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第二章

わがまま

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 ムラトの言葉に、ブロンテスの大きな単眼が見開かれる。
 人間用の武器を鍛えるようになったのも、ブロンテスからすれば極々最近の話だ。
 地上の魔王が討たれたことは、地下世界の住人にとっても予想外のことである。
 その余波がムラトの願いとなって、今ここに到達している。
「……つまり、お前はこの俺に、鎌だの鍬だの、ニンゲン共の農具を打てというのか?」
「できれば、できればお願いしたく」
 ムラトも自分が無茶を言っていることは重々承知の上なのであろう。
 愛想笑いが剥がれ、泣いているのか笑っているのか分からないくらい、目元と口元が歪んでいる。
「鄙びた場所とはいえ、お前の村にもニンゲンの鍛冶師がいるだろう。それに、領主だか村長だか知らんが、その類を無視してお前の店で農具が売れるのか?」
 多くの村や町では首長に認められた鍛冶屋が農民の使う農具を鍛えることになっている。
 鍛冶師の中でも武具職人は貴重人材で、ラスダマエ村のような寒村にはまず住んでいない。
 それゆえにムラトがブロンテスの武具を仕入れて販売することも許されていたのだ。
「実は村の鍛冶師は足腰も弱ってまして、魔獣に襲われた傷もありまして、世継ぎは王都に行くと言って家出してますし、私が仕入れを出来れば村の者も喜ぶかと」
 へへへ、とムラトはいつもの調子でごますり笑顔を見せる。
 ムラトは腐っても商人であり、店の主人であった。
 村の農具と日用品を専売できる好機をみすみす逃すこともない。
 なにより生活がかかっている。
 いくらブロンテスが気難しかろうが、ムラトは切り出さずにはいられなかった。
「生き汚い奴め。ニンゲン共が地上にのさばっているわけだ」
「そんなことを仰らないでください。我々はあなた方と違って弱いのです。誇りで腹は膨れませんので、何卒」
 ムラトの揉み手はいつの間にか顔の前でしっかりと組み合わさり、精霊像の前で祈りを捧げているかのように熱心に拝み倒してきた。
 ブロンテスにとってその行為は気分のよいものであったが、そう易々願いを叶えてやるのも癪だった。
 数多の英雄が手にした武器を鍛えてきたこの俺が、何の力もない下僕同然のニンゲンのために農具をこさえてやるなど。
 ムラトとの関係が無ければ、ブロンテスは即座に断っていただろう。
 何なら無礼だと頭を踏みつぶしていたかもしれない。
 しかし、ムラトは既にブロンテスのモノである。
 ムラトの身も心も繋ぎ止めたのは、他でもないブロンテスだ。
 ここでムラトとの売買契約を破棄すれば、もうニンゲンと旧き鍛冶神の末裔に接点は無くなる。
 それでもムラトはここに来るか、いや、曲がりなりにも恋仲と呼べる間柄のニンゲンのを無視するのも──
 ブロンテスは返答に窮し、口をひん曲げて腕組みをしている。
 気まずい沈黙が始まったが、それはすぐに大きな音でかき消されてしまった。
 応接間にブロンテスの兄弟が扉を開けてずかずかと入り込んでくる。
「何だケラヴノス。取り込み中だ」
 ブロンテスに瓜二つのサイクロプスが無遠慮にムラトの脇に腰を下ろした。
 その重みで長椅子のクッションが跳ね、ムラトの尻が若干浮く。
 いきなりムラトの脇に腰を掛けた兄弟に、ブロンテスの機嫌は益々悪くなっていく。
「そう睨むなよ、兄弟。俺は助け舟を出してやりに来たんだ」
「何だと」
「どうせニンゲンのための農具なんぞ造れるか! と言いたいんだろう。でも言えない。こいつが可愛いから」
 ケラヴノスは巨人の間で視線を泳がせているムラトの頭を鷲掴みにし、雑に撫で始める。
「今すぐ止めろ。さもないと眼玉を潰すぞ」
「おお、怖い怖い。一つしかないんだ、そんなことをされては敵わんな」
 ブロンテスの脅迫にケラヴノスはにんまり笑ってムラトの頭から手を退けた。
「カテギートスとも話したんだがな、上も下も中間も、戦の気配がない。武具の注文も減るだろう。だからな、農具の注文も可とする」
「何だと?」
「俺達は既に天精霊から一つ二つ依頼を受けていてな、地上の注文はお前に任せる。小さき者のために小さき農具を鍛えてやれ」
「……いつからお前が俺達の代表になったんだ?」
 ブロンテスの怒りをにじませた低い声はムラトの肌を刺すように冷たい。
 憤怒の対象は自分でないにもかかわらず、ムラトはその場にすくみ上っていた。
 そんなムラトとは対照的に、ケラヴノスはどっかりと背もたれに筋肉質な背を預けて寛いでいる。
「代表も何も、これまで注文を取りまとめてやったのも、ここに炉を構えたのもすべて俺だ。お前はただ自分の気分で仕事をしていただけだろう。そのうえニンゲンにまでちょっかいをかけ始めた。少しは俺達の身にもなってもらおうか」
 ケラヴノスの話だけ聞くと、ブロンテスはまるで不良息子のようである。
 ブロンテスは三兄弟の中で一番武器の製造に長け、一番我儘であった。
「拒否しても無駄だ。二対一だからな。どうしても嫌というなら、お前の炉に火は灯さない。もう何も手伝ってもやらんからな」
「……」
 ブロンテスは難しい顔で兄弟を睨みつけるだけだ。
 それを了解と捉えたケラヴノスは、脇で固まるムラトの頬を軽く指でつつくように触れた。
「よかったな、これからもお前のために働いてくれるそうだ」
「え、あの」
「触るな。とっとと出ていけ」
 ブロンテスの言葉にケラヴノスはにやにやしながら無言で応接間を後にした。

