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【歓談雑学小説風後編】インビジブル

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 不意に鉄瓶から熱湯が矢のように勢い良く吹き出して、我に返った。畢竟、水を入れすぎたのであろう。

 さりとて熱々の鉄瓶を素手で掴むほどではない。

 震える指先で用意していたミトンを掴むやカップヌードルに熱湯を注いだ。
 大人だもの。
 子ども時代との一番の違いは、ちゃんと掃除するようになったし少しは考えるようになったということであろう。

 ぼうと長針を眺めていると、不意にいつか寄ったハーブティーのお店の女性店主の顔が浮かんだ。

 さっぱりした気立ての理知的な雰囲気が、どことなく高校時代の女子バドミントン部の理系の副主将に似ていた。

 頭痛と冷えに養命酒が効いたのはよかったが、それではろくに運転もできないと打ち明ければ、すぐさま遠赤外線の腹巻を教えてくれた。もはや自分のお店のハーブですらないのにだ。

 いつか町で評判のお医者さんに打ち明けた際には、「関係ないと思いますけどね」と取り合ってすらもらえなかったが、実際、私の冷えがよくなるとともに、長年の頭痛と帯状疱疹はめっきり現れなくなった。

 たしか水痘・帯状疱疹ウイルスの活性化と群発頭痛の関係性についての論文がわりと最近、故呂奈(*)騒ぎの少し前あたりに出ていたはずだが、すべてのお医者さんが知っているというわけでもないのだろうか。その辺の事情やシステムがよくわからない。

 発症してみればどちらも全く同じ神経系の痛みで、冷たい水を飲んだり冷風に当たったりするとズキズキ痛みが酷くなる。関係ないはずがないだろうとは思った。むしろ痛みが断続的な分、帯状疱疹の方がまだマシであったけれども。

 そういえば、コップ一杯分なら約15分もあれば全身に巡ると当たり前のように教えてくれたのも、ハーブティー専門店の彼女だった。

 相手を思いやる眼差しとそのたしかな知識に(後で調べたら元薬剤師さんだそうだ。詳しいはずである)、こんな信頼と実力を兼ね備えたような人がいるのかと驚いたが、はははと屈託のない笑い声が響く店内で砂時計を眺めながら、ガラスの中の砂丘からわずかに零れ落ちた砂粒が陽光に煌めいて、綺麗だなと思った。


 それにしても、見ず知らずの人間にひょいとモノや情報をくれるなん……出会ったばかりの人間にここまで親身になってくれるなんて、女性とは不思議なものだなと、柄にもなく昔を振り返りながら思うなどした。

 いやむしろ逆であろうか。

 望むと望まざるとにかかわらず(気にしないという人もいるであろうが)、彼女たちは社会から女性という役を任されて生きてきた。

 その役を演じる中でしか知り得ない様々な痛み(もしかしたら周りからは見えないかもしれない苦しみ)を知った一人の人間としての優しさが、自ずと形になって現れただけであろうか。

 会社・家族・学校・部活・政治・宗教etc。

 一見自由な世界もひとたび組織という仕切りの中を覗いてみれば、未だブラックボックスの内側では独裁主義がまかり通っているのが現状であろう。

(*件のウイルスに関する文字は入力できませんと弾かれて保存が出来ないということがあったので、苦肉の策で変体仮名を使ってみるなどした。無論、このエピソードと件のウイルスは一切関係がないけれども)


 不意に長針がかちりと動いたところで我に返る。大人になっても相変わらず数字は覚えられないらしい。

 確かにお湯を入れた時間を確認したはずだが、長針が指し示す先が26だったのか27だったのか29だったのか定かじゃない。

 なんなら3分経ったのか5分たったのかもわからない。

「今度砂時計でも用意しとけばいいのか」

 蓋を開け、見慣れた縮れ麺の膨れ上がった姿を見つめながら独りごちると、ふいに金ちゃんヌードル(徳島県産)の安心する香りが鼻を掠めて、ようやく一息ついた。


 一週間後。
 

 下手をした私は碌に書くこともできず、ネットの海に飛び込むこともできず、隙間時間はひたすら休んでいた。どうにも低血糖を引きずっていた。でもなぜか心は不思議と軽い。

 なんというのか、衣食住が散々でも知的好奇心さえあればなんとか生きてられるみたいなところがある。

 先日もカクヨム村でユーザーさんから色素増感型太陽電池なる言葉を聞き、好奇心に駆られて調べてみたが、さっと調べただけではよくわからなかった。

 文系の限界ではある。

 しかしいずれ文系・理系などと大雑把に分けられることがない時代が来るだろうことを思えば、いずれ廃れるであろう文系という言葉のエモさを、ここぞとばかりに限界まで楽しむのもよいかと思った。

 その後あらためて調べてみて、わからないなりにも納得したことはあるのだ。

 文系の私にとっての最大の疑問は、「なぜ色素を塗ると発電するのか」ということだった。よくよく調べてみれば、光を受けると電子が飛び出るとかそういう仕組みらしかった。少なくとも基本はそんな感じらしかった。

 いつかヒューマニエンスなる番組で、人の身体を微弱な電流が走る仕組みをやっていた気がするのだが、ナトリウムを感知してなんちゃら、イオンチャネルが開いてなんちゃら、という話があったような気がしないでもないのだが、外からの刺激を受けて細胞が何かしらの物質を放出する仕組みとおもえば、ミクロの世界には案外似たような仕組みが存在しているのかもしれないと思った。

 私の化学や数学は高校時代に生き別れになってそれきりだが(進学校をウリにしてる高校だったので高2くらいで文系と理系にわけられ、以降は受験に関係のない科目として触れたこともない)、変体がなにしても、Web小説にしても、理系という言葉で括られた見知らぬ世界にしても。あの頃は苦しいばかりであったが、こんなに楽しい世界があるとはついぞ知らなかった。

 それにしても機能美を兼ね備えた電池があるなんて素敵ではないか。

 ピンクの花びらが壁についてると思ってよく見たら太陽電池だったなんて時代が来たら、こんなに面白いことはない。私はきっと小躍りするだろう。あ、そうだ――

「最後の言葉はあれにしよう」

 ふたたび筆をとった私の心には、青空を舞うピンクの花びらが一枚、ひらひらと舞っていた。
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