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試行錯誤するA君編
143 ユークタワービル
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ユークアイランドの市街地の中心に位置するユークタワービルは、この帝国内でいちばんの高さを誇るビルで、年中観光客で賑わっている場所だ。展望デッキからは、ユークアイランドの島と海が一望出きる絶景だが、しかし、そういう観光スポットが家の近くにあると、逆に人はいかないものだ。
私もここに住んでいる割には、このビルに来たことが無かったが、今日は連合の会議が、このビルのVIPな人だけが入れる最上階で行われるので、ジェーンと共にやってきたという訳だ。勿論、我々はスーツ姿だ。ジェーンのスーツ姿はピシッとキマってて素敵だが、当の本人は青ざめた顔をしている。
「……お腹が痛いです。」
「ごめん。」
お腹を押さえながら、トボトボとタワー内部を歩くジェーンに何が起きているのか。それは昨夜私がジェーンのシャツをめくったまま抱きついて寝てしまったので、それで彼はお腹が冷えてしまったのだ……。
大事な会議の前に申し訳ないことをした。一応今朝、腹痛を抑える薬を二階に住むケイト先生に処方してもらったが、まだそれは効かないらしい。
因みにその時もやはり、当たり前のように、ケイト先生の背後にはクラースさんが居た。そんな一晩通して見張りをするなんて、ケイト先生とは進展してるのだろうか。あとその時、彼は赤いサマーニットのベストを着ていたが、それは以前ジェーンが編んで、彼にプレゼントした物らしい。貰った物を大事にするところが素敵だ。
私はジェーンとVIP階に繋がる関係者用のエレベーターに乗るべく、ボタンを押して到着を待った。観光客が使用するものとは別のエレベーターで、今は我々しかこの場に居ない。依然、腹に手を当てて苦しんでいる様子のジェーンに、私は聞いた。
「ねえ、大丈夫?」
「ええ大丈夫ですよ。」とは思えない程、苦痛に歪んだ顔をしているが、彼は即答した。「しかし、何か話題が欲しい。キルディア、何か話題を。」
「え!?話題……えっと、」どうしよう、じゃあこれだ。「昨日ジェーンはアイリーンさんに怒るって言ってたけど、やっぱりアイリーンさんには本当のことを言ったほうがいいのかな、あのサンプルはジェーンのじゃないよってさ。」
「ああ、その後色々と考えましたが、やはり黙っているべきだと結論付けました。丁度、私もその話をしようと思っていたところですよ、我々は本当に気が合いますね、相性が良いのです。」
「え?でも黙ってるとして、ジェーンと仲良くするなって言われたのに、私がそれを無視してたらさ、彼女納得しないんじゃないの?どうしてあなたは分からない!って私責められるかもしれない。」
「無視ですか、まあ良いです。そうなればその時にでも事実を言えばいい。私も加勢しますから、今は黙っていてください。まあ少し知識があれば、あの遺伝子情報を見た時に、あれが私でないことなど、すぐに分かるでしょうが、彼女は分かっていないようなので。折角ですから泳がせて、彼女の本来の目的が何なのか、探りましょう。」
私は頭をかいた。
「本来の目的ねぇ……私とジェーンが仲違いするのが目的なんじゃないの?彼女はジェーンを愛しているから。」
「そうだとは言っていましたね。果たして彼女の個人的な目的なのか、帝国の為の離間の計なのか知りません。ですが我々は彼女が想像している以上に仲睦まじいですから、それが今回の計算ミス……ぐっ。」
「ねえ大丈夫?トイレに……。」
と、ちょうどその時、エレベーターが来てしまった。ジェーンに「トイレ行けば?」と聞いたが、彼は首を振りながらエレベーターに乗ってしまった。
壁がガラス張りになっているタイプで、上がっている間も街の風景が見られるエレベーターだった。そしてこれは、物凄い速さで上昇しているらしい。今、エレベーターの自動アナウンスが教えてくれた。
