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押しかけポニーボーイ
悪魔の悩み
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悪魔ザガムは困っていた。
どれほど困っていたかというと、他者の知恵を借りるため、しばらくは戻らぬと決めていた魔界に一旦里帰りするほどだ。
彼にとって幸いだったのは、知り合いのなかにヒトの心に精通しているものがいることだった。
「お久しぶりですね」
「お元気そうで何よりです」
「少しお痩せになりましたね」
「ワインでもいかがですか」
一つの胴体に四つの頭を乗せている悪魔が次々とザガムへ話しかける。
その顔も年老いた男女と若い男女に分かれており、どこかの家族を一つに混ぜてくっつけたようなおぞましい見た目をしていた。
ヒトが彼の姿を見たならば正気でいられないだろうが、勿論見慣れた姿の同族に驚くザガムではなかった。
「ありがとう。急に訪ねてすまないね」
「いえ、またザガム様にお会いできて光栄です」
広い応接間のソファに腰かけるローブ姿の悪魔は、片手に持っている書物に目を落としつつも、にこやかに対応を続ける。
「ダンダリアン、こうしてまた君と語らうことができて嬉しいよ。もっと明るい話題を提供できたらよかったのだがね」
ダンダリアンにある四つのうちの二つの顔が目を丸くし、残りの二つは気の毒そうな顔をする。
計八つの眼玉は巨体を丸めて自嘲する雄牛獣人のかたちをとった悪魔を映していた。
魔界は危険で退屈だ。
七十二の悪魔が幅を利かせる小世界は、ヒト程度では到底生きていかれぬ場所であった。
穏健な者と過激な者の差も激しく、悪魔の機嫌次第であらゆる魔物が吹き飛ばされる世界でもあった。
ヒトが労働や日常のしがらみからわずかに脱出したいと願い、旅行を企てるのと同じく、悪魔もたまに地上世界に顔を出したり、ヒトの召喚に応じてやることがある。
ザガムは遠縁の血族が起こした金銭絡みの揉め事にほとほと嫌気がさしており、一定の解決が見込めたところでしばらく休みを貰おうと考えていた。
そして望み通りザガムは地上にある廃城と付近の土地を格安で買い取り、避暑地で過ごす貴族の如く暮らし始めた。
彼は地上のひ弱な生き物を驚かせぬよう、立派なグリフォンの羽も隠し、一介の雄牛獣人としてのんびり隠者めいた休息をとるはずだったのだ。
しかし彼の穏やかな生活は、ひとりのニンゲンによって壊されようとしている。
ザガムはどうにか穏便に事を片付けられないかと、知己を訪ねてきたのだった。
給仕が運んできたワイングラスを片手に、悪魔同士が向き合っている。
「これは素晴らしい。私が生成するものが泥水に思えるほどだ」
振舞った酒を仰々しく褒めるザガムにダンダリアンがはにかむ。
どうも調子がおかしい。
自分より高位の悪魔が憔悴している様子にダンダリアンは心のうちで興味と哀れみが膨らんでいくのを感じていた。
「そう言っていただけると蔵を開けさせた甲斐がありました。それで、ザガム様。お悩みとは一体……」
老婆の頭が気づかわしげに口を開く。
ザガムはこげ茶色をした豊かな鬣の奥で伏し目がちになり、溜め息を漏らす。
「ニンゲンだ」
「ニンゲン?」
「うむ……私は、ニンゲンのことが良く分からなくなってしまった……」
「まさか。愚者を賢者に変えられるザガム様がそのようなことを仰るなど、信じられません」
四つの口でざわめきを発するダンダリアンを尻目に、ザガムは溜め息を深くするばかりだ。
「ダンダリアン、君はヒトの心も読めれば操れもするのだろう? 何よりヒトの心に詳しいはずだ。私に教えてほしいのだ。ヒトの扱い方を」
「ザガム様にそこまで言わせるニンゲンとは、一体どのような者なのですか」
ダンダリアンははやる気持ちを抑えつつ、神妙な顔つきで尋ねる。
そうしてザガムはポツリポツリと悩みの種を明らかにしていった。
✡
ザガムが買い取った廃城は小都市に繋がる街道脇にあり、田舎にしては交通の便が良いと言えるだろう。
城の周囲にはかつて貧乏貴族が治めていた荘園があったようで、今はだだっ広く開けた草原が在るばかり。
ザガムにとってはこの上ない静かな土地であったが、余っているものを有効活用したがるのがヒトの性だ。
