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【12】
「MANSUKE―BEに魅せられて」①
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森林に囲まれた小さな一軒家。
家主の男、リボヒター=デイは、家の前の河原に転がる巨石に腰をかけ、ふつふつと闘志をたぎらせていた。
「MANSUKE―BE開催は目前だ。
いよいよ……待ちに待ったこの時が……!!」
がっちりした腕の中にブヨブヨで醜悪な坊ちゃん人形を強く抱きしめ、リボヒターはブルブルと打ち震える。
「まっ!? まん……すけべぇ~だと!?
てめえっ、なんちゅう馴染みある……じゃねえっ、わいせつなフレーズでコーフンしてやがる!!
つうか、息苦しいから手の力弱めろやっ!!」
醜い坊ちゃん人形は、リボヒターの腕の中でじたばたともがきながらわめき散らす。
人形がもがき、わめいているというのにリボヒターはいたって冷静だ。
それどころか、
「わいせつじゃない。いいか? MANSUKE―BEってのはな……」
人形を抱きしめる力をゆるめ、リボヒターはMANSUKE―BEについて熱く語り出した。
「肉体と精神の限界よ。
命綱なし、逃げるか病院送りか死ぬかの、桁外れの壮大なフィールドアスレチック。
それこそが、MANSUKE―BEだ。
そんじょそこらのスポーツマン程度じゃあ出場権すら得られねえ。
身体能力はもちろん、気力、体力、魔力、全てにおいて鬼レベルの奴じゃねえとな。
最終ステージへ進むには文字通り命がけの恐るべき超難関を次々越えてかなきゃならねんだが、
突破できた野郎なんざここ最近では一人もいやしねえ。俺も含めてな」
「へぇ~、どいつもこいつも情けねんだな。
俺なら簡単に越えてやるんだけどよ」
やたら強気な坊ちゃん人形は、得意げに指で鼻をこする。
「バカ言え。そんなふざけた体で越えられるワケねえだろ。
お前さんはまず、魔女とやらの呪いをさっさと解くこったな」
「簡単に解けるもんなら苦労はしねーよ。
で? 超難関コースのゴールには何があるんだ?」
「……万が一ファイナルへ進出したところで、立ちはだかるのは極寒の断崖絶壁モンスター、『凍ってるの魔塔』だ。
あの怪物級の障害をものともせず完全制覇できるのは、魔塔とおんなじ化けもんみてえな王家の“シェード”か、
そうさなぁ~ アッロマーヌの荒くれ戦闘部隊“ウィード”くらいなもんさ。
それもとびぬけて卓抜な上位クラスのな」
リボヒター=デイは、MANSUKE―BEに人生を賭けていた。
もともと有能な体操選手だったリボヒターは、魔界最大の国際競技大会、マカインピックでメダルを期待されながら一度も獲得できぬまま挫折し、
その後捨て鉢になり半分引きこもり状態の無気力で生きてきた。
だが、離れて暮らす愛する息子のために再起を誓い、
現在は闘魂を燃やす舞台をMANSUKE―BEへと変え、日々過酷なトレーニングに耐え己の心身を極限まで追いこんできたのだ。
「ハァ~ 俺もしゃべれるまでに回復したし、いい加減魔女から解放されてもおかしかねーんだけどな。
それより、そのマンスケってのは賞金なんかはもらえるのか?」
「まあ、一応な。
俺は賞金なんかが目的じゃねえがよ」
「チアガールはっ? 女の子の声援はあるのかよっ?」
坊ちゃん人形はだらしなく鼻の下を伸ばし、リボヒターの顔面スレスレまで顔を近づけた。
「セノキオ。お前なあ……」
「セノキオ」と呼ばれるこのすけべったらしいブヨブヨ坊ちゃん人形は、言わずと知れた煎路である。
二日前、煎路とべクセナは水を求めて河原に出た時にポツンと建つ家屋を見つけ、リボヒターと出会った。
リボヒターは最初は驚いたが、すぐに二人が訳アリだと見抜くや、食事や泊まる場所を提供すべく家の中へと招き入れてくれた。
リボヒターの家で厄介になっているうち彼の温情に触れ、