外の景色を見ていると、我々はどんどんと、真っ青な快晴の空に向かっているのが分かった。これはすごい、体験したことのない上昇だ。私はガラスに手をついて、普段見られない景色を眺めた。
「キルディア、」
「ん?なあに?」
「マスタードに含まれる、辛味の元グルコシノレートは、キャベツに含まれる虫除けの成分と同じです。知っていましたか?」
「へえ知らなかった。流石ジェーン」と振り返ったが、彼はエレベーター内の手すりにつかまり、不自然に身体を丸めて、痛みに耐えていた。足はピンと立っているのに、腰から上がグダッとコンニャクのように前に垂れているので、今からエレベーターに入ってくる人は、謎のおしり星人と出くわすことになる。私は苦笑いで聞いた。
「ねえ、ちょっと大丈夫?もう出そうなんじゃないの?」
「……おばか、何を言いますか。この苦しみも、薬が効けば落ち着きます。それでは次です。全ての人間の赤ちゃんの泣き声は、全員共通してラの音で、音の高さは約四百四十ヘルツです。」
「ちょっとさあ、赤ちゃんの泣き声は~とかプチ知識披露してる場合じゃないでしょ。へえ、って思ったけど。」
ああ、少し景色を楽しみたいのに、後ろにいるおしり星人が話しかけてくる。きっとそうでもしないと彼は乗り切れないのだろう。途中で降りてトイレに行けばいいのに、もしや恥ずかしいのかな、まさかこんな一緒に暮らしておいて今更……などと考えていると、ジェーンがお腹を押さえて、息を荒くしながら言った。
「なるほど、なるほど……しかし、キルディア、考えてください。簡素化して伝えます。物理的に考えて、物体の速度が変化した時に、物体に生じるエネルギーのことを何と言いますか?」
「いきなり何を……うーんと、」
「早く、早く。」
「えっえっ……あれか、運動エネルギーじゃない?」
「はい正解です。それではその動いていた物体が止まった時に生じる、またはその物体に蓄えられるエネルギーのことを何と言いますか?」
「えっと、昔習ったなぁ。運動エネルギーとペアで覚えたのは確か、位置エネルギーだよね。」
「中々やりますね。」
よく見ると、ジェーンの手すりを持つ手がプルプル震えている。しかし何を急に、授業を始めているんだ。
「何で急にそんなこと、もしかしてそれと今の状態と、何か関係があるの?」
「おお、察しの良い。今、エレベーターは物凄い速さで上昇しています。」
「は、はい。」
「止まったらどうなりますか?」
「うーん、体に負担が掛かるのかな。」
「そうですね、まあエレベーターの方で緩めてくれますが、少しは体に力がかかります。」
「それがどうしたの?」
「……。」
ジェーンはこちらをチラッと見た。前髪が汗で濡れていて、眼鏡はずり落ちそうな角度で止まっているという、結構マズそうな表情をこちらに向けてきた。これはまずい。
「ちょっとさ、もしかしてエレベーターが止まった衝撃がトリガーになるって言ってる?」
「はっはっは……流石、私のパートナー。ご名答です。」
いやいやいや、それはまずい!幾ら何でも、この大事な会議の場所で、こんなVIPな場所で、こんな密室で……それはいけない!そんなのやだ!
「そんなに切羽詰まってたの!?だったら出そうって言って、トイレに行けば良かったでしょ!」
「何を言いますか、そんな、はしたないこと……グアア。」
「恥ずかしがってる場合じゃないでしょ……。」
私は今どの辺まで来ているのか、モニターを見た。あと十秒ほどなので、到着したらジェーンをお手洗いに連れて行けば良いよね。変に途中階で緊急停止すると、かえってエネルギーが生じて危険だよね?分からないけど、そんな気がする!
「あともうちょっとだから頑張って!そしたら歩ける?」
「耐えることは頑張ります、歩けはしません。はあ、はあ……パーカッシブショック、叩いて動く、熱原理、炙って動かす……。」
やばい。ジェーンが変な呪文を唱え始めた。しかしそれで彼の気が紛れるのならそれが一番だ。だが歩けはしないらしい。じゃあどうする?このまま彼を無理矢理歩かせたら、誰もが望んでいないことが起きるだろう!
