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第22話 不器用な兄弟~SIDEアンリ&ルイス~
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鉛筆の音だけが室内に鳴り響く。
青々と茂った生命力あふれるその植物を顔をあげて何度も確認しながら、キャンバスに反映させた。
裏庭からロザリアの手によって運ばれてきたそれは、今日は低めの器に身を投じている。
ルイスは瞬間、緑と緑の間から少しだけ顔を出している小さな白い花を見つめて、手に取ると優しく撫でた。
「これは……」
そう言いかけた瞬間に部屋の扉がゆっくりと開く音がした。
食事の時間でもない、お茶の時間でもない。
それにエリーヌは少し前に訪問して戻ったばかり。
不思議に思ったルイスは振り返って入口のほうをみやった。
「──っ!!」
「久しぶり、ルイス」
「兄さん……」
およそ5年ぶりの再会だった──
アンリは瞬きを速めながら自分の靴をちらりと見ては、気恥ずかしそうに大きな時計を見る。
ルイスはその赤い瞳を開いたまま、じっと兄の瞳が何度も閉じては開く姿を見つめる。
部屋の入口からゆっくりとした歩みでルイスに近づく。
待っていた彼は兄の目を見上げて、彼の頬へ手を伸ばす。
「兄さん、いらっしゃい」
「ああ、お邪魔します」
なんともぎこちなく交わされた挨拶は静かな時間をもたらし、二人は以前のようにソファの定位置へと腰かける。
本棚側のソファにはアンリが右端側よりに座り、大きな時計側のソファにはルイスがこれまた右側よりに座った。
少しだけずれたその位置が、彼ら兄弟の定位置──
「もう来てくれないかと思いました」
「いや、その、エリーヌに促されて……」
やっぱり彼女が気を回してくれたのだと気づき、ルイスはわずかに微笑む。
テーブルにあった冷水をグラスに注ぐと、兄の右手の前に置いた。
「ごめんね、お水しかないけど」
「大丈夫だよ。水は好きだ」
「昔、山に湧き水を汲みに行きましたね」
「ああ、勝手に家を出て怒られたな」
意図的に”誰に”と言わないアンリに、彼は少し苛立ちを覚えた。
「僕はもう父上の死も、母上の死も受け入れています」
「──っ! ああ、そうだな」
図星を突かれたように目を逸らした兄に向かって、ルイスは立ち上がって訴える。
「僕は子供じゃないんです!! 兄さんに、兄さんに守られなくても生きていけます!」
「ルイス……!」
そこまで言って自分で自分が矛盾していると思った。
ならなぜここから出ない。
どうしてここに居座って外へと出ないのか。
(怖がっているのは自分じゃないか、これじゃあまるで八つ当たりだ)
アンリはおもむろに立ち上がると、テーブルを回り込んで彼のもとへと向かった。
「──っ!」
ゆっくりと彼は自分を責める弟の背中をさする。
そして少しだけ遠慮がちに自分の身体を彼の身体に寄せた。
「俺が来たら、お前を苦しめると思った。お前から大切な全てを奪ったのは俺だから」
「ちがっ……!」
「でも、違った。怖かったんだよ、俺はお前に合うのが。だってお前は絶対に俺を責めない」
一層責めてくれたら楽なのに。
恨まれれば楽なのに。
だが、アンリは知っていた。
自分の弟はどんなに辛い目にあったとしても人のせいにしないことを──
彼のその優しさをわかっているからこそ、自分の罪がどこかに消えてしまうのではないかと怖かった。
アンリは左耳につけたピアスに手をやると、ダイヤの光るそれをはずしてテーブルに置く。
「兄さん?」
「お前の言う通りだよ。俺は今までお前を縛ってた。守ってあげなくちゃいけないと思っていた。でも、もうそうじゃなかった」
アンリは先程まで逸らしていた目をルイスに向ける。
「ルイス。お前はもう大人だ。いつまで閉じこもってる? いつまで傷ついた『ふり』をしている?」