煎路は短期間でこれまでよりずっと動作がスムーズになっていき、何より、声を出して話せるようにもなっていった。
「セノキオ」とは、リボヒターとべクセナに名前をきかれた際、煎路がとっさに思いついた偽名だ。
さすがの煎路も今の自分を「センジ」と名乗るのはちょっとばかり抵抗があったのだろう。
みっともないやら、気恥ずかしいやら、むなしいやら……
つまるところ、ブヨブヨ坊ちゃん人形の自分を「センジ」と呼んでほしくはないのだ。
「ただいま~」
リボヒターの右肩に、ベクセナ(=べクッペ)がちょこんと止まった。
「よう、おけえり。どうだったよ、街の様子は」
「アンタが言ってた通り、兵士らがまあまあウロついてたね。
アレはおそらく、第二王子派の兵士たちだよ」
「第二王子派? なんでそおだと言いきれるんだ? べクッペ」
リボヒターに問われ、ベクセナは一瞬あせった。
王家の元シェードであり、すでに亡き者である自分の正体がバレたりしたら大変だ。
「べ、別に言いきっちゃいないだろう? おそらくだってば。おそらくっっ。
ほらっ、兵士たちの会話が聞こえてきたからねっ」
「へぇ~、第二王子ってえのは確か……」
「あの虎次郎かっっ!?」
煎路は目をつり上げ、リボヒターの腕からスルリと抜けるや左肩へと移動し、ベクセナの方に向き馬乗りになった。
「ト、トラジロー? 誰のことだい」
「だからよっ。『服を掃いて捨てる』とかほざいてやがったくせに着る服も持ってねえ上半身裸の王子っ、
後から生まれたのをひがみまくってた王子だよっっ」
「はぁ~? なんだい、それ?」
「ドラジャロシー様だ。我が国の第二王子はよ。
それよりセノキオ、人の耳元で大声出してんじゃねえっ。うるせんだよっ」
リボヒターはまるで埃を払うかのように、煎路を肩からはたき落とした。
「痛えなっ。てめえ、ふざけんな!
ついさっきまで息絶えるほどムギュッと抱きしめてたくせによ!
人形愛護団体に訴えるぞ、この虐待筋肉バカが!!」
落とされた煎路は口汚くリボヒターをののしり、ヨロヨロと起き上がる。
「うるせえっつってんだよ。
人形愛護団体なんざ聞いたこともねえや。
だいたいよ、セノキオ。お前さんもはや人形なんかじゃねーだろうが。
動くわしゃべるわピーピーキャーキャー騒ぎ立てるわ食っちゃ寝するわ……
出すモンもしっかり出しやがるんだからな」
「だよねぇ~ そうやって痛みまで感じるんだもんねぇ」
「フン。こんな人形のまんまなら、どおせなら痛みも感じねえままの方が良かったぜ。
チクショー!」
苛立ちをあらわにする煎路は、石を蹴ろうとキックの体勢になった拍子に他の石にけつまずき、スッテンコロリとひっくり返った。
せっかく起き上がったのに……
踏んだり蹴ったりとはこの事だ。
「あ~あ、仕方ないねぇ。坊ちゃん、アンタどうにも短気なんだから。
服が汚れちまったじゃないのさ。とれなくなる前に洗っておいで。天気がいいから夜には乾くさ」
リボヒターの肩からヒラリと舞い上がり、ベクセナは仰向けに寝そべる煎路の上にふんわりと着地した。
「ずっと気になってたんだけどさ。
坊ちゃん、この変てこな服はどこで手に入れたんだい? ずいぶんと悪趣味だよねぇ」
「あ? べクッペ、おめえも見る目がねーな。
世にも愛くるしい唇のどこが悪趣味なんだよ」
「唇……このタラコみたいな柄、唇なのかい」
煎路の上衣を見つめつつ、ベクセナはふと、幼かった息子へと思いを馳せた。
(そおいやあ、煎路はよくごねてたっけね。
焙義のお下がりの服は地味すぎるってさ……
あの子なら、こおゆう変わった服を好んで着るのかもしれないね。
坊ちゃん見てると何かにつけて煎路を思い出すよ。目や髪の色といい……怒りっぽい性格もそっくりだ。
暴走しないよう私が見張っててやらないと危なっかしいったら)
ブヨブヨ坊ちゃん人形“セノキオ”に、我が子煎路の面影を重ね、ベクセナは母性本能をかき立てられていた。
まさかセノキオが、煎路本人であるなどとは梅雨知らず――
「お? リボヒターおめえ、ブーツも靴下も破けて指先出ちまってるぞ?