そして遂に、エレベーターは目的の階に着いた。体がフワッと浮いて、少し沈んだ感じがした。おおお、確かに負荷が掛かったが、ジェーンは大丈夫だろうか、私は彼を見た、その時だった。
「……グアアア」
ジェーンが叫んで、お腹を押さえて床に手を付いた。そんなになるなら、本当に我慢しなきゃ良かったのに。しかし時間がない!私は一瞬で色々考えたが、他に方法が思い付かなくて、気合を入れてジェーンをお姫様抱っこして、エレベーターを出て、お手洗いに向かって走り始めた。
「うおおおお!」
「あれ?キルディアじゃないか!ジェーン様お久しぶりです!ああっ!」
曲がり角で偶然出くわしたのは、スーツ姿のスコピオ博士だった。彼に何か挨拶したかったが、今はそれどころではない。私は、「すみません!」と叫んで、その場を通り過ごした。
こんな、何で子守みたいなことをしなければならないのか。しかし私にも罪はある。私が彼のTシャツをめくったまま、一晩を明かしてしまったからなのだ。私は最高速度で必死に走った。
「うおおお」
「あら!?キリちゃんじゃないの!?」
会議室の前を通ったら、丁度ドアが空いて中から出てきたのは、向日葵のワンピースを着たミラー夫人だった。
「ミラーさん、また後でよろしくお願いします~!」
「はいは~い!あらまあ若いわねぇ……フッフッフ!」
もう色んな人に見られた。ユークタワーの、普段は入れないVIPな最上階まで来て、我々は何をしているのだろうか。懸命に走り続けていると、やっと男性トイレの前に着いた。私はジェーンを男性トイレの入り口で下ろそうとしたが、彼がいきなり叫んだ。
「グアア!」
「えっ!?な、なに!?」
今の怪物のような彼の悲鳴も、ラの音だったのだろうか。そんなことよりも、ジェーンが私の腕から降りようとせず、一向に私のジャケットの襟を掴んで離してくれない。
「な、何やってんの!?」
「ここで降ろさないで……多目的の方に連れて行って……早く!」
いつもの敬語はどうしたんだ!いや、彼はそれどころではないのだ。私はもう一度彼を抱き上げて、すぐ近くに多目的トイレを見つけると、ジェーンを抱っこしたまま中に入った。
その瞬間を丁度、男性トイレから出て来たジェームスさんに見られた気がした。私はジェーンをゆっくりと降ろした。彼は手すりに捕まって、ゆっくりと歩き始めた。
「ほら、ここで良いでしょ?」
「早く出て行ってください。」
「何なの」
私は言われる通り素早く外に出て、扉を閉めた。振り返るとやはり、そこにはいつもの青ローブとは違った、グレーのスーツ姿のジェームスさんが立っていた。濡れた手をハンドタオルで拭いている。
「……一体、どうしたんです?」
「彼は位置エネルギーに負けるところでした。放って置いて欲しいらしいので、先に行きましょう。」
「は、はあ。」
私は乱れたジャケットを羽織り直して、ジェームスさんと一緒に会議室に向かった。
私もここに住んでいる割には、このビルに来たことが無かったが、今日は連合の会議が、このビルのVIPな人だけが入れる最上階で行われるので、ジェーンと共にやってきたという訳だ。勿論、我々はスーツ姿だ。ジェーンのスーツ姿はピシッとキマってて素敵だが、当の本人は青ざめた顔をしている。
「……お腹が痛いです。」
「ごめん。」
お腹を押さえながら、トボトボとタワー内部を歩くジェーンに何が起きているのか。それは昨夜私がジェーンのシャツをめくったまま抱きついて寝てしまったので、それで彼はお腹が冷えてしまったのだ……。
大事な会議の前に申し訳ないことをした。一応今朝、腹痛を抑える薬を二階に住むケイト先生に処方してもらったが、まだそれは効かないらしい。
因みにその時もやはり、当たり前のように、ケイト先生の背後にはクラースさんが居た。そんな一晩通して見張りをするなんて、ケイト先生とは進展してるのだろうか。あとその時、彼は赤いサマーニットのベストを着ていたが、それは以前ジェーンが編んで、彼にプレゼントした物らしい。貰った物を大事にするところが素敵だ。
私はジェーンとVIP階に繋がる関係者用のエレベーターに乗るべく、ボタンを押して到着を待った。観光客が使用するものとは別のエレベーターで、今は我々しかこの場に居ない。依然、腹に手を当てて苦しんでいる様子のジェーンに、私は聞いた。
「ねえ、大丈夫?」
「ええ大丈夫ですよ。」とは思えない程、苦痛に歪んだ顔をしているが、彼は即答した。「しかし、何か話題が欲しい。キルディア、何か話題を。」
「え!?話題……えっと、」どうしよう、じゃあこれだ。「昨日ジェーンはアイリーンさんに怒るって言ってたけど、やっぱりアイリーンさんには本当のことを言ったほうがいいのかな、あのサンプルはジェーンのじゃないよってさ。」
