンコンと応接室の扉が叩かれた。
「叔父様! 戻りま……」
「叔父じゃねぇ‼︎」
「なっ……何?なんで急に、そんな……怒ることないじゃない!」
丁度帰って来たルーシーが二人の刺し合いのとばっちりを受けた……。そしてギルに怒鳴られてしゅんとなるルーシーではなかった。一気に沸点に達して怒鳴り返す。あああぁぁ、ハインお前が急にギルを殴るからなんか修羅場になってきたじゃないか!
「お、落ち着こう。ハインお前も謝れ。なんなんだよ急に、意味もなくギルに喧嘩売るなよ」
「私なりに意味のある行動でしたのでほっといて下さい」
「余計悪いだろ⁉︎ ルーシーごめん、ちょっと間が悪かった…ギルとハインが喧嘩始めた所だったんだ…」
「えっ、喧嘩ですか? 何故?」
「訳わかんないよ。ほんと急になんだ。ハインが…………」
そこで俺の思考は停止した。いやもう、ハインが喧嘩売ったことなんか吹き飛んだ。
目の前にあるものが……俺の頭を支配してしまったのだ。
「ハインさん、どうされたんですか?」
「おや……。サヤ、お帰りなさい。見違えましたね。とても美しいですが、ここに猛獣がいるので近付かない方が良いですよ」
「てめぇ、まだ俺に何か不満でもあんのか……あるならキッチリはっきりこっち見て言え。拳で解決してんじゃねぇ。
サヤ、やっぱりお前、その方が断然いい。俺は見違えねぇ。サヤが美しいのを一番理解してるのは俺だ。こいつらは朴念仁だからな」
「サヤさん酷いんですよ、叔父様、叔父様なのに叔父様って言ったら怒って来たんですよ!」
「ゴルァ!ルーシーてめぇおじおじおじおじ嫌味かそれは!」
「どう足掻こうと叔父じゃないの‼︎」
凄い状況が目の前を掠めているのだが、俺はそれどころじゃない。サヤが……サヤから視線が外せなかった。
立襟に、丁寧な刺繍を施された短衣は淡い水色で、袖が無い為肩までが見えている。
胸の下あたりまで編み上げられた袴はとても深い緑。普段のゆったりした男装と真逆に、腰の細さがこれでもかと強調されているうえに、胸の膨らみまではっきりとしている。丈は長く、踝までが隠されているので、とても清楚な出で立ちだ。そして、艶やかな黒髪だけはいつも通り、首の横あたりから、ゆるく結わえられ、白い飾り紐で括られている……。
化粧は殆どしていない。それなのに……。
女神だ。
知ってた。サヤは美しいって。知ってたけど……。
「あの?……やっぱり、似合いませんか? 男装と随分雰囲気が違うから、可笑しいですよね」
「あっ! サヤさん、言いましたよ! さっきも言いました‼︎ すごく似合うって言ったのに!
もう、レイシール様⁉︎ 聞いてますか? サヤさん綺麗ですよね? とても似合ってますよね? なんとか言ってあげて下さいよ!」
「へあっ⁉︎」
いつの間にやら、皆の視線が俺に向いていた。サヤに見惚れているうちに。
一気に顔が熱くなる。やばい……これは駄目だ!
「に、似合う……よ。ほんと、とても美しい……。その…………ごめん!」
サヤが綺麗すぎて、皆の視線に怖気付いて、俺は混乱し、挙句最悪なことに逃げ出してしまった。応接室から。
ギルがまだ怒っている……。食事中もずっと怒っていた。
美しいサヤを美しくしておかないことにご立腹だ。
俺は知らなかったのだが、サヤの荷物の中にはちゃんと女物の衣服があったらしい。休みの日に、部屋の中でくらい女性の服装をと準備してくれていたのだ。なのに、そんな日は一日も無かった。
「お前らほんと、分かってるか?