血まで出てんじゃねえかっ。早えとこ消毒した方がいい!
クスリは家にあるんだろっ? 俺が取ってきてやっからよ!」
もう一度起き上がった煎路はリボヒターの足先から出血しているのを発見するや、短い足で慌てて駆け出した。
「待ちな、セノキオ。大げさなんだよ、お前は。
MANSUKE―BEのトレーニングでは八つ裂きもんのケガをなんべんも繰り返してんだ。
こんくれえの傷、かすり傷の内にも入りゃしねえよ」
「や、八つ裂きもんのケガだと!?
MANSUKE―BEってのはどんだけおっかねえレースなんだよっ」
「説明したろーが。肉体と精神の限界だってな。
それにこのブーツは安もんだったからよぉ。ハハハハッ」
ゾッとした表情の煎路をよそに、リボヒターはへっちゃらで高笑う。
「ヘッ、心配して損したぜっ。
つうか俺の頑丈な足袋を見習えっ。
けっこう長く履いてるけどよ。森ん中どんだけ歩いてもちっとしか擦りきれちゃいねーんだぜ」
「タビ? タビってなんだ。そいつは防寒ソックスじゃあなかったのか?」
「ソックスだあ!? おめえの目は節穴かよっっ」
――事あるごとにぷんすか腹を立てキレまくっては、ブヨブヨした頬を見苦しく揺らす煎路。
だが、ベクセナはますます、坊ちゃん人形“セノキオ”と我が息子を重ね合わせ、目を細めていた。
(短慮で口も悪いけどさ。
けど、なんだかんだと優しい性分も煎路そっくりだよ)と――
「さてっ。昼休憩は終わりだ。そろそろ仕事に戻るとするか。
俺が帰るまでにお前さんら二人、簡単でいいから掃除すませといてくれや」
「了解だよ。ちゃちゃっとやっとくから任せときな。仕事がんばっといで、リボヒター」
「ああ。悪いな」
「なに言ってんだい。世話になってんだからそんくらい当たり前だよ。
ねえ、坊ちゃん」
ベクセナは煎路に呼びかけたが、返事がない。
ついさっきまで立っていた場所にも見当たらない。
後方からバシャバシャと音がするので振り返ると、煎路は上衣を脱いでタンクトップ姿になり、ブツブツつぶやきながら川で黙々と洗濯をしていた。
「桃が流れてきても俺は絶対割らねえからな。
変態が生まれる前に噛みついて食っちまうからな。
鬼退治で英雄になるのはこの俺だ……!」
煎路のたるんだ二の腕が、ゴシゴシ汚れを落とす度にタプタプと揺れ動いている。
「またワケの分からないことを……
坊ちゃん、自分が流されないように注意しなっ」
「ハハハッ。アイツには『自分が退治されないように注意しろ』が合ってるぜ。
べクッペ。じゃあ俺は行くから、後はよろしくな」
「あ、ああ。気を付けて行くんだよ」
リボヒターは林業で生計を立てている。
ニ匹の魔ロバに荷車を引かせ、斧をかついで森の中へ消えて行くリボヒターを、ベクセナは温かいまなざしで見送った。
ところが、ベクセナのまなざしは徐々に、リボヒターの背中が遠ざかるにつれ、なぜか険しい視線へと変化していく。
自分たちを信頼し、ひとつ屋根の下で住まわせてくれている恩人リボヒターに対し、
一抹の疑念を抱いてしまったがゆえに……
家主の男、リボヒター=デイは、家の前の河原に転がる巨石に腰をかけ、ふつふつと闘志をたぎらせていた。
「MANSUKE―BE開催は目前だ。
いよいよ……待ちに待ったこの時が……!!」
がっちりした腕の中にブヨブヨで醜悪な坊ちゃん人形を強く抱きしめ、リボヒターはブルブルと打ち震える。
「まっ!? まん……すけべぇ~だと!?
