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予兆 1

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 ハインが、ギルと共にやって来たのは、それからしばらくしてのことだった。
 起きているサヤを見て、ギルはホッと安堵の息を吐き、ハインは片眉を上げた。
 詰問してるのかと思うような鋭さで、体調の良し悪しをサヤに確認する。もうちょっと言い方あるでしょうがとたしなめる俺に対し、サヤは大丈夫ですよと笑ってから、真剣に答えていた。ハインが心配故にそうなっていると理解しているのだ。そう気付けば、サヤは随分と、ハインにも慣れたなと思う。大抵怖がられるだけのハインだから、サヤは聡明だ。ちゃんとハインの本質も見てくれている。そう思うと嬉しかった。

「それはそうと、サヤのことで口裏合わせをしておくべきかと思いまして、伺ったのですが」

 ひと段落すると、ハインがそう口にした。
 口裏合わせ……って?

「マルですよ。あれに変に情報を与えるべきではないでしょう。
 下手をしたら、サヤが異界の人間だということすら調べ出してくるかもしれません。
 そうなれば最後、サヤの持つ異界の知識を、骨の髄までしゃぶり尽くしてきますよ」

 うんうんとギルが頷いて肯定する。珍しく、二人の意見が一致しているようだ。
 あー……そういえば、俺もさっきその問題に行き着いたところだった……。

「それだよ……。俺もさっき、サヤの性別も含め、マルにどう説明しようかと思ってた所なんだ。
 中途半端に隠すと、逆にボロが出そうだし……何をどこまで話すか……難しいな……」

 三人でうーんと唸っていると、サヤが不思議そうな顔をして聞いてきた。

「あの……マルさん……って?」
「ああ、マルクス……ギルと同じく、俺の学舎時代の友人だよ。
 悪い奴じゃないんだけどね。なんというか……ちょっと、変わっててね……」
「あれをちょっとと表現できるのはレイシール様だけですよ」
「ちょっとじゃねぇよ。キチガイとか、変人とかって分類だろ、あれは」

 即座に二人が横槍を入れてくる。……うんまあ、そう……だいぶん、変わってるかもね……。
 マルクスは、学舎時代の上級生。座学は相当優秀だったのだけれど、興味が無いことと、武術はからっきしだったので何年も留年していたのだ。自分の好きなことに没頭すると、食事も忘れてしまうような人なので、当然授業の時間繰りなど視野の外。放っておくと死にかけるので、マルの時間管理は学年が同じになった時点で、俺の日課の一部となった。
    無事卒業したのが、俺が退学した年なのだが、体の弱さが仇となり、就職が決まらない状態だったので、こもりきりで好きなことができる商業会館をお勧めしたら、食いついてきた。以来、メバックに住んでいる。

「もっと北のほうの領地で、役人の家の一子……つまり跡取りだったんだけどね。
 冬空に甲冑着て外に出た瞬間死にそうなほど体が弱いくせに自己管理が出来ないんだ……。
 だから、弟が家を継いだと聞いてるよ。
 マルは情報っていうのがほんとなんというか……大好物で……。人の知らないことを知ることが楽しくって仕方がないんだ。それ以外にはほぼ興味が無い。自分の生き死ににすら興味ない感じで、興味ない。
 だからまあ、悪い人じゃないんだよ。ないんだけどね……あまり、サヤの状況は知らせない方がいいのかなって。知ったらもう、ありとあらゆるところにマルの監視の目が行くと思って。
 一体どうやって情報集めてるんだか……会館にこもりっきりで、ほぼ家にすら帰らないような生活してるのに、何故かこっちの状況が筒抜けてたりするんだ。
 俺たちのことは友達だと思ってくれてるから、まあ、たぶん……それなりに特別扱いしてくれてると思うんだけどね」

 マルの家は裕福ではない。街役人の子で、両親は病弱なマルには役人は務まらないと早々に見切りをつけ、頭の良さを伸ばしてやろう。そしてもっと南の温かい環境でないと死ぬ。という考えのもと、無理して学舎に入学させたと聞いた。
 初めのうちは本当に学費の工面が大変だったというのだが、マルが情報の売り買いという内職を始め、資金繰りの問題は解決した。
 そして、ひたすら留年して内職をし、彼自身はその生活で十分満足だったのだが……三年連続で留年すると、さすがにまずかったらしい。
 あと一年留年したら退学だと言われ、そこに俺という、時間管理者が現れたため、無事卒業が叶った。
 更に、職先も見つけてくれたということで、一応、俺のことは優遇してくれているのだ。
 ……俺の知らないところで、俺の情報の売り買いくらいはしているかもしれないが……。

「とりあえず今、ワドを監視に付けて食事中だ。あまり時間もねぇし、急ぐぞ」
「とはいえどうする?何をどこまでの部分……」

 急ぎたいけど難しいんだってば。
 俺は正直、どこで線を引いたら良いのか見当もつかない。そう思っていたのだが、ギルがこの際だからと、言い出した。

「全部隠す。中途半端が難しいならそれしかねぇよ。
 サヤは、昨日レイが拾った旅人の子供。雨季の旅を断念して旅費を稼ぐ予定。だったか?」

 昨日考えてたサヤの設定だった。異母様達に話す予定だったやつか。
 でも……。

「それは良いけど、サヤはまだ……男装してるとは言い難いぞ?男物の服装の女性でしかないと思うんだけど……」

 確かに、俺のお古を着ていた時よりは、体の曲線を誤魔化せてると思う。
 でも、やっぱりどちらかと聞かれれば、女性だと答えるだろう。
 俺がそれを指摘すると、ギルは「そこはこれからやるんだよ」と、よく分からないことを言う。すると、サヤが口を開いた。

「あ……、ルーシーさんです」

 それとほぼ同時に扉が数回叩かれた。……え?

