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半身半蛇兵の石化瞳術強化訓練
蛇人から逃げよう
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まだヒトと妖魔が同じ地表で暮らしていた時代の話だ。
彼らは完全に交じり合うことはなく、その殆どが同種族で構成された国を作って生活していた。
異種族と交流がある種族もいれば、またその逆もある。
緊張の糸を張り巡らせ、何かの折に争いを引き起こしながら、異形の者達は生きていた。
ʘ
番兵クレオは森の中を駆けていた。
地面はクレオが普段哨戒する城門前通りと違い、張り出した木の根や腐った倒木が凹凸を作っている。
クレオはこれまで何度も自然の障害物に足を取られて転倒しそうになっていた。
散り散りに逃げれば全滅はないと踏んだ隊長の言葉に従い、一人で行動したクレオだったが、今となってはそれが間違いだったとさえ思い始めている。
土地勘もなく、見知らぬ森で一人逃げ惑うことは心細いことこの上ない。
クレオは苔むした地面の窪みや大樹の影に何者かが潜んでいないか目を凝らした。
そして何も居ないことを確認すると、太い木の幹へ背を預け、静かにしゃがみ込んだ。
すっかり荒くなった息を鎮めようと深く空気を吸い込む。
その間にも異音や人影がないか、辺りを見渡したり耳を澄ませてはみるものの、何も異常は察知できなかった。
本体ならそこで安堵できるのだろう。
しかし森の静寂はかえってクレオを落ち着かなくさせた。
──いる、多分。この近くに。
クレオの右手が胸元へ伸びる。
無意識のうちにクレオは革鎧の上から首に下げていたお守りに縋りついていた。
蛇は音もなく獲物に忍び寄る天才だ。
上半身がヒトの形をしていようが、それは変らないらしい。
クレオは葉を広げる低木や藪の向こうに軽装の鎧姿が見えないかとしきりに目玉を動かしている。
だが、木の幹を背にして前ばかり見ていたことが仇となった。
クレオの足元が僅かに暗くなる。
それに気づいたクレオが弾かれたように顔を上げると、木の幹に巻き付く褐色の長い胴体が見えた。
──しまった!
鈍色の兜顔の半分を覆った異形の兵士が、逆さ吊りの恰好で掴みかかってくる。
クレオは急いで腰を引き、幹から体を離す。
だが今度は背後から恐ろしい力で肩を掴まれ、引き寄せられた。
クレオは全体重を踵に乗せて踏ん張った。
青々とした苔むす地面が抉れ、ブーツの踵がめり込んでいく。
だが、抵抗している間にクレオの胴体は大蛇の尾で簀巻きにされてしまった。
「ぐっ……!」
鱗に覆われた強靭な肉体がクレオの全身を締めあげる。
「抵抗するな。下手に動くと骨が折れるぞ」
背後の蛇人兵士がクレオに忠告する。
それが脅しではないこと、クレオは身をきつく締める蛇腹から感じ取っていた。
「よしいいぞ。おいニンゲン、眼ェ閉じんなよ、絶対だぞ!?」
木の上に潜んでいた蛇人兵士が地に降り、クレオの頬を両手でがっしりと掴んで顔を寄せてきた。
どうして歩哨の装備は顔出し兜なのか、この時ばかりは自らの防具を呪ったクレオであった。
艶消しがされた兜の向こうには、鋭く縦に尖った虹彩の眼がある。
クレオはしっかりと蛇人と視線を合わせてしまった。
──終わった……。
クレオの身体が急速に冷えていき、口元の震えが止まらなくなっていた。
ʘ
なぜヒトの、それも城下町の警備に当たっているいち番兵のクレオが蛇人兵士に追い回されているのか。
その原因は数週間前にヒトの王族が治めるとある一国、その西端にあるヘルゴー城へ届けられた手紙にあった。