考えろよ、女装して十日以上過ごす自分を想像しろ! ぜんっぜん気が休まらねぇって気付けよ!」
「気色悪すぎて想像したくありません」
ギルの言葉にうんざりした顔で答えるハイン。
そうは言っても、セイバーンでは男装してもらうしかない。別館の中にまで本館の使用人が来るという事件もあったので、今まで以上に気が抜けない。
渋る俺に、ギルはキレた。その結果、メバックにおいてはサヤを絶対に男装させないと宣言されてしまった。本気で怒っているギルに、俺も降参するしかなかった。
よって、今サヤは女装……もとい、女性の装いになるべく、ルーシーの部屋に退室させられていて、俺はひたすら怒り続けるギルに、謝っていた。
「絶対痛かったぞ……腰の皮膚がめくれてたって……ただでさえ敏感な部分なのに……」
「悪かったよ……」
「言えねぇよな……男二人に腰を晒すわけにもいかねぇしな……くそっ、俺がいれば気付いてやれるのに……!」
「…………」
それはそれでサヤにとって良いかどうか微妙だ……。なんとなく、半泣きになっているサヤが想像できてしまう……。
そう思いつつも、俺は……ギルであれば、もっとサヤに配慮できたのだと……そう考えると暗い気持ちになった。
「さっき……夏場のサヤの服装がどうなるかも聞いた。
下着、肌着、更に補整着があって、服なんだよな……」
「そうだ。確実に暑い。肌を隠す服になるだろうし、尚更だ。
正直俺は勧めねぇよ。特に、外に出すべきじゃない。下手したらぶっ倒れるぞ。
月の半分、だけだとしても……無理がある」
土木作業なんざ以ての外だぞと、ギルは俺を睨みつけた。
俺は小さくなるしかない……だって、指摘されなければ、きっと今まで通り、サヤに頼っていた……。近づく雨季に焦り、作業を早める為サヤに無理をさせる自分が、目に見えるようだった。そしてきっとサヤは、それでもニコニコ笑っているのだ……。辛かったり、痛かったりを悟らせず……。そして俺は、それに気付きもしないのだ…………。
腹の奥底の、黒いもやもやが疼く。
帰す方法を探すと約束しているのに、それについては何一つ行動できていない。それどころか……サヤを帰すことを、俺は嫌だと思っている……。
罪悪感に胸が潰されそうだ。サヤはあんなに、頑張ってくれてるのに、俺がサヤにした仕打ちときたら、これなのだから。
「サヤを男装させないで済むように、考えてみるよ……」
「おう、そうしろ……。なんだよ……素直だな」
「サヤに怪我までさせてたんだよ……。素直にもなるさ。明らかに俺が悪かったんだから」
前ここに来た時、サヤが嫌だと言ったとしても、俺はサヤを説得すべきだった。
少しくらいセイバーンから離れたとしても、ここにいれば、サヤは怪我なんてすることもなかったし、異母様に目をつけられるようなこともなかった……。
結局今日まで俺は、サヤに何一つしてやれてない……。
頼るだけ頼って、その上危険に晒してしまった……。
落ち込む俺の横で、ギルの話は土嚢のことに移り変わっていく。
「土木作業といやぁ……土嚢……か。言われてみれば簡単なことなんだが……。凄ぇな……誰が考えついたんだ、そんなもん」
「数十年、水害対策は遅々として進まなかったのですからね。サヤが土嚢を教えてくれなければ、きっとまた十数年……下手をすれば、数十年、水害に悩んでいたのでしょうね」
土を袋に入れる。それはただ単純に、それだけのことなのだが、水害に悩まされてきたセイバーンの誰にも思いつけなかったことだ。
サヤの国では、何百年も前に、その方法が編み出されていたらしい。
「これの凄い部分はその先だよ。土嚢の上から補強を進めれば、今後の氾濫を回避できる可能性すらある……しかも少しずつ、強化していけるんだ。毎年一から作り直す必要すらない……道の問題はあるけど、本当に……画期的だ」
そう。サヤの教えてくれたことによると、土嚢を用いて水害対策したのち、それを解体するのではなく、さらに補強していけば、河川敷という水害を防ぐための備えに改造できるのだという。これはまさにセイバーンが求めて止まなかった、画期的な水害対策というやつなのだ。
「しかもなんなんだよこの図面……なんでこんなもん描けるんだよ……訳わかんねぇな」
サヤの描いた図面を見てギルが唸る。川の断面図と、河川敷の予想図だ。
似た地形を知っているからと言っていたが…知ってて描けるなら誰も苦労しない…。
ざっくりと簡単なものではあるが、有ると無しでは全然違う。言葉で説明できない部分を、絵が上手く表現していた。
「で、大店会議で、これを作っていくって提案すんのか」
「まだその段階に無いよ。まず土嚢で氾濫対策をする。それが成功したら、その土嚢を補強し、氾濫の起きない川に改良していく話に進める。でないと、土嚢が有効かどうか、伝わらないだろ?」
「……成る程。久しぶりに考えた感じだな」
「考えてましたよ。数時間心ここに在らずでしたからね」
ボソボソとギルが言い、ハインが答える。
俺はそれを無視し、深呼吸。決意を固めた。
「マルに、サヤのことを話そうと思う」
暫く、反応がなかった。
次の瞬間、胸倉を掴み持ち上げられ、俺は一瞬息が詰まって咳き込んだ。
「おぃ……マルには隠すんじゃなかったのか……あの情報馬鹿に知られてみろ、サヤが骨までしゃぶられるって、分かってるよな?」
