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一つ目のパーツが入手困難編

25 人は一人じゃない

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 日に日に、研究所へ向かう足取りが、重くなっていくのを感じる。ああ、姉さんの言う通りに、ここ数日間を使い、内緒で、いつでも逃げられるように、荷物をまとめたけれど、その荷物を担いで走る日が来ないことを、切実に願うばかりだ。

 でも、もう無理かもしれない。あの後、ネビリス皇帝の倫理観を調べてみたけれど、姉さんの言っていた以上に、私たちのことを彼は嫌っている様子だった。この髪、この肌、眉も瞳も、全ての色の何が悪いのだろう。同じ人間であることに変わりは無いのに。大体ライオンとか動物だったら重宝されて可愛がられるのに、どうして同じ人間だったらダメなのだろう。

 何度考えても酷すぎる状況に、ため息を何度もつきながら、いつものように研究所で白衣を羽織った後に、ロビーへと向かった。

 もうこの際、全てをキリーにだけ、話してみようかな。でも姉さんに怒られるから、やめておこう。研究所に着くと、堂々巡りの考えになってしまう。キルディアの名前が刻印されている、銀のプレートの掛けられた扉の前を通るたびに、全てを暴露したい気にかられては、胸の中に必死にしまいこむ。またため息をついて、ロビーへと着いた私は、リンさんからお茶と新聞を受け取った。

「おはようございます、リンさん。ありがとう。」

「おはよアリス!」羨ましいほどに元気な声だ。「謎すぎる情報。」

 確かに、新聞の一面には『議員 最先端のカツラを装着』と書かれていた。たまに企業とのタイアップ記事を載せるから、こんなことになったんだろうけど、金さえ払えば、こんなくだらないことでも一面に出来る世の中なんだ。はあ、そんなくだらない世の中だからこそ、私たちは不平等な扱いを受けるんだ。そんな考えは頭に閉まっておいて、リンさん用の返事をした。

「……暇なのかな。」

「ね!最先端のカツラとか、一面にするほどのことでも無いのに!まあ確かに、ちょっと気になるかもしれない、ほらタージュ博士にオススメしたら、タージュ博士のお洒落の幅も広がるだろうし……そうじゃ無い。そうじゃ無いよ、もっとネビリス皇帝が、どのような政策をしたとか、サウザンドリーフの村がどうなってるとか、一面に書けばいいのにね。」

「……うん、そうですね。この記事を書いた人は、平和そうで羨ましいな。」

 リンさんが黙ってしまったので、それ以上は新聞を読むのをやめて、カウンターに置いて、その場から去った。途中まで、リンさんの視線を背中に受けているような感じがした。きっと最近は自分でも分かるほどに元気無いから、皆に何か噂されてるかもしれない。今まではリンさんと同じぐらい元気だったのに。

 研究開発班のエリアの通路を歩いてすぐの所に、私たちの研究室がある。ここに来るのは、あと何回なんだろう、そう思いながら、ウォッフォンでロックを解除して中に入ると、珍しいことに研究室のソファにはジェーンが座っていて、ティーカップに口を付けていた。匂いからして、アップルティーだった。

「あ、おはようございます。アリス。」

「おはようございます。」何でいるんだろう。「珍しいですね~部長がここにいるなんて。今日はキ……ボスと一緒じゃ無いんですか?いつも朝はボスのオフィスにいるのに。今日は暇なんですか?」

 私が自分の机にカバンを置いて振り返ると、何故かジェーンが研究室のシンクのところで、ランプとビーカーを使ってお湯を沸かし、紅茶の紙パックを入れていた。作業台に置かれた彼のカップには、まだ紅茶が入っていて湯気を放っている事から、今入れているのは私の分だと思った私は、慌てて言った。

「え、え、いいですよ。私さっきリンさんから、お茶もらいましたから。」

「まあまあ」と、彼は私のカップにお茶を注いだ。「少し、あなたとお話をしたいと思っています。」

 カップを作業台の上に置いたジェーンが、今度は彼の机の引き出しから、赤い缶の箱と、実験用の受け皿であるシャーレを取り出して、缶から小さいクッキーを数枚取って、シャーレに入れて、それも作業台へと置いた。この状況は何なんだろう、ちょっと怖い。

「ありがとうございます……。」と、取り敢えず礼を言って、立ったままお茶を飲むと、彼も作業台に置いてあった自分の紅茶に、もう一度口を付け、それから言った。

「アリス。」

「何ですか?また設計図に、変な点がありました?」

「ああ、あの設計図は良く出来ていましたよ。」

 ジェーンは私の机の上にある、下書き段階の設計図を指差した。私はため息をついた。

「ええ?また勝手に見たんですか?」

「まあ同じ研究室ですし、それが広げて置いてあれば、自動的に視界に入ります。外に出て空を全く見ない人間などいるでしょうか?それと同様に、ごく自然に視界に入りました。」

「そ、そうですか、了解。じゃあ今度から、閉じて置いておけばいいんですね。」

「それはそうと」

 ジェーンは改まった様子で、カップを作業台の上に置いた。どうしたのか、彼が真剣な表情で、じっと私を見つめている。もしかして、あろうことか、この若さの私のことを私的に気に入っているんだろうか。よく考えれば彼の容姿は、ずば抜けているし、経歴も申し訳ないだろうし、きっと貯金もあるだろう。

