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エピローグ
43 証
しおりを挟む蔦村静香は墓の前に立っていた。
黒い服で身を包み、冷たい石をそっと撫でる。
静香は大学生となり、達貴の兄である達宗が助手をしている大学に通っている。しかも、同じ経済学部ということで何かと彼と接点ができた。
達宗を見ていると、たまに達貴の仕草とかぶることがある。笑う姿が兄弟だなと思うことがある。
でも、違うところをすぐに見つけてしまう。
違う人間だから当たり前だ。なのに、同じところを見つけるとあの頃のように気持ちが引きずられることがあった。
無機質なただの石は、外気とともに冷たさを返してくるだけだ。
その奥に彼の痕跡を探そうとも、戒名を見ても、自分の持つ達貴のイメージと合わない。彼の温もりとは程遠い。
ここには、一周忌の法要を前に、達宗が車を出して連れてきてくれた。
法要に参加するのは身内でもないのに気が引け、なら当日の親族とかぶらない時間帯をと忙しい中時間を割いてくれた。
今も、一緒に水や花を添えて参ったあと、先に車に戻っていると静香を一人にしてくれていた。
墓石と、達貴が眠っている場所と向き合う。
確かに達貴はそこに眠っているのだろうが、そこにはいない。
ここに来れば、近くに感じる気もするが、触れることができないことが何よりも彼がいないことの証拠だった。
この一年間、消えない悲しみはずっとあったが、過ごした時間までも悲しいものにはしたくなかった。無駄にしたくなかった。
それらを悲しみで塗ってしまうのは違うと泣かないようにはしていたが、会えないのがずっとずっと寂しい。
────達貴、やっぱりあなたがいないと寂しい。
どれだけ願っても、彼に触れられない。
達貴の家族、姫野家はとても温かく、達貴が亡くなった後も気遣い静香を迎え入れてくれた。
自分の知らない頃の彼の話が出ると、そうだったんだと微笑ましい気持ちにはなるが、知り合った後からの話になると喉が詰まったように声がでなくなることもあった。
まだ、彼への気持ちが、胸にいっぱい詰まっている。
それは決して悪いことではなく、次から次へと出てくる思い出はそれだけ自分たちが大事に過ごしてきた時の証だ。
だから、この胸の詰まりも、大事な大事な時の一部だと思っている……、そのつもりなのに、込み上げる思いで目頭が熱くなることもある。
一人になると、二人で過ごした、自分たちだけが知る景色、会話を思い出し懐かしく思うと同時に、懐かしく思うことが泣けてきた。
だが次第に、そういったつかえる時間も少なくなっていく。
一度出してしまえば、そこに道筋ができたように、痛みも苦しみも和らぎ、思い出というものだけが残っていく。
そうなる自分が寂しくもあったが、これが生きているということなのだろう。
生きているからこそ、彼を忘れないでいられる。
「忘れない」
静香は小さくはっきりと、墓石に向かって告げた。
忘れていない。
忘れることなんてできない。
ずっと好きだ。愛おしい人に変わりはない。
ずっと、そこにある。
ここに、胸に、達貴は在り続ける。
たとえ、この先好きが時とともに懐かしむ感情へと変化しても、見つめられた眼差し、毎日話しかけれた日々、付き合ってからの二人で過ごした時間はなくなることはない。
静香の中で蓄積されている。
わかっているけど、やっぱり寂しく静香は握り返されることのない手の先を思うことがあった。
あの時のまま、ずっと一緒にいられたらな。
いつまでもああしていられたらな。
達貴の孤独が、切望した未来、全ての思いとともに静香は忘れない。それがあるから繋がっている。
だけど、今、これだけ鮮明な記憶が、いつかは薄れてしまうのだろうか。
それが、怖い。
忘れないまま、温かい思いで日々を思うことがあるのだろうか……。
わからないが、想像もできないが、記憶だけは色褪せないでとずっとずっと思う。
そうであって欲しい。
「忘れないよ」
忘れないからね。それに、怒ってもいるんだから。
だから、忘れられるわけがないと墓に向かって胸の内で告げる。
『死ぬまで付き合って』
あの告白の時、達貴が告げた言葉だ。
「結局、最後まで付き合わせてくれなかったくせに……」
静香は声に出して文句を言った。
文句があるのはそれだけだ。
あの時、互いに手を、繋いでいた手を離した。
達貴も、静香と自分の気持ちを優先した。静香も、達貴の辛さや事情がわかるから達貴の言葉通りにした。
離したくないのに、最後は二人で離しあった。
今でも思う。それで良かったのかとずっとずっと考える。
もっと、もっと一緒にいられたら少しでも時間をともにできていたら……、そう思わずにはいられない。