止めに入ろうとしたハインを手で制して、俺はギルを見る。こっちも真剣なんだ。きちんと俺の口で言わなきゃならない。
「……っかってる。けど。サヤの教えてくれたことを、きちんと、活かそうと思ったら……マルが必要なんだ」
「……どういう意味だ?」
「土嚢は、未知の技術じゃない。手近にある袋に土を詰めるだけの、思い付きさえすれば、誰にでもできるものだ。
けど、河川敷はどうだ? 土嚢を使って補強した後に、更に次の段階にしていくなんてこと……誰が思いつける? 川幅を広くする理由や、土嚢の壁の上に道を作るなんてことを。
これを誰が思いついたんだって、そんな話になったらなんて言うんだ? サヤを出すわけにはいかない……。だが俺たちでは、サヤの身代わりはできないと思ったんだ。
……これ以外にも、沢山、細々したことが、きっと変わっていく。
今回の収穫で、麦の干し方が変わる。各家庭ごとにしていた収穫すら、変わるかもしれない。特殊な料理も増えると思う。
一つ一つは、たいした変化じゃないだろうが……それが全てセイバーンからだ。
なんか変だって、なるのは、時間の問題じゃないか? それで、サヤのことが知られたら……サヤはどうなる……?
だから、マルを……取り込もうかと。
サヤの言う数々の知識を、一番理解できるのは、マルじゃないかな。表面的なことじゃなく、二手、三手先まで……見えるのはと、いう意味で。
それをマルに与える代わりに、サヤの情報を、隠してもらう約束を、しようと思った。
サヤの身代わりを、マルにしてもらうんだ。
水害対策は、待った無しだ。喉から手が出るほど、欲しい技術だ。今までのやり方と、土嚢を使ったのでは、強度にどれほどの差があるのか、マルに計算してもらってる。その先の河川敷も……。
マルの頭から出てきたのなら、納得できる。少なくともメバックの商人たちや、学舎でマルを知っている者は、納得できる。異界の少女の身代わりができる頭脳があるのは、マルだけだと、思う」
俺の長い説明の間、ギルの手は緩まなかった。
「それじゃすまねぇって言ったんだ。
サヤの国の、世界の、様々なことを聞き出そうとするぞ、あいつは。それが問題にならないわけがねぇって言ってんだよ。
それをお前はどうするつもりだって聞いたんだ」
「マルなら大丈夫だ。サヤを拷問したり、脅したりする奴じゃない。けど、マルより危険な奴がサヤを知ったら、異界の女性に配慮なんてしないかもしれない……。何をされるか分からない相手から守るために、マルを取り込むんだよ。そして、マルは情報の専門家だ。正当な報酬なり、取引無しにサヤの話をばら撒くようなことはしない」
しばらく睨み合う。
サヤの知識は、何を狙われるか分からない……。サヤが計り知れないからだ。
逆に言えば、マルに与える餌は選べるということだ。マルは情報の選り好みはしない。新しいことを知れるならそれで良いのだ。けれど、サヤに配慮をしない相手は、そうではない可能性が高い。そう、異母様に知られてしまったら……サヤは……。
「…………ま、考えた感じだな」
ギルが手を離した。
俺は長椅子に放り出される。
「マルが、乗ってくれりゃ、それでいいんだろうが……乗るのかあいつ」
「乗らないと思う?俺は情報がそこにあると知ってて食いつかないマルなんて知らないよ」
「……そりゃそうだな」
襟元を直し、安堵の息を押し殺す。
ギルが説得できて良かった……。メバックの商人の一人であり、貴族相手に商いをし、王都に本店があるバート商会だ。その影響力は大きい。彼が是と言うなら、メバック商人の三割は是に傾くと思う。そもそもが俺との繋がりでメバックに来たギルだ。反対に回られたら、それだけで俺への信頼度がガタ落ちするところだった。
「何にしても、とりあえずはメバックの商人連中を納得させる必要があるわけだけどな。そこで頓挫する可能性もあるわけだが……どうなんだ、いけるのか?」
「たぶんね。サヤは、知識として知ってるだけで、作ったこともないし、実物を見たこともないと言ってたけど」
「……え?……だ、大丈夫なのか?」
俺の返答に、ギルが唖然とした顔で、そう聞いてくる。
俺からしたら、その疑問こそが不思議だった。つい、小首を傾げてしまった。
「大丈夫だよ。サヤは賢い。根拠の無い適当なことは、喋らないよ。
ただ知ってるだけと言ったって、きっとサヤの中には膨大な知識がある。下手をしたら、マルくらい……もしくはマル以上の知識が蓄えられているのだと思うよ。
サヤはそれを頭の中できちんと検証して、意味があると思ったから、言ったんだ。
サヤは何日も考えてたよ。それだけで充分、信用に足る」
異母様に堂々と嘘をついてみせたサヤ。
あんな突発的な、心の準備をする余裕すらないような中でも、サヤはちゃんと考え、行動し、見事勝ちを収めたのだ。サヤは賢い。
「へえ…………。前来た時よりなんか、随分と……。お前、まさかサヤに気……」
それまで黙って、やり取りを見守るだけだったハインの手が、目にも留まらぬ速さで振るわれ、ギルの後頭部を叩いた。
「……いてぇな……何しやがる」
「どこかの馬鹿の頭に悪い虫がいたのでつい」
なに……?なんでハインは急にギルに喧嘩をふっかけたんだ?
