上 下
23 / 52

第23話 危機

しおりを挟む
 向こうの端から走ってくる人影が見えた。すらりと高い背に、見覚えのある制服姿──。

(まさか……)

 目を凝らしてみるけれど、まだ顔はわからない。でも顔がわからなくても、それが誰なのかはわかる。

「──!」

 わかった──「彼」が私に気づいたのが、わかった。
 でも彼が足をさらに速めた瞬間、別の人影が間に立ちはだかる。同時に、横に立っていた女性が私の肩を抱いた。

「……お前か」

 佐伯先輩はその場に立ち止まり、そう呟いた。目の前の男が誰かをわかっている──やはり二人には面識があるのだ。
 と、佐伯先輩がこちらを見た。私は「大丈夫だ」と伝えたくてうなずく。そのメッセージは無事に届いたらしく、佐伯先輩の表情が少しだけ和らいだ。が、それが何かの引き金を引いてしまったようだ。

「こんな状況でよそ見とはいい度胸、だよなあ!?」

 そう叫びながら、男が佐伯先輩に殴りかかる。

「あっ!」

 一瞬のことで、そう叫ぶのが精一杯だった。せめて「危ない!」と叫べたら佐伯先輩に危険を知らせることができたのに。
 でもそんな心配は無用だった。佐伯先輩は不意を突かれた様子もなく、相手のこぶしを軽くいなす。
 そこへまた胸ぐらをつかもうと別の手が飛んできて、佐伯先輩はそれも躱した。

(何よ……これ……)

 目の前でこんな、殴り合いみたいな喧嘩が起きるなんて、それもその片方が佐伯先輩だなんて、悪い夢を見ているとしか思えなかった。
 でもこの状況を招いたのが自分の不注意だったという自覚が、私にそんな現実逃避を許さない。

「おい! ちゃんとやれよ! 馬鹿みたいだろ、俺が……」

 男はなおも怒鳴りながら手や足を繰り出し続けている。けれど佐伯先輩は、それを全て避けたりいなしたりするだけなのだ。ずっと見ているけど、自分からは一度もやり返していない。

「馬鹿以外の何なんだよ」

 佐伯先輩は静かにそう吐き出した。その声のあまりの冷たさに、直接言われたわけではない私までもがぞっとする。
 でもその声音にも、極度の興奮状態にある男は何も感じないらしかった。

「何だと!?」

 男はまた、力と勢いに任せて佐伯先輩に殴りかかる。今までで一番速い。佐伯先輩は少しバランスを崩しながらもなんとかそれを躱し、厳しい表情をゆがませた。

「だってそうだろう! 関係ない人を巻き込んでこんな……!」

(──あ)

 佐伯先輩の「関係ない人」という言葉で私のことを思い出したのだろう、男は勢いよくこちらを振り返った。ばっちりと目が合う。

(来る……こっちに……!)

 それからはまるでスローモーションだった。男が体を急旋回させてこちらに向かってくるのも、男の意図に気づいた佐伯先輩が「しまった」という表情に変わるのも、この目にはっきりと見えた。

「っ!」

 でもそれは実際には一瞬のことで、私は男から逃れることはおろか、その場から動くことすらできなかった。
 男は女性から私を引き離し、佐伯先輩と女性の両方から距離をとる。半ば引きずられるようにして走らされ、両手が使えないせいで転びそうになりながらも私はなんとかバランスを保った。

「富永さん!」
「研吾!」

 二人の叫び声が重なる。それもそのはず、男はどこからか取り出したカッターナイフを私の首筋に突きつけたのだ。男の荒い呼吸が私の髪にかかるのを感じる。

(大丈夫……怖くない……)

 私は心の中で自分に言い聞かせた。心臓は肋骨を突き破りそうな勢いで暴れているけれど、体は震えていない。まだ、大丈夫。
 この男のもともとの目的は私を殺すことじゃない。これは感情が高ぶったせいでとってしまった突発的な行動だろう。それなら、下手に刺激さえしなければ大丈夫なはずだ。

(大丈夫……大丈夫……)

 自己暗示が効いてきたのか、少しまわりを見る余裕が出てきた。
 女性は悲痛な表情になるあまりほとんど涙目だ。一方佐伯先輩は、私が今まで一度も見たことのない形相でこちらを──男を睨みつけている。

「こいつの喉突いてやるからな!」

 男が怒鳴る。

(なんでそうなるの……)

 いろんなことに鈍い私だけど、どうやらこれは本格的にまずいかもしれないとわかってきた。

(もしほんとに刺されたらどうなるんだろ。やっぱり死ぬ? 出血云々よりも気管が傷つくことの方がまずいのかな……肺に穴あいたら死ぬって言うもんな……っていうかカッターナイフの切れ味ってどんなもんなんだろ? 切れ味悪い方が逆に痛いよね……)

 本能的な現実逃避なのか何なのか、現状を置き去りにして思考がどんどん回っていく。
 が、それは佐伯先輩が一歩前に踏み出したことで中断された。私の意識は瞬時に、現在の危機的状況に向く。

「……要求は」

 佐伯先輩が短く聞く。すると男は私を捕らえている左手に力を込めた。同時に、右手に握られたカッターナイフが首筋に近づく。

「こいつを殺す。お前が本気になるように」
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

校長室のソファの染みを知っていますか?

フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。 しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。 座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る

JKがいつもしていること

フルーツパフェ
大衆娯楽
平凡な女子高生達の日常を描く日常の叙事詩。 挿絵から御察しの通り、それ以外、言いようがありません。

[R18] 激しめエロつめあわせ♡

ねねこ
恋愛
短編のエロを色々と。 激しくて濃厚なの多め♡ 苦手な人はお気をつけくださいませ♡

車の中で会社の後輩を喘がせている

ヘロディア
恋愛
会社の後輩と”そういう”関係にある主人公。 彼らはどこでも交わっていく…

結構な性欲で

ヘロディア
恋愛
美人の二十代の人妻である会社の先輩の一晩を独占することになった主人公。 執拗に責めまくるのであった。 彼女の喘ぎ声は官能的で…

クラスメイトの美少女と無人島に流された件

桜井正宗
青春
 修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。  高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。  どうやら、漂流して流されていたようだった。  帰ろうにも島は『無人島』。  しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。  男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?

お兄ちゃんが私にぐいぐいエッチな事を迫って来て困るんですけど!?

さいとう みさき
恋愛
私は琴吹(ことぶき)、高校生一年生。 私には再婚して血の繋がらない 二つ年上の兄がいる。 見た目は、まあ正直、好みなんだけど…… 「好きな人が出来た! すまんが琴吹、練習台になってくれ!!」 そう言ってお兄ちゃんは私に協力を要請するのだけど、何処で仕入れた知識だかエッチな事ばかりしてこようとする。 「お兄ちゃんのばかぁっ! 女の子にいきなりそんな事しちゃダメだってばッ!!」 はぁ、見た目は好みなのにこのバカ兄は目的の為に偏った知識で女の子に接して来ようとする。 こんなんじゃ絶対にフラれる! 仕方ない、この私がお兄ちゃんを教育してやろーじゃないの! 実はお兄ちゃん好きな義妹が奮闘する物語です。 

幼なじみとセックスごっこを始めて、10年がたった。

スタジオ.T
青春
 幼なじみの鞠川春姫(まりかわはるひめ)は、学校内でも屈指の美少女だ。  そんな春姫と俺は、毎週水曜日にセックスごっこをする約束をしている。    ゆるいイチャラブ、そしてエッチなラブストーリー。

処理中です...