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二 褒美

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 長治郎が円座に胡坐を掻き、朝餉の稗粥を啜っていると、慌ただしい足音が家の前に迫ってきた。
「おい、長治郎ッ、起きろッ!」
 あばら家の戸がガタガタと揺らされる。
「お、起きてっど!」
 一体何事か。
 長治郎は筵の上に椀を置き、急いで草履をつっかけて戸を開けた。
 すると、そこには興奮ぎみに肩を怒らせた村の男がうっすら汗をかいて長治郎が出てくるのをじれったそうに待っているではないか。
 狭い村だ。同い年のこの男は、ろくに付き合いこそないものの、勿論長治郎とは顔見知りであった。
 まだ畑仕事も始まらぬ朝っぱらから訪ねてくる理由が、長治郎にはこれっぽっちも思いつかない。
「なんだぁ、朝っぱらから……」
「いや、その、目の下によ、痘痕がある野郎を探してるっつうのが来てるらしくてよ。そんな野郎、この辺りじゃおめえしかいねえべ」
 男は長治郎をまるで罪人を見るような険しい顔つきで見ている。
「な、な、だっ誰だその野郎は?」
 長治郎には誰かに探されるようなことをしでかした心当たりは一切なかった。
 軽薄な男は朝っぱらから流れた噂に乗って長治郎の元へ駆けて来たらしい。
「外さ来うよ。たぶん、まだその辺にいっぺ」
「わけわかんねぇど俺ァ」
 長治郎が男に続いて家の外に出ると、朝もやに包まれた家々の向こうから、二人連れの影が現れた。
 その二人は長治郎達の元を目指し、ぐんぐんと迫っている。
 その二人組のうち一人はよく目にしていた人物であったが、もう一人は面識のない大男である。
「あの、その、そこにおるんが、きっと……」
 村の女が照れくさそうに縮こまりながら、傍らの人物の顔と長治郎の顔とを見比べている。
「案内ご苦労。恩に着る」
「いえその、へえ」
 女の横にいた若い男の風体を見て、長治郎も村の男もあんぐりと口を開けてしまった。
 その男はおよそ村では見かけることのない、立派な狩装束を来た武士だったのだ。
 武士は綾藺笠を被り、薄紅の水干を着込み、左腕には白の射籠手をつけ、腰には鹿毛の覆いが巻かれ、そこに黒い鞘の太刀と腰刀、そして矢の入っていない空穂を履いていた。
 顔は切れ長の眼に高い鼻を持った精悍な造りであり、恐らく案内を頼まれた女の顔が緩みっぱなしになるのも無理はないだろう。
 だが、男の装束は狩に山の中へ入ってきたとは思えないほど小奇麗で、顔立ちから装いに至るまで妙に整い過ぎているところが、長治郎の眼には不気味に映った。
 深く被った笠が目元に暗い影を落としており、その下から覗く眼にはどこか強すぎる光が宿っている。
 長治郎は、その眼に見覚えがあった。
 本能なのだろうか。
 理由は分からないが、男と目が合った瞬間、長治郎の腕に毛がぞわりと逆立つ悪寒が走った。
「おお、おお! 確かに某が探しておった男だ。これほど早く見つかるとは」
 若武者は嬉しそうな声を上げ、長治郎に歩み寄ってくる。
「ずっと礼がしたいと思っておったのだ。む、そこが其方の家か? 往来で話すことでもない故、上がらせてもらおう」
「えっあっちょ」
 こうして若武者にぐいぐいと肩を押された長治郎は成り行きを呆け面で見守る村人の前で、家の中に押し込まれてしまった。

