上 下
2 / 42

第2話 公爵邸へようこそ

しおりを挟む
「痛いっ!!」
「おとなしくここにいろっ!!」

 衛兵に王宮にある牢屋に入れられたエリーヌは、冷たい床に座り込む。
 もう一度歌を歌おうとしても奏でられない──

 夜会も終えた頃であろう時に大きく重い牢屋に入る扉が開いた。
 眩しい光に思わずエリーヌは目を細めて、少し視線を逸らす。

「まあ、無様ね」
「ロラ……!」
「どう? 歌声も失って、婚約者も失って、何もかもなくした気分は~?」

 真っ赤なルージュを大きく開きながら嬉しそうに笑みをこぼしていうロラに、エリーヌは問いかける。

「あなたがしたの……?」
「ええ、そうよ。満足いただけたかしら?」
「何でこんな、こんなこと」
「あなたは親友と思っているのかもしれないけれど、私は一度もそう思ったことないわよ。あなただけよ。もう親友ごっこはお・わ・り」

 人差し指を牢屋の中に向けて楽しそうに言うロラ。

(そうか、ロラが……。ロラが全てやったの……)

 悟りを開いたような、全てを悟ったようなそんな表情を浮かべるエリーヌに、ロラは苛立ちを隠せない。

「その澄ました顔が大嫌いなのよっ! なんでもそうやって無欲なふりして手に入れて……でも、もう終わりね? あなたはもう歌姫としての地位を失った。それに婚約者も私のもの」

 高いハイヒールを鳴らしながらドアのほうへと歩みを進めていく。
 そして扉に近づいた時に、あっとわざとらしい声をあげた後にエリーヌに告げた。

「あなたを獄に入れるのは面白くないから、あの『毒公爵』に嫁ぐように私からゼシフィード様に進言しといたから。明日にはそうなってるかもね。ふふ、『毒』で私を殺そうとしたあなたにぴったりじゃない!」

 ふふ、と口元に手を当てて笑った後、こらえきれないという様子で声をあげながら去って行った。

(毒公爵……あの、毒の研究で引きこもってるっていうあの噂の……?)

 『毒公爵』と悪名高い名がつけられたその人は、アンリ・エマニュエルといった。
 彼は社交界や王族関係式典などにも滅多に姿を見せず、さらに危ない毒物の研究をひっそりとやっているということで、人々は良い噂をしない。
 エリーヌ自身は一度だけ遠めに式典の際に見たことがある。
 だが、王族の衣装を身に着けて顔を伏せていたのであまりどのような人物なのかはわからなかった。

(毒……私、実験台とかにされるのかしら?)

 エリーヌの頭の中では怪しいガラス瓶に入れられた毒物を飲まされる光景が浮かび、身体を震わせる。
 しかし、ふと別の事も頭に浮かんだ。

(ああ、そうね、それくらいのほうがもう恋もしなくていいかもしれないわね)

 婚約者にも信じてもらえず、親友に裏切られ、恋人を奪われた彼女はもう生きる気力を失いかけていた。
 少なくとも政略結婚なら相手にも恋愛感情はないだろう、と考えた。

(私は夫を支えればいい、私はもう恋をしなくていいんだ……)

 彼女はそんな風に考えているうちにうとうとと眠気が来てしまい、壁に寄りかかって眠った──



 翌朝早くに衛兵が乱暴に牢屋を開ける音でエリーヌは目が覚めた。

「おい、今すぐ馬車に乗れ」

 戸惑う暇も与えられないまま馬車に投げ込まれ、一時間ほど馬車に揺られた。

(かなり森のほうへとやってきたわね……)

 王宮から出て市街地をしばらく走っていたが、数十分もすればずいぶんと田舎道を走っている。
 さらに森を二つほど抜けた後、大きな湖が見えた。

「綺麗……」

 水面に太陽の光が反射してキラキラと輝いている。
 さらに大きく細身と白い鳥が何十羽か群れを成して飛んでいくのが見えた。

(この国にこんなに綺麗な環境の場所があるなんて……!)

