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第28話 冬のある日に

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「わかりにくいかもしれないし、途中で何か言いたくなることもあるかもしれないけど、とりあえず一通り聞いてくれたらうれしいな」

 佐伯先輩のそんな前置きに、私はしっかりとうなずく。
 それを見てとった佐伯先輩は、私の顔ではなく正面を向いて話し始めた。

「四年前──正確には三年半くらい前かな。その冬に、ある空き家で火事が起きたんだ。長い間誰も住んでなくて、持ち主が亡くなったときにも誰にも相続されなかったような、辺鄙な場所の古い家だったんだけどね。で、その時わけあって現場にいた僕が放火を疑われた」

 思わず「えっ」と声を上げそうになるが、一通り聞くという約束を思い出してぐっとこらえる。

「さっき言った警察署で一晩っていうのは、みんながそう噂しただけで冗談だけどね。それでも不審人物だったことには変わりないし、警察からは事情聴取されたよ。……そして、その話は学校中にも一瞬で知れ渡った」

 自分のことではないにもかかわらず、私は胸が苦しくなるのを感じた。
 噂は時に、信じられないほどのスピードで広まる。刺激に飢えた第三者には恰好の娯楽なのだ。真偽がどうあれ情報に過ぎない以上、外野は噂では害を被らない。

「みんな、『えっ? まじかよ』って驚きはしても、『あいつがそんなことするはずない』って、かばってくれる人はいなかった」

(そんな……!)

 ある程度親交のある人なら、佐伯先輩が放火なんてしないとわかるはずなのに。……いや、どうだろう。少年院云々の話には、私だって戸惑ったのだ。
 まして、当時は「警察による事情聴取」という事実があった。よほどの信頼関係がない限り、無実を信じるのは難しいのかもしれない。

「でも、最終的には真犯人が捕まったんだ。警察は、放火の際に撒かれた灯油の入手経路を辿ったらしい。僕とは何の接点もない、いわゆる不良だった」

 それを聞いて少しほっとする。もし真犯人が見つからずじまいだったら、中には今でも佐伯先輩がやったと思っている人がいただろうから。

「一応疑いが晴れたということで、僕は退学にはならずに済んだんだ。その一件で三学期はほとんど休まざるを得なかったけど、学校側からは四月から、二年生としてそのままま戻ってきていいって言われた。期末テストは受けられなかったけど成績には問題がなかったし、出席日数も足りてたしね。でも」

 でもきっと、そううまく事は運ばなかったのだ。

「……僕が、無理だった」

 佐伯先輩は、どこか他人事のように淡々と言った。

「新学期になっても、どうしても学校に足が向かなかった。自分が行きたくて選んだ学校だったのに、行けなくなった。部屋で制服に着替えて、玄関までは行けるのに、ドアを開けて一歩外に出ることがもう、できなかった。体調が悪くなるんだ──日によって、ひどいめまいだったり、朝食べたものを戻したりね」

 そんな佐伯先輩の回想に、私はただ言葉を失った。身体からの猛烈な拒否反応──それは無意識の領域からの決死のSOSだったのかもしれない。

「カウンセリングでは転校とか、高卒認定試験も選択肢として挙がったんだけど、でも僕はやっぱりあの学校に通って、あの学校を卒業したかった。だから二年間休学する道を選んだ──僕を知っている生徒がいなくなるまで待った」

 だから二年だったのだ。二年経てば当時の同級生はみんな卒業してしまう。文字通り、知り合いがいなくなるのだ。
 もちろん、その同級生のきょうだいや知り合いが入学することだってあるだろうし、全員が全員、完全に事情を知らないことにはならないだろう。それでも、「本人」ではないから──佐伯先輩を見放したその人たちではないから。

「……というのが、まあみんなが知っている話」

「──?」

 佐伯先輩の意味深な発言に、私は首を傾げる。それが「みんなが知っている話」ということは、事実は異なるのか。あるいは「みんなが知らない話」があるのか。
 何も言わずに隣を見上げると、佐伯先輩は視線に気づいて微笑みかけてくれた。

 と、気づけばもう駅だった。私たちは改札を抜け、下り方面のホームへと向かう。
 佐伯先輩は反対側のホームを見つめながら、再び口を開いた。

「ここからは、ちょっとオフレコなんだ。証拠は何もないし、今となっては真相もわからないしね」

 そう言った佐伯先輩の表情が少し陰る。それに伴って、私の胸にもざわざわと嫌な感じが広がった。

「富永さんは割り込んで話の腰を折らずに聞いてくれたけど、それでも疑問に思ったはずなんだ──どうして僕が、現場になんかいたのか」

「それは……」

 たしかに、聞いた一瞬は思った。でも、その後の話でそれどころではなくなってしまったのが正直なところだ。

「できるだけ、主観が混じらないように注意はするけど……」

 そう前置きして、佐伯先輩は再び話し始めた。
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