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砂狼の回顧録
砂狼の回顧録-19
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カーディルを病室に寝かせてからディアスはマルコの執務室を訪れた。特に呼ばれてはいない。マルコは手元の書類から目をはなし、闖入者を確認するとつまらなさそうに言った。
「なんだい、泣き言でも言いに来たのか」
「博士、少し疲れていますか?」
言われてはじめて自分の態度が気分の良いものではないと気付き、自嘲ぎみに笑う。
「うん、今のは良くないな。悪かったよ。……それで、君の方はどうなんだい」
「どう、とは?」
「カーディル君が辛そうにしているから実験をやめさせて欲しいとか言いに来たのかな、って」
書類をデスクに放り出す。数字の羅列はディアスがぱっと見ただけで理解できるようなものではないが、あまり楽しい情報ではないらしい。
「いえ、俺はこの実験、成功して欲しいと願っています」
「へぇ」
マルコは眼鏡の奥で目を丸くする。てっきり、ディアスは文句か弱音のいずれかを吐くために来たのだと思い込んでいた。
「カーディルの闘志は消えていません。戦車をものにしようという決意に満ち溢れています。ならば俺のやるべきことは全力でサポートすることです」
「君はもう少し過保護な奴だと思っていたよ」
「ただ危険から遠ざけるだけでは、愛情とは言えないかと」
「同感だねぇ。隣で一緒に歩くのと、首輪を付けて歩くのではまるで意味が違う」
顔を見合わせ軽く笑ったあと、話の仕切り直しだとばかりに真剣な表情に戻って指先で書類を叩いた。
「君の決意のほどはわかった。では、今回の用件はカーディル君の体調についてかな?」
「はい。戦車に神経接続し1時間もするとめまいや吐き気を感じ、さらに無理をすれば嘔吐します。」
「うぅん、悪阻かな?」
「心当たりが無いとは言いませんが、違うかと」
「そんなこと真面目に答えなくていいから」
黙って頭を下げるディアスを、マルコは変な奴だと考えながら眺めていた。
「冗談はさておき、カーディルくんの症状は車酔いだね」
「車酔い、ですか……?」
怪訝な顔をするディアスであった。カーディルの症状について真剣に話すつもりで来て、車酔いなどと言われてはこうもなろう。
「いや、もちろん車酔いそのものではないよ? それに近い症状だということさ。順を追って説明するから、まぁ聞いておくれよ」
そう言うとマルコは白衣の袖をつかんで腕まくりをした。ディアスの薄く日焼けした肌とは対照的な白い肌があらわになる。
「義手が腕の形をしているのは結構大事なことだったみたいだね。生身でない機械を無理矢理くっつけても、形が整っていれば脳は腕だと認識してくれるんだ」
袖を直し急に顔をしかめて、
「あぁ、これ腕? 腕なの? まぁ腕っぽい形をしているから腕ってことで動かすかぁ……みたいな感じで、とりあえず納得はしてくれるわけだよ」
妙な顔芸は脳の気持ちを代弁してのことか。その細かい気配りに困惑しつつ、ディアスは頷いて話の先を促した。
「で、これが腕とは似ても似てかぬものがくっついていると、脳が混乱するんだ。その状態が続くと体調にも影響するというわけだねぇ」
言いながらマルコは書類をパラパラとめくる。
目当てのものを見つけたか、そのうちの一枚を引き抜いて一番上に重ねた。やはりディアスには何が書いてあるのかよくわからない。
「原因がわかったところで次にどう改善するかだが、まずひとつは情報量の削減かな」
「情報量……やることを減らすということですね」
「ひとりで何でも出来るのが理想だったんだけどね。ときにディアスくん、君はライフルが得意だそうだが今まで最長でどれくらい離れたものを撃ったことがあるね?」
「2㎞くらい、でしょうか……」
ディアスは目を逸らしながら答えた。できれば何を撃ったかは聞かないで欲しい。幸い、マルコの興味は距離であってその対象ではなかったようだ。
「そいつはすごい、名スナイパーじゃないか。それじゃあ君には砲手を担当してもらおうじゃないか」
「戦車の主砲を扱ったことはないのですが、俺にできるでしょうか?」
「練習すればいい。少なくとも、狙撃のなんたるかを知っているだけでも上達は早いだろう」
それでカーディルの負担が減らせるならばと、ディアスは快諾した。