所有者が曖昧になったこの土地は、城から少し北にいったところにある剣術学校の訓練場として使われることがあった。
北の剣術学校はこの地域の名門校であり、魔術も剣術も教える数少ない学校でもある。
最近は魔法剣士という新たな職も出てきており、専業の時代は終わっただの何だのと噂されることも多くなった。
ザガムにとってニンゲンが魔法を極めようが剣術を極めようが至極どうでもいいことであったのだが、その無関心が良くなかったと今なら言えるだろう。
ザガムはニンゲンと関わる気など到底なかった。
だが、ザガムになくともニンゲンにあった場合、二人の邂逅は避けられぬことであった。
「大変ッ、申し訳ございませんでしたッ!」
城門前であたり一面に若い男の声が響き渡る。
いかにも軍隊式の、いやにハキハキとした声がザガムの耳に突き刺さった。
鎖帷子を着込み、校章が縫われた外套をベルトで締め、腰に使い込まれた剣を提げたニンゲンの若者が散歩から帰ってきたザガムを待ち構えており、彼の姿を一目見た途端大声を発しながら頭を下げる。
「な、なんだね君は」
彼が魔族に物怖じしていないことも驚きだが、ザガムは見ず知らずのニンゲンから謝罪を受けるようなことに心当たりがない。これにはさすがの悪魔も呆気にとられてしまった。
「自分がッ、貴方様の大事な馬を傷つけてしまいましたッ! 本日はそのお詫びに参りましたッ!」
激しく振動した空気の余波を受け、木々に隠れていた小鳥が一斉に飛び立つ。
「馬? とにかくその大声をやめてくれないか。耳が……」
ザガムはヒトより何倍も出来の良い己の耳を初めて恨めしく思った。
ザガムはとりあえず珍妙な客を応接間に通し、使い魔に茶を運ばせた。
影絵のようなペラペラの魔法生物を見ても、謎の若造は眉一つ動かさず、唯々申し訳なさそうな顔で椅子の上に縮こまっている。
短く刈ったブルネットの髪に太い眉が如何にも無骨で、あまり難しい話を好みそうにないように見えた。
彼の手にはいくつか血豆の潰れた痕や剣ダコがあり、そこからは泥臭い日頃の厳しい鍛錬の匂いがする。
だが、彼の歩き方や茶器の上げ下げの動作は細やかで、作法の面でも厳しい躾を受けてきたことが手に取るように分かる。
一体このニンゲンは何者だろう。
ザガムは有能な悪魔だが、全知全能の神ではない。
今のところ分かることといえば、彼はザガムが買収した土地で勝手に鍛錬を行っている剣術学校の生徒らしいということくらいだ。
しばらく知的生命体と会話をしていなかったザガムは、暇つぶしにこのニンゲンと話してみようと思ってしまった。
「君はしきりに私の馬を駄目にしたと謝るが、そもそも君は一体どこの誰なのかね」
「はッ! 申し遅れました! 自分はエーリック・フュルステンベルクと申します! ダリク剣術学校の三回生です!」
「そう気を張らなくていい。見ての通り私は君たちよりも耳が大きい。静かにして貰えると助かる」
「はッ!」
だめだこれは。
巨岩のような雄牛獣人を前にしても怯まないのは勇敢だが、エーリックは細かな調節というものが苦手なのかもしれない。
もしかすると緊張故に機転が利かぬのかもしれないと考えたザガムは、それ以上声量について何も言わないことを決めた。
「それで、馬のことだが、確かに近頃脚を痛めていた馬がいたような……?」
街で買い込んだ食料と酒は荷馬車にひかせて運び込ませている。
その世話も使い魔にまかせっきりなザガムは、おぼろげな記憶をなんとか辿ろうとしたが、なかなかピンとくるものがなかった。
「そうです! すべて自分が悪いのです!」
「一体どういうことなのかね」
「あれは野外訓練のときのことです」
「君たちが私の土地で遊んでいることかね」
「はい?」
目を丸くするエーリックにザガムは首を振った。
あまり嫌味が通じるような男ではなさそうだ。
「自分は、その、少し……いいえ、かなり魔法が苦手なのです」
エーリックがあまりに辛気臭い表情をするため、ザガムは“だろうね”という言葉を呑み込む。
「ですがわが校は文武両道、魔法も出来ずして卒業もなし! 自分は同輩と共に貴方様の居城の近くで魔法の訓練を始めました」
「……」
もう嫌な予感がする。そして大体のことが視えた気がする。
ザガムは無言で冷めかけた茶に口を付けた。