そう思うが、あれ以上一緒にいて静香に何か残せただろうか。やはり、自分がいてはしんどかったのだろうか。
それでも許されるのならば、本当は最後までずっとそばにいたかった。
家族に見守られ、少しでも幸せに、気持ち穏やかに逝けただろうか。
あの別れた日から、達貴は日に日に弱っていき、六日後に亡くなった。達貴の誕生日の日だった。
そう今日は、彼の誕生日でもあり命日でもある。
最後まで親孝行したんだなって思う日にちに、達貴らしいと静香は思う。ずっと家族を気にかけ、感謝していた真っ直ぐな人。
だから、産んでくれた母親に感謝してそこまで頑張ったのではないかと思っている。
電話を受けた日も今日みたいに寒くて、降りそうで降らない雪はその月は降らずじまいで、木々は葉も落ち寂しそうに揺れているだけだった。
ともに過ごしてきた日々はあったのに、今はそばにいない。もし、を考えたらきりがないのに考えてしまう。
この時間に、この地に、彼が、達貴がいない。同じ景色を見れない。
離された手を本当は握り返したかった。
最後まで握っていたかった。
ずっとずっと手を繋いでいたかったのに……、達貴に離された、そして優しい彼に放されたのだと思う。
あの時だからこそ、これだけ鮮明に残っているのかもしれず、すぐに照れたように笑う彼を思い浮かべることもできる。
照れたように、君、と呼ばれていた時期も愛おしく、それからずっとずっと存在を感じ、手を繋ぎ、肌と肌で繋がったことがどれだけ大切な時間だったか。
忘れない。
あの日々を、もらった温もりを無駄にしない。
今、を過ごしている。
────だから、たまにあなたが傍にいると思ってもいいですか?
大事にしまっていた死後にもらった達貴の手紙は、今はカバンの中に入れ持ってきている。
真っ直ぐな彼らしい手紙。
『蔦村静香さま
ずっと、好きだ。
なのに、手を離してしまって、ごめん。
離れても、触れられなくても、繋ぎたい気持ちは変わらない。
今まで、ありがとう。出会えて幸せだった。
静香の未来に俺はそばにいられないけど、気持ちは残していくから。
幸せになってください。
姫野達貴』
そばにいるとかそういった言葉はなく、気持ちだけ残すと、ずっと、好きだと告げられた。
埋葬が終わり手紙を受け取った日は、しばらく開けられなくて朝方までずっとその手紙を見つめた。
ずっとずっと涙を我慢して、泣くと現実を受け入れたことになりそうで、いないという現実がのしかかることに耐えられそうになくて……。
それでも、心の底ではわかっていた。
達貴はいないことを、身体を見送ったことを。
どれくらいそうしていたのか、ぼんやりすることに疲れたのか、思考が麻痺したのか、太陽の光が入るとともに、静香は薄いピンクの封筒に入った手紙を取り出した。
読み進めるにつれて溢れる涙を止めることなく、何度も何度も読んだ。
短い文章。そこに気持ちが、達貴がいる気がして、目を離すことができなかった。少しでもそばに、彼の温もりを、気持ちをこの胸に刻み付けたくて、痕跡を探して取り込みたくて。
わかってる。
達貴ともう触れ合えない。好きだったのに、好きなのに。
最後まで手を、繋いでいられなかったことがとても寂しい。
わがままでも何でも、やっぱり手を離さなければ良かったと何百回と思ったことだろう。
────忘れない。
そんな優しくて弱くてでも強い、達貴と過ごした日々を。
「忘れないから」
静香ははっきりと告げる。
薄雲から時おり光がさして降らないと思っていた空から、雪がふわりと落ちてすぐに消えた。
手をかざしてしばらく様子を見たが、気のせいだったかと思うほどもう何も落ちてこなかった。
そのことに、ほっと息をつく。
それでいい。
思い出すのは、今の寂しさを多く含んだ気持ちではなくて、桜の花びらの時に、毎年、毎年、温かい気持ちで思い出したい。
桜の季節は父が亡くなった時期と被って寂しい気持ちになるが、達貴と出会った時期ともなれば、大事な人たちを思い出す時期になる。
なくしたのではなく、大切な時間をもらった人たちを思い出す。
達貴と出会った日から、思い出す。
こそばゆくも、温かく、そわそわと幸せな日々。付き合うということ、寄り添うということ、大事な大事な時間と気持ちをもらった。
好きというオレンジとピンクといった柔らかい色が思い浮かぶ、温かい気持ち、時間。
『桜の木の下で』
目の前で、達貴が笑っている気がした。あの、愛でるような優しい眼差しが自分を見つめている気がした。
「うん。桜の木の下で」
静香は頷いた。
互いの気持ちが、今、届いたような気がした。
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