てめえっ、なんちゅう馴染みある……じゃねえっ、わいせつなフレーズでコーフンしてやがる!!
つうか、息苦しいから手の力弱めろやっ!!」
醜い坊ちゃん人形は、リボヒターの腕の中でじたばたともがきながらわめき散らす。
人形がもがき、わめいているというのにリボヒターはいたって冷静だ。
それどころか、
「わいせつじゃない。いいか? MANSUKE―BEってのはな……」
人形を抱きしめる力をゆるめ、リボヒターはMANSUKE―BEについて熱く語り出した。
「肉体と精神の限界よ。
命綱なし、逃げるか病院送りか死ぬかの、桁外れの壮大なフィールドアスレチック。
それこそが、MANSUKE―BEだ。
そんじょそこらのスポーツマン程度じゃあ出場権すら得られねえ。
身体能力はもちろん、気力、体力、魔力、全てにおいて鬼レベルの奴じゃねえとな。
最終ステージへ進むには文字通り命がけの恐るべき超難関を次々越えてかなきゃならねんだが、
突破できた野郎なんざここ最近では一人もいやしねえ。俺も含めてな」
「へぇ~、どいつもこいつも情けねんだな。
俺なら簡単に越えてやるんだけどよ」
やたら強気な坊ちゃん人形は、得意げに指で鼻をこする。
「バカ言え。そんなふざけた体で越えられるワケねえだろ。
お前さんはまず、魔女とやらの呪いをさっさと解くこったな」
「簡単に解けるもんなら苦労はしねーよ。
で? 超難関コースのゴールには何があるんだ?」
「……万が一ファイナルへ進出したところで、立ちはだかるのは極寒の断崖絶壁モンスター、『凍ってるの魔塔』だ。
あの怪物級の障害をものともせず完全制覇できるのは、魔塔とおんなじ化けもんみてえな王家の“シェード”か、
そうさなぁ~ アッロマーヌの荒くれ戦闘部隊“ウィード”くらいなもんさ。
それもとびぬけて卓抜な上位クラスのな」
リボヒター=デイは、MANSUKE―BEに人生を賭けていた。
もともと有能な体操選手だったリボヒターは、魔界最大の国際競技大会、マカインピックでメダルを期待されながら一度も獲得できぬまま挫折し、
その後捨て鉢になり半分引きこもり状態の無気力で生きてきた。
だが、離れて暮らす愛する息子のために再起を誓い、
現在は闘魂を燃やす舞台をMANSUKE―BEへと変え、日々過酷なトレーニングに耐え己の心身を極限まで追いこんできたのだ。
「ハァ~ 俺もしゃべれるまでに回復したし、いい加減魔女から解放されてもおかしかねーんだけどな。
それより、そのマンスケってのは賞金なんかはもらえるのか?」
「まあ、一応な。
俺は賞金なんかが目的じゃねえがよ」
「チアガールはっ? 女の子の声援はあるのかよっ?」
坊ちゃん人形はだらしなく鼻の下を伸ばし、リボヒターの顔面スレスレまで顔を近づけた。
「セノキオ。お前なあ……」
「セノキオ」と呼ばれるこのすけべったらしいブヨブヨ坊ちゃん人形は、言わずと知れた煎路である。
二日前、煎路とべクセナは水を求めて河原に出た時にポツンと建つ家屋を見つけ、リボヒターと出会った。
リボヒターは最初は驚いたが、すぐに二人が訳アリだと見抜くや、食事や泊まる場所を提供すべく家の中へと招き入れてくれた。
リボヒターの家で厄介になっているうち彼の温情に触れ、
煎路は短期間でこれまでよりずっと動作がスムーズになっていき、何より、声を出して話せるようにもなっていった。
「セノキオ」とは、リボヒターとべクセナに名前をきかれた際、煎路がとっさに思いついた偽名だ。
さすがの煎路も今の自分を「センジ」と名乗るのはちょっとばかり抵抗があったのだろう。
みっともないやら、気恥ずかしいやら、むなしいやら……
つまるところ、ブヨブヨ坊ちゃん人形の自分を「センジ」と呼んでほしくはないのだ。
