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第2話 初めての会話

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 あれから私は独自のリサーチによって、佐伯先輩こと佐伯和斗先輩が図書委員長を務める三年生だというところまで突き止めた。
 あ、もちろんリサーチなんていうのは冗談で、実際には図書室の掲示板に貼ってある当番表を見ただけだったりする。

 委員長である佐伯先輩は、他の誰よりもたくさん当番にあたっていて、週に最低でも二回、多いときは三回も委員の仕事をしているようだった。ということは、私が気づかなかっただけで、今までも同じ空間にいたことはあったのかもしれない。
 辻先生からの信頼も厚いみたいで、先生が会議なんかで席を外すときにはたいてい佐伯先輩がカウンターにいる。
 私は窓際の、書架にほど近い特等席に陣取って、そんな佐伯先輩の姿を拝んでいるのだ──なんて言うとストーカーみたいか。

とはいうものの、私は決して佐伯先輩が目当てで図書室に通っているわけじゃない。佐伯先輩がいようといまいと、私は毎日放課後になると図書室へ向かう。そして大好きな本の世界に没頭するのだ。
 中学の時は、外国のファンタジーばかり読んでいた。魔法使いやエルフやドラゴンが登場するような物語ばかりを。でも最近のお気に入りは、日本が舞台の現代小説だ。
 現代小説には、ここではないどこか別の世界の冒険にドキドキワクワクするファンタジーとはまた違う魅力がある。なんてったって本の中の出来事が、実は身近で起こっているかもしれないのだ。もっと言うなら、私自身が明日遭遇するかもしれない出来事が描かれていたりもする。
 そう考えた時、やっぱり読書というのは疑似体験なんだな、なんて思うのだ。舞台が異世界であれ現実世界であれ、私は本の中の出来事に、登場人物たちと一緒になって触れていくのだから。

「──あの。すみません」

 突然話しかけられ、私はつい体をびくつかせてしまった。いけない。考え事をしていたせいで手元に開いた本は一行も進んでいなかった。
 いや、それよりも人が近づいてきているのに気づかないなんて──と思った瞬間、私は自分の目を疑った。

「えっ、あっ……。佐伯先輩!」

 机のわきに立ち、こちらをのぞき込んでいたのは、あの佐伯先輩だった。
 名前を呼んでしまってから(しまった……)と内心頭を抱える。私が一方的に知っているだけで面識はないのだ。佐伯先輩も不思議そうな顔をしている。
 けれど佐伯先輩はすぐに優しく微笑んで、カウンター上の時計を指さした。

「そろそろ閉室の時間なんだ。集中してるところを邪魔するのは申し訳ないと思ったんだけど」

 佐伯先輩の言葉に愕然とする──閉室時間?
 果たしてそれは本当だった。佐伯先輩の指の先で、時計は五時五十分を指していたのだから。考え事がはかどるわけだ。

「えっ、ほんとだ! すいませんすぐに片付けます!」

 慌てて立ち上がったせいで、視界がぐらりと揺れた。立ち眩みだ。(あ、やばい)と思った時にはもう遅い。体が傾くのを感じ、とりあえず何かにつかまらなくてはと伸ばした手が空を掴んだ時だった。

「──大丈夫?」

 佐伯先輩が横から抱きかかえてくれていた。パッと見た感じじゃ細身なのに安定感があって、(うわあ、男の人だ……)なんて場違いなことを考えてしまったところで、はっと我に返る。

「す……すいませんっ!」

 なんだかさっきから謝ってばかりだ。いや、私が悪いのだけど。
 佐伯先輩は私が何ともないのを見てとると、私から手を放して微笑んだ。

「ゆっくりで大丈夫だから」

 そう言って、窓際へと歩いて行く。戸締りの確認をするようだ。私は今更になってバクバクと暴れ始めた心臓を軽く押さえながらその後ろ姿を見送った。

(どうしよう……どうする?)

 私物の片づけを終えた私は、さっきまで座っていた閲覧席のそばで立ち尽くしたまま逡巡する。
 佐伯先輩と直接話せてしまった。話せたどころか、触れることまでできてしまった──なんて言うと我ながら変態っぽいけど。
 佐伯先輩のことは、遠くから眺めているだけで幸せだったはずなのに。でもこんなふうに、一時的にだけど急接近してしまって。有り体に言えば、欲が出てしまったのだ。もっと仲良くなりたい、もっと近づきたい、と。

「あのっ……先輩!」

 窓際を離れる佐伯先輩に駆け寄る。今まで、こんなふうに積極的な行動に出たことはなかった。でも私はもう知ってしまったのだ──たとえ断られても、死にはしないと。それこそ、たくさんの小説からの「疑似体験」で。

「一緒に、帰りませんか……!」

 決死の覚悟で口にする。と、佐伯先輩は私の予想通り「えっ」という顔をした。そりゃあそうだ。さっきまで面識のなかった相手からこんなことを言われたら誰だって驚く。私だったって驚く。

「……まだあと十五分はかかるよ? 貸出管理用のパソコンの処理もあるし。片付けないといけない本も……」

 そう言って佐伯先輩はカウンターを振り返った。確かに、返却されたばかりらしい本が数冊積まれている。

「待ってます! あっ、その……先輩さえよければ」

 言ってしまってから、(もしかして遠回しに断られている?)と急に不安になって付け足す。でも幸いなことに、それは杞憂だった。佐伯先輩は、微笑みながらこう言ったのだ。

「じゃあ……昇降口で待ってて。終わったら迎えに行くね」

「──! はい!」

 嬉しくて思わず飛び上がりそうだった。それを隠してぺこりと頭を下げる。
 それにしても「迎えに行く」だなんて──ああ、なんて甘い響きなんだろう!
 早くも幸せいっぱいで図書室を出た時だった。

「──あ」

 思わず声が漏れる。背後のドアは閉まっているし、廊下には誰もいなかったけど。それでも私はそのまま固まってしまった。

(なんで私「手伝います」って言わなかったんだろう……)

 きっと、佐伯先輩は手伝わせてはくれなかっただろうと思う──「それは僕の仕事だから」なんて言って。でも手伝いを申し出るのと出ないのとでは印象も違ったに違いない。
 気が利かないというか詰めが甘いというか。やっぱり慣れないことをするとダメだなと思わずにはいられなかった。
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