「──っ!!」
「もうお前は自分の足で歩けるはずだ。怖がるな」
彼は気づいた。
兄は自分へ『勇気』を伝えようとしている。
長年がんじがらめになっていた鎖を引きちぎって兄はここへと来た。
ならば、今度その鎖を強固なものへと正しく繋ぎ直すのが……。
(僕の役割……兄さんの気持ちを受け取って、そして僕は)
彼は黒く見える兄の瞳を見つめて頷いた。
「兄さん、ありがとう。守られるんじゃない。僕も自分の足で踏み出すよ。だから、今度は見守っていてほしい」
「ああ、俺が絶対にお前の目を治す。お前がもう一度、夢を見られるように」
ルイスの頬に一筋の涙が光った。
そうして兄弟は微笑み合った──
ルイスの描く絵を見て、アンリは感心する。
「ほお、うまくなったな」
「本当!?」
「ああ、陰影もそうだが、なんだか生き生きしている」
「ふふ、ありがとう。ねえ、覚えてる? この花」
ルイスは小さな白い花を撫でてアンリの顔を伺う。
彼は腕を組んで天井を眺めながら、う~んと唸って考える。
「もう、忘れたの!?」
「見たことあるような……?」
「ほら、兄さんが昔出会ったあの子がくれたって僕に見せてくれたじゃないか!」
そこまで聞いて、アンリの中に少しずつ当時の記憶がよみがえってくる。
『ねえ~これ、おにわにあったのですが、アンリさま、よかったら』
『ああ、可愛いね。なんて花なんだい?』
『おなまえはわからなく……すみません』
『いいや、じゃあ次に会った時までに俺が調べておくよ』
『ほんとうですか!?』
『ああ、楽しみにしていてくれ……』
「──っ!!」
鮮明に光景と声が呼び起こされて彼はぞくりとした。
彼はにわかには信じがたく、思わずその場で硬直してしまう。
「兄さん?」
「ルイス、ありがとう。お前のおかげで大事な記憶を思い出せたよ」
「え?」
そう、淡い青のドレスに身を包んだ金髪のその少女に言った最後の言葉を、アンリは思い出した。
『ああ、楽しみにしていてくれ……エリーヌ』
青々と茂った生命力あふれるその植物を顔をあげて何度も確認しながら、キャンバスに反映させた。
裏庭からロザリアの手によって運ばれてきたそれは、今日は低めの器に身を投じている。
ルイスは瞬間、緑と緑の間から少しだけ顔を出している小さな白い花を見つめて、手に取ると優しく撫でた。
「これは……」
そう言いかけた瞬間に部屋の扉がゆっくりと開く音がした。
食事の時間でもない、お茶の時間でもない。
それにエリーヌは少し前に訪問して戻ったばかり。
不思議に思ったルイスは振り返って入口のほうをみやった。
「──っ!!」
「久しぶり、ルイス」
「兄さん……」
およそ5年ぶりの再会だった──
アンリは瞬きを速めながら自分の靴をちらりと見ては、気恥ずかしそうに大きな時計を見る。
ルイスはその赤い瞳を開いたまま、じっと兄の瞳が何度も閉じては開く姿を見つめる。
部屋の入口からゆっくりとした歩みでルイスに近づく。
待っていた彼は兄の目を見上げて、彼の頬へ手を伸ばす。
「兄さん、いらっしゃい」
「ああ、お邪魔します」
なんともぎこちなく交わされた挨拶は静かな時間をもたらし、二人は以前のようにソファの定位置へと腰かける。
本棚側のソファにはアンリが右端側よりに座り、大きな時計側のソファにはルイスがこれまた右側よりに座った。
少しだけずれたその位置が、彼ら兄弟の定位置──
「もう来てくれないかと思いました」
「いや、その、エリーヌに促されて……」
やっぱり彼女が気を回してくれたのだと気づき、ルイスはわずかに微笑む。
テーブルにあった冷水をグラスに注ぐと、兄の右手の前に置いた。
「ごめんね、お水しかないけど」
「大丈夫だよ。水は好きだ」
「昔、山に湧き水を汲みに行きましたね」
「ああ、勝手に家を出て怒られたな」