「自分が課題の閃光魔法を練習していた時のことです。うまくいかず、暴発してしまい、雷のような音が鳴ってしまいました。自分含め、皆しばらく気絶してしまったのですが、どうやらその時に貴方様の荷馬車も近くを通りかかっていたようで……」
エーリックが言うには、仲間の一人が気を失う寸前に馬のいななきを聞いたのだという。
「あとから知ったことなのですが、どうも貴方様の馬が歩きにくそうにしている所を見たという者がおり、全く姿を見せなくなったと聞いたものですから」
「ま、待て。一体誰が」
「学校の者と、街の皆です。このような田舎では噂が回るのは風より早いのです」
「なんという……」
ザガムはニンゲンの悪魔めいた一面に顔を顰める。
新たにやってきた風変りな魔物の一挙手一投足は、娯楽の少ない地方都市のいいネタであった。
「やはり自分のせいであることは確実! 本日はお詫びと、賠償についてお話を」
「いや、いい。私の馬はすっかり良くなっている。何もいらぬ」
「えっ、馬はそんなに早く回復しないでしょう!?」
「そうだったか……? まあいいじゃないか」
ザガムの馬は魔界産である。
地上の馬と比べ物にならないくらい逞しく、ちょっと足を捻ったくらいで逝ったりはしない。
今も厩舎でピンピンしており、飼葉を桶ごと噛み砕いているだろう。
「そんなわけには参りません! ご迷惑をお掛けしたお詫びの品を」
「結構だ。私はニンゲンからモノを受け取れない掟があるのだ」
「そうなのですか?」
「そ、そうだ。牛の、あの、雄牛族の決まりなのでね」
ザガムは地上で産まれた魔物ではない。生粋の悪魔である。
ニンゲンとのやり取りはすなわち契約を意味する。
すでに解決している事象への詫びの品など、魔界的に言えば生贄である。
生贄を捧げられたのであれば、彼の望みを叶えてやらねばならなくなる。
それはこの噂が走る田舎の現地民に悪魔の正体を晒すことになり、それは平穏な休暇が死に絶えることを意味した。
「モノでなければいいのですね?」
「何?」
「でしたら自分が馬の代わりに、貴方様の馬になりますッ!」
「えぇ……」
瞳を燃え上がらせるエーリックを前に、ザガムは初めてニンゲンに恐怖を抱いた。
つづく
どれほど困っていたかというと、他者の知恵を借りるため、しばらくは戻らぬと決めていた魔界に一旦里帰りするほどだ。
彼にとって幸いだったのは、知り合いのなかにヒトの心に精通しているものがいることだった。
「お久しぶりですね」
「お元気そうで何よりです」
「少しお痩せになりましたね」
「ワインでもいかがですか」
一つの胴体に四つの頭を乗せている悪魔が次々とザガムへ話しかける。
その顔も年老いた男女と若い男女に分かれており、どこかの家族を一つに混ぜてくっつけたようなおぞましい見た目をしていた。
ヒトが彼の姿を見たならば正気でいられないだろうが、勿論見慣れた姿の同族に驚くザガムではなかった。
「ありがとう。急に訪ねてすまないね」
「いえ、またザガム様にお会いできて光栄です」
広い応接間のソファに腰かけるローブ姿の悪魔は、片手に持っている書物に目を落としつつも、にこやかに対応を続ける。
「ダンダリアン、こうしてまた君と語らうことができて嬉しいよ。もっと明るい話題を提供できたらよかったのだがね」
ダンダリアンにある四つのうちの二つの顔が目を丸くし、残りの二つは気の毒そうな顔をする。
計八つの眼玉は巨体を丸めて自嘲する雄牛獣人のかたちをとった悪魔を映していた。
魔界は危険で退屈だ。
七十二の悪魔が幅を利かせる小世界は、ヒト程度では到底生きていかれぬ場所であった。
穏健な者と過激な者の差も激しく、悪魔の機嫌次第であらゆる魔物が吹き飛ばされる世界でもあった。
ヒトが労働や日常のしがらみからわずかに脱出したいと願い、旅行を企てるのと同じく、悪魔もたまに地上世界に顔を出したり、ヒトの召喚に応じてやることがある。
ザガムは遠縁の血族が起こした金銭絡みの揉め事にほとほと嫌気がさしており、一定の解決が見込めたところでしばらく休みを貰おうと考えていた。
そして望み通りザガムは地上にある廃城と付近の土地を格安で買い取り、避暑地で過ごす貴族の如く暮らし始めた。