そのままお互いに視線で刺し合いを始める二人。俺が慌てて止めようとしたところで、コンコンと応接室の扉が叩かれた。
「叔父様! 戻りま……」
「叔父じゃねぇ‼︎」
「なっ……何?なんで急に、そんな……怒ることないじゃない!」
丁度帰って来たルーシーが二人の刺し合いのとばっちりを受けた……。そしてギルに怒鳴られてしゅんとなるルーシーではなかった。一気に沸点に達して怒鳴り返す。あああぁぁ、ハインお前が急にギルを殴るからなんか修羅場になってきたじゃないか!
「お、落ち着こう。ハインお前も謝れ。なんなんだよ急に、意味もなくギルに喧嘩売るなよ」
「私なりに意味のある行動でしたのでほっといて下さい」
「余計悪いだろ⁉︎ ルーシーごめん、ちょっと間が悪かった…ギルとハインが喧嘩始めた所だったんだ…」
「えっ、喧嘩ですか? 何故?」
「訳わかんないよ。ほんと急になんだ。ハインが…………」
そこで俺の思考は停止した。いやもう、ハインが喧嘩売ったことなんか吹き飛んだ。
目の前にあるものが……俺の頭を支配してしまったのだ。
「ハインさん、どうされたんですか?」
「おや……。サヤ、お帰りなさい。見違えましたね。とても美しいですが、ここに猛獣がいるので近付かない方が良いですよ」
「てめぇ、まだ俺に何か不満でもあんのか……あるならキッチリはっきりこっち見て言え。拳で解決してんじゃねぇ。
サヤ、やっぱりお前、その方が断然いい。俺は見違えねぇ。サヤが美しいのを一番理解してるのは俺だ。こいつらは朴念仁だからな」
「サヤさん酷いんですよ、叔父様、叔父様なのに叔父様って言ったら怒って来たんですよ!」
「ゴルァ!ルーシーてめぇおじおじおじおじ嫌味かそれは!」
「どう足掻こうと叔父じゃないの‼︎」
凄い状況が目の前を掠めているのだが、俺はそれどころじゃない。サヤが……サヤから視線が外せなかった。
立襟に、丁寧な刺繍を施された短衣は淡い水色で、袖が無い為肩までが見えている。
胸の下あたりまで編み上げられた袴はとても深い緑。普段のゆったりした男装と真逆に、腰の細さがこれでもかと強調されているうえに、胸の膨らみまではっきりとしている。丈は長く、踝までが隠されているので、とても清楚な出で立ちだ。そして、艶やかな黒髪だけはいつも通り、首の横あたりから、ゆるく結わえられ、白い飾り紐で括られている……。
化粧は殆どしていない。それなのに……。
女神だ。
知ってた。サヤは美しいって。知ってたけど……。
「あの?……やっぱり、似合いませんか? 男装と随分雰囲気が違うから、可笑しいですよね」
「あっ! サヤさん、言いましたよ! さっきも言いました‼︎ すごく似合うって言ったのに!
もう、レイシール様⁉︎ 聞いてますか? サヤさん綺麗ですよね? とても似合ってますよね? なんとか言ってあげて下さいよ!」
「へあっ⁉︎」
いつの間にやら、皆の視線が俺に向いていた。サヤに見惚れているうちに。
一気に顔が熱くなる。やばい……これは駄目だ!
「に、似合う……よ。ほんと、とても美しい……。その…………ごめん!」
サヤが綺麗すぎて、皆の視線に怖気付いて、俺は混乱し、挙句最悪なことに逃げ出してしまった。応接室から。
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これからは──ブチギレタイムと致します!!
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筆者定番の勢いだけで書いた小説。
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