ヘルゴー辺境伯領は通称蛇人国、正式名称“ゴルゴーンおよびラミアの子孫のための国”と国境を接する最西端にあった。
蛇人とは諍いもなければ国交もない。
蛇人はいまだに先祖がヒトの英雄に退治されて盾の装飾品にされたことを恨んでいるらしい、という噂は何百年経とうがニンゲンの間から消えていない。
蛇人も蛇人で表に出たがる気質ではないため、互いに不干渉を貫くという暗黙の了解のもと過ごしてきた。
そのため、蛇人国からの手紙を受け取ったヘルゴー辺境伯は未曾有の事態に頭を悩ませていた。
「合同、訓練ですか?」
「うむ……」
伯爵の書斎に呼び出された四十過ぎの衛兵団長は厳めしい顔を引きつらせている。
同じように不味いものを呑み込んだような顔の伯爵もまた、書斎机の前に腰かけつつ、忙しなく顎髭を撫でながら頷いていた。
「君も知っているだろうが、最近の蛇と巨人は仲が悪い。何があったかまでは知らんがね。そんな折にコレだ。読んでみなさい」
「はっ」
伯爵から手紙を受け取った団長は、上等な紙を広げて、そこに記された文字を追った。
「えー……巨人族へ対抗するため……小さき巨人であるニンゲン種のお力添えがあれば……衛兵同士の訓練を……」
手紙を読んでいくうちにみるみる青ざめていく団長の顔を年嵩の伯爵は気の毒そうに見守っている。
「つ、つまり軍事力強化のため、我々と合同訓練を行いたい、と」
「そのようだ」
「そんなことになれば、我々も巨人から睨まれることになるのでは」
「その通り。君ならどうする? 断るかね?」
「それは、その」
「そうだ蛇も怖い。彼らは狡猾で陰湿で恨み深いと聞く。断れば領民が逆恨みで呪い殺されるかもしれんな……」
異種族と領地を接するニンゲンの国はいつもこの問題にぶち当たる。
文字通りの人並外れた武力と知力を持った異形の者達と比べると、ニンゲンはあまりにもか弱い。
ニンゲンが彼らに勝っている点は繫殖力くらいだ。
「国王陛下にもお伺いを立ててみたが、やはり訓練の申し出を受けよとのご命令だ」
「しかし、巨人のことは」
「そこは蛇も考慮してくれているようだ。少人数で秘密裏に行うと。そこでだ、衛兵団の中から分隊を派遣してくれ。貴族上がりは出来るだけ避け、平民出の番兵で組んでほしい。最悪二、三人石になっても目を瞑ろうと思うのでね」
本位ではないのだろう、伯爵は眉間に深く刻まれた皺を親指で伸ばしながら団長に指示を飛ばす。
「承知いたしました。ですが……」
「何かね?」
「その、蛇人が人間数十人と訓練したところで何になるんです? それも隠密で」
種族を超えた合同軍事訓練は他国他種族に誰が仲間か誇示し、紛争の抑止を計る狙いで行われることが多い。
だが、蛇人にはその意図が一切ないらしい。
そもそもニンゲンなど物の数に入れていない巨人族にニンゲンとの結束を見せたところで何の脅威にもならないのだが。
「分からん。だから困っておるのだ」
顔の前で手を組んだ伯爵の溜め息は、それはそれは深いものだった。
ʘ
こうして平民あがり、城下町の裏路地の治安を守る平々凡々の番兵クレオは厳正なくじの結果、見事に秘密合同訓練に参加する栄誉を賜った。
クレオは他の不運な仲間たちと同様、行商人や樵などに扮してひっそり蛇人側の森に忍び込み、落ち合った蛇人達の迎えで訓練場まで案内されていた。
ニンゲンのために急ごしらえで建てられた山小屋の前で整列した分隊の前に、一際大柄な蛇人の男が現れる。
尾の先まで入れた全長は四メートルに達するかもしれない。それほどまでに巨大な蛇人だ。
