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一、光の河を探して
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- 一 -
四月だというのに信州松本の寒さときたら本当に凍ってしまいそうだ。冬将軍はまだ兜を脱ごうとしないらしい。先ほど校内の自販機で買って来た缶コーヒーがもうすでに冷凍庫から出したてのアイスクリームのように冷たい。校庭にある桜の木は昼間見たときはまだ蕾のものもチラチラとあった。今年は開花が遅い。
入学式が過ぎたと言うのに、まだ満開になろうとしない。桜も寒がっているのだろう。自分は小さくなって体の熱をなるべく逃がさないようにしながら、夜の星を望遠鏡でみつめていた。夜空に浮かぶ億万の星々はまるでの宝石の粒のようだと誰かが言っていた。闇夜に浮かぶ光の一粒一粒がそれぞれの輝きを放ち、黒いキャンパスに荘厳な絵を描いている。自然とは雄大なものだ、望遠鏡を見るたびにそう思う。遥か遠くの星には一体何がいるのかと、僕はいつも心をときめかせながら天体望遠鏡を覗き込んでいた。地学教室に貼られたボロボロのホロスコープをなぞって星を旅して、遥か銀河の彼方へと僕は歩いていく。
「おいヤス、いつまで見てるんだ。もう夜遅いし、早く帰るぞ」
「あ、すみません」
ウチの部長が僕を叱った。気がつけば星を見るのに夢中になっていて夜の八時になっていた。いけない。いつの間にやら夜もすっかり更けたようだ。先輩も僕が星を見るのを好きなのをわかっているから本当はこのような時間まで校舎にいるのは御法度ではあるが、夜遅くまで天体観測するのを許してくれる。
「お前は本当に星を見るのが好きだな」
先輩は僕が星を見ているといつも笑ってこう言う。
「だってワクワクしませんか?あの空の向こう側に、僕らが見たことがない世界が広がっているかもしれないって思うだけで僕はワクワクしますよ」
「俺は星よりも宝石やらの観察している方が楽しいがな。お前は少し変わってるよ」
確かに、地学部の中で僕は少し変わっているのかもしれない。放課後はいつも課題をさっさと終えて、ひたすらに星から星へ旅をしている。気がつけば二、三時間も望遠鏡を覗いていることも日常茶飯事だ。でも、まだ僕らが見たことのないそれぞれの星の世界を想像するだけで僕はときめくのだった。
「あんまり星ばかり見て気が狂いそうにならんのか。星なんて早々に変わらん」
「いいえ、とんでもない。むしろ見るたびに新しい発見があるんです。例えば……」
「あー、いいよ。言わなくて。お前か星を語ると終電逃しちまう」
「そんな大袈裟な」
そう言って二人で笑いあった。先輩と学校を出て、蛍火のような街灯の照らす道を歩いて行った。天体望遠鏡で見る時と違って、空に浮かぶ星は点のように小さい。
「それにしてもお前の星好きには頭が下がるね。そのうち新しい星でも見つけそうだよ」
先輩は冗談気味に言った。
「先輩の言う通り、探しているんですよ」
僕は冗談ではなく、本気だった。
「新しい星か?」
僕は小さく首を振った。
「いいえ、僕は『光の河』を探してるんです」
「光の河って、何だそれは」
先輩が首を傾げた。僕は先輩に話を始めた。
「よくわからないんです。ただ、とても綺麗なものだと曽祖母が言ってました」
「曽祖母」
先輩は不思議そうな顔をした。僕の話に曽祖母が出てくるのは急展開かもしれないが、昔曽祖母が僕に話してくれたのが「光の河」の話だった。
「亡くなった曽祖母が僕が小さい頃話してくれたんですよ。ずっと昔、それはそれは綺麗な『光の河』ってやつを。色とりどりの宝石が浮かんでいて、見るも鮮やかな河があるって」
