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第26話 醒めない夢
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「……」
嵐のような、悪夢のような時間が、終わったようだった。
私は後ろ手のリボンをほどき、立ち上がろうとする──が、できなかった。
「──! さ、佐伯先輩?」
立ち上がる前に、私は佐伯先輩にきつく抱きすくめられていたのだ。リボンをほどくことに意識が行っていたせいで足音にも気づかなかったらしい。
「よかった……無事で……本当に……っ!」
私の肩のあたりで、佐伯先輩が呻くように言った。
私は衝撃のあまり、「へ?」なんて間抜けな声を上げてしまう。
「ど、どうしたんですか……?」
佐伯先輩の体は小刻みに震えていた。体調でも悪いのではないかと心配になる。
「富永さんの身に、もし何かあったらと思うと……」
そう言って、佐伯先輩はまるで何かを確かめるように腕に力を込めた。
「あ、あの……佐伯先輩、苦しいです」
何とか声を絞り出すと、佐伯先輩はぱっと力を緩めた。
「ごめん! あ、いや……ごめん」
さっきまでの様子とのあまりの変わりように私は目を瞬く。こんなに、それこそ「余裕」のない佐伯先輩は初めて見た。私は佐伯先輩に微笑みかける。
「私は大丈夫です」
本当は、もうものすごく怖かった。車に引きずり込まれわけもわからず連れまわされている間も、激昂した相手に刃物を突き付けられている間も。
でもそれ以上に、佐伯先輩に私との関係を否定されたときの方がはるかに苦しかった。
「佐伯先輩……ごめんなさい」
私は地面に座り込んだままの姿勢で、佐伯先輩に頭を下げた。佐伯先輩がどんな表情をしているのかはわからない。いや、わかりたくないと言う方がいいかもしれない。
怖くて顔を上げられない。
「それは……何に対する謝罪なのかな」
佐伯先輩の声はあくまで穏やかで静かだった。私は意を決して口を開く。
「私が、もっと警戒していたらこんなことにはならなくて……佐伯先輩を、危ない目に遭わせることもなかったので……」
絞り出すように言ったものの、佐伯先輩からの返事はない。あまりに沈黙が続くので不安になって見上げてみると、佐伯先輩は驚いたように目を見開いていた。
「そんなこと考えてたの?」
「えっ」
意味がわからずに私は目を瞬いた。私があそこで拉致されることがなければこうはならなかったのだから、まず謝るべきはそこだと思ったのだけど……。
「それは、他にもっと謝ることがあるだろうってことですか」
若干不安になりながら聞くと、今度は佐伯先輩が「えっ」と声を上げた。
「いや、そうじゃないけど……僕はてっきりさよならを切り出されるんだと思った」
「ええっ」
なんだか、さっきからすごく間抜けなやり取りをしている気がするのは気のせいだろうか。
「あ、そうか……。こんなガキっぽい女は嫌だって話でしたもんね」
わいてきたいたずら心のままに言ってみる。すると佐伯先輩ははっとして唇を噛んだ。
「いや、あれは……」
わかっている──あれが本心じゃなかったことくらい。あんなふうに震えながら抱きすくめられたりしたら、いくら鈍い私でもわかってしまう。
それに、私は今までのやり取りで知っていたはずだった。佐伯先輩がどれほど上手に本心を隠せるかを。敵をだますなら味方から。佐伯先輩は、それをただ見事にやってのけただけだ。
「……私、眠りは深い方なので。多少の悪夢じゃ目覚めないんですよね」
私は立ち上がり、その場でぐっと伸びをした。
「でも、ただ目をつむっていればいいってわけじゃないことが、今回のことでわかりました」
友だちとの会話なら、こんな比喩だらけの分かりにくい言い回しはまずしない。でも佐伯先輩となら、これで通じるだろうと思うのだ。
必要に迫られているわけでもないのに隠語や合言葉を好んで使う人たちの気持ちが、今なら少しだけわかる気がする。
「佐伯先輩のこと……教えてください。もちろん、嫌でなければ」
膝をついたままの佐伯先輩に手を差し出す。その表情からは、やっぱり私には何も読み取れなかった。でもその顔が今かすかにほころんだ気がする。