「あのー、ブロンテス様、そのー」
 ケラヴノスが去った後、ムラトはしばらく苦虫を嚙み潰したような顔をしていたブロンテスにおずおずと声をかける。
「おい」
「はい!」
 突然の呼びかけにムラトの背がピンと伸びる。
「いいか、勘違いするなよ。俺は兄弟に屈したわけではない。腕がなまるからな、暇つぶしにお前の注文を受けてやる。それだけだ」
 ブロンテスは顎をしゃくり上げ、居丈高にムラトを睥睨する。
 それでもムラトはブロンテスが要望を叶えてくれることが嬉しかった。
「ありがとうございます!」
 ムラトは長椅子から跳ねるように立ち上がると、ブロンテスの元に駆け寄り、そのまま思いっきりブロンテスの懐へうずまるように抱き着いた。
「おいっ!?」
 ムラトはブロンテスの山のように膨れ上がった胸板に顔を埋め、広い背にしがみつくように腕を回す。
「嬉しいです」
 自分の身体に乗り上げ、抱き着くムラトにブロンテスはむず痒そうに首の後ろを掻く。
 怯える割に大胆なことをするムラトの動きが読めない。
 ブロンテスによってムラトの意識が塗りつぶされているとはいえ、自分を恋い慕うムラトの挙動にブロンテスは未だ慣れないでいた。
 これまでヒトに恐れられたことはあっても、惚れられたことのなかったブロンテスは、上下の関係以外の接し方に疎かった。
 ほんの少し考えたあと、ブロンテスがムラトの背に腕を回そうとした、その時だった。
「おい、飯だぞ」
 またしても予告なく扉が開き、がさつな兄弟が顔を覗かせる。
「さっき出ていけと言っただろうが!」
「俺はカテギートスだ。はは、ニンゲンに夢中で俺達の見分けもつかんのか」
「……二人まとめて殺してやる」
 
 そうしてムラトは、立ち上がって壁に掛けてあった投斧へ向かおうとするブロンテスにしがみつき、兄弟喧嘩をやめるよう懇願することにかなりの時間を割くはめになった。

 つづく
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