7 / 8
君ならで誰にか見せむ梅の花色をも香をも知る人ぞ知る 小袖書
しおりを挟む
『とらさんへ
この前の噂話の事
ねえとらさん、あなたがこの手紙を読むころには、きっとまた旅に出ているんでしょうね。碌に話もせずに行ってしまう風のようなあなただもの。だから手紙にしたためてみたの。この前の影のわずらいの話、聞いてくださるかしら。
🐾
さとるちゃんの話を聞く限り、増田様は頭痛持ちでしょ? 私も時々なるけれど、思い返してみれば頭が割れそうに痛むような時には、後になって決まって同じことを言われたわ。
「小袖さんこの前◯◯にいたでしょ」
「声かけたのに気づいてくれなかった」
「ぼーっとしてた」
みんな決まったように言うのよ? 不思議よね。もちろん私はその時間ちゃんと店の中にいて、偶然誰かと一緒にいた。でも声を掛けたという人たちも偶然誰かと一緒にいたりして、一人ではなかった。
つまりどちらにも証人がいて、時間も寸分違わず同じ時刻だということが後にはっきりしているの。その時の私は少し心ここにあらずみたいなぼーっとしてることが多いみたいだけれど。
ねえとらさん、影のわずらいってどうもよくわからないわね。
すると私も影も同時に存在していたということになるけれど、別に片方の私は透けてるとかそんなこともなくて、普通にその辺の人と同じように存在していたらしいのよ。
聞いた話では、石段から落ちて頭をぶつけた人や床に臥せって苦しんでいる人、それから私みたいな頭痛持ちとかね。痛みにさらされてる人に多いみたい。
これって、どういうことかしら?
影のわずらいって江戸では怖がられているけれど、私はむしろ痛みから何か、一時的に離れて何かを守っているような気がしてしょうがないのだけれど。
でも、ふふ、困ったことにその何かは証明しようがないのよね、影のわずらいって。
治し方はもうはっきりしているのよ。丹田に手を当てて呼吸をするとかそんなこと。心ここにあらずの反対よね。今を感じるとかそういう類いのものなんでしょう。
心がない人はどうするんだって話になると私にもちょっとよくわからないけれど。まあなんとかなるんじゃないかしら。
ただね、とらさん。唯一解けない謎があるの。
私の影が現れたとしてよ? 知り合いに話しかけられてもおそらく反応しないだろうことはだいたいわかってるわ。
場所もだいたい見当はつくの。いつも通ってるそらで行けるような場所とか、お気に入りの場所とか、そんなとこ。
でもねとらさん、増田様がそうだったように、毎日着てる服や髪型だって変わるのに、いちいち自分の後ろ姿なんて覚えてないじゃない? そりゃ鏡で確認するくらいのことはあるでしょうけどね。寸分違わず毎日自分の後ろ姿を記憶しているかと聞かれると怪しいと思うわ。
不思議なのは、増田様の影も私の影も、べつに日によって後ろ半分消えてたとかそんなこともなくて、いつもと変わらず普通に存在していたということなの。
それってつまり、私の影は私の記憶から出来てる訳ではないということじゃない?
もっと他の何か。人の目では見えない何かか、他人様からみた記憶か何か、あるいはもっと他の、お天道様みたいに高いとこか何かから、眺めた写し絵のような。でなきゃ何処にいても見渡すなんて無理な話よね。
ねえとらさん、とても不思議なんだけれど。
じゃあその何かって、一体なあに?』
🐾
🐾
さくら川の真ん中で、客人は読み終えた手紙を投げ出すと、橋の上へ大の字になった。
「けったいな話やなぁ」
困ったように天を見上げながら慣れない台詞を呟くと、客人はおもむろに蝋梅の枝をかざした。
日の光に照らされた黄色い花びらの透き通るような輝きに見惚れていると、不意にほんのり甘い香りが鼻をかすめて、客人はそっと目を閉じた。
「はぁ、いい香り」
碌に謎も解けぬまま、新しい息をすうと吸い込んで、客人は今日もまた旅へ出る。出掛けに貰った菅笠を被りながら。
了
この前の噂話の事
ねえとらさん、あなたがこの手紙を読むころには、きっとまた旅に出ているんでしょうね。碌に話もせずに行ってしまう風のようなあなただもの。だから手紙にしたためてみたの。この前の影のわずらいの話、聞いてくださるかしら。
🐾
さとるちゃんの話を聞く限り、増田様は頭痛持ちでしょ? 私も時々なるけれど、思い返してみれば頭が割れそうに痛むような時には、後になって決まって同じことを言われたわ。
「小袖さんこの前◯◯にいたでしょ」
「声かけたのに気づいてくれなかった」
「ぼーっとしてた」
みんな決まったように言うのよ? 不思議よね。もちろん私はその時間ちゃんと店の中にいて、偶然誰かと一緒にいた。でも声を掛けたという人たちも偶然誰かと一緒にいたりして、一人ではなかった。
つまりどちらにも証人がいて、時間も寸分違わず同じ時刻だということが後にはっきりしているの。その時の私は少し心ここにあらずみたいなぼーっとしてることが多いみたいだけれど。
ねえとらさん、影のわずらいってどうもよくわからないわね。
すると私も影も同時に存在していたということになるけれど、別に片方の私は透けてるとかそんなこともなくて、普通にその辺の人と同じように存在していたらしいのよ。
聞いた話では、石段から落ちて頭をぶつけた人や床に臥せって苦しんでいる人、それから私みたいな頭痛持ちとかね。痛みにさらされてる人に多いみたい。
これって、どういうことかしら?
