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幕間Ⅰ 【聖女】編

顔 ★

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 彼女の名前は、アイリーネ。姓なんて、もとよりそんな上等なものはない。
 ひどく貧しい生まれだったはずの少女が、十を数える歳の頃には既に領主の館に下働きとして召し抱えられ、ただ日々懸命に働いていたはずの少女が。

 ──ある日。気がついたら、にひとり佇んでいた。

 その直前に、何か途轍もなく嫌なことを強いられそうになったことだけは、うっすらと彼女の記憶の端に残っているけれど。

 ──それはもう、全部忘れてしまおう。

 だって。わたしは死んだのだからとアイリーネは笑う。
 ……そう、彼女は心の底からの笑顔で今、こう思っている。カラダよりも何よりも、、と。

 この世界ではないところから、異空を越えてこのパノン王国に召喚された、十人目の聖女……どうやら今の自分は、そうした立場に置かれているらしい。

 ──あのとき、女神様が仰られた通りに。

 異空で出会った、不思議なひと
 あまりに美しくて、気高くて、思わず平伏してしまいそうになった。
 何も畏れなくていいと、澄んだ声でそう言ってくれた。
 己を卑しむことも、恥じることも、この先においてはそんな感情ものは一切不要なのだと、そう言い切ってくれた。

『貴女は、ただ無垢なままの貴女で在れば、それでいいのです』

 美しく微笑みながら。



 聖竜神殿の広間に現出したときから、ずっと自分に付き添って世話をしてくれているのは、ハンナという名の女神官だった。
 まだ会って間もない相手だが、実に細やかな心遣いで、でもそれが至極当然のことのようにアイリーネに尽くしてくれているのがわかる。
 そんな風に自分が誰かに大事に扱われたことなんて、きっと生まれ落ちた瞬間でさえ無かったと思うのに。
 でもあのとき、女神様から言われたように、ここで己を卑しんではいけないと、アイリーネは幾度も自分の心を奮い立たせている。

 パノン王宮内にある城館の一室に落ち着いたとき、ハンナにひとつお願いをした。
 それはとてもささやかな思いつきのようでいて、だが彼女にとっては切実な事情を孕んだものだ。

「ねえ、ハンナ。さっき神殿で神官様たちがお話してくださった、イーシュトール様をお創りになったというの絵か像があれば、ぜひ見てみたいのだけど……」
「女神レンドラ様、ですか?」

 ハンナは一瞬考えるように視線を宙に浮かせる。

「絵は……後で行かれる宮殿の中にはあるかもしれませんね。像は、聖竜神殿の入口にも立派な立像がありましたけれど、ご覧になってはいませんか?」
「見たわ……そう、やっぱりあの像はレンドラ様だったのね」
「アイリーネ様、もし、ほかにもご覧になりたければ……」
「いいえ、ありがとう、ハンナ。あれもとても美しくて素晴らしい像だったわ」

 なんとか願いを叶えてくれようとするハンナに、アイリーネは微笑みながらお礼を言う。
 女神レンドラの巨大な立像は、それがただの石で造られたものだとわかっていても、見上げるこちらを圧するような、荘厳な力強さが感じられた。日中の太陽の光を浴びれば、さらに石肌は白く輝き、美しく照り映えて見えることだろう。

 ──でも違う。わたしがこの世界に喚ばれる前に出会ったのは、あの女神様じゃないわ。

 さっきの人。魔法騎士……、シリル様。澄んだ声で、わたしのことを守ると誓ってくれた。黒い髪に瑠璃色の目をしたあの人の顔の方が少し……いいえ、とてもよく


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