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第17話 警告

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「富永さーん、なんか三年生っぽい人が呼んでる」

 自分の席で一人本を読んでいた昼休み、突然クラスの男子に声をかけられた。教室のドア付近にいた集団の一人、前川くんだ。とっさにそちらに顔を向けたが、廊下にそれらしい人影は見えない。
 私を呼びに来そうな三年生って、一体誰だろう? 面識があるのは佐伯先輩だけだけれど──…。

「三年生って、男の人?」

 私は立ち上がり、前川くんに尋ねる。

「いや、女の人」

 ますます心当たりがない。でも待たせるのも悪いので、私は早足で廊下へと向かった。

「えーっと……」

 廊下に出ると、その気配を感じたのか窓際に一人でいた女子生徒がこちらを向いた。

「……あなたが、富永さん?」

 少し低めの声で話す、穏やかな顔立ちの人だった。やはり面識はないが、私を呼んでいたというのはこの人だと確信し、私は「はい」と答える。

「ちょっと、話したいことがあるの。ついて来てくれる?」

 威圧感こそないものの、その落ち着いた声には有無を言わせぬ響きがある。「三年生っぽい」どころか、紛れもない「三年生」だよ、と私は前川くんに届かぬ念を送る。
 私が頷いたのを見ると、彼女は先に立って歩き出した。

(……いったい何なんだろう)

 私がついてきていることがわかるからか、彼女は振り返ることなくずんずん歩いていく。もちろん会話もない。
 いったいどこへ連れていかれるのだろうと少し不安になったところで、彼女は足を止めた。

(ここは……)

 立ち入り禁止の屋上へと続く階段の踊り場だった。あたりに人の気配はない。どうやら、人に聞かれない場所なら特にどこでもよかったようだ。彼女がこちらに向き直る。

「手短に言うわ。二組──三年二組の佐伯さんとお付き合いしている一年生って、富永さんよね?」

「──!」

 話というのは佐伯先輩とのことらしい。たしかに、先輩と付き合った後輩が、先輩の同級生から目をつけられて……なんていう展開は、小説でもマンガでもおなじみの展開だけど。
 でも、だからといってここで嘘をついたり誤魔化そうとしたりしたら、余計状況がまずくなるだけだという気がする。私は素直にうなずいた。

「そう……」

 最初から確証があって聞いてきたのだろうに、彼女は困ったような悲しげなような、何とも言えない表情になった。が、その顔はすぐにキッと引き締められる。

「悪いことは言わない。別れた方がいい」

「えっ……」

 思わず耳を疑ってしまった。佐伯先輩との関係を解消しろと言われている──?

「それは……いわゆる牽制ってやつですか? 一年が三年生に手を出すなんて生意気だ的な……あっ、いや」

 言ってしまってから激しく後悔した。いったい私は何を言っているんだろう。緊張と不安とショックが相まったにしてもひどい。
 が、恐る恐る見てみれば目の前の彼女はぽかんと口を開けていた。

「え?」

 訝しげな声を上げてから、ワンテンポ置いて彼女は吹き出した。

「違う違う! びっくりした、あなた面白いわね」

 今度はこちらが面食らう番だった。余計なことは言ってしまった自覚があるけれど、面白い──?

「そんな心配はしなくても、あの人と付き合う度胸がある子なんてうちの学年にはいないから」

 彼女がポロリとこぼしたその言葉が耳に残る。度胸──どういう意味だろう。でもその意味を問う前に、笑いの波が去ったらしい彼女が再び口を開いた。

「二つ年上なのは……付き合ってるなら知ってるわよね?」

 話の雲行きがあやしくなってきたことを感じつつうなずく。すると彼女は間髪を入れずにこう聞いてきた。

「その理由は知ってる?」

(やっぱり来たか……)

 二年も「ダブっている」なんて、恰好のネタだと思う。私だって佐伯先輩とあんな出会い方をしていなければ、同級生たちとその「変わった経歴の先輩」の噂話に興じていたかもしれない。

「入院してた、って聞きました……」

 慎重に答えると、彼女は堅い表情を崩さないままうなずいた。

「そう、『入院』ね……。でもその『院』が『病院』じゃなくて『少年院』だったら?」

「え……?」

 一瞬何を言われたのかわからなかった──少年院?

「……更生施設の、ですか?」

 言葉を選びながら確認すると、彼女はうなずいた。

「そう言われてる。だからあなたも巻き込まれて危ない目に遭う前に──」

 そこで彼女ははっと口をつぐんだ。その視線が背後に注がれていることに気づき、私は後ろを振り返る──と。

「ああ、富永さん。と、一緒にいるのは本田さん?」

 階段の下の廊下からこちらを見上げていたのはなんと佐伯先輩だった。何というタイミングなのだろう。そして、彼女の名前は本田というらしい。

「そ、それじゃ、富永さん。よく考えてね」

 彼女改め本田先輩はそう言い残し、そそくさと階段を下りて行ってしまった。

「佐伯先輩。こんにちは」

 私も階段を下り、ぺこりと会釈する。佐伯先輩はいつも通りの優しい笑顔で、明らかに不自然な場面に出くわしたことなど気にも留めていない──ように見える。

「本田さんと知り合いだったの?」

「えーと、そういうわけじゃなかったんですけど……」

 佐伯先輩のあくまでさりげない問いに口ごもる。

「……あっ、私次移動教室なので失礼しますね! また放課後図書室で!」

 少しわざとらしかったかもしれないが、私は会話を切り上げその場を後にした。ここで話を続ければ続けるほど、ぼろが出てしまいそうな気がしたのだ。

(病院じゃなくて少年院……)

 さっき耳にした言葉が脳裏にこだまする。詳しくは知らないけれど、少年院といえば殺人のような重い罪を犯した青少年が収監される場所ではないのだろうか。いや、もちろんもっと軽い罪だったとしても、佐伯先輩が罪を犯すことなんてないと思うけれど。

(でも……)

 巻き込まれるとか危ない目に遭うとか、まるで佐伯先輩の本質は危険人物だとでも言いたげだった。……いや違う。そう確信しているからこその、心からの警告だったのだ。

(──! そういえば……)

 告白したあの日、佐伯先輩は確かに言った──自分がどんな事情を抱えた人間かを知ってしまえば、ついていけないと思うはずだ、と。
 その「事情」がもし、二つ年上であることだけではなかったら? 学年がずれることになった原因をも指すのだとしたら?
 もう、何が本当のことなのかも、何を信じればいいのかもわからない。でももし仮に本田先輩の言うことが本当だったとしたら、私は選ばなきゃいけないのだ。佐伯先輩の過去にどう向き合うかを。

「──香乃ちゃん、大丈夫? 顔色悪くない?」

 いつの間にか、ともちゃんが部活の集まりから帰ってきていた。というか、気づけば私もいつの間にか教室の自分の席にいる。考え事をしていたせいか、その間の記憶がない。

「あ、うん。なんでもない」

 とっさに答えてから、そういえばこんなセリフをつい最近どこかで聞いたような気がするな、と思う。けれどそれがどこだったかを思い出す前に、昼休み終了五分前の予鈴が鳴った。

「次、PC室だよ。行こう」

 まだ少し心配そうに言うともちゃんに、私は努めて明るい笑顔で答えた。
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