彼は仇敵巨人族に勝るとも劣らないほど筋骨隆々な上半身を持った男で、その下半身は黄色みがかった蛇腹を緑褐色の鱗で覆った大蛇の胴体となっていた。
深緑のハイネックに同系色のサーコートも相まって、森と同化してしまいそうに思えた。
鈍色の兜は顔の上半分を覆っており、鼻先から下だけが若々しい素のままの皮膚を露出させている。
よく日焼けした褐色の肌に面長の引き締まった顎が厳めしい。
兜に開けられた真一文字の覗き穴の奥は暗く、どんな目元をしているのかクレオには分からなかった。
──コイツが隊長? 随分若いな。
蛇人隊長は酒が飲めるようになって数年経つクレオと同じくらいか、少し上の精力的な青年に見えた。
これで近衛兵団の分隊長というのだから、とてつもないエリートなのだろう。
だが、クレオはすぐに蛇人の寿命について思い出した。
大抵の化物は、ニンゲンよりも長生きだ。
見かけと中身が一致しないことにクレオは薄気味悪さを覚えていた。
蛇人の分隊を背にした隊長がニンゲンの分隊の前に一歩進み出る。
クレオ含めニンゲン兵士たちは距離を取って後ずさりしたい気持ちに駆られていたが、なんとか虚勢を張って胸を反らし気味に大蛇人を仰ぎ見る。
かかってこい。お前らなんか怖くない。協力してやってる立場だ。
ニンゲン達の態度は野生動物が少しでも体を大きく見せて威嚇するような滑稽さがあったが、蛇人は誰一人として笑いはしなかった。
「お揃いですね。では、今一度自己紹介をさせていただきます。私はスタヴロス・モンスペスラヌスと申します。国王ならびに近衛兵団長に代わり、合同訓練の申し出をお受けいただけたこと、重ねてお礼申し上げます」
恭しく礼をする蛇人にニンゲン兵士たちは棒立ちのまま次の言葉を待っている。
「皆さまもご存じの通り、我々には石化の邪眼があります。どのような大きな存在でも留め置ける、神話時代に生きた祖先からの贈り物です。しかし、それは巨人も熟知しております。より有効に邪眼を発動させる、さらに言えば必中と言えるほどの精度が我々には必要なのです。そのために、皆さまのお力を借りたいと思い、このような運びとなりました」
「な、なるほど。つまり我々を巨人に見立てて訓練を行うと、そういうわけですね?」
一番年上だからという理由だけで寄せ集め分隊の隊長にされた可哀想な男が、数人から背中を押されて発言を促された。
「はい。体の構造から思考まで似通っているのはニンゲンに他なりません。勿論殆どの巨人は身体だけ立派な野蛮人ですが、旧神の血を引くという一族はそれなりに知恵が回るようでして」
「はあ……それで、我々はどう動けばよいのでしょうか」
「思うままに」
「はい?」
「思うままに、お逃げください。この森の中で、我々を撒いてください。我々はあなた方を見つけ出し、石にします」
ニンゲン兵士の間にどよめきが起こる。
「勿論石になった場合はのちに解呪いたします。日没までに一人でも生身であったら皆さまの勝ち、ということで。実戦形式でいきましょう。得物で反撃してくださっても構いません。色々ちぎれても、少しすればすぐに生えてきますから」
ニンゲンを安心させるためにぎこちない笑みを浮かべたスタヴロスと部下たちだったが、その笑顔はニンゲンの眼に不敵かつ不気味にしか映らなかった。
「……なあ、この訓練、俺達になんか良いことあんのか」
「じゃ、邪眼持ちと会った時の対策になる、とか?」
「蛇ぐらいしかいねぇだろ」
「逃げ方考えるより鏡張りの盾もつとかのほうが効きそう」
ぶつぶつと不平不満を零しながら散開するニンゲンの背を見送りながら、蛇人兵士たちは心中で不安を募らせていた。
この訓練で、能力の濃さが量られてしまう。
