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1章
1 出会い1
しおりを挟むビジネストリップの長時間のフライトからやっと解放されて、拠点とするロサンゼルス国際空港に降りたった。
ふうっとため息をつく。ようやく息がつけた。8時間に及ぶフライトの最中、逃げ場の無い機内という密室の中で、媚びたまとわりつく視線と鼻が曲がりそうになるくらいの甘ったるい香水の匂いに耐えたのだ。まさに文字通り、息がやっとつけた気がする。空港の無機質な到着ロビーの空気がこれほど美味しく感じることもあるまい。この効きすぎる嗅覚に時々自分が狼であることを恨めしく思う。
背は高く、程よく筋肉質の均整の取れた体躯と美しく整った容姿。その上、飛行機に乗る際はビジネス以上のクラスにしか乗らない。となれば、搭乗員の女も男も放っておかない。時には気まぐれにそのお誘いに乗ってつまみ食いをしたりもするが、今回は長旅の上、ぎゅう詰めのスケジュールに疲労困憊で、愛想よくお誘いに乗れる精神状態ではなかった。大きく息を吸い込み、足早に到着ロビーを過ぎようとする。
ふと、桜のような香りが鼻をかすめる。
こんな空港の中で、季節外れの桜の香りがするはずもない……と思いながら、周りを見渡すが、やはり桜は見当たらない。周りには旅行の団体客か、ビジネスマンらしき人物くらいしかいなかった。
リアムは人狼ならではの嗅覚に鼻をひくひくと動かした。
(なんだ?微かだがいい匂いがする……)
眼を凝らした先に小柄なアジア人らしき男性が目に入った。
人狼ではない……らしい。それに男性から花の匂いがすることもない。男性は総じて花以外の匂いを纏っているものだ。
(まぁ、いいか)
気になったが、疲れの方が優っていた。再びそそくさと足を早め、空港を後にしようとすると、後ろから声をかけられた。
「サー、あの……」
振り返るとそこには先程の機内の乗務員が立っていた。
「私、今日は宿泊で……明日のフライトまで時間があるのですが……」
あからさまな誘いだが、今日はそんな気はない。
「申し訳ないが、失礼するよ」
誘いを振り切り歩き出す。先程の桜の匂いももうしなくなっていた。
色々と事前に準備をし、手続きはしてきていたが初めての一人暮らしが海外とあって、シロウはナーバスになっていた。もう成人してから何年も経つし、つい先日までは会社員として働いてはいたが、一人暮らしをする機会が単純になかった。姉と二人で暮らした広い日本家屋の家から、先週こちらに移動して、慌ただしく新しい生活の準備を整えた、狭い学生寮のような部屋にもやっとなれてきたところだった。
≪やっと少し落ち着いた≫
携帯からメッセージを送るとすぐに返信が来た。
≪よかった。あんまりに連絡が無いから、こっちから連絡しようと思っていたとこよ!≫
時差も気にせずに来た返信に心配をかけていたことに気づく。
一緒に暮らしていた唯一の肉親の姉に結婚が決まり、そそくさとアメリカの研究室に入ることに決めてからというもの、実家の山や家は姉に任せて少しの身の回りの品と共にこちらに移動してきていた。空港に到着以来の連絡に少し申し訳ない気になる。
≪そっちはどう?色々準備に忙しいでしょ?≫
≪こっちはぼちぼちやってるから。後で電話していい?≫
≪わかった≫
≪何か心配なことがあったら、連絡してね!彼の知り合いもそっちに多いんだから≫
≪大丈夫だよ。もういい大人だから。一人で出来る≫
早くに両親を亡くしてから、親代わりをしてくれていた姉に少しは自分の幸せを考えてほしいとも思い、アメリカ行きを決めた手前、そう心配はかけてもいられない。
≪また、後で≫
そうメッセージを打ち、携帯をしまい、お世話になる研究室へと向かう。
「早い到着だね、ミスターオーガミ。ようこそ」
お世話になる研究室のレナート教授からの温かな歓迎の雰囲気に少し緊張が和らぐ。
「ありがとうございます。少しこちらの生活にも慣れたいので」
挨拶をしつつ、軽く握手をする。
「再来月からだが、それまでは何を?」
「生活するのには不自由はありませんが、まだまだ専門的な言葉には不慣れなことも多いので、論文を読んだり、勉強に充てようかと思います。」
英語教師をしている姉のおかげで、学生時代から英語を苦にしたことはなかった。そのおかげで無駄に良い英語能力を買われ、社会人になってからも英語を仕事に生かすことは多く、他の日本人と比しても英語に触れる機会は多かったと思う。義理の兄となる人の助けもあり、生活するには不自由がない程度の英語コミュニケーション能力は取得した。だが、研究といくとそうもいかないかと少しでもハンディを減らそうと勉強に充てようと考えたのも理由のひとつだが、新婚になる姉とその婚約者に気まずい思いをさせまいと、いち早く家を出たかったというのが大きな理由ではあった。
義兄さんは良い人だけどね。
毎週末友人とBBQでもしそうな勢いのリア充な義兄となる人のことは嫌いでは無いが陰キャの典型のような自分には新婚であることを抜きにしても、あまり気が合うタイプ…とは言いづらかった。
「では、時間が許すようなら、研究室にも顔を出すといい。わからないことがあったら、他の研究員や学生にも聞いたらいいさ。」
教授室の扉のほうへ、軽く視線をむけていった。
「お申し出、ありがたく受けさせていただきます。」
「では、メンバーを紹介しよう」
そういうと、扉を開けて、今日居る学生や研究員を紹介してくれた。
「よろしく」「よろしく」と数人が挨拶をする。わかってはいたが、年齢も性別も人種も実に多種多様な人が所属しているようだ。
上手く……やっていけるだろうか……
シロウは人付き合いが苦手だ。
自身の身体的特徴を恥ずかしくおもい、人と関わることができず、日本にいた時から、友人らしい友人も親しい人もいなかった。アメリカに来たからといって、それが解消されるわけでも、性格が一瞬でアメリカナイズされるわけでは無いので、ここでも友人など出来るはずも無い気がしているが……。ただ、最低限コミュニケーションは取りたいと思うし、研究に支障が出ない様にはしたい。なるべく、第一印象を悪くしない様に心がけた。
教授への挨拶も済んだし、とりあえずかえるか。そう思ったところで、戸口が色めきだつ。
教授に別れを告げ、その場を去ろうとしたとき、ちょうど入ってきた人物とすれ違いになる。軽く会釈をしてそのまま通り過ぎ、そそくさと研究室を後にした。
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