「ただいま~」
リボヒターの右肩に、ベクセナ(=べクッペ)がちょこんと止まった。
「よう、おけえり。どうだったよ、街の様子は」
「アンタが言ってた通り、兵士らがまあまあウロついてたね。
アレはおそらく、第二王子派の兵士たちだよ」
「第二王子派? なんでそおだと言いきれるんだ? べクッペ」
リボヒターに問われ、ベクセナは一瞬あせった。
王家の元シェードであり、すでに亡き者である自分の正体がバレたりしたら大変だ。
「べ、別に言いきっちゃいないだろう? おそらくだってば。おそらくっっ。
ほらっ、兵士たちの会話が聞こえてきたからねっ」
「へぇ~、第二王子ってえのは確か……」
「あの虎次郎かっっ!?」
煎路は目をつり上げ、リボヒターの腕からスルリと抜けるや左肩へと移動し、ベクセナの方に向き馬乗りになった。
「ト、トラジロー? 誰のことだい」
「だからよっ。『服を掃いて捨てる』とかほざいてやがったくせに着る服も持ってねえ上半身裸の王子っ、
後から生まれたのをひがみまくってた王子だよっっ」
「はぁ~? なんだい、それ?」
「ドラジャロシー様だ。我が国の第二王子はよ。
それよりセノキオ、人の耳元で大声出してんじゃねえっ。うるせんだよっ」
リボヒターはまるで埃を払うかのように、煎路を肩からはたき落とした。
「痛えなっ。てめえ、ふざけんな!
ついさっきまで息絶えるほどムギュッと抱きしめてたくせによ!
人形愛護団体に訴えるぞ、この虐待筋肉バカが!!」
落とされた煎路は口汚くリボヒターをののしり、ヨロヨロと起き上がる。
「うるせえっつってんだよ。
人形愛護団体なんざ聞いたこともねえや。
だいたいよ、セノキオ。お前さんもはや人形なんかじゃねーだろうが。
動くわしゃべるわピーピーキャーキャー騒ぎ立てるわ食っちゃ寝するわ……
出すモンもしっかり出しやがるんだからな」
「だよねぇ~ そうやって痛みまで感じるんだもんねぇ」
「フン。こんな人形のまんまなら、どおせなら痛みも感じねえままの方が良かったぜ。
チクショー!」
苛立ちをあらわにする煎路は、石を蹴ろうとキックの体勢になった拍子に他の石にけつまずき、スッテンコロリとひっくり返った。
せっかく起き上がったのに……
踏んだり蹴ったりとはこの事だ。
「あ~あ、仕方ないねぇ。坊ちゃん、アンタどうにも短気なんだから。
服が汚れちまったじゃないのさ。とれなくなる前に洗っておいで。天気がいいから夜には乾くさ」
リボヒターの肩からヒラリと舞い上がり、ベクセナは仰向けに寝そべる煎路の上にふんわりと着地した。
「ずっと気になってたんだけどさ。
坊ちゃん、この変てこな服はどこで手に入れたんだい? ずいぶんと悪趣味だよねぇ」
「あ? べクッペ、おめえも見る目がねーな。
世にも愛くるしい唇のどこが悪趣味なんだよ」
「唇……このタラコみたいな柄、唇なのかい」
煎路の上衣を見つめつつ、ベクセナはふと、幼かった息子へと思いを馳せた。
(そおいやあ、煎路はよくごねてたっけね。
焙義のお下がりの服は地味すぎるってさ……
あの子なら、こおゆう変わった服を好んで着るのかもしれないね。
坊ちゃん見てると何かにつけて煎路を思い出すよ。目や髪の色といい……怒りっぽい性格もそっくりだ。
暴走しないよう私が見張っててやらないと危なっかしいったら)
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まさかセノキオが、煎路本人であるなどとは梅雨知らず――
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血まで出てんじゃねえかっ。早えとこ消毒した方がいい!
