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束の間
phantasia:幻想、空想、想像力、現れてくるもの、表象
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カエルは全身で喜びを表現するかの如く飛び跳ねた。水かきには見つけたばかりの大きな花束。
「受け取ってくれますか? 私からの最後の贈り物。もう選びきれないので五彩のバラの花束にしました。色とりどりでほんとうに綺麗なんですよ」
サイドテーブルにそっと歩み寄り、花束を差し出すカエル。
「え? なんのお祝いって。ただなんとなく。そんな気分だから。目に見えないものは一切信じないというのなら先ずは私から形にしてみせようというわけです。もしかしたらプロデューサーにはまだ見えないかもしれませんが……はい……?」
カエルはサイドテーブルの言葉に耳を傾けた。
「なるほど、俺には人の心がわからないんだからしょうがないと。確かにそういう一面もあるでしょう。自分ではどうにも出来ない苦しみというものが。
ですが、ふふ、言い逃れしようったってムダですよプロデューサー。私はあなたの孤独を知っている。自分では一切感じられなくとも理性で間接的に推し量ることは出来るでしょう? 人々が心や愛と呼んで大切にしてるものが確かにそこにあるらしいと。
たとえば……そうだな。このバラ、深みを帯びた緑色なんです」
カエルはおもむろにバラを1本引き抜いた。深みを帯びた緑に託す物語を添えて。
「この世に筋書きがあるのなら、いずれあなたも愛を知るでしょうプロデューサー。たとえば自分独りでは立ち上がれないほど、己の弱さを知ったときに。
ですがこんな台詞もあります。O, beware, my lord, of jealousy; It is the green-eyed monster which doth mock The meat it feeds on; 確かシェイクスピアのオセローだったと思いますが。
嫉妬はときに人の心を弄び、餌食にする、と。どうぞ、緑色の目をした怪物にはご用心を、プロデューサー」
緑のバラを花束に戻しながら、カエルは五彩の光を宿した瞳に想いを馳せた。
「嫉妬に駆られる瞳を緑色と表現したくらいです。きっとシェイクスピアは知っていたんじゃないでしょうか。榛色の瞳は光の加減で緑っぽく見える瞬間があるって。そしてその美しさに嫉妬する人間の瞳に映り込むのは一体何色なのかも。
おもえば最初にhazel eyesという表現を使ったのもシェイクスピアだったような。確かロミオとジュリエットに登場する町のごろつきに絡まれる役の人だったかしら……あれ、引き抜いたはいいけど戻しにくいんですけどこのバラ」
カエルは詰めの甘さを補うように、内心焦りながら不器用に頑張っている。
『然し無暗にあせつては不可ません。たゞ牛のやうに図々しく進んで行くのが大事です』
それから。歯車に悩む若者に文豪が送った励ましの言葉がカエルの脳裏を過った。
「だいたい、酷い頭痛持ちの人というのは一瞬の光に異様に惹かれますよね。眩しすぎる光は突き刺さるばかりだし、少し憂いを帯びたような中にキラッとした変化を見せるものにことさら弱くって。
おもえば五彩という言葉に最初に出会ったのも偏頭痛持ちの文豪の作品でした。芥川龍之介と夏目漱石。どちらも光の描写が異様に細かいし。そう思えばシェイクスピアがヘーゼルアイに惹かれた気持ちもわかるような気がするんです……あ、やっと戻せた。ふぅ」
カエルは深みを帯びた緑の花びらを水かきでそっと整えると、今度は別のバラを1本、途中まで引き抜いた。
「それからこれはティリアン・パープル。古より王族を虜にしてきた色だそうです。レッドカーペットの起源とも言われる色。
ギリシャ悲劇の英雄、暴虐の限りを尽くしたと言われるあのアガメムノンでさえ踏むのを躊躇ったという絨毯の色です。
実際は、躊躇うだけで歩くんですけどね。絨毯の上。いまさら貝を大量虐殺してまで染める気にはなれませんが、幻想ならばありでしょう?」
赤みを帯びた紫色の花びらが、花束の真ん中で微かに煌めいた。それから紫のバラをさらりと元に戻すと、カエルは五彩の花束に顔を寄せた。
「はあ、いい香り。ご存知ですかプロデューサー。映画って、すごい力を持ってるんですよ。これはどこの辞書にも載っていない、夢を失ったことのある人でなければたどり着けない境地」
カエルの脳裏に浮かんだのは、かつて名声を博した道化師が舞台から落ちる姿。チャップリンの映画『ライムライト』のワンシーンだ。
「たとえもう自分の人生に夢も希望も持てなくとも、映画館にいる間だけは、誰かと一緒に夢が見られるんです。束の間の夢を」
五彩に煌めく幻想の花束をいっぱいに抱え、カエルは銀幕の世界に想いを馳せた。
「ふふ、決めました。五彩のバラの花言葉。願わくばプロデューサー、あなたにもいつかこの花束の美しさが届きますように。そんな祈りを込めて。幻想を愛するカエルから夢みる者たちへ贈る言葉。どうぞ、お受け取りください」
カエルは五彩の花束をそっとサイドテーブルの上に置くと、胸に手を当ててお辞儀をした。
天板の上の白黒の舞台は幻想で夢のように煌めく。
「美しい夢を、あなたへ」
カエルは持っていたものをすべてサイドテーブルと背の高い椅子に託すと、ふたたび下手に向かって歩きだした。
その足取りは心なしか軽やかだ。
「あ、そうだ。言い忘れてた」
舞台からはける寸前。カエルは不意にふり返り、上手に向かって声を掛けた。
「さっきの話、全部つくり話なんです。だって幻想ですから」
カエルはくっくと笑った。
「なんだかんだ世の占い師の皆さんは色々勉強なさってるでしょう? 四柱推命、九星気学、占星術、手相、その他色々。
その点カエルが使ったものと言えばただの幻想だけ。もはや確固たる証拠がどこにもありません。なんという清々しい幻想でしょう。
ですから、くれぐれも信じてくださらぬよう重ねてお願い申し上げますプロデューサー」
カエルはふふっと笑うと、ふたたび前を向いた。
「もちろん、幻想を愛するカエルにとっては全部ほんとうの話ですけどね」
歩きながら思い浮かべるのは心惹かれるあの瞳。
「ほんとうに、美しいんですから。現実ってものは。ねえ? 皆さんもそう思いませんか」
カエルの影は去りゆく。夢の舞台にむせかえるほどの小さな愛を託して――
「うわっ」
なんということだろう。格好よく決めるつもりが、足元の小石につまづいたカエルは、もんどり打って転んでしまった。最後の最後でカエルも予期せぬ出来事。
「…………」
地べたに突っ伏したまま身動きひとつしないカエル。もしや夢から覚めてしまったか。
「…………」
そのとき、どこかから黒曜石の石版を黄色いメガホンで叩く音が響いた。
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