40 / 44
第5章 繋いだ手を離したくない
40
しおりを挟む* * *
頼りなげなノックの音に、達貴は小さく息を吸い込むと返事をした。
それと同時に現れる彼女の姿を眩しく見つめ、ゆっくりと愛おしさに笑みを刻んだ。
すると、静香の口が何度か開きかけたが声にならず、諦めたように眉を下げた彼女は笑みを浮かべると達貴のもとへと駆け寄った。
「会いたかった」
詰まるような声に、達貴も気持ちが詰まる。
「俺も、会いたかった」
一回り小さく白い手が、自分の細くなった手を優しく握る。
優しい温もりに、笑顔ではあるがどこか悲しげに見える彼女の眼差しに、目の奥が熱くなりそうだ。
達貴は静香を間近でじっと見つめ、穴が空くのではないかと思うほど見つめ、網膜に刻みつけた。
出会った頃より伸びた髪。顔立ちも少しシャープになり、大人へと近づき彼女の性格に容姿が近づいていき、男を惹きつける色気も出てきたと思う。
でも、小さく笑う姿は変わらず目を見張るほど可愛いし、はっきりとした性格はそばにいてすごく居心地が良かった。
そんな彼女に彼氏として、まっすぐな言葉と視線を向けられ、愛おしすぎてふと弱った姿を見ると守ってやりたくなった。
だけど、俺のこの手は力が入らない。
もう、守ってやれない。
誰よりも、自分がそばにいて見ていたいのに、守っていたいのに、すべてを向けられて取りこぼさず見つめたいのに……、できない。
悔しい、悔しかった。
言いようのない憤りとともに、とても虚しくて……、とても悔しい。
達貴は一度口を開けたが、ただ空気を吸っただけで閉じた。
繋がった手が震え、彼女の手はそれを閉じ込めるように力を入れた。
手から、温もりが伝わる。
こうやって繋げられているのに、温もりを感じられているのに、時間が止まったかのように空間ができ、彼女との間に距離を感じるようだ。
呼吸のリズムさえも違っているようで、そう感じることが苦しかった。
もう少し、もう少し、このままでいたい。まだまだ彼女を見ていたいと、細胞全部で訴える。
願うばかりで、きりがなかった。
達貴はこれで最後だと言い聞かせ、焼き付けるかのように静香のすべてを目で、空気で、今という時間すべてを取り込むように見つめた。
閉ざしてしまいたい口を開け、震えそうになる声を叱咤し、声を静香へと届ける。
「もう、ここには来ないで」
やっと絞り出した声は、自分でも冷たいのではと思うほど感情がこもっていなかった。
心に反したことを告げるのだから、感情が乗りようがなかった。
視線は静香を取りこぼさないように、ここまで神経が向くのかというほど彼女を見つめた。
身体と心が乖離した感覚。
気持ちだけがずっと熱したまま、静香を離したくないと訴える。だけど、もう無理だと、身体が悲鳴をあげていた。
だから、彼女の手を離そう。繋いだ手は、これ以上は繋げることができないと伝えると決めた。
彼女の時間をたくさんもらった。気持ちをもらった。
たくさんたくさん見つめ、見つめ返された。
この胸は、彼女でいっぱいになった。
俺というものを、俺がいたということを、好きな相手に覚えてもらいたい。刻みつけたいと、もしを考えた時ずっと思っていた。
まだまだ、したいことがたくさんある。静香ともっともっと時間を歩みたい。
だけど、それはもうできないと自分でもわかっていた。
刻々と砂時計の砂が落ちていくように、さらさらと終わりの時が迫っていくのを感じる。
身体が意思に反して動かない。気力がもう出ない。
それでも、彼女が好きで好きで叫び出したいのはずっとだ。付き合っても、ずっと達貴の心は叫んでいた。
彼女は泣くだろうか。
詰るだろうか。
こうなる可能性があるとわかっていて、付き合いを要求した俺に。結局、こうなってしまったことに。
忘れるなと、刻みつけた俺に。
手を伸ばしてから、ずっとずっと願うように彼女のそばにいた俺に。
静香は時が静止したかのように、じっと達貴の顔を見ていた。