「……うん」
そううなずいて、佐伯先輩は私の手を取った。
嵐のような、悪夢のような時間が、終わったようだった。
私は後ろ手のリボンをほどき、立ち上がろうとする──が、できなかった。
「──! さ、佐伯先輩?」
立ち上がる前に、私は佐伯先輩にきつく抱きすくめられていたのだ。リボンをほどくことに意識が行っていたせいで足音にも気づかなかったらしい。
「よかった……無事で……本当に……っ!」
私の肩のあたりで、佐伯先輩が呻くように言った。
私は衝撃のあまり、「へ?」なんて間抜けな声を上げてしまう。
「ど、どうしたんですか……?」
佐伯先輩の体は小刻みに震えていた。体調でも悪いのではないかと心配になる。
「富永さんの身に、もし何かあったらと思うと……」
そう言って、佐伯先輩はまるで何かを確かめるように腕に力を込めた。
「あ、あの……佐伯先輩、苦しいです」
何とか声を絞り出すと、佐伯先輩はぱっと力を緩めた。
「ごめん! あ、いや……ごめん」
さっきまでの様子とのあまりの変わりように私は目を瞬く。こんなに、それこそ「余裕」のない佐伯先輩は初めて見た。私は佐伯先輩に微笑みかける。
「私は大丈夫です」
本当は、もうものすごく怖かった。車に引きずり込まれわけもわからず連れまわされている間も、激昂した相手に刃物を突き付けられている間も。
でもそれ以上に、佐伯先輩に私との関係を否定されたときの方がはるかに苦しかった。
「佐伯先輩……ごめんなさい」
私は地面に座り込んだままの姿勢で、佐伯先輩に頭を下げた。佐伯先輩がどんな表情をしているのかはわからない。いや、わかりたくないと言う方がいいかもしれない。
怖くて顔を上げられない。
「それは……何に対する謝罪なのかな」
佐伯先輩の声はあくまで穏やかで静かだった。私は意を決して口を開く。
「私が、もっと警戒していたらこんなことにはならなくて……佐伯先輩を、危ない目に遭わせることもなかったので……」
絞り出すように言ったものの、佐伯先輩からの返事はない。あまりに沈黙が続くので不安になって見上げてみると、佐伯先輩は驚いたように目を見開いていた。
「そんなこと考えてたの?」
「えっ」
意味がわからずに私は目を瞬いた。私があそこで拉致されることがなければこうはならなかったのだから、まず謝るべきはそこだと思ったのだけど……。
「それは、他にもっと謝ることがあるだろうってことですか」
若干不安になりながら聞くと、今度は佐伯先輩が「えっ」と声を上げた。
「いや、そうじゃないけど……僕はてっきりさよならを切り出されるんだと思った」
「ええっ」
なんだか、さっきからすごく間抜けなやり取りをしている気がするのは気のせいだろうか。
「あ、そうか……。こんなガキっぽい女は嫌だって話でしたもんね」
わいてきたいたずら心のままに言ってみる。すると佐伯先輩ははっとして唇を噛んだ。
「いや、あれは……」
わかっている──あれが本心じゃなかったことくらい。あんなふうに震えながら抱きすくめられたりしたら、いくら鈍い私でもわかってしまう。
それに、私は今までのやり取りで知っていたはずだった。佐伯先輩がどれほど上手に本心を隠せるかを。敵をだますなら味方から。佐伯先輩は、それをただ見事にやってのけただけだ。
「……私、眠りは深い方なので。多少の悪夢じゃ目覚めないんですよね」
私は立ち上がり、その場でぐっと伸びをした。
「でも、ただ目をつむっていればいいってわけじゃないことが、今回のことでわかりました」
友だちとの会話なら、こんな比喩だらけの分かりにくい言い回しはまずしない。でも佐伯先輩となら、これで通じるだろうと思うのだ。
必要に迫られているわけでもないのに隠語や合言葉を好んで使う人たちの気持ちが、今なら少しだけわかる気がする。
「佐伯先輩のこと……教えてください。もちろん、嫌でなければ」
膝をついたままの佐伯先輩に手を差し出す。その表情からは、やっぱり私には何も読み取れなかった。でもその顔が今かすかにほころんだ気がする。
「……うん」
そううなずいて、佐伯先輩は私の手を取った。
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