「ほう、興味深いな。で、お前のひいおばあちゃん?はそれをいつどこで見たんだ」
「わからないんですよ。どこにあるのか、その河が一体何なのか、未だにわからないんです。曽祖母に聞けばよかったんですが、あいにくもう聞こうと思っても聞けません。でも、いつか僕はその河を探してやりたいんです。多分昔のことですから星の綺麗な時に曽祖母が夜空の天の河でも見たのかもしれませんが、それはどうも違うような気がして……」
「まあきっと、綺麗な河なんだろうな。ただあまり望遠鏡ばかり見るなよ」
「はい」
僕は笑って答えた。
「それにしても寒いな」
「そうですね」
時折吹き抜けるびゅうと吹き抜ける風は、体を刺すようだった。よくよく見ると、粉雪が舞っている。
「異常気象だ、これは」
寒い、こんな日は暖かい湯豆腐でも食べたくなる。普段は晩御飯のおかずが湯豆腐だとがっかりしたりもする。白飯にはやはり生姜焼きやチキンソテーが合うが、湯豆腐では物足りない。でも、寒い日にはなぜか無性に湯豆腐が恋しくなる。あの純白の身に細ねぎと生姜おろしを山と乗せ、そこに醤油を垂らして食べる湯豆腐は何者にも敵わないだろう。今日の晩飯のオカズはなんだろうか。そんなこと考えると、お腹が鼓を打った。
「お前、腹減ってんのか」
「えへへ」
僕は先輩に腹の鳴る音を聞かれてしまって、思わず赤面した。
「長く観測しすぎだ、たわけ者」
「すんません」
死んひいばあちゃんも湯豆腐が好きだった。ひいばあちゃんが光の河のことを話してくれた夜の飯も湯豆腐が出ていた気がする。湯豆腐で再び脳裏に浮かんだが、光の河は、一体何なのだろう。小さい頃に一度だけひいばあちゃんが話してくれた光の河。未だにその正体はわからない。僕は時々薄れゆく思い出を、読み終わった本のページをめくり返すように何度も何度も思い返そうとする。
僕は小学生まで曽祖母、つまりひいおばあちゃんが育ててくれた。親はいたし、祖父母も元気だったが、みんな働いていて、忙しい思いをしていた。だから九十四才で死ぬまでひいおばあちゃんは僕のことを大事に育ててくれた。昔から泣き虫で、何かあるたびに涙を流していた僕に、ひいおばあちゃんはよく飴玉やら煎餅などお菓子をくれた。それで大抵は泣き止んだが、どうしても泣きやまない時にはお話をしてくれた。その話の一つの中に、『光の河』の話があった。
「ヤスちゃん、ひいおばあちゃんがお話してあげるから、聞いてくれるかい」
僕はこくんとうなづいた。そしてひいおばあちゃんはゆっくりと独り言を語るように話し始めた。
「これは私がそうねぇ、まだ二十になって間もない頃ねぇ、ちょうど戦争が終わって生きるのにもやっとな時期があったんだけどねぇ、その時本当に毎日生きてくのに必死で必死で、もう死にたいと思った時があったんよ」
「おばあちゃん死んじゃったの」
「まさか。だったら私は今ここにいないわ」
おばあちゃんはニコニコと笑った。
「でねぇ、本当に死のう死のうと思っていた時に、おばあちゃんは『光の河』を見たんよ」
「光の河?」
「そうよ。それはもう綺麗な綺麗な河でねぇ。黒い河一面に赤や黄色、青色に緑、白色やいろんな色の宝石が浮かんでいてねぇ、とっても綺麗だったの。普段見ているものが見るところを変えるだけでこんなにも変わるなんてねぇ。本当に驚いたよ。私がふと見た先にあったあの景色は忘れられないねぇ。こんな綺麗なものを見れるならまだ生きてもいいかなぁと思っておばあちゃん頑張ったんよ。今でも見れたら見たいんだけどねぇ、なかなか見れなくて」
「それは、僕にも見れる?」
「もちろん、ヤスちゃんもいつか見れるといいね」
「僕も見たい」