意図的に”誰に”と言わないアンリに、彼は少し苛立ちを覚えた。
「僕はもう父上の死も、母上の死も受け入れています」
「──っ! ああ、そうだな」
図星を突かれたように目を逸らした兄に向かって、ルイスは立ち上がって訴える。
「僕は子供じゃないんです!! 兄さんに、兄さんに守られなくても生きていけます!」
「ルイス……!」
そこまで言って自分で自分が矛盾していると思った。
ならなぜここから出ない。
どうしてここに居座って外へと出ないのか。
(怖がっているのは自分じゃないか、これじゃあまるで八つ当たりだ)
アンリはおもむろに立ち上がると、テーブルを回り込んで彼のもとへと向かった。
「──っ!」
ゆっくりと彼は自分を責める弟の背中をさする。
そして少しだけ遠慮がちに自分の身体を彼の身体に寄せた。
「俺が来たら、お前を苦しめると思った。お前から大切な全てを奪ったのは俺だから」
「ちがっ……!」
「でも、違った。怖かったんだよ、俺はお前に合うのが。だってお前は絶対に俺を責めない」
一層責めてくれたら楽なのに。
恨まれれば楽なのに。
だが、アンリは知っていた。
自分の弟はどんなに辛い目にあったとしても人のせいにしないことを──
彼のその優しさをわかっているからこそ、自分の罪がどこかに消えてしまうのではないかと怖かった。
アンリは左耳につけたピアスに手をやると、ダイヤの光るそれをはずしてテーブルに置く。
「兄さん?」
「お前の言う通りだよ。俺は今までお前を縛ってた。守ってあげなくちゃいけないと思っていた。でも、もうそうじゃなかった」
アンリは先程まで逸らしていた目をルイスに向ける。
「ルイス。お前はもう大人だ。いつまで閉じこもってる? いつまで傷ついた『ふり』をしている?」
「──っ!!」
「もうお前は自分の足で歩けるはずだ。怖がるな」
彼は気づいた。
兄は自分へ『勇気』を伝えようとしている。
長年がんじがらめになっていた鎖を引きちぎって兄はここへと来た。
ならば、今度その鎖を強固なものへと正しく繋ぎ直すのが……。
(僕の役割……兄さんの気持ちを受け取って、そして僕は)
彼は黒く見える兄の瞳を見つめて頷いた。
「兄さん、ありがとう。守られるんじゃない。僕も自分の足で踏み出すよ。だから、今度は見守っていてほしい」
「ああ、俺が絶対にお前の目を治す。お前がもう一度、夢を見られるように」
ルイスの頬に一筋の涙が光った。
そうして兄弟は微笑み合った──
ルイスの描く絵を見て、アンリは感心する。
「ほお、うまくなったな」
「本当!?」
「ああ、陰影もそうだが、なんだか生き生きしている」
「ふふ、ありがとう。ねえ、覚えてる? この花」
ルイスは小さな白い花を撫でてアンリの顔を伺う。
彼は腕を組んで天井を眺めながら、う~んと唸って考える。
「もう、忘れたの!?」
「見たことあるような……?」
「ほら、兄さんが昔出会ったあの子がくれたって僕に見せてくれたじゃないか!」
そこまで聞いて、アンリの中に少しずつ当時の記憶がよみがえってくる。
『ねえ~これ、おにわにあったのですが、アンリさま、よかったら』
『ああ、可愛いね。なんて花なんだい?』
『おなまえはわからなく……すみません』
『いいや、じゃあ次に会った時までに俺が調べておくよ』
『ほんとうですか!?』
『ああ、楽しみにしていてくれ……』
「──っ!!」
鮮明に光景と声が呼び起こされて彼はぞくりとした。
彼はにわかには信じがたく、思わずその場で硬直してしまう。
「兄さん?」
「ルイス、ありがとう。お前のおかげで大事な記憶を思い出せたよ」
「え?」
そう、淡い青のドレスに身を包んだ金髪のその少女に言った最後の言葉を、アンリは思い出した。
『ああ、楽しみにしていてくれ……エリーヌ』
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