こうして蛇とヒトは互いに慄きながら訓練を開始したのだった。
つづく
彼らは完全に交じり合うことはなく、その殆どが同種族で構成された国を作って生活していた。
異種族と交流がある種族もいれば、またその逆もある。
緊張の糸を張り巡らせ、何かの折に争いを引き起こしながら、異形の者達は生きていた。
ʘ
番兵クレオは森の中を駆けていた。
地面はクレオが普段哨戒する城門前通りと違い、張り出した木の根や腐った倒木が凹凸を作っている。
クレオはこれまで何度も自然の障害物に足を取られて転倒しそうになっていた。
散り散りに逃げれば全滅はないと踏んだ隊長の言葉に従い、一人で行動したクレオだったが、今となってはそれが間違いだったとさえ思い始めている。
土地勘もなく、見知らぬ森で一人逃げ惑うことは心細いことこの上ない。
クレオは苔むした地面の窪みや大樹の影に何者かが潜んでいないか目を凝らした。
そして何も居ないことを確認すると、太い木の幹へ背を預け、静かにしゃがみ込んだ。
すっかり荒くなった息を鎮めようと深く空気を吸い込む。
その間にも異音や人影がないか、辺りを見渡したり耳を澄ませてはみるものの、何も異常は察知できなかった。
本体ならそこで安堵できるのだろう。
しかし森の静寂はかえってクレオを落ち着かなくさせた。
──いる、多分。この近くに。
クレオの右手が胸元へ伸びる。
無意識のうちにクレオは革鎧の上から首に下げていたお守りに縋りついていた。
蛇は音もなく獲物に忍び寄る天才だ。
上半身がヒトの形をしていようが、それは変らないらしい。
クレオは葉を広げる低木や藪の向こうに軽装の鎧姿が見えないかとしきりに目玉を動かしている。
だが、木の幹を背にして前ばかり見ていたことが仇となった。
クレオの足元が僅かに暗くなる。
それに気づいたクレオが弾かれたように顔を上げると、木の幹に巻き付く褐色の長い胴体が見えた。
──しまった!
鈍色の兜顔の半分を覆った異形の兵士が、逆さ吊りの恰好で掴みかかってくる。
クレオは急いで腰を引き、幹から体を離す。
だが今度は背後から恐ろしい力で肩を掴まれ、引き寄せられた。
クレオは全体重を踵に乗せて踏ん張った。
青々とした苔むす地面が抉れ、ブーツの踵がめり込んでいく。
だが、抵抗している間にクレオの胴体は大蛇の尾で簀巻きにされてしまった。
「ぐっ……!」
鱗に覆われた強靭な肉体がクレオの全身を締めあげる。
「抵抗するな。下手に動くと骨が折れるぞ」
背後の蛇人兵士がクレオに忠告する。
それが脅しではないこと、クレオは身をきつく締める蛇腹から感じ取っていた。
「よしいいぞ。おいニンゲン、眼ェ閉じんなよ、絶対だぞ!?」
木の上に潜んでいた蛇人兵士が地に降り、クレオの頬を両手でがっしりと掴んで顔を寄せてきた。
どうして歩哨の装備は顔出し兜なのか、この時ばかりは自らの防具を呪ったクレオであった。
艶消しがされた兜の向こうには、鋭く縦に尖った虹彩の眼がある。
クレオはしっかりと蛇人と視線を合わせてしまった。
──終わった……。
クレオの身体が急速に冷えていき、口元の震えが止まらなくなっていた。
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なぜヒトの、それも城下町の警備に当たっているいち番兵のクレオが蛇人兵士に追い回されているのか。
その原因は数週間前にヒトの王族が治めるとある一国、その西端にあるヘルゴー城へ届けられた手紙にあった。
ヘルゴー辺境伯領は通称蛇人国、正式名称“ゴルゴーンおよびラミアの子孫のための国”と国境を接する最西端にあった。