 初めて見る自然の豊かさに感情を動かされたエリーヌは、そっと目を閉じてみる。

(大丈夫、怖いことは何もないわ)

 心を落ち着かせた頃に馬車はゆっくりと停車した。

「降りてください」
「は、はい……」

 ようやく目的地にたどり着いたようで、馬車から降りて辺りを見渡す。
 目の前には大きな屋敷、そして周りは森のように鬱蒼と生い茂っていた。

「ここが……」
「エマニュエル公爵邸でございます。それでは、私はこれで」

 御者はすぐに馬を走らせて王宮の方へと帰っていった。


 馬車を見送っていると、後ろの方から声がした。

「エリーヌ様、お待ちしておりました」
「わっ!」

 突然の人の声に驚いて肩をあげてしまうエリーヌ。

「驚かせてしまい、申し訳ございません。私はアンリ様の側近のディルヴァールでございます。主人が仕事のため代わりに屋敷の案内をさせていただきます」
「よろしくお願いいたします」

 彼は黒色のアシンメトリーな髪型をしており、公爵家の側近ということだけあり皺ひとつない身なりをしている。
 エリーヌは深々とお辞儀をして彼について屋敷に足を踏み入れた。


「ここが、エリーヌ様のお部屋でございまして、お好きにお使いください」
「ありがとうございます」
「私は仕事で失礼しますが、すぐにメイドがまいりますので、少々お待ちくださいませ」
「はい、ありがとうございました!」

 ディルヴァールは背筋の伸びた綺麗な姿勢で礼をすると、そのまま部屋を後にした。

 メイドを待つ間に部屋を見渡すが、長年使っていないのかヴィンテージの家具が目立つ。
 深いブラウンの机に本棚、部屋の真ん中にあるテーブルには一輪背の高い白色の花が咲いている。

(落ち着いた雰囲気の部屋……)

 これまでの実家は母の趣味で少し派手めの家具が多かったため、こうした色合いの部屋や家具は新鮮だった。
 それに彼女自身の好みにも合っていた──


 しばらくして部屋の扉をノックする音が聞こえたエリーヌは、どうぞと返事をする。
 先程言っていたメイドだろう20代前半くらいでエリーヌより少し年上の女性が紅茶を運んで来た。

「はじめまして。エリーヌ様のお世話をさせていただきます、ロザリアと申します。紅茶をお持ちいたしましたので、よかったらお召し上がりください」
「ありがとうございます。それと、よろしくお願いいたします。あの……アンリ様は……」

「夕食時には来られるかと思います」
「わかりました、ではその時にご挨拶を」
「かしこまりました」



 夕食の席についたエリーヌはどのような方が来るのかそわそわとしながら、アンリの到着を待っていた。

 しかしいくら待っても来なかった。
 しばらくしてやって来たのはディルヴァールだった。

「ディルヴァール様……?」
「ディルヴァールとお呼びください。アンリ様が仕事で来られないことになりまして、申し訳ございません」
「そうですか、ではまたお会いできるときを楽しみにしております、とお伝えください」
「かしこまりました。必ずお伝えいたします」

 そう言ってディルヴァールは一礼してダイニングを去って行った。


 夫婦が会合するまであと15時間──
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

家出した伯爵令嬢【完結済】

弓立歩
恋愛
薬学に長けた家に生まれた伯爵令嬢のカノン。病弱だった第2王子との7年の婚約の結果は何と婚約破棄だった!これまでの尽力に対して、実家も含めあまりにもつらい仕打ちにとうとうカノンは家を出る決意をする。 番外編において暴力的なシーン等もありますので一応R15が付いています 6/21完結。今後の更新は予定しておりません。また、本編は60000字と少しで柔らかい表現で出来ております

完結 虚ろ森の歌姫が恋の歌を唄うまで

音爽(ネソウ)
恋愛
幼馴染で婚約者の彼は流行り歌を披露する歌姫に夢中だ。 構って貰えず拗ねた彼女は「私だって歌えるのに」と誰もいない森の中で運命の出会いをする。 その人はかつてピアニストを目指した訳あり青年で……

今日も旦那は愛人に尽くしている~なら私もいいわよね?~

コトミ
恋愛
 結婚した夫には愛人がいた。辺境伯の令嬢であったビオラには男兄弟がおらず、子爵家のカールを婿として屋敷に向かい入れた。半年の間は良かったが、それから事態は急速に悪化していく。伯爵であり、領地も統治している夫に平民の愛人がいて、屋敷の隣にその愛人のための別棟まで作って愛人に尽くす。こんなことを我慢できる夫人は私以外に何人いるのかしら。そんな考えを巡らせながら、ビオラは毎日夫の代わりに領地の仕事をこなしていた。毎晩夫のカールは愛人の元へ通っている。その間ビオラは休む暇なく仕事をこなした。ビオラがカールに反論してもカールは「君も愛人を作ればいいじゃないか」の一点張り。我慢の限界になったビオラはずっと大切にしてきた屋敷を飛び出した。  そしてその飛び出した先で出会った人とは? (できる限り毎日投稿を頑張ります。誤字脱字、世界観、ストーリー構成、などなどはゆるゆるです) hotランキング1位入りしました。ありがとうございます

