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魔界監獄の掃除人

仕事へ

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 軽作業、高報酬、日雇い、取っ払い。
 剣士ロセカが最低限の労働条件を提示すると、冒険者ギルドの親父は渋い顔をした。
「そんな旨い依頼があるわけないだろ。アンタ、腕に覚えがあるなら魔獣退治でも引き受けてくれよ」
 ロセカは苦笑いを浮かべて、それはまた今度と口走りながら紹介所を後にする。
 やっぱり裏に行くしかねぇか。
 くたくたの革袋を片手に、ロセカは家々が無秩序にひしめく裏通りへと消えていった。

「何用ですかな……」
 ロセカが壊れた椅子や机に囲まれた廃屋同然の小屋を訪ね、朽ちた扉を三回拳で叩くと、中からしわがれた声が聞こえてきた。
「仕事が欲しいんだ。ラクで、金払い良くて、その場で賃金くれるやつ。ないか?」
 穴の開いた扉の向こうから、蛙によく似た目玉がぐりぐりと動き、ロセカの顔をじっと見つめる。
 ここは地上に居ついた魔物が営む仕事斡旋屋で、同類かにっちもさっちもいかなくなったニンゲンにしか用のない場所であった。
 虫のいい条件を口にするニンゲンの男を、中の魔物は笑ったりしなかった。
「ちょいとお待ちを。お兄さん、ちなみに体力に自信はおありで?」
「あるけど、その、今ちょっと、な。戦うのは無理だ」
「そうですか。では、掃除程度ならできますか?」
「掃除? それくらいなら」
「ああ良かった。お兄さんのために出されたような依頼があるんですよ。いやもう、ニンゲンの雄を連れてこいって煩くて煩くて……」
「えっと、その依頼ってのは」
「ニンゲンの掃除人がひとり、欲しいそうです。報酬と条件はこの通り」
 穴からにゅっと巻いた古紙を握った蛙の舌が出てくる。
 ロセカは巻紙を受け取ると、それを広げて中を確認した。
 依頼主、魔公ペイシオン。
 作業内容は室内の清掃。
 賃金は冒険者ギルドで上級の依頼三つ分の高報酬。
 昼から夕方にかけての半日作業。
 おまけに汚れを落とす風呂まで用意。
「すげぇいいな! で、どこを掃除するんだ?」
「魔界監獄です」

 ⚔

 どエラいところに来てしまった。
 斡旋屋の裏手にある転移魔方陣から赤黒い空に紫がかった黒雲が流れる魔界に飛ばされたロセカは、すでに帰りたくなっていた。
 周囲は痛いくらい乾いた風の吹きすさぶ荒野であり、赤茶けた岩とわずかに枯草がへばりつく大地だけがどこまでも広がっている。
 その中にひときわ大きな建造物が来訪者を見下ろすように建っていた。
 真っ黒な岩を積み上げて作られたソレは、城と呼んでもいいほどの大きさだった。
 尖塔のない、何の面白みもない四角が連なる建物に優美さなどなく、軍事要塞のように厳めしい。
 そして驚くことに、ここに収容されている魔物はたった一人であるという。
 鉄柵の下ろされた玄関の前でロセカが立ち尽くしていると、急に地面から青緑色の粘液が湧き出てきた。
 それは瞬く間に膨れ上がり、ロセカの背丈まで伸びると、どこかロセカに似せたヒト型になる。
 いつの間にか彼の頭には顎当てを取り外した歩兵用の銀兜が乗っていた。
 そして、凹凸のない顔の下半分が半円にへこみ、口のような穴が開く。
「ようこそ。貴方が本日の掃除人ですね」
「あ、まあ……」
 スライムが喋った!?
 普段は洞窟の床や天井にへばりついている知性のかけらもない軟体魔獣がヒトらしき姿をとること、また言語を操ることにロセカは度肝を抜かれていた。
「早速ですが、中にお入りください」
 スライム兵は鉄柵を上げると、自分の腹に手を突っ込んで中から鍵束を取り出す。
 彼が恐ろしく大きい玄関の扉を解錠すると、ぎぎぎ、と耳障りな音とともに扉が内側へと開いていった。
 