「分かるの?」
「はい。足音が、彼女のものですよ」

 ……ちょっとまって、足音まで聞き分けるの?
 ハインが扉を開けると、確かにルーシーだ。若干緊張した面持ちで、箱を一つと、布に包まれた何かを持っている。
 サヤを見て、複雑な顔。謝ろうか、喜ぼうか、迷っているような顔をした。
 サヤがニコリと微笑むと、ホッとしたように、ルーシーも微笑む。

「叔父様、言われたものをお持ちしました」
「叔父はやめろ……。
 あー……サヤ?
    一つ、ルーシーに、名誉挽回の機会を与えてやってくれると、有難いんだが……」

 こほんと咳払いをして、ギルがルーシーを手招きする。
 部屋に入ってきたルーシーは、ぐっと拳を握って宣言した。

「サヤさんを男らしくします!任せて下さい、飾るのは得意です‼︎」

 だ、男装も飾るものなんだね……。

 サヤとルーシーは、サヤの部屋で準備を進めることとなった。
 その間に俺たち三人は、マルに与える情報を研磨する。
 ツルギノサヤは十四歳の少年。海の向こうから来た旅人で、雨季の間の仕事を探すために、メバックに来た。街道を歩いていた時に俺が見かけ、迷子だと思って声を掛ける。商業広場に行きたいと言うが、子供だと雇い先は少ない。危険な仕事も無いわけではないから、心配になって雇うことにした。というものだ。

「ルーシーを助けた辺りの話、まさかもうマルに入ってたりしないよな……?」
「解りませんよ。入っていると見ておく方が良いと思います。
 そうなると…雇うと決めて、ギルのところに向かう途中に、ルーシーの悲鳴を聞きつけたという感じですか。無理は無いと思いますよ。そこで子供の頃から武術を嗜んでいたと知ることにしましょう」
「拾ってみたら案外優秀だったってやつだな」

 くつくつと笑いながらギルが言う。
 目がハインを見ている。ハインはガン無視してるけど。

「まあマルは気付くことはないと思うが……サヤは間合いを取ってるからな……。見る奴が見れば、何かやってるってのは分かっちまうだろうしな」

 まさかあそこまでとは思わねぇけど……と、ギル。そうだなぁ。俺程度の実力でも、間合いを測ってるのは感じ取れた。だから、嗜みのある者には、ある程度察知されてしまうだろう。
    けれど少年であるなら、女性でないぶん違和感は少ない。ギルのように、もしくはマルのように。生まれが貴族でなくとも、武術を嗜む者はいるのだから。……だいぶん、規格外だが。

 俺たちの話し合いが大体の部分でまとまってきた頃、サヤとルーシーが部屋から出て来た。

「…………おお…」
「いい感じだな。ちゃんと男っぽいぞサヤ」

 胸の膨らみを隠し、顔も化粧で整えたサヤは、美少年だった。
 服装も、髪型も朝と同じなのに見える。男だ。サヤはサヤのままなのに、ちゃんと男らしいのだ。

「再現しやすいように、ちゃんと工夫したんですよ。
 整えたのは眉と目尻。あとは白粉で唇の色を押さえただけ。
 今日は私がしましたけど、明日はサヤさん一人で同じ顔を作れるように、練習しますね」

 ルーシーの持って来た箱は化粧道具であったようだ。俺には良く分からない数々の粉や筆や紅が納められている。
 えへんと胸を張るルーシー。存分にその実力を発揮したということか。
 と、せっかく片付けたであろう道具箱の中から、白粉と眉墨のみを出し、筆を数本サヤに渡す。

「これはサヤさんに渡しておきます。
 また後日、同じものを用意するから、それまではこれを使ってください。
 それと、補整着ですけど、今日使っているのは他の方用の試作品なので、ちょっと大きさが合ってないんです。これも後日、きちんとしたのを用意するよう手配しました」

 ルーシーが仕事の顔をしている。
 ギルの姪だと今更思った。ちょっと奔放なところはあるけど、こんな時の顔はとても似ていた。姪ってことは、アルバートさんの娘ってことなんだよな……。それなら彼女もきっと、良い商人になるはずだ。彼も、とても優秀な商人なのだから。

「ありがとう、ルーシーさん」
「どういたしまして!」

 サヤとルーシーの間には友情めいたものが見える。正反対な感じなのに……いや、それ故にかな。仲良くやっていけそうで良かった。俺の側にいるとなると、どうしたって男だらけになってしまうからな……。サヤの性質の問題もあるから、女性の友人ができたのはとても良かったと思う。俺たちには言えないようなことも、多々あるだろうし。

「さて……と。じゃあこれで準備は整ったのか?なら、マルに対面といくか。
 サヤ、言葉遣いは変えるなよ。そこは変に誤魔化すとボロが出る。いつも通りで大丈夫だ。
 それとルーシー。サヤのことは、他言無用だ。お前は昨日サヤに助けられた。サヤが男だと思った。そしてその通りだったって事だ。もうサヤに迷惑掛けるような事はすんなよ」
「分かってるわ!    もう絶対、しないもの!」

 鼻息荒くルーシーが言い返す。
 若干不安だけど……まあ、なるようにしかならないと腹を括ろう。

「じゃあサヤ、マルを紹介するよ。一緒に行こう」
「はい」

 五人揃って部屋を出る。なんで友人に会うのにこんな緊張を強いられてるのか……。意味不明だ。ほんと。
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