【完結】フェリシアの誤算

伽羅
恋愛
前世の記憶を持つフェリシアはルームメイトのジェシカと細々と暮らしていた。流行り病でジェシカを亡くしたフェリシアは、彼女を探しに来た人物に彼女と間違えられたのをいい事にジェシカになりすましてついて行くが、なんと彼女は公爵家の孫だった。 正体を明かして迷惑料としてお金をせびろうと考えていたフェリシアだったが、それを言い出す事も出来ないままズルズルと公爵家で暮らしていく事になり…。

最愛の側妃だけを愛する旦那様、あなたの愛は要りません

abang
恋愛
私の旦那様は七人の側妃を持つ、巷でも噂の好色王。 後宮はいつでも女の戦いが絶えない。 安心して眠ることもできない後宮に、他の妃の所にばかり通う皇帝である夫。 「どうして、この人を愛していたのかしら?」 ずっと静観していた皇后の心は冷めてしまいう。 それなのに皇帝は急に皇后に興味を向けて……!? 「あの人に興味はありません。勝手になさい!」

全てを諦めた令嬢の幸福

セン
恋愛
公爵令嬢シルヴィア・クロヴァンスはその奇異な外見のせいで、家族からも幼い頃からの婚約者からも嫌われていた。そして学園卒業間近、彼女は突然婚約破棄を言い渡された。 諦めてばかりいたシルヴィアが周りに支えられ成長していく物語。 ※途中シリアスな話もあります。

ほらやっぱり、結局貴方は彼女を好きになるんでしょう?

望月 或
恋愛
ベラトリクス侯爵家のセイフィーラと、ライオロック王国の第一王子であるユークリットは婚約者同士だ。二人は周りが羨むほどの相思相愛な仲で、通っている学園で日々仲睦まじく過ごしていた。 ある日、セイフィーラは落馬をし、その衝撃で《前世》の記憶を取り戻す。ここはゲームの中の世界で、自分は“悪役令嬢”だということを。 転入生のヒロインにユークリットが一目惚れをしてしまい、セイフィーラは二人の仲に嫉妬してヒロインを虐め、最後は『婚約破棄』をされ修道院に送られる運命であることを―― そのことをユークリットに告げると、「絶対にその彼女に目移りなんてしない。俺がこの世で愛しているのは君だけなんだ」と真剣に言ってくれたのだが……。 その日の朝礼後、ゲームの展開通り、ヒロインのリルカが転入してくる。 ――そして、セイフィーラは見てしまった。 目を見開き、頬を紅潮させながらリルカを見つめているユークリットの顔を―― ※作者独自の世界設定です。ゆるめなので、突っ込みは心の中でお手柔らかに願います……。 ※たまに第三者視点が入ります。(タイトルに記載)

元侯爵令嬢は冷遇を満喫する

cyaru
恋愛
第三王子の不貞による婚約解消で王様に拝み倒され、渋々嫁いだ侯爵令嬢のエレイン。 しかし教会で結婚式を挙げた後、夫の口から開口一番に出た言葉は 「王命だから君を娶っただけだ。愛してもらえるとは思わないでくれ」 夫となったパトリックの側には長年の恋人であるリリシア。 自分もだけど、向こうだってわたくしの事は見たくも無いはず!っと早々の別居宣言。 お互いで交わす契約書にほっとするパトリックとエレイン。ほくそ笑む愛人リリシア。 本宅からは屋根すら見えない別邸に引きこもりお1人様生活を満喫する予定が・・。 ※専門用語は出来るだけ注釈をつけますが、作者が専門用語だと思ってない専門用語がある場合があります ※作者都合のご都合主義です。 ※リアルで似たようなものが出てくると思いますが気のせいです。 ※架空のお話です。現実世界の話ではありません。 ※爵位や言葉使いなど現実世界、他の作者さんの作品とは異なります(似てるモノ、同じものもあります) ※誤字脱字結構多い作者です(ごめんなさい)コメント欄より教えて頂けると非常に助かります。

処理中です...