 となると、将来的には……この辺りで豪邸に住めるかもしれない。そう考えるとアリだけど、でも今の私は、彼にふさわしく無い人間なのだ。普通の人間としての土台にも立てていない、不安定な状況だ。でもワンチャンかけて彼のことを少し褒めておこ。

「何です?そう言えばジェーンさんって、帝国研究所の所長だったんですよね、すご~い。」

 アプローチって、これでいいのかな?疑問に思いながら発した言葉を、彼は無表情で黙って聞いていた。少しも笑ってくれなかったので、恥ずかしくった私は、すぐにでも人生を終えたくなった。

「あなたに褒められるとは予想外でした。ありがとうございます。お聞きしたいことがあります。」

「何ですか?」

 そして暫くの間、沈黙が流れた。その間に私は二、三度ティーカップに口を付けた。聞きたいことがあると言う割には、何も言おうとしない。もしかして、私と姉さんの計画を知っているのだろうか。それは無い、きっと無い筈だ。その件については誰にも話していないし、自宅でしか姉さんとその話はしない。何の証拠もないのに、いくら彼が聡いからといって、そこまで推測出来る訳が無い。

 そして遂に、彼が意を決した表情なり、私に言った。

「どうしたの?」

「え?」

 何で急にタメ口になったんだろう。それに、何に対してどうしたの?と聞いたんだろう。ちょっと意味が分からないので、素直に彼に聞いた。

「どうしたのって、どうって、何がです?」

「ふむ……。」

 親指と人差し指で、顎を挟むように撫でながら、ジェーンが考え始めて、すぐに何か思いついたのか、彼が作業台に少し寄りかかるように座ってから、言った。

「あなた、見た目は十四歳です。」

「何ですかそれ。まあ、その通りですし。」

「今日は髪の毛を下ろしていますが、時々二つ結びにしますね?そして背丈も、同性のリンやキルディアよりも低いです。」

「は、はい?」彼が言おうとしている意味が分からなすぎて、大げさに目をパチパチさせた。

「つまり私の言いたいことは……通常の十四歳について、私はそれほどの知識がございません。幼い頃から、私は勉学に打ち込みすぎて、他者との交流を深めるようなことは、しなかったものですから。だが、その私が考えても、一般的な十四歳の年齢の人間は、大人からすれば元気があるように見えるかと思います。しかし今のあなたは比較的、元気がないように見えるのです。」

 もしかして、最近元気がない私を心配してくれているのかもしれない。そう思った時に目が一気に熱くなるのを感じて、目を逸らした。

「何か、理由があるものと思い、尋ねました。相談相手が私では力不足かと思います、それに私はあなたに嫌われていますから、その点においても話したいと思わないかと。しかし私はあなたの上司でもありますから、その事情を伺いたいと思いました。どうしたの?」

 その唐突なタメ口は何なんだろう。すごく気になるけど、それを指摘しようと思って、口を動かそうとすると、涙がこぼれそうで困った。でもまあ、心配はしてくれたんだ。私は頑張って、堪えながら答えた。

「ちょっと色々あったんです。でも別に大したことじゃないんです。大丈夫。」

「森の件ですか?」

「え?誰から聞いたの?」

「誰にも聞いていません。」彼が作業台に座ったまま、私をじっと見つめて話し続けた。「森の一件が報じられてから、あなたの元気が無くなりました。関連性があるものと思われます。違いますか?」

 ジェーン……意外と鋭い。この流れで、彼に本当のことを全て話したら、どんなに気持ちが楽になるだろうか。でも人はいつ裏切るか分からないという姉さんの意見が、私の喉に蓋をした。人生で、こんなにも追い詰められた経験は無かった。実際には追い詰められていないけど、言いたくても言えないということが、どれほど辛いことなのか、今、身をもって学んだのだ。

 もうやだ。もう逃げよう。私は答えた。

「何でもないです……少し、調査部の休憩室に行ってきます。」

 それだけ伝えて、私は研究室の扉へと向かい、認証パッドにウォッフォンを翳した。しかしロックは、赤いランプがずっと点いていて、解除されなかった。早くしないと、涙を流しているのがばれてしまう。でも何回かざしても開かないのだ。どうして?私は少しパニックになりながらも、取手を引いたが、扉はガコガコと音を立てるだけで動かない。

「え?何で?もうやだ……」

「ああ、それですか。先程、暗証コードを変更しました。過去の経験からして、あなたはどうも逃亡癖があるようなので。」

「ええ!何それ!ジェーン、それもう監禁だよ……」

  私はとうとう、我慢出来ずに、膝から泣き崩れた。私の様子を見たジェーンは、眼鏡の奥の目を一瞬大きく開いて、すぐに私の元へと駆け寄ってくれて、私のそばに座った。

 「アリス、怖がらせましたか?すみません。」

 「違うってば……うああ!」

  ジェーンに抱きついた。彼の白いシャツが私の涙で染まっている。彼も私を優しく抱きしめ返してくれた時に、また涙が大きく溢れてしまった。今だけは、彼の大きな体に守られている気がして、それが私にとっては、ここ数日間まともに感じることの出来なかった安堵の瞬間で、二度とそれを失いたくないと思った私は、力一杯、彼のシャツを掴んだ。
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