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76 幸せな朝

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 もう朝だった。髪の乱れたジェーンはまだぐっすりと眠っていたので、彼のおでこに優しくキスをして静かにベッドから降りた。


 結局窓の外が明るくなるまでお互いに……。この怠さに少し後悔してるけど、でも満足感の方が大きい。


 今日はまた合同訓練の日なので、クローゼットから訓練用の軽装備を出して着替えた。彼を起こさないように、留め具が鳴らないようにそっとはめた。


 ベルトを締めて、その時にスノークリスタルの指輪が目に入った。薬指に清らかに輝いている指輪をただ見つめてしまった。いけないいけないと頭の中で自分を叱って、腕当てをつけている時に背後から声がした。


「もう支度を?おはようございます。」


 私は振り返らずに答えた。


「うん。今日は合同訓練だからちょっと早い。ゆっくり寝てていいよ、おはようございます。」


「……昨日のあなた、情熱的でした。ベッドに押し倒されたかと思えば、私の胸を噛みちぎるような激しさで……。あまりの刺激に、私は呼吸をするのがやっとな程に、とても興奮しました。一体それを、どこで学んだのでしょうか?」


「ぶっ」


 あの卑猥な動画以外に学んだものはない、私も昨日は止まらなくて、本能の赴くままにやっただけなのだ。


 魔族の血のせいかもしれない。きっとそうだ。じゃあお父さんのせいだ。そう思うことにして、ジェーンの問いには回答せずに、無言で腕に防具をつけた。


 するとジェーンが背後から抱きついてきた。「おっ」と上擦った声が出てしまった。


「最後の方に、私のことをずっと、大好きとか、愛しているとか、仰っていました。私は信じられないくらいに、この胸にとても熱い気持ちを抱きました。」


「ジェーンの方が言ってたよ……大好き、愛してるって、ずっと言ってた。だから我々、録音してたら愛の囁きのジュークボックスだっただろうね。」


「ふふ、その通りです。……腰は痛くありませんか?」


 私はジェーンの抱擁から逃れつつ言った。


「痛くないよ!ばっか!そっちは?」


「……おばか。」


 私が買ってきた白いパジャマ姿のジェーンが照れてこちらを睨んでいる。ああなんだろう、この甘い空気は。クローゼットから腰当てを取り出して身に付けていると、彼が思案顔で私を見ていることに気付いた。


「な、何?」


「いえ……。訓練服姿のあなたですか。とても美味しそうだ。」


「行ってきます。」


 全ての防具をつけ終えた私は、彼から逃げる為に急いで寝室から出て、廊下を走り始めた。


 しかしすぐにドアの音が聞こえて、彼が追ってきていることを悟ると、まるでミッション中かの如く、プロのスキル全開で階段を滑り降りた。


 だが玄関で追いつかれてしまった。ジェーンは私の腕を掴んで離さない。しかも肩で息をしてゼエゼエしてる。どれだけ死に物狂いで追いかけてきたのだろうか。


「キルディア……はぁはぁ、キルディア!」


「だ、大丈夫?」


「は、はい……。朝食は、どう……?」


 どうするのですか?と言いたいっぽい。彼のそんな聞き方は初めてなので、私は笑いながら答えた。


「朝食は今日は取らないとゾーイにも伝えてある。朝早い時は朝の鍛錬を終えてから、向こうの食堂でとるんだ。ジェーンの分はあるから、食べるといいよ。色んな種類のシリアルを用意してあると思う。」


「それはいいことを聞きました。シリアルは大事です。……そうではない、つい、朝のシリアルの魅力に囚われてしまいました。……。」


 彼が黙ってしまった。もじもじした様子で、私のことを見つめている。もしかして、行ってきますのキスが欲しいのかなと思って、私は周りに誰もいないことを確かめた。


 彼に顔を近づけたその時に、彼が言った。


「本日の私の予定を伝えます。午前は帝国研究所の研究室を少し拝借するのと、その際にサイモン所長にお会いします。午後はガレージを研究室に改造します。終了予定は十七時です。順調であればの話ですが。……あなたは何時に終了予定ですか?職務中に、連絡は取れますか?」


 何だ、キスじゃなかったのね。私の尖らせた唇の労力を返して欲しい。その尖った口のまま、私は答えた。


「ガレージね……まあブレイブホースはどこか適当な場所に停めればいいか。私は何もなければ帰りは十九時だと思う。小休憩の時にメッセージの返事は可能だよ。緊急の時は返事出来ないけど。」