蛇人とは諍いもなければ国交もない。
蛇人はいまだに先祖がヒトの英雄に退治されて盾の装飾品にされたことを恨んでいるらしい、という噂は何百年経とうがニンゲンの間から消えていない。
蛇人も蛇人で表に出たがる気質ではないため、互いに不干渉を貫くという暗黙の了解のもと過ごしてきた。
そのため、蛇人国からの手紙を受け取ったヘルゴー辺境伯は未曾有の事態に頭を悩ませていた。
「合同、訓練ですか?」
「うむ……」
伯爵の書斎に呼び出された四十過ぎの衛兵団長は厳めしい顔を引きつらせている。
同じように不味いものを呑み込んだような顔の伯爵もまた、書斎机の前に腰かけつつ、忙しなく顎髭を撫でながら頷いていた。
「君も知っているだろうが、最近の蛇と巨人は仲が悪い。何があったかまでは知らんがね。そんな折にコレだ。読んでみなさい」
「はっ」
伯爵から手紙を受け取った団長は、上等な紙を広げて、そこに記された文字を追った。
「えー……巨人族へ対抗するため……小さき巨人であるニンゲン種のお力添えがあれば……衛兵同士の訓練を……」
手紙を読んでいくうちにみるみる青ざめていく団長の顔を年嵩の伯爵は気の毒そうに見守っている。
「つ、つまり軍事力強化のため、我々と合同訓練を行いたい、と」
「そのようだ」
「そんなことになれば、我々も巨人から睨まれることになるのでは」
「その通り。君ならどうする? 断るかね?」
「それは、その」
「そうだ蛇も怖い。彼らは狡猾で陰湿で恨み深いと聞く。断れば領民が逆恨みで呪い殺されるかもしれんな……」
異種族と領地を接するニンゲンの国はいつもこの問題にぶち当たる。
文字通りの人並外れた武力と知力を持った異形の者達と比べると、ニンゲンはあまりにもか弱い。
ニンゲンが彼らに勝っている点は繫殖力くらいだ。
「国王陛下にもお伺いを立ててみたが、やはり訓練の申し出を受けよとのご命令だ」
「しかし、巨人のことは」
「そこは蛇も考慮してくれているようだ。少人数で秘密裏に行うと。そこでだ、衛兵団の中から分隊を派遣してくれ。貴族上がりは出来るだけ避け、平民出の番兵で組んでほしい。最悪二、三人石になっても目を瞑ろうと思うのでね」
本位ではないのだろう、伯爵は眉間に深く刻まれた皺を親指で伸ばしながら団長に指示を飛ばす。
「承知いたしました。ですが……」
「何かね?」
「その、蛇人が人間数十人と訓練したところで何になるんです? それも隠密で」
種族を超えた合同軍事訓練は他国他種族に誰が仲間か誇示し、紛争の抑止を計る狙いで行われることが多い。
だが、蛇人にはその意図が一切ないらしい。
そもそもニンゲンなど物の数に入れていない巨人族にニンゲンとの結束を見せたところで何の脅威にもならないのだが。
「分からん。だから困っておるのだ」
顔の前で手を組んだ伯爵の溜め息は、それはそれは深いものだった。
ʘ
こうして平民あがり、城下町の裏路地の治安を守る平々凡々の番兵クレオは厳正なくじの結果、見事に秘密合同訓練に参加する栄誉を賜った。
クレオは他の不運な仲間たちと同様、行商人や樵などに扮してひっそり蛇人側の森に忍び込み、落ち合った蛇人達の迎えで訓練場まで案内されていた。
ニンゲンのために急ごしらえで建てられた山小屋の前で整列した分隊の前に、一際大柄な蛇人の男が現れる。
尾の先まで入れた全長は四メートルに達するかもしれない。それほどまでに巨大な蛇人だ。
彼は仇敵巨人族に勝るとも劣らないほど筋骨隆々な上半身を持った男で、その下半身は黄色みがかった蛇腹を緑褐色の鱗で覆った大蛇の胴体となっていた。
深緑のハイネックに同系色のサーコートも相まって、森と同化してしまいそうに思えた。
