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第44話 忘れ物

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 初夏の陽気が校庭を包んでいる。もうこの学園に来て6ヶ月が経つ。グリーンクラスにも慣れてきて、リュウだけでなくグレッグやマーヴィンとも休日になると遊ぶようになった。

 タライさんにゲームの仕方を教えてもらったのが幸いだったのか、彼らもよくゲームをして遊ぶので何とか付いていける。そのゲームも大体は誰か一人が持っていれば皆プレイできる良心的なものだったので、お金が無くても大丈夫だったのだ。

 家森先生とのお弁当生活も相変わらず続いていて、週末になるとお昼一緒に食べたりお夕飯一緒に食べたりするようになった……そして帰りには毎回キスしてくれる。それは嬉しいけど、彼女でもないのにとたまに思ってしまうときがある。

 ……いいんだ、ヒイロ。もし彼がその先の関係を望んでいたとしても昔の自分を知らないまま先には進めない。もし過去の私が結婚してたらどうする?もし親や兄弟が極悪人だったらどうする?そうなれば被害に遭うのは家森先生の方かもしれないし、それは避けたい。今のままでいいんだと自分に言い聞かせることにした。

 因みに先週末も家森先生にお食事や部屋で一緒に過ごすことに誘われたけど、グレッグ達とゲーム大会があったので断った。グレッグの部屋でPCを持ち寄ってゲームをしているとベラ先生からメールがあって、一度ピアノを聞かせて欲しいとのことだった。

 なので今日の放課後はベラ先生に頼まれて先日コンテストに送ったピアノの曲を音楽室でお披露目する予定がある。もちろんと言っていいのか、家森先生とタライさんも来てくれるらしい。ちょっと緊張してしまう。

 放課後のことで頭が一杯な私は今、校庭のど真ん中で体育座りをしている。今日の体育の授業は長距離走で、女子の私は他の男性陣よりも早く走りを終えてグラウンドの真ん中で休んでいたのだ。まだ走り続けているみんなのことを眺めていると隣に走り終えたグレッグがヘロヘロとやってきた。

「ひゃ~もう無理……なあヒイロ!」

「え?」

「今日さ月曜だから、この後に音楽があって光魔法学で終わりじゃん?光魔法学の宿題やった?」

 一気に血の気が引いた。何それ。そんなのあったっけ!?私の様子を見ていたグレッグが笑いながらバンバン肩を叩いてきた。

「そうだよな!マーヴのやつに聞いてもリュウに聞いても誰もやってないって言うんだもん。もうみんなでやってなかったってことにしようぜ?」

「え!?それはちょっと……やばいんじゃないの?」

 私は焦りながら言ったけどグレッグはそうかな、と悪びれた様子もない。すると背の高いマーヴィンがマラソンを終えてその細い体で息を切らしながら近づいてきた。

「はあ、はあ……みんな、まじでやってないよ。ヒイロが、やってても、他全員やってないし、そうなったら流してくれるんじゃね?はぁ、はぁ」

 ……そうやって流すような先生だろうか、光魔法学の担当は。ちょっとまずくない~?すごいまずい気がする。こう言うところがグリーンクラスのいけないところだと、こんな私でもそう思うよ。ところで……

「ちなみにその宿題って何?」

 私の質問にマーヴィンが答えた。彼はいつも知ってることなら率先して教えてくれる、お兄ちゃんタイプだ。

「確かね、セルパーティクルラインの変動率をグラフにまとめてこいって話だった気がする。グラフすら用意してないもん俺。はっはっは!」

 はっはっは、とグレッグも反応すると、少しうるさくなったのかベラ先生が授業に集中しなさいと彼らを叱った。私は含まれてないよね?

 しかしやばいな。グラフか。私は奇跡的に持っているけど、ここで私だけ宿題をやってしまえばお前抜け駆けするなよ!ってなってしまうだろう。さすれば彼らのことだ、もしかしたら皆に羽交い締めにされて寮の廊下のはじでボコボコにされてしまうかもしれない……あああ!

「ああああ~!」

 私はその恐ろしい結末に天を仰いだ。しかし、宿題をみんなと一緒にやってなかった時のことを考えようか。みんなやってませ~んってしらを切ったらきっと家森先生のことだからぶちギレるだろうな。

 だっていつも宿題をやってない人がいると何故出来なかったか詰問したり、その日は全部忘れた人にばかり何か質問して答えさせたり、立たせて謝罪のスピーチをさせたりする……。そう、彼は超ドSなのだ。タライさんの言ってたことは正しかったのだ。

 そんな彼にクラス全員で忘れましたなんて言った日には、もう太陽を我々に落としてくるぐらいの制裁をしてくるんじゃないだろうか。

 それに先日だって有機魔法学のでっかい宿題を忘れてて彼に助けてもらったのにまた光魔法学でも宿題を忘れるなんて……そんな人だとは思いませんでした、と言って後で幻滅されて距離を置かれてしまうかもしれない。うん、それは結構濃厚だと思う。そして優等生のマリーと仲良くするんだ……。

「ああああ~!」

 私はまた天を仰ぎまくった。そんなの耐えられない~!しかしみんなを裏切ることも出来ない~!