「そうですか、分かりました。……一つお聞きしたい。」


「ん?」


「あなたは、私の妻ですか?」


 ……。


 何その質問。一気に顔が赤くなって、笑ってしまった。じっと回答を待っている彼に、私は言った。


「まだ婚約者でしょ?役所に行ったら、妻になる。結婚式は……どうなることやら。もしかしたら先にもう一人いるかもしれないし。」


「ふふ、その通りです。」


 と、満足げに微笑んだジェーンが、いってらっしゃいのキスを私のおでこにしてくれた。それじゃあ足りないと、私は彼の頬に手を当てて、背伸びしして彼の唇にキスをした。


「あ、キルディア。」


「ん?」


「あることを思い出しました。もし街でリンを見かけたら私にご一報ください。タージュから聞いた話ですが、彼女とスローヴェンが辞表を提出して姿を消したそうです。」


「ええっ!?そうなの!?一体二人まで、どうしたんだろう……!それは心配だね、分かった。見かけたらジェーンに伝えるよ。」


 私は玄関のドアを開けた。


 するとそこにはリンとラブ博士が立っていたので、思わず仰け反ってしまった。


 リンはと言うと楽しげなひまわり柄のパーカーにショートパンツを合わせていて、むすっとした顔のラブ博士は白シャツに黒いベストでデニムパンツを履いている。


 そ、そうじゃない!何!?


「え!?な、何してんの!?」


「あああああ!」リンがいきなり叫んだ。「ここなんだ!本当にここに住んでるんだ!ネットのセレブスポットブログで紹介されてたけど、本当にこんな豪華な家に住んでるんだ!ってああああああ!ジェーンじゃん!」


 リンが私の横を通り過ぎて、ジェーンに突っ込んでハグを開始した。ジェーンは「んん」と唸って、彼女のことを受け止めた。


「うわああ、ちょっと痩せた?てか髪切ったね!似合う似合う!ちょっと待って、えー!本当にほんっとうに心配したんだからねジェーン!ねえねえ二人とも今暇?」


 私はリンに答えた。


「暇じゃないよ。何してんの!どうしてここに?」


 リンはジェーンから離れて、ニヒルな笑顔を浮かべながら私の肩に手を置いた。それを退かしたけど、また置かれた。何これ。


「我々ね、帝都に引っ越してきたの。ソーライは辞めた。ちゃんと辞表出したんだから、そこは評価して欲しいよね。誰かさんみたいにバックレじゃないんだから。」


 ジェーンを見ると、彼は不満げな顔をして答えた。


「やけに私に対して攻撃的ではありませんか?丁寧に説明して差し上げますが、我々は忙しいので早いところお帰りください。」


「あっはっは!ジェーン嘘だって嘘嘘!ジェーンの場合はしょうがないよ、事情があったからね、仕方なかった。タージュ博士だって理解しているからね!」


「それはどうもだけど、」と私はリンの肩をトントン叩いた。「どうしてソーライやめたの?」


 するといきなりラブ博士が大きな声を出した。


「俺はもう無理なんだ!どう考えたって人が多すぎるんだ!……あのクソ狭いところにッ!」


 うん。全てを理解しました。ラブ博士の方が先にギブアップしてしまったんだ。


 きっと私がソーライに来た頃のような賑わいが復活してしまったんだろう。研究室に五、六人の博士がいて、調査部と総務でごった返したロビー。


 特にラブ博士のようなテリトリー感の強い人は、あの狭い研究所でそれはきついよね。一度あの快適な少人数を経験してしまうと余計に。


 ラブ博士が辞めると言って、リンは付いてきたに違いない。リンはラブ博士の隣に移動すると、彼の背中を摩って慰め始めた。


「博士疲れちゃったんだってー!かわいそうでしょ?まああの研究所は新しく生まれ変わってるし、私もそろそろって思ってたから辞めて、帝都で新しい人生を歩もうって思ってたの!こっちにはキリーもケイト先生もいるしね、そのうちクラースさんもくるだろうし!」


「そのようだね……。」


「ユークは新居を探すのが本当に大変だしさ、この辺で暮らすのが一番いいと思って!昨日からこの辺りで新居探しの旅しながらホテルに泊まってるの!」


 よく見ると、玄関前の階段の下にリンとラブ博士のスーツケースが置いてあった。ジェーンもそれを見たのか、一度私に視線を送ってきた。


 それは私に釘を刺す視線だった。キルディア、我々は婚約して間もないのです。彼女らに対する同情は抱くな……と言いたいのだろう。


 と、兎に角、私はリン達に聞いた。


「い、いいおうちは見つかりそう?」


「うん!」リンが笑顔で答えた。「昨日も見て回ったけど、何件かいい間取りのところがあった!防音付きで、ペット可能のところ。帝都は低層マンションばかりだからどうなんだろって思ってたけど、中見たら早くこっち来れば良かったって思った!広くて綺麗なところばかり!私は猫ちゃんアレルギーだけど、猫ちゃん専用の部屋作ればいいって思って、ね、博士!」


 そういえばラブ博士は猫を飼っていたなぁ、もう一度階段下を見ると、スーツケースの奥にペット用のケースがあるのが見えた。あの中に猫ちゃん入ってるっぽい。


 隣のジェーンをまた見た。ジェーンはさらに釘を刺すような目で私を見ていた。猫はホテルでも生きられますよキルディア、という意味っぽかった。


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