彼は地上のひ弱な生き物を驚かせぬよう、立派なグリフォンの羽も隠し、一介の雄牛獣人としてのんびり隠者めいた休息をとるはずだったのだ。
しかし彼の穏やかな生活は、ひとりのニンゲンによって壊されようとしている。
ザガムはどうにか穏便に事を片付けられないかと、知己を訪ねてきたのだった。
給仕が運んできたワイングラスを片手に、悪魔同士が向き合っている。
「これは素晴らしい。私が生成するものが泥水に思えるほどだ」
振舞った酒を仰々しく褒めるザガムにダンダリアンがはにかむ。
どうも調子がおかしい。
自分より高位の悪魔が憔悴している様子にダンダリアンは心のうちで興味と哀れみが膨らんでいくのを感じていた。
「そう言っていただけると蔵を開けさせた甲斐がありました。それで、ザガム様。お悩みとは一体……」
老婆の頭が気づかわしげに口を開く。
ザガムはこげ茶色をした豊かな鬣の奥で伏し目がちになり、溜め息を漏らす。
「ニンゲンだ」
「ニンゲン?」
「うむ……私は、ニンゲンのことが良く分からなくなってしまった……」
「まさか。愚者を賢者に変えられるザガム様がそのようなことを仰るなど、信じられません」
四つの口でざわめきを発するダンダリアンを尻目に、ザガムは溜め息を深くするばかりだ。
「ダンダリアン、君はヒトの心も読めれば操れもするのだろう? 何よりヒトの心に詳しいはずだ。私に教えてほしいのだ。ヒトの扱い方を」
「ザガム様にそこまで言わせるニンゲンとは、一体どのような者なのですか」
ダンダリアンははやる気持ちを抑えつつ、神妙な顔つきで尋ねる。
そうしてザガムはポツリポツリと悩みの種を明らかにしていった。
✡
ザガムが買い取った廃城は小都市に繋がる街道脇にあり、田舎にしては交通の便が良いと言えるだろう。
城の周囲にはかつて貧乏貴族が治めていた荘園があったようで、今はだだっ広く開けた草原が在るばかり。
ザガムにとってはこの上ない静かな土地であったが、余っているものを有効活用したがるのがヒトの性だ。
所有者が曖昧になったこの土地は、城から少し北にいったところにある剣術学校の訓練場として使われることがあった。
北の剣術学校はこの地域の名門校であり、魔術も剣術も教える数少ない学校でもある。
最近は魔法剣士という新たな職も出てきており、専業の時代は終わっただの何だのと噂されることも多くなった。
ザガムにとってニンゲンが魔法を極めようが剣術を極めようが至極どうでもいいことであったのだが、その無関心が良くなかったと今なら言えるだろう。
ザガムはニンゲンと関わる気など到底なかった。
だが、ザガムになくともニンゲンにあった場合、二人の邂逅は避けられぬことであった。
「大変ッ、申し訳ございませんでしたッ!」
城門前であたり一面に若い男の声が響き渡る。
いかにも軍隊式の、いやにハキハキとした声がザガムの耳に突き刺さった。
鎖帷子を着込み、校章が縫われた外套をベルトで締め、腰に使い込まれた剣を提げたニンゲンの若者が散歩から帰ってきたザガムを待ち構えており、彼の姿を一目見た途端大声を発しながら頭を下げる。
「な、なんだね君は」
彼が魔族に物怖じしていないことも驚きだが、ザガムは見ず知らずのニンゲンから謝罪を受けるようなことに心当たりがない。これにはさすがの悪魔も呆気にとられてしまった。
「自分がッ、貴方様の大事な馬を傷つけてしまいましたッ! 本日はそのお詫びに参りましたッ!」
激しく振動した空気の余波を受け、木々に隠れていた小鳥が一斉に飛び立つ。
「馬? とにかくその大声をやめてくれないか。耳が……」
ザガムはヒトより何倍も出来の良い己の耳を初めて恨めしく思った。
ザガムはとりあえず珍妙な客を応接間に通し、使い魔に茶を運ばせた。
影絵のようなペラペラの魔法生物を見ても、謎の若造は眉一つ動かさず、唯々申し訳なさそうな顔で椅子の上に縮こまっている。
短く刈ったブルネットの髪に太い眉が如何にも無骨で、あまり難しい話を好みそうにないように見えた。
彼の手にはいくつか血豆の潰れた痕や剣ダコがあり、そこからは泥臭い日頃の厳しい鍛錬の匂いがする。
だが、彼の歩き方や茶器の上げ下げの動作は細やかで、作法の面でも厳しい躾を受けてきたことが手に取るように分かる。
一体このニンゲンは何者だろう。
ザガムは有能な悪魔だが、全知全能の神ではない。