おばあちゃんはまたニコニコと笑った。 もっと話を聞こうとしたのかもしれない、あるいは聞いていたのかもしれない。でも、これ以上は何も思い出せない。僕の光の河についての記憶の糸は残念ながらここで終わっている。その後、不思議な心持ちで夕食の膳に望んだことだけは覚えている。あの日食卓に並んだ湯豆腐。丁度秋の茗荷の季節ということもあって、ひいばあちゃんはいつものように食べる湯豆腐の上に紫色の茗荷を乗っけて食べていた。まだ冷奴でもいい季節だったが、体が冷えるからと絹ごしの豆腐を昆布の出汁であっためて湯豆腐にしていた。僕は小さかったから茗荷の苦さや生姜の風味が苦手で食べなかったけれど、ひいばあちゃんは実に美味しそうに絹ごしの滑らかな豆腐を食べるのだった。僕の父親は茗荷の乗っかった冷奴をツマミにビールを飲んでいた。それだけは覚えている。まだビールを飲んだことがわからないが、そんなに豆腐はツマミに合うのかどうか、未だに疑問に思う。だからかもしれないが、豆腐を口にするたびに、僕の光の河の記憶は甦る。もっと豆腐を食べたら思い出せるだろうか?いや、どうも思い出せそうにない。ただ雲をつかむような思いで今も探していることだけが事実としてあった。
ひいばあちゃんからもっと話を聞きたかったけど、僕が中学生になるちょっと前に亡くなってしまった。ひいおばあちゃんは死ぬ一日前、豆腐食べたいと言って湯豆腐を食べてなんとも穏やかそうな、満足したような表情をしていた。ひいばあちゃんは戦争のせいで口減らしのために家を出され、幼い頃から苦労して生きてきた。昔、漬物のつけ汁を飲んで生き延びたという話も聞いた。貧しい戦間期、戦後の食べ物の無い時期、曽祖母にとって豆腐が特別なご馳走だったのかもしれない。曽祖母は九十四まで生きて、最後はゆっくりと、苦しむこともなく死んでいった。ひいばあちゃん、どうか安らかに眠ってほしい。
そして僕は中学生に入ってから光の河を探し始めた。手がかりは何か掴んだような気もするが、未だにその正体はつかめていない。いつか、僕もひいばあちゃんの見た『光の河』をこの目で見てみたいとひたすらに願っていた。
四月だというのに信州松本の寒さときたら本当に凍ってしまいそうだ。冬将軍はまだ兜を脱ごうとしないらしい。先ほど校内の自販機で買って来た缶コーヒーがもうすでに冷凍庫から出したてのアイスクリームのように冷たい。校庭にある桜の木は昼間見たときはまだ蕾のものもチラチラとあった。今年は開花が遅い。
入学式が過ぎたと言うのに、まだ満開になろうとしない。桜も寒がっているのだろう。自分は小さくなって体の熱をなるべく逃がさないようにしながら、夜の星を望遠鏡でみつめていた。夜空に浮かぶ億万の星々はまるでの宝石の粒のようだと誰かが言っていた。闇夜に浮かぶ光の一粒一粒がそれぞれの輝きを放ち、黒いキャンパスに荘厳な絵を描いている。自然とは雄大なものだ、望遠鏡を見るたびにそう思う。遥か遠くの星には一体何がいるのかと、僕はいつも心をときめかせながら天体望遠鏡を覗き込んでいた。地学教室に貼られたボロボロのホロスコープをなぞって星を旅して、遥か銀河の彼方へと僕は歩いていく。
「おいヤス、いつまで見てるんだ。もう夜遅いし、早く帰るぞ」
「あ、すみません」
ウチの部長が僕を叱った。気がつけば星を見るのに夢中になっていて夜の八時になっていた。いけない。いつの間にやら夜もすっかり更けたようだ。先輩も僕が星を見るのを好きなのをわかっているから本当はこのような時間まで校舎にいるのは御法度ではあるが、夜遅くまで天体観測するのを許してくれる。
「お前は本当に星を見るのが好きだな」
先輩は僕が星を見ているといつも笑ってこう言う。
「だってワクワクしませんか?あの空の向こう側に、僕らが見たことがない世界が広がっているかもしれないって思うだけで僕はワクワクしますよ」
「俺は星よりも宝石やらの観察している方が楽しいがな。お前は少し変わってるよ」