影のわずらいって江戸では怖がられているけれど、私はむしろ痛みから何か、一時的に離れて何かを守っているような気がしてしょうがないのだけれど。
でも、ふふ、困ったことにその何かは証明しようがないのよね、影のわずらいって。
治し方はもうはっきりしているのよ。丹田に手を当てて呼吸をするとかそんなこと。心ここにあらずの反対よね。今を感じるとかそういう類いのものなんでしょう。
心がない人はどうするんだって話になると私にもちょっとよくわからないけれど。まあなんとかなるんじゃないかしら。
ただね、とらさん。唯一解けない謎があるの。
私の影が現れたとしてよ? 知り合いに話しかけられてもおそらく反応しないだろうことはだいたいわかってるわ。
場所もだいたい見当はつくの。いつも通ってるそらで行けるような場所とか、お気に入りの場所とか、そんなとこ。
でもねとらさん、増田様がそうだったように、毎日着てる服や髪型だって変わるのに、いちいち自分の後ろ姿なんて覚えてないじゃない? そりゃ鏡で確認するくらいのことはあるでしょうけどね。寸分違わず毎日自分の後ろ姿を記憶しているかと聞かれると怪しいと思うわ。
不思議なのは、増田様の影も私の影も、べつに日によって後ろ半分消えてたとかそんなこともなくて、いつもと変わらず普通に存在していたということなの。
それってつまり、私の影は私の記憶から出来てる訳ではないということじゃない?
もっと他の何か。人の目では見えない何かか、他人様からみた記憶か何か、あるいはもっと他の、お天道様みたいに高いとこか何かから、眺めた写し絵のような。でなきゃ何処にいても見渡すなんて無理な話よね。
ねえとらさん、とても不思議なんだけれど。
じゃあその何かって、一体なあに?』
🐾
🐾
さくら川の真ん中で、客人は読み終えた手紙を投げ出すと、橋の上へ大の字になった。
「けったいな話やなぁ」
困ったように天を見上げながら慣れない台詞を呟くと、客人はおもむろに蝋梅の枝をかざした。
日の光に照らされた黄色い花びらの透き通るような輝きに見惚れていると、不意にほんのり甘い香りが鼻をかすめて、客人はそっと目を閉じた。
「はぁ、いい香り」
碌に謎も解けぬまま、新しい息をすうと吸い込んで、客人は今日もまた旅へ出る。出掛けに貰った菅笠を被りながら。
了
0
お気に入りに追加
0
あなたにおすすめの小説
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
妹に正妻の座を奪われた公爵令嬢
岡暁舟
恋愛
妹に正妻の座を奪われた公爵令嬢マリアは、それでも婚約者を憎むことはなかった。なぜか?
「すまない、マリア。ソフィアを正式な妻として迎え入れることにしたんだ」
「どうぞどうぞ。私は何も気にしませんから……」
マリアは妹のソフィアを祝福した。だが当然、不気味な未来の陰が少しずつ歩み寄っていた。
極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~
恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」
そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。
私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。
葵は私のことを本当はどう思ってるの?
私は葵のことをどう思ってるの?
意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。
こうなったら確かめなくちゃ!
葵の気持ちも、自分の気持ちも!
だけど甘い誘惑が多すぎて――
ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。
アルバートの屈辱
プラネットプラント
恋愛
妻の姉に恋をして妻を蔑ろにするアルバートとそんな夫を愛するのを諦めてしまった妻の話。
『詰んでる不憫系悪役令嬢はチャラ男騎士として生活しています』の10年ほど前の話ですが、ほぼ無関係なので単体で読めます。
イケメン彼氏は年上消防士!鍛え上げられた体は、夜の体力まで別物!?
すずなり。
恋愛
私が働く食堂にやってくる消防士さんたち。
翔馬「俺、チャーハン。」
宏斗「俺もー。」
航平「俺、から揚げつけてー。」
優弥「俺はスープ付き。」
みんなガタイがよく、男前。
ひなた「はーいっ。ちょっと待ってくださいねーっ。」
慌ただしい昼時を過ぎると、私の仕事は終わる。
終わった後、私は行かなきゃいけないところがある。
ひなた「すみませーん、子供のお迎えにきましたー。」
保育園に迎えに行かなきゃいけない子、『太陽』。
私は子供と一緒に・・・暮らしてる。
ーーーーーーーーーーーーーーーー
翔馬「おいおい嘘だろ?」
宏斗「子供・・・いたんだ・・。」
航平「いくつん時の子だよ・・・・。」
優弥「マジか・・・。」
消防署で開かれたお祭りに連れて行った太陽。
太陽の存在を知った一人の消防士さんが・・・私に言った。
「俺は太陽がいてもいい。・・・太陽の『パパ』になる。」
「俺はひなたが好きだ。・・・絶対振り向かせるから覚悟しとけよ?」
※お話に出てくる内容は、全て想像の世界です。現実世界とは何ら関係ありません。
※感想やコメントは受け付けることができません。
メンタルが薄氷なもので・・・すみません。
言葉も足りませんが読んでいただけたら幸いです。
楽しんでいただけたら嬉しく思います。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる