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第二章

誘い

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 魔王が倒され、季節が過ぎ、人々が凶暴な魔獣に脅えていたことを忘れ始めてきた頃、ラスダマエ村ではある噂が流れていた。

「ムラトよう、魔避けは売ってねぇか」
 そろそろ日が傾きかける午後、ムラトの店を訪れた農夫はしょぼくれ顔だ。
「魔避けって、その、武器ですかい? もう殆ど置いてませんが」
 ムラトよりも十程上の痩せたひげ面の農夫は、いやいや俺は武器なんかとてもと首を振る。
「違うんだ。なんていうのかなぁ。ほら、アレだよ。精霊教会で売ってる水というか」
「あぁ、祝福水のことですか」
 教会で神父により精霊神の加護を受けたとされる水は聖なる力で魔獣を寄せ付けなくなる効果があると言われる。
 永続的なものでは無いが、危険地帯を進む旅人達は懐に余裕があれば都市部で手に入れてから出立していた。
 たまに道具屋に卸されていることもあるが、ムラトの店では扱った事は無かった。
「教会にお願いしたらどうです?」
 この村にも小さいが教会はある。
 偏屈な神父が一人、掘っ立て小屋のような教会を守っているので祝祭でもなければ村人は近寄らないが。
「いや、視線程度でなぁ」
「視線?」
「なんかよう、森に豚連れてったらよ、嫌な感じがすんだよ。あの魔獣が居るときのムカムカってするアレだ」
「はあ」
 瘴気のことだろうか。
 魔獣が集まると淀んだ魔力が毒霧のようになり、人を徐々に蝕むという。
「豚も妙にどんぐり食わねぇし……。俺だけじゃねえんだ。ダニオもエーリオも似たようなこと言ってたぞ」
「豚は死んでないんですよね」
「あぁ」
 まだ被害は出ていない。
 だが、村人と家畜は何かの兆しを敏感に感じ取っている。
 ここはかつて魔王城に最も近い村と呼ばれていた。
 そこに暮らす者達の勘もバカには出来ないのである。
「だからよぉ、ほら、お前んとこの隠者の鍛冶屋が、そういう魔除けを作ったりできねぇのかなって」
「うーん……」
 どうなんだろう。
 ムラトもカウンター内で顎に手を当てて虚空に視線を向ける。
 魔術が施された武器は今まで幾つも扱ってきたが、魔法道具マジックアイテムは皆無だ。
 そもそも三兄弟の範囲内なのかすら分からない。
「こんな村、めったに行商も来ねぇしよ。羊飼いが戻るのは冬だしよ。それまでに何もねぇといいんだが」
 放浪の末託した家畜を連れて帰る牧人が無病息災の民間まじないをかけるため家々を巡るのが習慣だが、それはあくまで気休めである。
 今この不安を取り除けるのは、人智を超える力か、精霊に祝福された勇者・・くらいのものだろう。
「どうなるか分かりませんが、話だけはしてみますよ」
「頼むな」
 農夫はついでに鍋と蹄鉄の注文をしてムラトの店を去って行った。
 こう言うときには声をかけてくれないんですよね、ブロンテス様は。
 客の去った店内で、ムラトはカウンター内に置いた水晶を覗き込む。
 そこにはただ自分の顔が曲がって映り込むばかりだ。
 件の鍛冶屋は今まさに熱い鉄を金槌で打っているのかもしれない。
 ムラトはブロンテスの鍛え上げられた二の腕を思い出す。
「俺も仕事しなきゃなぁ」
 最近村内の需要も変わりつつある。
 ムラトはいくつかの帳面を引っ張り出し、在庫と売り上げ金を確認し始めた。