「ああ、その後色々と考えましたが、やはり黙っているべきだと結論付けました。丁度、私もその話をしようと思っていたところですよ、我々は本当に気が合いますね、相性が良いのです。」
「え?でも黙ってるとして、ジェーンと仲良くするなって言われたのに、私がそれを無視してたらさ、彼女納得しないんじゃないの?どうしてあなたは分からない!って私責められるかもしれない。」
「無視ですか、まあ良いです。そうなればその時にでも事実を言えばいい。私も加勢しますから、今は黙っていてください。まあ少し知識があれば、あの遺伝子情報を見た時に、あれが私でないことなど、すぐに分かるでしょうが、彼女は分かっていないようなので。折角ですから泳がせて、彼女の本来の目的が何なのか、探りましょう。」
私は頭をかいた。
「本来の目的ねぇ……私とジェーンが仲違いするのが目的なんじゃないの?彼女はジェーンを愛しているから。」
「そうだとは言っていましたね。果たして彼女の個人的な目的なのか、帝国の為の離間の計なのか知りません。ですが我々は彼女が想像している以上に仲睦まじいですから、それが今回の計算ミス……ぐっ。」
「ねえ大丈夫?トイレに……。」
と、ちょうどその時、エレベーターが来てしまった。ジェーンに「トイレ行けば?」と聞いたが、彼は首を振りながらエレベーターに乗ってしまった。
壁がガラス張りになっているタイプで、上がっている間も街の風景が見られるエレベーターだった。そしてこれは、物凄い速さで上昇しているらしい。今、エレベーターの自動アナウンスが教えてくれた。
外の景色を見ていると、我々はどんどんと、真っ青な快晴の空に向かっているのが分かった。これはすごい、体験したことのない上昇だ。私はガラスに手をついて、普段見られない景色を眺めた。
「キルディア、」
「ん?なあに?」
「マスタードに含まれる、辛味の元グルコシノレートは、キャベツに含まれる虫除けの成分と同じです。知っていましたか?」
「へえ知らなかった。流石ジェーン」と振り返ったが、彼はエレベーター内の手すりにつかまり、不自然に身体を丸めて、痛みに耐えていた。足はピンと立っているのに、腰から上がグダッとコンニャクのように前に垂れているので、今からエレベーターに入ってくる人は、謎のおしり星人と出くわすことになる。私は苦笑いで聞いた。
「ねえ、ちょっと大丈夫?もう出そうなんじゃないの?」
「……おばか、何を言いますか。この苦しみも、薬が効けば落ち着きます。それでは次です。全ての人間の赤ちゃんの泣き声は、全員共通してラの音で、音の高さは約四百四十ヘルツです。」
「ちょっとさあ、赤ちゃんの泣き声は~とかプチ知識披露してる場合じゃないでしょ。へえ、って思ったけど。」
ああ、少し景色を楽しみたいのに、後ろにいるおしり星人が話しかけてくる。きっとそうでもしないと彼は乗り切れないのだろう。途中で降りてトイレに行けばいいのに、もしや恥ずかしいのかな、まさかこんな一緒に暮らしておいて今更……などと考えていると、ジェーンがお腹を押さえて、息を荒くしながら言った。
「なるほど、なるほど……しかし、キルディア、考えてください。簡素化して伝えます。物理的に考えて、物体の速度が変化した時に、物体に生じるエネルギーのことを何と言いますか?」
「いきなり何を……うーんと、」
「早く、早く。」
「えっえっ……あれか、運動エネルギーじゃない?」
「はい正解です。それではその動いていた物体が止まった時に生じる、またはその物体に蓄えられるエネルギーのことを何と言いますか?」
「えっと、昔習ったなぁ。運動エネルギーとペアで覚えたのは確か、位置エネルギーだよね。」
「中々やりますね。」
よく見ると、ジェーンの手すりを持つ手がプルプル震えている。しかし何を急に、授業を始めているんだ。
「何で急にそんなこと、もしかしてそれと今の状態と、何か関係があるの?」
「おお、察しの良い。今、エレベーターは物凄い速さで上昇しています。」
「は、はい。」
「止まったらどうなりますか?」
「うーん、体に負担が掛かるのかな。」
「そうですね、まあエレベーターの方で緩めてくれますが、少しは体に力がかかります。」
「それがどうしたの?」
「……。」
ジェーンはこちらをチラッと見た。前髪が汗で濡れていて、眼鏡はずり落ちそうな角度で止まっているという、結構マズそうな表情をこちらに向けてきた。これはまずい。
「ちょっとさ、もしかしてエレベーターが止まった衝撃がトリガーになるって言ってる?」
「はっはっは……流石、私のパートナー。ご名答です。」
いやいやいや、それはまずい!幾ら何でも、この大事な会議の場所で、こんなVIPな場所で、こんな密室で……それはいけない!そんなのやだ!