「先ほど、まずひとつと仰いましたが、まだ方策があるということでしょうか?」
「あるよ。むしろこっちがメインだ。……慣れよう」
「慣れ、ですか」
「頭にね、戦車は体の一部だって教え込むのさ。反復練習の大切さはむしろ体を使う商売やってる君の方がよくわかるんじゃないか?」
「確かにそうですが、急にアナログな話になりましたね」
「人間である以上、何もかもがデジタルで解決とはいかないさ。僕は研究者で、サイバネ医師だが、科学に対してロマンティックな幻想を抱いているわけじゃない」
ふん、と鼻を鳴らして肩をすくめてみせる。
「実験開始当時は30分でげろげろやっていた。それがいまや1時間もつようになった。慣れていけば2時間3時間ときて、いずれ自在に動かせるようになるさ」
「わかりました。では明日からの訓練は慣らすことを目的とし、30分動いて休憩、また動いて休憩といった形にしたいのですが、いかがでしょうか」
「ううん……」
マルコはなぜか返事を渋っていた。
話の流れとして何ら問題のない提案のはずだが、とディアスが訝しく思っていると、マルコは少し困った顔をしていった。
「そういうことからやっていると、結果を出すのに時間がかかりそうだねぇ……」
「博士、これはカーディルにも言ったことですが……」
と、前置きをして、
「我々の行っている実験は人類史上初の、偉大で革新的な実験です。焦って結果ばかりを追い求めて、全てを台無しにするような真似をしてはなりません」
カーディルを説得したときよりもかなり大袈裟だが、マルコを説き伏せるにはこれくらいでちょうどいいだろう。
「釈迦に説法するがごとき愚行、お許しください」
背筋をぴんと伸ばしてから頭を下げる。態度も論理も、ここまで堂々とされてはマルコも返す言葉がない。
マルコが実験を早く進めたいと願う理由は、本人が結果を見たいと思うこと。社員たちから、いつまで訳のわからない実験に金を垂れ流しているのかと文句を言われていること、この二点である。
何かを言い返したところで、苦しい言い訳にしかならないだろう。
「わかった、その方向で訓練メニューを考えておくよ」
「ありがとうございます。では……」
ディアスが去った後のドアを眺めながら、マルコは大きくため息をついた。
「どいつもこいつも、勝手なこと言ってくれちゃって……」
だが言葉とは裏腹に、その口許は楽しげに笑っていた。
「なんだい、泣き言でも言いに来たのか」
「博士、少し疲れていますか?」
言われてはじめて自分の態度が気分の良いものではないと気付き、自嘲ぎみに笑う。
「うん、今のは良くないな。悪かったよ。……それで、君の方はどうなんだい」
「どう、とは?」
「カーディル君が辛そうにしているから実験をやめさせて欲しいとか言いに来たのかな、って」
書類をデスクに放り出す。数字の羅列はディアスがぱっと見ただけで理解できるようなものではないが、あまり楽しい情報ではないらしい。
「いえ、俺はこの実験、成功して欲しいと願っています」
「へぇ」
マルコは眼鏡の奥で目を丸くする。てっきり、ディアスは文句か弱音のいずれかを吐くために来たのだと思い込んでいた。
「カーディルの闘志は消えていません。戦車をものにしようという決意に満ち溢れています。ならば俺のやるべきことは全力でサポートすることです」
「君はもう少し過保護な奴だと思っていたよ」
「ただ危険から遠ざけるだけでは、愛情とは言えないかと」
「同感だねぇ。隣で一緒に歩くのと、首輪を付けて歩くのではまるで意味が違う」
顔を見合わせ軽く笑ったあと、話の仕切り直しだとばかりに真剣な表情に戻って指先で書類を叩いた。
「君の決意のほどはわかった。では、今回の用件はカーディル君の体調についてかな?」
「はい。戦車に神経接続し1時間もするとめまいや吐き気を感じ、さらに無理をすれば嘔吐します。」
「うぅん、悪阻かな?」
「心当たりが無いとは言いませんが、違うかと」
「そんなこと真面目に答えなくていいから」
黙って頭を下げるディアスを、マルコは変な奴だと考えながら眺めていた。
「冗談はさておき、カーディルくんの症状は車酔いだね」
「車酔い、ですか……?」
怪訝な顔をするディアスであった。カーディルの症状について真剣に話すつもりで来て、車酔いなどと言われてはこうもなろう。
「いや、もちろん車酔いそのものではないよ? それに近い症状だということさ。順を追って説明するから、まぁ聞いておくれよ」
