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第9話 トップとダウン
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昼休み。
私は早々に弁当を食べ終え、夏休み前から借りっぱなしになっていた本を持って図書館へ向かう。
でも本の返却はあくまでついでだ。本当の目的は別にある。
(よかった、いてくれた)
私の視線の先で立ち働いているのは山本友里先生だ。
彼女は二年前、私たちの学年と一緒にこの学校にやってきたという国語科の教員で、昼休みには司書の先生と図書室にいることが多い。
おかげで、彼女の担当クラスにいない私でも親しくなれたのだ。
「先生、返却お願いしまーす」
持ってきた本を渡しながら、私はさっと周囲を確認する。
新学期が始まったばかりの図書室は閑散としていて、いかにも「もってこい」の環境だった。
「……先生も聞きました? 今年の合唱祭が中止って」
手続きのためパソコンを操作する山本先生に、私はさりげなく話しかける。
中止の理由について、彼女は何か知っているだろうか。
「ええ。私も一昨年、去年と見てきたけど、いい行事だったし……残念よね」
山本先生は本当に残念そうに言った。私は軽くうつむく。
「……何で中止になっちゃったんだろ。ほんとに楽しみにしてたんですよ」
自然とため息が出た。演技ではない──まぎれもない私の本音なのだった。
カウンターを挟んで立ち話をする私たちの横を、一人男子生徒が通り過ぎていく。その足音が遠ざかってから、山本先生は私が手渡した本を静かに置いた。
「……木崎さん」
顔を上げると、こちらを見ていた先生と目が合った。
「残念だけど、仕方ないわ」
少し困ったような表情だった。
彼女は何か知っている──知っているけれど言うつもりはないのだと、私はそれを見て直感する。
(ああ、やっぱり私たち生徒の手は届かない問題なのかもしれない……)
「そう、ですよね……これも受験に向けて勉強しろってことかあ」
私は、今度はやや大げさにため息をついた。
それでも、なぜ先生たちは理由をきちんと説明してくれないのだろう。
私たち生徒が到底納得しないような理由なのか。それとも──…。
「……気を落とさないでね。トップダウンってそういうものなのよ」
「え?」
かろうじて聞き取れるかどうかくらいの小さな声だった。はっとして先生の顔を見上げる。が、彼女は何事もなかったかのように微笑むだけだった。
(トップダウンって……何?)
専門用語か何かだろうか。
と、本を借りたいらしい二人組が近づいてきたので、私はカウンターを離れた。
「──木崎先輩」
「!?」
背後から名前を呼ばれ、私は文字通り飛び上がる。慌てて振り向くと、そこにはなんと中村くんがいた。
「ちょっ……びっくりした。いつからいたのよ」
なんとなく本棚の陰に移動しながら尋ねる。もちろん、図書室の中なので声は抑えたままだ。
「木崎先輩が山本先生にウザ絡みし始める前からいました」
「ウザ絡みで悪かったわね」
私が目を細めても、中村くんは相変わらず飄々としている。
が、ふっと真剣な表情になった。
「そんなことより聞きましたよね?」
「え? 何を?」
何のことかわからず目を瞬いていると、中村くんは本棚の向こう──カウンターを目で指した。
「『トップダウン』ですよ。ゆりっちが言ってたでしょう」
そうだ。私も気になっていたのに、中村くんとの遭遇ですっかり頭から抜け落ちてしまっていた。
つまり私の察しが悪かったのは他でもない中村くんのせいなのだけれど、それを言っても始まらないので目をつぶる。
「あ、うん。それ、何なの?」
あんなふうに言うくらいだから当然知っているのだろうと思ったのに、中村くんは私の言葉に首を傾げた。
「先輩、英語得意なんじゃないんですか?」
「……」
英語はまあ、それなりに得意だ。だけどこれは英語というよりは外来語──いや、そんなことはどうでもいい。
「そ、そりゃtopとdownは知ってるわよ! でも──」
「──そのまんま文字通り、上から下に降ってくるってことです」
つくづくマイペースなこの後輩は、私の言い訳を待ってはくれなかった。
「……つまり?」
諦めて尋ねると、中村くんはなぜかまっすぐに私と目を合わせてくる。
「下じゃなく上──現場の人間じゃなく上層部の判断ってことですよ」
「え、それってどういう……」
けれど私が何か言う前に、中村くんは「では」とさっさと行ってしまった。
(現場の人間じゃなく上層部……)
私は中村くんの言ったことを反芻する。
学校という組織における「現場の人間」といえば教師──つまり先生たちのことだろう。
だとしたら「上層部」は──?
私は早々に弁当を食べ終え、夏休み前から借りっぱなしになっていた本を持って図書館へ向かう。
でも本の返却はあくまでついでだ。本当の目的は別にある。
(よかった、いてくれた)
私の視線の先で立ち働いているのは山本友里先生だ。
彼女は二年前、私たちの学年と一緒にこの学校にやってきたという国語科の教員で、昼休みには司書の先生と図書室にいることが多い。
おかげで、彼女の担当クラスにいない私でも親しくなれたのだ。
「先生、返却お願いしまーす」
持ってきた本を渡しながら、私はさっと周囲を確認する。
新学期が始まったばかりの図書室は閑散としていて、いかにも「もってこい」の環境だった。
「……先生も聞きました? 今年の合唱祭が中止って」
手続きのためパソコンを操作する山本先生に、私はさりげなく話しかける。
中止の理由について、彼女は何か知っているだろうか。
「ええ。私も一昨年、去年と見てきたけど、いい行事だったし……残念よね」
山本先生は本当に残念そうに言った。私は軽くうつむく。
「……何で中止になっちゃったんだろ。ほんとに楽しみにしてたんですよ」
自然とため息が出た。演技ではない──まぎれもない私の本音なのだった。
カウンターを挟んで立ち話をする私たちの横を、一人男子生徒が通り過ぎていく。その足音が遠ざかってから、山本先生は私が手渡した本を静かに置いた。
「……木崎さん」
顔を上げると、こちらを見ていた先生と目が合った。
「残念だけど、仕方ないわ」
少し困ったような表情だった。
彼女は何か知っている──知っているけれど言うつもりはないのだと、私はそれを見て直感する。
(ああ、やっぱり私たち生徒の手は届かない問題なのかもしれない……)
「そう、ですよね……これも受験に向けて勉強しろってことかあ」
私は、今度はやや大げさにため息をついた。
それでも、なぜ先生たちは理由をきちんと説明してくれないのだろう。
私たち生徒が到底納得しないような理由なのか。それとも──…。
「……気を落とさないでね。トップダウンってそういうものなのよ」
「え?」
かろうじて聞き取れるかどうかくらいの小さな声だった。はっとして先生の顔を見上げる。が、彼女は何事もなかったかのように微笑むだけだった。
(トップダウンって……何?)
専門用語か何かだろうか。
と、本を借りたいらしい二人組が近づいてきたので、私はカウンターを離れた。
「──木崎先輩」
「!?」
背後から名前を呼ばれ、私は文字通り飛び上がる。慌てて振り向くと、そこにはなんと中村くんがいた。
「ちょっ……びっくりした。いつからいたのよ」
なんとなく本棚の陰に移動しながら尋ねる。もちろん、図書室の中なので声は抑えたままだ。
「木崎先輩が山本先生にウザ絡みし始める前からいました」
「ウザ絡みで悪かったわね」
私が目を細めても、中村くんは相変わらず飄々としている。
が、ふっと真剣な表情になった。
「そんなことより聞きましたよね?」
「え? 何を?」
何のことかわからず目を瞬いていると、中村くんは本棚の向こう──カウンターを目で指した。
「『トップダウン』ですよ。ゆりっちが言ってたでしょう」
そうだ。私も気になっていたのに、中村くんとの遭遇ですっかり頭から抜け落ちてしまっていた。
つまり私の察しが悪かったのは他でもない中村くんのせいなのだけれど、それを言っても始まらないので目をつぶる。
「あ、うん。それ、何なの?」
あんなふうに言うくらいだから当然知っているのだろうと思ったのに、中村くんは私の言葉に首を傾げた。
「先輩、英語得意なんじゃないんですか?」
「……」
英語はまあ、それなりに得意だ。だけどこれは英語というよりは外来語──いや、そんなことはどうでもいい。
「そ、そりゃtopとdownは知ってるわよ! でも──」
「──そのまんま文字通り、上から下に降ってくるってことです」
つくづくマイペースなこの後輩は、私の言い訳を待ってはくれなかった。
「……つまり?」
諦めて尋ねると、中村くんはなぜかまっすぐに私と目を合わせてくる。
「下じゃなく上──現場の人間じゃなく上層部の判断ってことですよ」
「え、それってどういう……」
けれど私が何か言う前に、中村くんは「では」とさっさと行ってしまった。
(現場の人間じゃなく上層部……)
私は中村くんの言ったことを反芻する。
学校という組織における「現場の人間」といえば教師──つまり先生たちのことだろう。
だとしたら「上層部」は──?
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