「そんなに切羽詰まってたの!?だったら出そうって言って、トイレに行けば良かったでしょ!」
「何を言いますか、そんな、はしたないこと……グアア。」
「恥ずかしがってる場合じゃないでしょ……。」
私は今どの辺まで来ているのか、モニターを見た。あと十秒ほどなので、到着したらジェーンをお手洗いに連れて行けば良いよね。変に途中階で緊急停止すると、かえってエネルギーが生じて危険だよね?分からないけど、そんな気がする!
「あともうちょっとだから頑張って!そしたら歩ける?」
「耐えることは頑張ります、歩けはしません。はあ、はあ……パーカッシブショック、叩いて動く、熱原理、炙って動かす……。」
やばい。ジェーンが変な呪文を唱え始めた。しかしそれで彼の気が紛れるのならそれが一番だ。だが歩けはしないらしい。じゃあどうする?このまま彼を無理矢理歩かせたら、誰もが望んでいないことが起きるだろう!
そして遂に、エレベーターは目的の階に着いた。体がフワッと浮いて、少し沈んだ感じがした。おおお、確かに負荷が掛かったが、ジェーンは大丈夫だろうか、私は彼を見た、その時だった。
「……グアアア」
ジェーンが叫んで、お腹を押さえて床に手を付いた。そんなになるなら、本当に我慢しなきゃ良かったのに。しかし時間がない!私は一瞬で色々考えたが、他に方法が思い付かなくて、気合を入れてジェーンをお姫様抱っこして、エレベーターを出て、お手洗いに向かって走り始めた。
「うおおおお!」
「あれ?キルディアじゃないか!ジェーン様お久しぶりです!ああっ!」
曲がり角で偶然出くわしたのは、スーツ姿のスコピオ博士だった。彼に何か挨拶したかったが、今はそれどころではない。私は、「すみません!」と叫んで、その場を通り過ごした。
こんな、何で子守みたいなことをしなければならないのか。しかし私にも罪はある。私が彼のTシャツをめくったまま、一晩を明かしてしまったからなのだ。私は最高速度で必死に走った。
「うおおお」
「あら!?キリちゃんじゃないの!?」
会議室の前を通ったら、丁度ドアが空いて中から出てきたのは、向日葵のワンピースを着たミラー夫人だった。
「ミラーさん、また後でよろしくお願いします~!」
「はいは~い!あらまあ若いわねぇ……フッフッフ!」
もう色んな人に見られた。ユークタワーの、普段は入れないVIPな最上階まで来て、我々は何をしているのだろうか。懸命に走り続けていると、やっと男性トイレの前に着いた。私はジェーンを男性トイレの入り口で下ろそうとしたが、彼がいきなり叫んだ。
「グアア!」
「えっ!?な、なに!?」
今の怪物のような彼の悲鳴も、ラの音だったのだろうか。そんなことよりも、ジェーンが私の腕から降りようとせず、一向に私のジャケットの襟を掴んで離してくれない。
「な、何やってんの!?」
「ここで降ろさないで……多目的の方に連れて行って……早く!」
いつもの敬語はどうしたんだ!いや、彼はそれどころではないのだ。私はもう一度彼を抱き上げて、すぐ近くに多目的トイレを見つけると、ジェーンを抱っこしたまま中に入った。
その瞬間を丁度、男性トイレから出て来たジェームスさんに見られた気がした。私はジェーンをゆっくりと降ろした。彼は手すりに捕まって、ゆっくりと歩き始めた。
「ほら、ここで良いでしょ?」
「早く出て行ってください。」
「何なの」
私は言われる通り素早く外に出て、扉を閉めた。振り返るとやはり、そこにはいつもの青ローブとは違った、グレーのスーツ姿のジェームスさんが立っていた。濡れた手をハンドタオルで拭いている。
「……一体、どうしたんです?」
「彼は位置エネルギーに負けるところでした。放って置いて欲しいらしいので、先に行きましょう。」
「は、はあ。」
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