確かに、地学部の中で僕は少し変わっているのかもしれない。放課後はいつも課題をさっさと終えて、ひたすらに星から星へ旅をしている。気がつけば二、三時間も望遠鏡を覗いていることも日常茶飯事だ。でも、まだ僕らが見たことのないそれぞれの星の世界を想像するだけで僕はときめくのだった。
「あんまり星ばかり見て気が狂いそうにならんのか。星なんて早々に変わらん」
「いいえ、とんでもない。むしろ見るたびに新しい発見があるんです。例えば……」
「あー、いいよ。言わなくて。お前か星を語ると終電逃しちまう」
「そんな大袈裟な」
そう言って二人で笑いあった。先輩と学校を出て、蛍火のような街灯の照らす道を歩いて行った。天体望遠鏡で見る時と違って、空に浮かぶ星は点のように小さい。
「それにしてもお前の星好きには頭が下がるね。そのうち新しい星でも見つけそうだよ」
先輩は冗談気味に言った。
「先輩の言う通り、探しているんですよ」
僕は冗談ではなく、本気だった。
「新しい星か?」
僕は小さく首を振った。
「いいえ、僕は『光の河』を探してるんです」
「光の河って、何だそれは」
先輩が首を傾げた。僕は先輩に話を始めた。
「よくわからないんです。ただ、とても綺麗なものだと曽祖母が言ってました」
「曽祖母」
先輩は不思議そうな顔をした。僕の話に曽祖母が出てくるのは急展開かもしれないが、昔曽祖母が僕に話してくれたのが「光の河」の話だった。
「亡くなった曽祖母が僕が小さい頃話してくれたんですよ。ずっと昔、それはそれは綺麗な『光の河』ってやつを。色とりどりの宝石が浮かんでいて、見るも鮮やかな河があるって」
「ほう、興味深いな。で、お前のひいおばあちゃん?はそれをいつどこで見たんだ」
「わからないんですよ。どこにあるのか、その河が一体何なのか、未だにわからないんです。曽祖母に聞けばよかったんですが、あいにくもう聞こうと思っても聞けません。でも、いつか僕はその河を探してやりたいんです。多分昔のことですから星の綺麗な時に曽祖母が夜空の天の河でも見たのかもしれませんが、それはどうも違うような気がして……」
「まあきっと、綺麗な河なんだろうな。ただあまり望遠鏡ばかり見るなよ」
「はい」
僕は笑って答えた。
「それにしても寒いな」
「そうですね」
時折吹き抜けるびゅうと吹き抜ける風は、体を刺すようだった。よくよく見ると、粉雪が舞っている。
「異常気象だ、これは」
寒い、こんな日は暖かい湯豆腐でも食べたくなる。普段は晩御飯のおかずが湯豆腐だとがっかりしたりもする。白飯にはやはり生姜焼きやチキンソテーが合うが、湯豆腐では物足りない。でも、寒い日にはなぜか無性に湯豆腐が恋しくなる。あの純白の身に細ねぎと生姜おろしを山と乗せ、そこに醤油を垂らして食べる湯豆腐は何者にも敵わないだろう。今日の晩飯のオカズはなんだろうか。そんなこと考えると、お腹が鼓を打った。
「お前、腹減ってんのか」
「えへへ」
僕は先輩に腹の鳴る音を聞かれてしまって、思わず赤面した。
「長く観測しすぎだ、たわけ者」
「すんません」
死んひいばあちゃんも湯豆腐が好きだった。ひいばあちゃんが光の河のことを話してくれた夜の飯も湯豆腐が出ていた気がする。湯豆腐で再び脳裏に浮かんだが、光の河は、一体何なのだろう。小さい頃に一度だけひいばあちゃんが話してくれた光の河。未だにその正体はわからない。僕は時々薄れゆく思い出を、読み終わった本のページをめくり返すように何度も何度も思い返そうとする。
僕は小学生まで曽祖母、つまりひいおばあちゃんが育ててくれた。親はいたし、祖父母も元気だったが、みんな働いていて、忙しい思いをしていた。だから九十四才で死ぬまでひいおばあちゃんは僕のことを大事に育ててくれた。昔から泣き虫で、何かあるたびに涙を流していた僕に、ひいおばあちゃんはよく飴玉やら煎餅などお菓子をくれた。それで大抵は泣き止んだが、どうしても泣きやまない時にはお話をしてくれた。その話の一つの中に、『光の河』の話があった。
