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赤星との生活

歓迎会と三人目

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 健人は何とか瞼を開き、ふぁい、とあくび混じりの間抜けな返事をした。
「生島くーん、メシ食いに行かない?」
 ──めし?
 その言葉を皮切りに、健人の空腹感が急速に高まった。
 量の少ない機内食は、すっかり消化されている。
 そして食欲が眠気を押しやり、健人を完全に覚醒させた。
 起き上がってみると、窓の外はすっかり陽が落ちており、西日の代わりに繁華街のネオンがブラインドの隙間から漏れていた。
 ──もう夜か。
 健人は灯りも点けぬまま起き上がり、急いでドアを開けた。そこには廊下の電灯を背に、赤星が背を丸めるようにして立っていた。
「ごめん、寝てたんだね」
「あ、いや、全然。うっかりっていうか」
 寝ぐせのつきかけた短い髪をぼりぼりと掻きながら、健人は気まずそうな笑みを浮かべた。
「一緒に飲みに行こうよ。歓迎会もしたいし」
「行く行く! ありがとう」
 赤星の心遣いが嬉しく、健人は眠気を全て振り払うように明るい声を出した。

 オフィスが入る雑居ビルの裏手、騒がしい飲み屋街の地下にその小料理屋はあった。
 一階にある大衆居酒屋の影に隠れるように、地下への階段が続いている。
 入り口には蛇の尾で簡単に潰れてしまいそうな立て看板が置かれ、そこには『バル・ブルーレーサー』と書かれていた。
 赤星曰く無国籍バルとのことで、この島の郷土料理から遠い外洋国の料理まで様々なメニューがあるという。
 ──ゲテモノ出てこないだろうな……。
 赤星の派手な尾を模様を見ながら、健人はまた大股で階段を下りていった。

 階段を下った先の突き当り、赤星は大きな木製のドアを押し開く。
 するりと中に入っていく赤星に続いて、健人も店内に足を踏み入れた。
 中は地下にしては天井が高く、ランタン型の電灯がいくつも吊り下げられ、壁にはモザイクタイルで何処か遠い国の寺院らしきものが描かれており、中々に洒落た空間だった。
 メニューの掛かれた黒板が貼り付けられた下にはバーカウンターがあり、逆さに飾られたグラスと、様々な酒瓶を収めた棚が見える。
「いらっしゃい。何人?」
 その中にいた男が良く通る声で赤星へ声をかけた。
「三人です。もう一人は後から来ます」
「横のテーブル座って。ちょっと待っててね」
 男は身を捻って背後の厨房へ続くドアに身体を差し入れ、何事か指示を飛ばしている。
 午後六時、ほかの客の姿も見えず、どうも開店早々に来てしまったらしい二人は、いそいそと準備をする店の主人達を見守りながら席についた。

 「すごい量だなあ」
 「生島君って少食?」
 おまかせコースを選んだ結果、二人の間には大皿の料理がいくつも並ぶ羽目になった。
 コロッケのような何か、肉団子をクリームで煮たような何か、妙に大きいゆで卵の輪切りが乗ったサラダ。
 健人が唯一味が分かりそうなのは、ミートソースの乗ったショートパスタだけだ。
「この後魚もあるよ」
「あ、どうも」
 ビールグラスを運んできた主人が、二人の前にコースターとともにそれを置く。
 健人が足元を盗み見ると、群青色が鮮やかな蛇の胴体から先があった。
「ニンゲンのお客さん久しぶりだなぁ。観光? そんな訳ないか!」
 白髪交じりの中年店主は、自分の冗談に自分で笑っている。
「これから一緒に働くんですよ」
「そうなの? へえー、度胸あるねぇ」
 左遷という名の島流しにされたことなど言えるはずもなく、健人はヘラヘラと愛想笑いをするほかできない。店主はまだ何か聞きたそうにしていたが、新たに扉を開いた客の対応で席から離れていった。
「白間くんまだ来ないけど、先に乾杯しよっか。はい、乾杯」
「乾杯」
 健人は戸惑いながらも、冷たいグラスを掲げ、それで軽く赤星のグラスに触れる。
 かちん、と小気味いい音が鳴った。