 
「魔除けだと?」
 言うと思った。
 支払金を前に大目玉を窄めてこちらを睥睨するブロンテスにムラトは歪な愛想笑いで返した。
「いや、村の者にせがまれまして。勿論、勿論ブロンテス様にご負担をおかけしたいわけではなくてですね。専門外のことをお頼みするような」
「お前、俺が魔除けひとつ作れぬ愚物だと言いたいのか?」
「違います!」
 なんて人が悪いんだ。
 ムラトの言いたいことをわざと曲解して圧をかけてくる巨人に、ムラトはほとほと困り果てた。
「確かに金細工は俺の趣味ではない。兄弟はくだらん装飾を付けたがるがな」
 目線を落としたムラトはブロンテスの片足首にはめられた金の足輪を見る。
 迸る雷が繊細に掘られた逸品だ。
「もし作って頂けるとなると、やはり金銀細工になりますか」
「それ以外何がある。俺に機織りをしろとでも言うのか」
「いやいやいや」
「それにだな、お前らの村で俺達が作る指輪や腕輪を買える奴がいるのか?」
 ムラトも農夫も、何かの呪いが彫られた鉄板程度を思い浮かべていたため、本格的なものになるとは予想していなかった。
「ちなみに、参考までに、もし指輪を作って頂けるとなると……?」
 ムラトがいつもの揉み手で笑顔を見せる。
 申し訳なさそうに下げられた眉毛には、頼むから負けてくれという願いが込められている。
「ニンゲン用に小さく作るからな、その分も上乗せだ。そうだな、半永久的な効果をつけてやるとすると……」
 形状、付与魔法、貴金属、宝石諸々の説明をしたあと発表された金額にムラトは腰を抜かしそうになった。
 きっと王都に家が建つ。
「ハハ、わ、私共には過ぎたものですね」
 苦笑いのムラトを見て、ブロンテスは先程までのにやつきを口元から消した。
「俺はお前を困らせようとしてわざと大きく言っているわけではない。分かるな」
「はい。それは勿論承知しております」
 ブロンテス含め、この兄弟達は鍛冶仕事において一切の妥協も嘘もつかない。
 文句は垂れるが、一度引き受けた仕事はきちんとこなして品物を渡してくれる。
 決してぼったくりたくてふっかけているわけではないことを、ムラトは深く理解していた。 
「ならいい。ここには細々とした道具を作りたがる奴は少ないからな。まあ、市場の露天にでも行けばひとつふたつ見つかるかもしれんがな」
「市場、ですか?」
 目を丸くするムラトにブロンテスは軽くため息をついた。
地下世界ここがいかに荒れていようと、俺達だけで住んでいるわけではない。まさか取引先がお前だけとでも思っていたのか?」
「まっまさか! その、この付近には見当たりませんでしたので、つい」
 陰鬱な雲に覆われた渇いた荒野と渓谷が広がるばかりの土地に、そんな栄えたところがあったとは。
「買い出しのついでだ。ついてくるか。俺はニンゲンの欲しがるものなど一つも理解できんからな」
 長椅子にどっかりと背を預け、横柄に足を四の字に組むブロンテスに、ムラトは眼を瞬かせた。
「まさか」
「ん?」
「まさかブロンテス様からデートのお誘いを頂けるとは。へへ」
 地下世界ではブロンテス邸と地上とを行き来するだけであったため、ムラトは二人で何処かに出かけるという選択肢が存在したことに顔をほころばせていた。
「俺達は今仕事の話をしていたのではなかったか。まったく、そんなことで浮かれる奴がいるか」
「ここに」
 どこか固い愛想笑いとは比べものにならないくらい、屈託無く笑うムラトを見て、ブロンテスはそれ以上何も言わなかった。



「おやおや随分丸くなったな、兄弟」
「ニンゲンと片時も離れたくないようだな、兄弟」
 ムラトを地上世界うえへ送っていった後、ブロンテスは嫌な笑みを浮かべる兄弟二人に絡まれていた。
 ブロンテスは無言で応接室に飾られている投擲用の戦斧へ近づく。
「そうやって武器で脅すのも芸が無いぞ」
「ちなみにそれは俺の作だ。俺には当たらん」
「なら他の武器で殺してやる。槍か剣か選べ」
 うんざりとした様子のブロンテスに兄弟二人は笑うばかり。
「くだらん。用がないなら話しかけてくるな。今日の食事当番はケラヴノス、貴様だろう。さっさと芋の皮でも剥くんだな」
 肩を怒らせて部屋を出て行こうとするブロンテスをケラヴノスが引き留める。
「まあ待て。地上世界うえの異変について知りたくは無いのか」
「そうだぞ。まあ、俺達と言うよりはムラトに関わる事でもあるからな」
 ムラトの名前を出せば立ち止まると確信している二人を睨み付け、ブロンテスは一つ鼻を鳴らすと長椅子の座面に大きな尻をどかりと沈み込ませた。
「とっとと話せ」

 つづく
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