 ベシッ

「いた」

「何しているのよヒイロ、さっきから自分一人の世界に入らないでちょうだい。ふふ」

 ベラ先生に怒られてしまったし、見てるみんなは笑っている。どうしよう、どうしよう……今からやって間に合う?いや無理だ。次は音楽だから皆それぞれ楽器を使うし……その後すぐ光魔法学だもん。あ!そうだ。

 ワンクッション置いたらどうだろう。音楽が終わって音楽室からグリーンクラスに帰るときに、必ずと言っていいほどに家森先生はレッドクラスの前で女子たちに囲まれて質問責めにあっている。そのときにチラと予告すればいいのでは?これはいい案かもしれない……!

 以前PCで交渉人という映画を見たときに、相手が飲みそうにない条件を出したいときは軽くワンクッションを入れればいいと聞いたし。そうだ、そうしよう。私はリュウに近づいて小声で話しかけた。

「ねえねえ」

「何?ヒイロ」

「宿題やってないでしょ?」

 リュウは苦い顔で頭を掻きながら頷いた。よしよし。

「音楽の後にさ、家森先生にワンクッションぶつけたいからちょっと協力して。」

「え!?俺やだよ。もう今日はどうやって皆を盾にして逃げきろうかそれだけを考えていたんだから。」

 なんて薄情者だ!貴様ァァ!私はリュウのお尻をぐちゃっと握りつぶした。

「……いギャッ!……もう分かったよ。でもいつも家森先生ってマリーたちに囲まれてんじゃん。どうやって……。」

「リュウの彼女さんに頼んでよ……なんだっけ」

「リサ?」

「そうそう!リサちゃん。」

「無理だよあいつ……ちょっとサイコだもん。」

 何それ……。

「サイコって何?」

「うーん、ちょっとぶっ飛んだ性格ってこと。俺の言うこと聞くようなやつじゃないよ」

 なるほど、そう言う感じの人のことをサイコって言うんだ。メモメモ。

「じゃあどうにか私があの輪の中に入るよ。そんで皆が質問している中で私だけチラッとワンクッション置く。それでいいよね!」

「何それやばい。ちょっと動画とるわ。」

 リュウがニヤニヤ笑いながら言った。そうだ、数ある質問の中に紛らせてしまえば丁度いいサイズのワンクッションになるはず!よしこれで行こう!私は小さくガッツポーズをした。



 音楽の授業が終わった。

 ゾロゾロとグリーンクラスの皆が音楽室から出て行く……ああ、放課後もここにくるのか。それはもし家森先生がおこじゃなかったらだけど。私もテキストを持って出て行こうとするとシュリントン先生に声を掛けられた。

「ヒイロちょっと」

「はい?」

 今日のちょび髭はいつもよりボリューミーだ。何があったのか気になるけど聞ける勇気はない。

「今日の放課後ピアノ使うんだってね。まあなかなか上手いと思うから自信を持って聞かせてあげなさい。私が教えた技術を使ってね。」

「はいわかりました。それでは」

 私は切り上げて音楽室を出た。私が教えた技術って……確かに色々教えてもらったけど、教えられた瞬間すぐに出来たものばかりだ。きっと以前の私がピアノをある程度弾けたんだと思う。だからあまりシュリントン先生のおかげだとは思っていない。

 廊下に出るとリュウがちょっと離れたところのレッドクラスの前を指差した。

「いるいる!今日も!ヒイロあの中入れんの!?」

「……入るしかないよね」

 それはもう大バーゲンセール並みに家森先生がもみくちゃにされながら質問に答えている。あの中に入っていかないといけないが、逆にあれぐらい活気があったほうがちょっと小耳に挟めるぐらいに出来る気がする!よし……やるしかない!