 ──美味い。何だかよく分からないけど、美味い。
 ふんわり甘味のある芋らしきものをすり潰した揚げ物は、さくさくとした衣に滑らかな中身を持っていて、ビールのつまみに最適だった。
 赤星は満足そうにしている健人の姿に目を細めている。やはり自分が紹介した店を気に入ってもらうのは嬉しいようだ。
「ウチでも何度か紹介したんだけど、評判いいんだよね」
「こう言うのもなんだけど、広告打たなくても人気出そうな気がするなぁ」
「あー……。その、ここはさ、質より量みたいなとこあるんだよね」
「そうなんだ」
「それに、安全に飲み食いできる場所って貴重だから、ふらっと入ったりネットで即予約、みたいなのも難しいし」
「そうなんだ……」
「だから飲食の掲載依頼多いんだよ。勿論、やばそうなとこは避けるけどさ」
「な、なるほど」
 広告を張れることが安全性の担保になっているらしい島の常識に、健人は酔いとは違う眩暈を覚えた。
 半分はヒト半分はケダモノであるせいなのか、どうにも荒っぽいところが残っているようだ。
 陰湿、狡猾、恨み深い、暴力的、等々蛇人に対するマイナスイメージは他種族にも強く広がっている。
 度胸あるね、という店主の言葉が、今更になって重くのしかかってくるようだ。
 今親切な態度を見せる赤星も、何かが切っ掛けで豹変するのだろうか。
 そう思うと、健人の箸の動きものろくなっていく。
 まだまだ残る大皿料理に胸やけを覚えそうになったその時、赤星が明後日の方向に手を振った。
 釣られて健人が振り返ってみると、ある一人の蛇人がのっそりとこちらに近づいてきていた。
「よかったー、来てくれて。こっち来る? 生島君の隣にする?」
「……どっちでも」
 黒いキャップにグレーのマスク、オーバーサイズの黒い七分丈のTシャツと、防犯ポスターに描かれた不審者を思い起こさせる若い蛇人の男が赤星の隣に座る。
 その目つきは気だるげだが鋭く、警戒の光を宿している。
 色白で引き締まった身体の下には淡い褐色に黒い横縞のある蛇の胴体から下が生えている。
 よく見ると袖の下にある左腕の内側には、杖のようなものに巻き付く蛇のタトゥーが見えた。
 ──ヤカラが増えた……。
 見た目だけなら厳ついアロハシャツの赤星の隣にその蛇人男が座ると、怪しさが倍増した。
「白間君だよ。俺達の四つ……だっけ? うん、四つ下。デザインとか、編集とか、そういうの担当してもらってるんだ」
「生島です、これからよろしく」
「……っす」
 ──声が聞こえねぇ!
 健人が目線を合わせようとしても、白間はすいと反らして短く返事をするだけだった。
「何飲む?」
「任せます」
「あ、生島君のも空だね。どうする?」
「じゃあ、ビールで」
 主体性ゼロの不愛想な後輩蛇人にどう接するべきなのか。
 健人は妙な空気のなか、二人を観察しなければならなくなった。

 キャップとマスクを外して机の端に押しやった白間は、相変わらず健人と目線を合わせることなく、ビールを喉に流し込んでは肉団子を口に運んでいる。
 白間はよく言えばすっきりとした、淡泊な顔立ちだ。
 メッシュを入れた短く刈った髪に鼻筋が通っている細面が、どうにも話しかけづらい冷たさをもたらしている。
 ──きっと証明写真が指名手配犯みたいになるタイプだな。
 生島が遠慮なしに白間を見続けていると、ようやく当人と目が合った。
「……知らない蛇に、ガンつけるのやめた方がいいっすよ」
「え?」
「ここには三種類の嫌われ者がいるんで、それに因縁つけられたら勝ち目ないと思います。ニンゲンだし」
「うん?」
「一種類目は、尻尾がうるさい毒蛇っすね」
 ──なんだこいつ。ヒトとまともに会話する気あんのか?
 健人が呆気に取られている間も、白間はぼそぼそと続ける。
 その間、赤星は腕を組んで悩ましそうな顔で唸っていた。
「二種類目は王様。三種類目は朝のオマワリ。以上」
「何? なぞなぞ?」
健人には白間の言葉の意味が一つも分からない。
だが、白間は教えてくれる気がないようだった。
「何でこの島来ちゃったんすか。まあ、すぐに分かると思うけど。ニンゲンが一人で出歩くなんて無理ってこと」
 澄まし顔で謎の講釈を垂れる白間の態度に僅かに腹を立てた健人は、少し言い返すことにした。
「よく分かんないけど、危険ってことは分かった。外出するときは君に声をかけるよ、強そうだし。これから頼りにさせてもらうな」
 すると白間は驚いた顔を見せたあと、世話しない動きでキャップとマスクを手に取った。
「ニンゲンのお世話は先輩に任せるんで……お先でーす」
「えー、もう帰んの?」
「まだ残ってる仕事ありますから。休み返上」
 ──飲んだあと仕事すんのか? 夜に?
 何から何まで理解できない言動の白間は「シフト変えといてください」という言葉を残して、瞬く間に店を出ていってしまった。
「あのさ、ホント、訳わかんないんだけど」
「白間君変ってるからなー。でも、ちゃんと顔見せてくれたし、君のこと心配してるんだよ」
 どこが、という言葉を呑み込んで、健人は赤星に説明を求めることにした。
「さっきの答え、教えてくんないかな?」
「答え?」
「王様とか、オマワリとか」
「うーん、あんまり他の蛇のこと、悪く言いたくないんだけど……」
 赤星は眉を八の字に下げつつも、ぼそりぼそりと白間の警告・・を読み解いてくれた。
 
 
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