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第二章

祝勝会

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 魔王が倒された。
 この世界中の人間を喜ばせそうな情報をいち早く掴んだのは、僻地にあるラスダマエ村の住人達であった。
 最近魔獣の姿を見かけない。
 たまに谷の方から流れてくる紫色をした障気の霧が出なくなった。
 何だか空気が清々しい。
 村ではここ二、三日そんな話をする者が多かったが、それが魔王の息の根が止まった影響とは誰も考えていなかった。
 村人が魔王が討ち取られたことを知ったのは、かつて村へ武器を調達するために立ち寄った旅人達が、再びこの村を訪れたためである。
 大槌を携えた髭面の戦士は、体のあちこちに傷跡を残していた。
 裾が焼け焦げたローブを着た魔導士がかけている眼鏡の弦は歪み、杖も煤けている。
 そして立派な鎧を身に着けた若き剣士の背負う盾には、巨大な三本の爪痕が残されていた。
 体力だけは魔法で回復したのだろうが、一行の武器防具には激闘の記憶が刻み込まれている。
 若き剣士は驚く村人に晴れがましい笑顔を見せると、あくびをしながら店の前にある花壇に水をやっていたムラトへと近づき、こう言い放った。
「ありがとうございます! あなたから買った剣のおかげで、魔王を討ち滅ぼすことができました!」

 魔王の野郎、くたばるのが早すぎる。
 商売あがったりだ、畜生め。
 村を挙げての野外祝勝会の隅で、ムラトはぎこちない笑みを浮かべていた。
 まるで結婚式のように机を外に出し、急ごしらえのご馳走が皿の上に並べられていく。
 勿論王宮のような食事ではないが、冬のための羊肉が惜しげもなく焼かれていく光景は、ムラトにとっても珍しいものだった。
 木製ジョッキ片手に木の根元へ腰を下ろしているムラトの元へ本日の主役が近づいてくる。
「静かな方がお好きですか」
「いや、そういうわけでもないんですが」
 魔王を成敗した若き剣士─アルバーノは、酒のせいか僅かに頬を紅潮させている。
 アルバーノは綺麗な所作でムラトの隣に座ると、人懐こい笑顔を浮かべながらあれこれ話しかけてきた。
「ご主人のお陰で悪しき魔王を討つことが出来ました。この剣が我々を守って下さったのです」
「辞めてくださいよご主人だなんて。私はついこの間店を継いだばかりの若輩者でして」
 へりくだるムラトにアルバーノは首を振る。
 自分よりも十は若い、つい最近大人の仲間入りをした年頃の、精悍な顔つきの青年に眩しげに見つめられるとムラトは尻の座りが悪くなった。
「いいえ。あの時僕にこの眩き剣を勧めてくださらなければ、我々は邪法に守られた悪魔に負けていたかもしれません。本当に良い物をお譲り下さいました」
 お前ら金持ってそうだったから、一番高いやつ買わせただけだぞ。
 ムラトはへらへらしながら喉元にせりあがる本音を酸味の強すぎる葡萄酒で流し込んだ。
「どんな王城の宝物庫にもこのような宝はないと仰っていましたが、本当にその通りですね。それで、一つお伺いしたいのですが」
「何でしょう」
「この剣を鍛えられたのは、一体どなたなのでしょう。常人ならざるこの技術、この世に二人と居ない名工とお見受けいたします。もしかして、ご主人が?」
「いやいやいや! 私はただの商人でございます」
「と、いいますと、やはり鍛冶師とお取引を」
「ええ……まあ……」
 聞かれるとは思っていたが、いざ質問されるとなんと返すべきか答えあぐねる。
 ムラトは歯切れ悪く返答をした。
 そこへ千鳥足になった村の中年男が近づいてくる。
「不思議だよなぁ、こいつらはよぉ、親の代からよぉ、どっか遠いところからえれぇ武器仕込んでくるのよ。どこの誰から買ってるのかって聞いても教えてくんねぇしよぉ」
「……びっくりするほど偏屈なんだよ。ヒト嫌いで隠れ住んでるんだ。そっとしておくことを条件に買わせて貰ってるから、死んだって言わないぞ」
 言えるもんか。
 村の者からしたら一つ目の巨人はただの魔物だろう。
 相手方からもキツく正体を明かすなと言われている手前、ムラトはそれっぽい理由をつけて口を閉ざすしかなかった。
「天才とは数多の者と考えが大きく異なると聞きます。詮索してしまい申し訳ございません」
「そんなそんな、まあ、世の中色々ありますからねぇ」
 へへへ、とごますり笑顔を浮かべるムラトに村の男は白けた様子でその場を離れていった。
 アルバーノは気にした風もなく、瞳を輝かせながらムラトへ向き直る。
「ご主人、機会があればこの剣を鍛えられた方へお伝え頂けないでしょうか。あなたの剣をもって平和がもたらされたと」
「かしこまりました。お伝えしておきましょう。きっと喜びます」