「うおおおお!」

 ヒイロいけー!と言うリュウの応援を背に私はハイハイと手を上げるレッドクラスの女子の中に突っ込んでいった。彼女たちは私が入ってきたのが分かるとえ?と驚いて私を見る。

 そうだよね、レッドローブの中に一人だけ黒いTシャツ赤い髪の女が紛れてきたんだから普通に目立つし、レッドクラスでもないのに彼女たちに紛れてるんだからその点でも普通に目立つ。

「それでは先ほどの説明でもあったように融合する場合は振動数を利用すればいいんですか?」

 家森先生の正面に立つマリーの質問が聞こえる。今私は家森先生の側面にいる。これはいいポジションだ!さらっと小耳に挟んでしまえる!マリーずるいと言わんばかりに他の女子のハイハイ!が大きくなる。こりゃ大変だ。

「そうですね、時と場合にもよりますが大体は魔道書に載っている表を参考に振動数を調整していただけば光魔法としては上出来だと思います。」

 よし!応答終わった!私も他の女子にならって手を挙げた。

「ハイハイ!」

 もうこれは辛い。笑ってしまう。何をしてるんだか。そしてぐるりと家森先生が女子たちの顔を見てどの子を当てようか考えているときについに私と目が合った。一瞬で彼の瞳が大きくなった。

「ヒイロ……何を?」

「ハイハイ!」

 あ、別に当てられてないけどこっち見つめているし、もう話してみよう。次は私よと盛り上がる会場の中で、私は家森先生に報告した。

「グリーンクラスですが、ちょっとみんな宿題をしていないんです。だから皆申し訳ないと思ってます。それを踏まえてグリーンクラスにお越しください……以上です。ごめんなさい。」

 私は言い切ってその場を離れていくことにした。中に入るのは大変だったが外に出るのは簡単だった。人混みから脱出すると動画を撮り終えたリュウが私の肩をポンと労いの叩きをした。

 どうだろう……ちょっと家森先生を見てみよう。振り返ると彼は次の生徒の質問に今までに見たことないくらいのニッコリとした笑顔で答えていた。あの笑顔はやばい。

「あの笑顔はやばいな……」

 リュウも何か悟ったようだ。私は廊下の豪華な装飾を眺めながら言った。

「ああ……リュウ、我々はもう生きて帰ることは出来ないかもしれない。」

「そうだな。ヒイロ今までありがとうな。」

 ……我々はグリーンクラスにトボトボと歩いて向かったのだった。



 ガラッ

 授業の始まる3分前にグリーンクラスに家森先生がやってきた。しかしいつもと同じ雰囲気だ。彼は教壇に立ってファイルを開いて何かを書き込んでいる。

 私は後ろに座るマーヴィン、その隣のグレッグを見た。もうあれしかないと彼らはコクっと頷いた。

 そして我々は授業が始まる前に話し合っていた通り、皆でその場で土下座した。

「……なんの真似ですか。」

 家森先生の声が聞こえた。ほら、マーヴィン。あなたグリーンクラスをいつもまとめてるじゃないの、話しなさいよ。そう思っているとやっぱり彼が声を発した。

「家森先生、宿題やってなくて申し訳ございませんでした。」

『申し訳ございませんでした』

 クラスに皆の声が響いたところで始まりのチャイムが鳴った。

「……皆さん顔をあげてください。そして席に座るように。」

 家森先生の指示に皆は素直に従う。私も席に座った。教壇のところで我々を見つめる彼の瞳はいつになく冷ややかなものだった。

「気持ちのない謝罪などいりません。ゲームをする時間があっても、宿題をする時間はなかったようですね。グリーンクラスがここまで落ちぶれたものだとは思いませんでした。」

 ……めっちゃ怒ってる。するとマーヴィンが私の椅子の足を蹴ってきた。多分なんで休日にゲームしてたのを話したんだよ、と言う意味だと思う。話したって言うか、なんと言うか。でも宿題を忘れていたのは事実だし、私はダメだと思う。本当に。

「まあ過ぎたことを言っても仕方ありません。繰り返さないように。それと全員補習を受けるように。前期の期末テストが近いので、補習はテストが終わってからと言うことになると思います。はあ……全く。今日の授業はその宿題をやってきたていで進めたかったのですが、どうしましょうか……またグリーンクラスは遅れますか。仕方ありません、今職員室に行ってグラフを取ってくるのでこの授業内にその宿題を終わらせてください。グラフない人はどれくらいですか?」

 私以外の全員が手を挙げたのを見て、家森先生がまたため息を吐いた。眉間に皺も寄せている。

「……そうですか。わかりました。それでは取ってきます。この時間ぐらいテキストを読んで過ごし、サボるようなことはしないでくださいね。」

 ガラッ

 家森先生が消えていった。もう終わった。ワンクッションも意味なかった今、その行為自体がマイナスの印象を与えているだろう。もう終わった。もうこれ以上は家森先生とハグしたりキスしたりすることもないのかもしれない……ああ終わった。私は机にこうべを垂れた。

 グリーンクラスと言えども、この時ばかりは家森先生が帰ってくるまで皆静かにしていた。
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