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もう一度起き上がった煎路はリボヒターの足先から出血しているのを発見するや、短い足で慌てて駆け出した。
「待ちな、セノキオ。大げさなんだよ、お前は。
MANSUKE―BEのトレーニングでは八つ裂きもんのケガをなんべんも繰り返してんだ。
こんくれえの傷、かすり傷の内にも入りゃしねえよ」
「や、八つ裂きもんのケガだと!?
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それにこのブーツは安もんだったからよぉ。ハハハハッ」
ゾッとした表情の煎路をよそに、リボヒターはへっちゃらで高笑う。
「ヘッ、心配して損したぜっ。
つうか俺の頑丈な足袋を見習えっ。
けっこう長く履いてるけどよ。森ん中どんだけ歩いてもちっとしか擦りきれちゃいねーんだぜ」
「タビ? タビってなんだ。そいつは防寒ソックスじゃあなかったのか?」
「ソックスだあ!? おめえの目は節穴かよっっ」
――事あるごとにぷんすか腹を立てキレまくっては、ブヨブヨした頬を見苦しく揺らす煎路。
だが、ベクセナはますます、坊ちゃん人形“セノキオ”と我が息子を重ね合わせ、目を細めていた。
(短慮で口も悪いけどさ。
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「さてっ。昼休憩は終わりだ。そろそろ仕事に戻るとするか。
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「了解だよ。ちゃちゃっとやっとくから任せときな。仕事がんばっといで、リボヒター」
「ああ。悪いな」
「なに言ってんだい。世話になってんだからそんくらい当たり前だよ。
ねえ、坊ちゃん」
ベクセナは煎路に呼びかけたが、返事がない。
ついさっきまで立っていた場所にも見当たらない。
後方からバシャバシャと音がするので振り返ると、煎路は上衣を脱いでタンクトップ姿になり、ブツブツつぶやきながら川で黙々と洗濯をしていた。
「桃が流れてきても俺は絶対割らねえからな。
変態が生まれる前に噛みついて食っちまうからな。
鬼退治で英雄になるのはこの俺だ……!」
煎路のたるんだ二の腕が、ゴシゴシ汚れを落とす度にタプタプと揺れ動いている。
「またワケの分からないことを……
坊ちゃん、自分が流されないように注意しなっ」
「ハハハッ。アイツには『自分が退治されないように注意しろ』が合ってるぜ。
べクッペ。じゃあ俺は行くから、後はよろしくな」
「あ、ああ。気を付けて行くんだよ」
リボヒターは林業で生計を立てている。
ニ匹の魔ロバに荷車を引かせ、斧をかついで森の中へ消えて行くリボヒターを、ベクセナは温かいまなざしで見送った。
ところが、ベクセナのまなざしは徐々に、リボヒターの背中が遠ざかるにつれ、なぜか険しい視線へと変化していく。
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