「ヤスちゃん、ひいおばあちゃんがお話してあげるから、聞いてくれるかい」
僕はこくんとうなづいた。そしてひいおばあちゃんはゆっくりと独り言を語るように話し始めた。
「これは私がそうねぇ、まだ二十になって間もない頃ねぇ、ちょうど戦争が終わって生きるのにもやっとな時期があったんだけどねぇ、その時本当に毎日生きてくのに必死で必死で、もう死にたいと思った時があったんよ」
「おばあちゃん死んじゃったの」
「まさか。だったら私は今ここにいないわ」
おばあちゃんはニコニコと笑った。
「でねぇ、本当に死のう死のうと思っていた時に、おばあちゃんは『光の河』を見たんよ」
「光の河?」
「そうよ。それはもう綺麗な綺麗な河でねぇ。黒い河一面に赤や黄色、青色に緑、白色やいろんな色の宝石が浮かんでいてねぇ、とっても綺麗だったの。普段見ているものが見るところを変えるだけでこんなにも変わるなんてねぇ。本当に驚いたよ。私がふと見た先にあったあの景色は忘れられないねぇ。こんな綺麗なものを見れるならまだ生きてもいいかなぁと思っておばあちゃん頑張ったんよ。今でも見れたら見たいんだけどねぇ、なかなか見れなくて」
「それは、僕にも見れる?」
「もちろん、ヤスちゃんもいつか見れるといいね」
「僕も見たい」
おばあちゃんはまたニコニコと笑った。 もっと話を聞こうとしたのかもしれない、あるいは聞いていたのかもしれない。でも、これ以上は何も思い出せない。僕の光の河についての記憶の糸は残念ながらここで終わっている。その後、不思議な心持ちで夕食の膳に望んだことだけは覚えている。あの日食卓に並んだ湯豆腐。丁度秋の茗荷の季節ということもあって、ひいばあちゃんはいつものように食べる湯豆腐の上に紫色の茗荷を乗っけて食べていた。まだ冷奴でもいい季節だったが、体が冷えるからと絹ごしの豆腐を昆布の出汁であっためて湯豆腐にしていた。僕は小さかったから茗荷の苦さや生姜の風味が苦手で食べなかったけれど、ひいばあちゃんは実に美味しそうに絹ごしの滑らかな豆腐を食べるのだった。僕の父親は茗荷の乗っかった冷奴をツマミにビールを飲んでいた。それだけは覚えている。まだビールを飲んだことがわからないが、そんなに豆腐はツマミに合うのかどうか、未だに疑問に思う。だからかもしれないが、豆腐を口にするたびに、僕の光の河の記憶は甦る。もっと豆腐を食べたら思い出せるだろうか?いや、どうも思い出せそうにない。ただ雲をつかむような思いで今も探していることだけが事実としてあった。
ひいばあちゃんからもっと話を聞きたかったけど、僕が中学生になるちょっと前に亡くなってしまった。ひいおばあちゃんは死ぬ一日前、豆腐食べたいと言って湯豆腐を食べてなんとも穏やかそうな、満足したような表情をしていた。ひいばあちゃんは戦争のせいで口減らしのために家を出され、幼い頃から苦労して生きてきた。昔、漬物のつけ汁を飲んで生き延びたという話も聞いた。貧しい戦間期、戦後の食べ物の無い時期、曽祖母にとって豆腐が特別なご馳走だったのかもしれない。曽祖母は九十四まで生きて、最後はゆっくりと、苦しむこともなく死んでいった。ひいばあちゃん、どうか安らかに眠ってほしい。
そして僕は中学生に入ってから光の河を探し始めた。手がかりは何か掴んだような気もするが、未だにその正体はつかめていない。いつか、僕もひいばあちゃんの見た『光の河』をこの目で見てみたいとひたすらに願っていた。
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