今のところ分かることといえば、彼はザガムが買収した土地で勝手に鍛錬を行っている剣術学校の生徒らしいということくらいだ。
しばらく知的生命体と会話をしていなかったザガムは、暇つぶしにこのニンゲンと話してみようと思ってしまった。
「君はしきりに私の馬を駄目にしたと謝るが、そもそも君は一体どこの誰なのかね」
「はッ! 申し遅れました! 自分はエーリック・フュルステンベルクと申します! ダリク剣術学校の三回生です!」
「そう気を張らなくていい。見ての通り私は君たちよりも耳が大きい。静かにして貰えると助かる」
「はッ!」
だめだこれは。
巨岩のような雄牛獣人を前にしても怯まないのは勇敢だが、エーリックは細かな調節というものが苦手なのかもしれない。
もしかすると緊張故に機転が利かぬのかもしれないと考えたザガムは、それ以上声量について何も言わないことを決めた。
「それで、馬のことだが、確かに近頃脚を痛めていた馬がいたような……?」
街で買い込んだ食料と酒は荷馬車にひかせて運び込ませている。
その世話も使い魔にまかせっきりなザガムは、おぼろげな記憶をなんとか辿ろうとしたが、なかなかピンとくるものがなかった。
「そうです! すべて自分が悪いのです!」
「一体どういうことなのかね」
「あれは野外訓練のときのことです」
「君たちが私の土地で遊んでいることかね」
「はい?」
目を丸くするエーリックにザガムは首を振った。
あまり嫌味が通じるような男ではなさそうだ。
「自分は、その、少し……いいえ、かなり魔法が苦手なのです」
エーリックがあまりに辛気臭い表情をするため、ザガムは“だろうね”という言葉を呑み込む。
「ですがわが校は文武両道、魔法も出来ずして卒業もなし! 自分は同輩と共に貴方様の居城の近くで魔法の訓練を始めました」
「……」
もう嫌な予感がする。そして大体のことが視えた気がする。
ザガムは無言で冷めかけた茶に口を付けた。
「自分が課題の閃光魔法を練習していた時のことです。うまくいかず、暴発してしまい、雷のような音が鳴ってしまいました。自分含め、皆しばらく気絶してしまったのですが、どうやらその時に貴方様の荷馬車も近くを通りかかっていたようで……」
エーリックが言うには、仲間の一人が気を失う寸前に馬のいななきを聞いたのだという。
「あとから知ったことなのですが、どうも貴方様の馬が歩きにくそうにしている所を見たという者がおり、全く姿を見せなくなったと聞いたものですから」
「ま、待て。一体誰が」
「学校の者と、街の皆です。このような田舎では噂が回るのは風より早いのです」
「なんという……」
ザガムはニンゲンの悪魔めいた一面に顔を顰める。
新たにやってきた風変りな魔物の一挙手一投足は、娯楽の少ない地方都市のいいネタであった。
「やはり自分のせいであることは確実! 本日はお詫びと、賠償についてお話を」
「いや、いい。私の馬はすっかり良くなっている。何もいらぬ」
「えっ、馬はそんなに早く回復しないでしょう!?」
「そうだったか……? まあいいじゃないか」
ザガムの馬は魔界産である。
地上の馬と比べ物にならないくらい逞しく、ちょっと足を捻ったくらいで逝ったりはしない。
今も厩舎でピンピンしており、飼葉を桶ごと噛み砕いているだろう。
「そんなわけには参りません! ご迷惑をお掛けしたお詫びの品を」
「結構だ。私はニンゲンからモノを受け取れない掟があるのだ」
「そうなのですか?」
「そ、そうだ。牛の、あの、雄牛族の決まりなのでね」
ザガムは地上で産まれた魔物ではない。生粋の悪魔である。
ニンゲンとのやり取りはすなわち契約を意味する。
すでに解決している事象への詫びの品など、魔界的に言えば生贄である。
生贄を捧げられたのであれば、彼の望みを叶えてやらねばならなくなる。
それはこの噂が走る田舎の現地民に悪魔の正体を晒すことになり、それは平穏な休暇が死に絶えることを意味した。
「モノでなければいいのですね?」
「何?」
「でしたら自分が馬の代わりに、貴方様の馬になりますッ!」
「えぇ……」
瞳を燃え上がらせるエーリックを前に、ザガムは初めてニンゲンに恐怖を抱いた。
つづく
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