「あのー、ここ、本当に監獄なんすか?」
 まだ年若く礼儀もろくに知らないロセカは、軽薄ながらもなんとか丁寧な口ぶりで話そうと努めている。
 それというのも、監獄と聞いていた中身はどう見ても貴族の居城だったからだ。
「はい。かつての魔公の城を監獄として使用しています。造りこそ城ですが、御覧のとおり調度品は置いていません」
 スライム兵のいう通り、石造りの広い玄関ホールには絨毯の一つも敷かれておらず、なにもかもがむき出しのままであった。
 光源といえば床に直置きされているカンテラと窓から差し込む魔界の陰鬱な陽光だけであり、ホールのずっと奥向こうに見える中庭は毒々しい色の雑草で荒れ放題であった。
「貴方にはこのホールと物置、朝食室、洗濯室を掃除していただきたいのです」
 それを聞いたロセカはそれだけなのか、と言いかけたが、広いグラウンドフロアを見渡して口を閉ざした。
 いくら何でも広すぎる。
 天井も床面積も階段の幅すら、なにもかもが大きい。
 この城に住む生き物はヒトより三、四倍大きいはずだと、流石のロセカも感じ取っていた。
「洗濯室に水が通っております。バケツとモップを用意しておきましたので、適当に床を掃いて頂ければ――」 
 適当に?
 ロセカがスライム兵の説明に疑問を抱きかけた、その時だった。
 じゃらり、じゃらり、と鎖が揺れて擦り合う金属音がロセカの頭上に降りかかる。
「あっ!」
 ロセカより先にスライム兵が驚嘆の声を上げ、上階に繋がる階段の方へ目の無い顔を向けた。
 スライム兵に釣られ、ロセカも玄関ホール左にある螺旋階段を見上げる。
「え」
 そこには、巨大な異形の囚人が立っていた。
 でっか。
 ロセカの頭はまずその言葉でいっぱいになった。
 のっぽと呼ばれることもあるロセカだが、魔物囚人はその三倍ほどの背丈がありそうだ。
 彼は裾の擦り切れた横縞模様の囚人服を身につけている。
 その布地はむっちりと膨れ上がった雄々しい胸板の山に押し上げられ、縞模様が歪むほどであった。
 淡紫色をしたいかにも魔物らしい肌に、棍棒を束ねたような太く逞しい腕がついている。
 しかしその手首は長方形の手枷によって拘束されていた。
 黒鉄の手枷はいかにも重たそうで、ロセカが嵌めればそのまま地面に両手を付けることになりそうに見える。
 そして彼の両足首にも足枷が付けられ、両足の間を頑丈そうな鎖が繋いでいた。
 先ほど鳴った金属音の出所はここだろう。
 そして不気味なことに、彼は頭からズタ袋を被せられており、それには覗き穴さえ開けられていなかった。
 袋の両端からは黒黒しい一対の角が布地を破って突き出しており、その角には赤黒い筋で正方形を重ねたような文様が描かれていた。
「まさか、また鉄格子を壊したんですか!? 勝手に降りてこないでください!」
「ムム、グ」
 焦りつつも憤りを滲ませた声でスライム兵が叱責すると、巨体魔物囚人は不満そうな唸り声を上げる。
 どうやら袋の下で猿轡でも噛ませられているようで、ロセカには彼が何を話しているのか全く聞き取れなかった。
 手足に枷を付けられ、視界も言葉も奪われているというのに、ロセカは階段の上からこちらを見下ろしているらしい囚人が恐ろしくて仕方なかった。
 どんな迷宮にも、洞窟にも、こんな屈強な魔物は居なかった。
 ロセカが息を呑んで後ずさると、囚人はまるで視えているかのようにロセカの方へ顔を向けた。
「はい、戻って! 今降りるならニンゲン帰らせますからね!」
「ムー……」
 スライム兵がどろどろの腕でロセカを指差すと、囚人は至極残念そうな低い唸り声を上げて項垂れる。
 そして、ため息を吐くと、背を丸めて階段を上がる仕草を見せた。
「な、な、なに、ま、魔王?」
 あまりに立派な体躯にロセカが思ったままのことを口走ると、帰りかけていた囚人がひょっこり手すりから顔を覗かせ、フッフッフ……と意味ありげな笑い声を聞かせてきた。
「早く行って下さい。仕事にならないじゃないですか」
 スライム兵が囚人を非難すると、彼はようやく鎖の音を響かせながらゆったりと上階へ戻っていった。

 つづく
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