そう言うとマルコは白衣の袖をつかんで腕まくりをした。ディアスの薄く日焼けした肌とは対照的な白い肌があらわになる。
「義手が腕の形をしているのは結構大事なことだったみたいだね。生身でない機械を無理矢理くっつけても、形が整っていれば脳は腕だと認識してくれるんだ」
袖を直し急に顔をしかめて、
「あぁ、これ腕? 腕なの? まぁ腕っぽい形をしているから腕ってことで動かすかぁ……みたいな感じで、とりあえず納得はしてくれるわけだよ」
妙な顔芸は脳の気持ちを代弁してのことか。その細かい気配りに困惑しつつ、ディアスは頷いて話の先を促した。
「で、これが腕とは似ても似てかぬものがくっついていると、脳が混乱するんだ。その状態が続くと体調にも影響するというわけだねぇ」
言いながらマルコは書類をパラパラとめくる。
目当てのものを見つけたか、そのうちの一枚を引き抜いて一番上に重ねた。やはりディアスには何が書いてあるのかよくわからない。
「原因がわかったところで次にどう改善するかだが、まずひとつは情報量の削減かな」
「情報量……やることを減らすということですね」
「ひとりで何でも出来るのが理想だったんだけどね。ときにディアスくん、君はライフルが得意だそうだが今まで最長でどれくらい離れたものを撃ったことがあるね?」
「2㎞くらい、でしょうか……」
ディアスは目を逸らしながら答えた。できれば何を撃ったかは聞かないで欲しい。幸い、マルコの興味は距離であってその対象ではなかったようだ。
「そいつはすごい、名スナイパーじゃないか。それじゃあ君には砲手を担当してもらおうじゃないか」
「戦車の主砲を扱ったことはないのですが、俺にできるでしょうか?」
「練習すればいい。少なくとも、狙撃のなんたるかを知っているだけでも上達は早いだろう」
それでカーディルの負担が減らせるならばと、ディアスは快諾した。
「先ほど、まずひとつと仰いましたが、まだ方策があるということでしょうか?」
「あるよ。むしろこっちがメインだ。……慣れよう」
「慣れ、ですか」
「頭にね、戦車は体の一部だって教え込むのさ。反復練習の大切さはむしろ体を使う商売やってる君の方がよくわかるんじゃないか?」
「確かにそうですが、急にアナログな話になりましたね」
「人間である以上、何もかもがデジタルで解決とはいかないさ。僕は研究者で、サイバネ医師だが、科学に対してロマンティックな幻想を抱いているわけじゃない」
ふん、と鼻を鳴らして肩をすくめてみせる。
「実験開始当時は30分でげろげろやっていた。それがいまや1時間もつようになった。慣れていけば2時間3時間ときて、いずれ自在に動かせるようになるさ」
「わかりました。では明日からの訓練は慣らすことを目的とし、30分動いて休憩、また動いて休憩といった形にしたいのですが、いかがでしょうか」
「ううん……」
マルコはなぜか返事を渋っていた。
話の流れとして何ら問題のない提案のはずだが、とディアスが訝しく思っていると、マルコは少し困った顔をしていった。
「そういうことからやっていると、結果を出すのに時間がかかりそうだねぇ……」
「博士、これはカーディルにも言ったことですが……」
と、前置きをして、
「我々の行っている実験は人類史上初の、偉大で革新的な実験です。焦って結果ばかりを追い求めて、全てを台無しにするような真似をしてはなりません」
カーディルを説得したときよりもかなり大袈裟だが、マルコを説き伏せるにはこれくらいでちょうどいいだろう。
「釈迦に説法するがごとき愚行、お許しください」
背筋をぴんと伸ばしてから頭を下げる。態度も論理も、ここまで堂々とされてはマルコも返す言葉がない。
マルコが実験を早く進めたいと願う理由は、本人が結果を見たいと思うこと。社員たちから、いつまで訳のわからない実験に金を垂れ流しているのかと文句を言われていること、この二点である。
何かを言い返したところで、苦しい言い訳にしかならないだろう。
「わかった、その方向で訓練メニューを考えておくよ」
「ありがとうございます。では……」
ディアスが去った後のドアを眺めながら、マルコは大きくため息をついた。
「どいつもこいつも、勝手なこと言ってくれちゃって……」
だが言葉とは裏腹に、その口許は楽しげに笑っていた。
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