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3 今日中には帰りたい

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 疑問は浮かぶが答えはない。
 誘拐されて山中に置き去りにされた?
 いやいや、何のために誰が。

 恨まれる覚えも拐かされる覚えもなかった。なんなら、仕事が忙し過ぎて、恨みを買うほどの人間関係すら構築出来ていないし、社畜のくせに安い給料では身代金も払えやしない。実家も富豪やら、社長やらというわけでもなく、極めて一般的なサラリーマンだった父が狙われるほど金を持っているはずはない。
 遭難時は無闇矢鱈と動いて、体力を消耗するのは得策ではないと、何かで見かけた気がする。素直に捜索されるのを待った方が良いのか……。
 だが、一人暮らしで、休日に連絡を取る相手もおらず、自分の不在に気づくのは月曜に自分が出社した時だと思い至る。
 出社。
 これは何としてもしなくてはいけないこと。
 社畜精神が染み付いた健介はこの訳のわからない状況より、無断欠勤を咎められることの方が恐ろしかった。
 
「明日も仕事なのに……」

 いたずらに歩いても体力を消耗することは分かっていたが、どうしようもない。家に帰るためには駅か、人か、とにかく何かを見つけないことには健介はどうすることも出来ないのだから。
 そう思い、森の小径をしばらく歩いて違和感を感じる。
 日本の国土は七割が山で占められている。そして、山をも切り拓いて人々が住処を広げていかなければならなかったほどに、平地が少なく、その平地は漏れなく人里になるべく開墾されてきた。なのに、先程から歩いているこの道は、ずっと平坦なのだ。
 日本にはこのように森に囲まれているのに、登りも降りもしない道など、存在しない。
 やはりまだ寝ていて、これは夢なのか……。はたまた、狐狸の類に化かされているのか……。
 それにしては、腹も減るし、足もだるい。
 最後に食事らしい食事をしたのは、二日前の夕飯に食べたラーメンだった。それからは、パソコンの前で、携帯食をもそもそと食べて、空腹を紛らわせていた。

 いい加減に腹が減ったし、喉も乾いた。
 山で迷っても、沢に降りてはいけないとも聞いたことがある。なぜかは知らないが。
 だが、沢に出たところでその水が飲めるとも限らない。この状況で腹まで下したなら、もう生存して戻れる可能性は限りなくゼロだ。
 
 そうこうしているうちに、陽が傾いてきていた。これはもう、今日中にどうにか家に帰るのは難しいかもしれない……。

 ぼーっと木の根元から伸びる小道を眺めて、ふと気づく。
 虫の鳴き声が聞こえない。
 今は九月の下旬。日本中どこにいたって、鈴虫やら松虫やらがリーリーと音をたてているのだ。
 日本なら。
 いやいや、日本以外のどこだというのだろう。海外には電車では行けないのだ。

 木の根元に腰を下ろして健介は考える。ここがどこであろうと、とにかく何か連絡手段がほしい。会社に連絡する方法を──。
 だが、疲労困憊なうえ、歩けども人里に行きつけもせず、夜を迎えようとしている。どうにもならなそうだ。
 
 半ば諦めかけた時、道の先に小さな灯りが見えた。
 こんな時間に山の中を歩く人なんて怪しいとは思った。だが、何時間も誰にも会えずにこのまま夜を森の中で過ごさなくてはならなくなるより、いくらかマシだと思ったのだ。
 
 その時は。
 それは間違いだったのだが──。

「おーい! 助けてください」
 灯りに向かって大きな声で、こちらの存在をアピールする。何せもう薄暗い。木の茂る森の小径に蹲っていたら見過ごされてしまう。
「おーい!」
 だんだんと近づいてくる幾つかの灯りに、健介はほっと胸を撫で下ろした。
 やっと人に会えた。
 これで、連絡したり、ここが何処なのかがわかる。場所によっては明日ちゃんと出勤出来るかもしれない。

 灯りはゆらゆらとしながら、どんどんとこちらへやってくる。何人かいるようだった。
 健介は灯りの方へと駆け寄った。
 道の向こうから来る人たちの手には、懐中電灯ではなく、何かランタンのような、素朴な灯りを持っていることに気がつく。
(懐中電灯じゃない? キャンプ……とかだろうか)
 そんな違和感を押しやって、健介は助けを求めた。
「あの、すいません。道に迷ってしまって。助けていただけませんか」
 そう言って見た先には男が二人立っていた。
 何かがおかしい。
「あの……」
「どうしたんだ? こんな時間にこんな場所で」
 男は普通に話しかけてきた。
 だが、その後ろを見ると、幌のかかった荷車を馬が引いている。
(森の中だから……か?)
 それはまるでゲームの中に出てくるような馬車だったのだ。
「あ……」
「おい、あんたはここで何しているんだ?」
「いや、あの、だ……」
 大丈夫と言おうとした瞬間に腕を掴まれた。
「何だ、こりゃ? 珍しい腕輪をしてんな」
「あ、あの」
「おい、兄さん。道に迷ったんだろう?俺たちが街に連れて行ってやるよ」
 結構です。と言いたかった。目の前の男たちには違和感しか感じない。服装がおかしいのだ。
 これではまるで、中世の農民のような服装だ。ゴワゴワした布に切りっぱなしの襟、袖も付いてはいるが現代日本で着る人などいない。

 掴まれた腕を振り解こうとするがびくともしない。
「あの、離してください」
 ニヤっと笑った男は掴んだ手をグッと引き、そのまま健介を羽交い締めにした。
「!?」
 驚きに身を捩り、声をあげる。
「は、離せ!!」
「いや、離さないね」
 そのままもう一人の男に手首を縛られる。
 一体何が起こったのか、全くわからない。
「このままこいつを荷台に入れておけ」
 そう命令された男はずるずると荷物のように後ろの馬車に連れて行く。健介もハッとして、バタバタともがいた。
「面倒くせぇなっ」
 そういわれた瞬間、目の前に星が飛んだ。衝撃でずしゃっと土の上に倒れこんで、自分が殴られたのだと気づく。日本で普通に生活していて、殴られることなどそうない。現に健介がこのような身体的な暴力を受けるのは初めてのことだった。
 頬の痛みと殴られた衝撃に呆然としている間に、ずるずると引きづられて、荷台に放り込まれる。そして、今度は暴れることが出来ないように足首まで縛られてしまった。頬を殴られたことで、暴れる気も逃げる気も失せてしまっていたが、それを男が知る由もない。
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