 ➵

 ガタン、と建付けの悪い戸を後手で乱暴に閉めた若武者は、甕や蓑や鋤などが置かれた、物置小屋にすら見える狭い室内をぐるりと見渡すと、土間でへっぴり腰になって見上げている長治郎に視線を落とした。
 突然のことの連続で混乱し、恐れ慄いている長治郎の顔が可笑しかったのか、若武者は一つ笑い声を漏らす。
 薄く開いた口元からは、ヒトにしては尖り過ぎた白い犬歯が僅かに顔をのぞかせた。
「……某が何者であるか、既に感づいておるのだろう?」
 片眉を上げてからかうような笑みを浮かべた若武者は、だめ押しと言わんばかりに親指で笠を上げてみせた。
 露わになった額には、僅かだが青黒い角が生えている。
 若武者のような何かは、わざわざ変化を一部分だけ解き、長治郎にそれを見せつけてきたようだ。
 鬼だ。
 鬼が化けてやってきた!
「や、やっぱりオ──」
 長治郎がその正体を言葉にしようとしたその時、長治郎の口は革のゆがけに包まれた大きな手で塞がれてしまった。
「んぐっ!?」
 鼻から下の殆どを掴まれたような格好の長治郎に向かって、若武者は口元に笑みを湛えたまま無言で首を振る。
 そして薄い板で出来た掘っ立て小屋のような壁に目線を向け、顎をしゃくってみせた。
 どうやら、噂を聞き付けた村人がこっそり聞き耳を立てているようだ。
 そして若武者は外まで聞こえるくらいはっきりと、芝居がかっているとさえ思えるほどに朗々と言葉を発し始める。
「本当に助かったぞ。狩りの途中落としたこの腰刀、其方が追いかけて届けてくれねば、某はどうなっていたことか。帰ってみれば父上がさるお方にこれを献上する約束をしておったのだ。ああ肝が冷えた。家の恥を作るところであった。某の首が繋がっておるのも全て其方のお陰よ。たとえ下々の者とはいえ、礼をせねばまた家の恥であるからな、こうして参ったわけだ」
 嘘八百。
 流石の長治郎も鬼が盗み聞きをしている村人へ作り話を聞かせてやっていることに感づいた。
 幾らか落ち着きを取り戻した長治郎は、抵抗せずじっと鬼の顔を見上げてみる。
 すると、未だ若武者姿の鬼はにこにこしながら口を塞いでいた手を離した。
「少ないが褒美を取らせよう」
 鬼は懐に手を入れ、なにか長いものを取り出す。
 そして長治郎の肩を掴んで己の方へ引き寄せると、背を屈めて長治郎の耳元に顔を寄せた。
 固まっている長治郎の耳元で、外には聞こえない程に小さく絞った声で鬼が囁く。
「これを夜中、外で三回振ってみよ。某の元へ来られる。……待っておるぞ」
「えっ」
 鬼は狼狽える長治郎の手へ強引にそれを握らせると、もう一度懐を弄って小さな巾着を取り出し、それを粥が入ったままの椀の横へ置くと、晴れやかな笑みを浮かべたまま去っていった。

「なあ、一体何があったんだ?」
 聞いてたくせに。
 若武者が去った後、長治郎を呼びに来た男を含めた何人かがそわそわしながら尋ねてくるので、長治郎は内心苦々しく思っていた。
 恐らく、村人の興味は何があったかではなく、何を貰ったか、だろう。
 長治郎は上等な織物の切れっ端で出来たような巾着を取り、中身を村人へ見せてやった。
「へえ、銭かぁ」
「あれま、結構あんなぁ」
「鶏でも飼え、鶏でも」
 薄っすらと、どうにかして分前が欲しいという空気を肌で感じた長治郎は、その巾着をそっと袂へと仕舞った。
 これは目の毒だ。
 さっさと何か買ったほうがいいだろう。

 ➵

 夜。
 長治郎は囲炉裏に当たりながら、腕を組んでうんうんと唸りながら考え事をしている。
 悩みの種は、鬼が残したもう一つのだ。
 それが何なのか分からず、また、他人に見せるのも何だか憚られた為、長治郎は藁で編んだ円座の下に今日一日それを仕舞っていたのだ。
 それは鷹のものか鳶のものか不明だが、とにかく大きな鳥の羽根であった。
 これと似たものを最近見かけた記憶があるのだが、長治郎はついに思い出せないでいた。
 夜中、これを三回、外で振る。
 馬鹿げている。
 鬼の元へ行けるというが、全く意味がわからない。
 悩んでいても何にもならない。腹が減るだけだ。
 長治郎はついに使い古しの小袖を引っ被って眠ることにした。

 眠れない。
 何時もならぐっすりと夢の中へ落ちていくのに、今日ばかりは目が冴えて仕方ない。
 長治郎が眠れない原因は、やはり鬼の囁きである。
 掠れた低い声が、耳穴の中にこびりついて離れないのだ。
 鬼は言った。
 待っている、と。
 一体何が目的なのか、長治郎にはとんと分からぬ。
 わざわざ物の怪の呼び出しに応じてやる義理もない。何をされるか分かったものではない。
 だか、このまま知らん振りをしてもいいのだろうか。
 鬼は既に長治郎の住居を突き止めている。
 待っていたのに、何故来なかったのか。
 そう問い詰められて、挙句の果てに機嫌を損ねた鬼に頭から齧りつかれる。
 そんな妄想が頭を駆け巡るため、長治郎はいつまで経っても眠れなかった。
「ええい、畜生っ」
 ついに起き上がった長治郎は、囲炉裏の近くに置いておいた羽根を掴むと、そっと戸を開け、月明かりの無い闇のなかへと足を踏み入れた。

 つづく
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