鈍色の兜は顔の上半分を覆っており、鼻先から下だけが若々しい素のままの皮膚を露出させている。
よく日焼けした褐色の肌に面長の引き締まった顎が厳めしい。
兜に開けられた真一文字の覗き穴の奥は暗く、どんな目元をしているのかクレオには分からなかった。
──コイツが隊長? 随分若いな。
蛇人隊長は酒が飲めるようになって数年経つクレオと同じくらいか、少し上の精力的な青年に見えた。
これで近衛兵団の分隊長というのだから、とてつもないエリートなのだろう。
だが、クレオはすぐに蛇人の寿命について思い出した。
大抵の化物は、ニンゲンよりも長生きだ。
見かけと中身が一致しないことにクレオは薄気味悪さを覚えていた。
蛇人の分隊を背にした隊長がニンゲンの分隊の前に一歩進み出る。
クレオ含めニンゲン兵士たちは距離を取って後ずさりしたい気持ちに駆られていたが、なんとか虚勢を張って胸を反らし気味に大蛇人を仰ぎ見る。
かかってこい。お前らなんか怖くない。協力してやってる立場だ。
ニンゲン達の態度は野生動物が少しでも体を大きく見せて威嚇するような滑稽さがあったが、蛇人は誰一人として笑いはしなかった。
「お揃いですね。では、今一度自己紹介をさせていただきます。私はスタヴロス・モンスペスラヌスと申します。国王ならびに近衛兵団長に代わり、合同訓練の申し出をお受けいただけたこと、重ねてお礼申し上げます」
恭しく礼をする蛇人にニンゲン兵士たちは棒立ちのまま次の言葉を待っている。
「皆さまもご存じの通り、我々には石化の邪眼があります。どのような大きな存在でも留め置ける、神話時代に生きた祖先からの贈り物です。しかし、それは巨人も熟知しております。より有効に邪眼を発動させる、さらに言えば必中と言えるほどの精度が我々には必要なのです。そのために、皆さまのお力を借りたいと思い、このような運びとなりました」
「な、なるほど。つまり我々を巨人に見立てて訓練を行うと、そういうわけですね?」
一番年上だからという理由だけで寄せ集め分隊の隊長にされた可哀想な男が、数人から背中を押されて発言を促された。
「はい。体の構造から思考まで似通っているのはニンゲンに他なりません。勿論殆どの巨人は身体だけ立派な野蛮人ですが、旧神の血を引くという一族はそれなりに知恵が回るようでして」
「はあ……それで、我々はどう動けばよいのでしょうか」
「思うままに」
「はい?」
「思うままに、お逃げください。この森の中で、我々を撒いてください。我々はあなた方を見つけ出し、石にします」
ニンゲン兵士の間にどよめきが起こる。
「勿論石になった場合はのちに解呪いたします。日没までに一人でも生身であったら皆さまの勝ち、ということで。実戦形式でいきましょう。得物で反撃してくださっても構いません。色々ちぎれても、少しすればすぐに生えてきますから」
ニンゲンを安心させるためにぎこちない笑みを浮かべたスタヴロスと部下たちだったが、その笑顔はニンゲンの眼に不敵かつ不気味にしか映らなかった。
「……なあ、この訓練、俺達になんか良いことあんのか」
「じゃ、邪眼持ちと会った時の対策になる、とか?」
「蛇ぐらいしかいねぇだろ」
「逃げ方考えるより鏡張りの盾もつとかのほうが効きそう」
ぶつぶつと不平不満を零しながら散開するニンゲンの背を見送りながら、蛇人兵士たちは心中で不安を募らせていた。
この訓練で、能力の濃さが量られてしまう。
こうして蛇とヒトは互いに慄きながら訓練を開始したのだった。
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