「びっくりするほど偏屈な奴とは俺のことを言っているのか?」
「嘘に決まっているじゃないですか! ああでも言わないと納得しないんですよぉ」
 サイクロプス兄弟の住処で、ムラトはブロンテスを前に滝のような汗をかいていた。
 相変わらず長椅子にどっかりとふんぞり返るブロンテスとは対照的に、ムラトはの機嫌とりに四苦八苦している。
 自分史上最高に憐れっぽい顔をしてブロンテスを見上げているのだが、この旧き鍛冶神の末裔はムラトが困っている顔を見るのが大好きという厄介な性格をしていた。
「あ! そうそう! 勇者様も仰ってましたよ、ブロンテス様の剣で世界が平和になった、と」
「既に知っていることを告げられて俺が喜ぶと思ったのか?」
 しまった。そうだった。
 ブロンテスが何某かの魔術的力でムラトの店はおろか村中も監視できることを知ったのは今日初めてのことだった。
「で、でも喜ばしいことではありませんか。救世剣の製造元とは」
「フン。地上のことなどどうでもよい。下賤な魔獣の頭目を潰した程度で何が名誉か」
 本当はちょっと誇らしいくせに。
 こんなことを言おうものなら尻を百叩きで済まない刑罰が待っていることをムラトは重々承知していた。
 ムラトにとってはブロンテスが魔王である。
 しかしただ畏れて居るわけではない。
 ブロンテスと幾度目かに交わったときに行った誓約によって、ムラトにとってブロンテスは愛情を向けて全てを捧げる対象となっている。
 ゆるりと意識の改変が成されていることに、当のムラトは気づいていない。
 ムラトがブロンテスの顔色をうかがう理由について、金銭的な問題や生命の危機ということのほかに、好いた相手に嫌われたくないというものが追加されている。
 そして何より、ムラトは現在二重の意味で死活問題を抱えていた。
「それで、そのー、私としても魔獣が消えることは喜ばしいことなのですが」
「嘘をつけ。本当のことを言ってみろ」
 巨大な単眼を窄めてブロンテスがムラトを見下ろす。
 億劫そうに腕を組んだブロンテスの胸筋が押し上げられるように盛り上がり、ムラトの目線も逞しい胸板に集中した。
「……おい」
「あっ、すみません! その、本当の事とは?」
「しらばっくれるな。魔王が死んで困るのはお前だろう、
「そんな身も蓋もない……」
 そう。
 今やムラトの店にある超高性能武器・防具は文字通りの無用の長物、宝の持ち腐れなのである。
 ブロンテス達の鍛える武器は使い手を選ぶ超一級品だ。
 値段も恐ろしく高い。
 魔王によって凶暴化させられていた魔獣達が引いた今、誰がムラトの店から武器を買うというのか。
 ただでさえラスダマエの村は何かの間違いで山間に取り残されたかのような場所にあるというのに。
 世界平和すなわちムラトの廃業確定ということなのである。
「私の事情をご理解いただいているブロンテス様に、折り入ってお願いがございまして」
 じっとりとした手汗を感じながら、ムラトは落ち着き無く揉み手をする。
 困りに困っているだろうに、何とか取り繕おうとするムラトを前に頬が緩みそうになるブロンテスだったが、この楽しみを長引かせるためにしかめっ面を継続中だ。
「何だ、言ってみろ」
「に、に」
「に?」
「日用品を、造ってはいただけないでしょうか?」
「……は?」
 巨人の低い驚嘆の声が部屋中に振動する。
 ブロンテスは初めてムラトの前に呆けた面を晒した。

 つづく 
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