彼女の全神経が自分へと向けられていることを、敏感に感じ取る。
瞳は潤んでいるが視線は逸らさず、達貴の願いを聞き届けるかのように見つめてくる眼差しに、ぐぅっと胸が痛くなる。
震えるように口を開いた、声にならない彼女の声が耳に届く。
「わすれない」
鼓動が、とくりと鳴る。
達貴は小さく頷き、笑った。
それこそ、達貴の願いだからだ。
彼女を見つけた瞬間から、目の前が色鮮やかに新たな時間が進み出し、そしてそれは終局を迎えている。
諦めていた時間が、静香と出会い幸せなものになった。薄暗かった全てのものが、明るく彩られた。
────そう思うと、俺の人生は良かったよな。
静香の瞳が、ゆらゆらと涙の薄い膜をはりながらも達貴を見ている。
その瞳も綺麗だと思いながら、その向けられる輝きは俺のものだと刻みつけながら、じっと彼女を見つめ返す。
静香は涙を堪えながら、今度ははっきりと告げた。
「忘れない」
その一言がどれだけ俺にとって、泣けるほど嬉しいことなのか、彼女はわからないだろう。
それでも、欲しい言葉をくれる静香がやはり好きだと思わずにいられない。
家族ではない他人に、ただ、いたな、と思い出すだけの俺ではない俺を知っている相手がいる。
それが俺がいた『証』だ。
じっと、震える長いまつ毛と涼やかな双眸を見つめる。潤む目を必死に堪えながら、彼女も自分の姿を焼き付けようと見つめ返す。
好きだ好きだ、好きだ。
離れたくない。放したくない。こんなに彼女が好きなのに……。
でも、これ以上はつらかった。
無理だった。
それが、そう思ってしまうことが、しんどかった。
だから、ここでさよならだ。
それが伝わったのか、静香の瞳がわずかに伏せられ、溜まっていた涙が音もなく頬を伝う。
「達貴……。好き。好きだよ」
囁くように告げられ、距離が近づく。
すぐそばに映し出す互いの姿。
必死で涙を堪えながら静香は繋いだ手にキスと、口に優しく触れるキスを残すと頬をそっと触れながらまた見つめてきた。
「行って。静香」
最後の別れの言葉に静香は目を見張り、震える睫毛を伏せこくりと小さく頷くと、ギリギリまで手を繋ぎ何も言わずに部屋を出て行った。
さよならは言えなかった。言えるはずはなかった。
最後に彼女の名前を呼ぶだけで、達貴は精一杯だった。
触れた時に震える彼女の唇。その感触。
静香も自分と同じで、あれ以上は言葉を発することができなかったのだろう。
泣かせてしまった……。
そして、達貴ももう限界だった。
悔しくて、悔しくて、もたない身体が、彼女を強く抱きしめられない現状が、別れを受け入れさせた己が。
ごめん……、静香。
離したのか。
放せたのか。
気持ちばかりはずっとずっと静香に向かい、もう彼女が恋しい。
離すことしかできない自分が、この身体が、結局、彼女を泣かせてしまう現実が、悔しくて、悲しくて、悔しかった。
自由の利く方の、さっきまで繋いていた方の腕で顔を隠すように、達貴は止められない涙を流した。
0
お気に入りに追加
42
あなたにおすすめの小説
余命宣告を受けたので私を顧みない家族と婚約者に執着するのをやめることにしました
結城芙由奈
恋愛
【余命半年―未練を残さず生きようと決めた。】
私には血の繋がらない父と母に妹、そして婚約者がいる。しかしあの人達は私の存在を無視し、空気の様に扱う。唯一の希望であるはずの婚約者も愛らしい妹と恋愛関係にあった。皆に気に入られる為に努力し続けたが、誰も私を気に掛けてはくれない。そんな時、突然下された余命宣告。全てを諦めた私は穏やかな死を迎える為に、家族と婚約者に執着するのをやめる事にした―。
2021年9月26日:小説部門、HOTランキング部門1位になりました。ありがとうございます
*「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています
※2023年8月 書籍化
皇太子夫妻の歪んだ結婚
夕鈴
恋愛
皇太子妃リーンは夫の秘密に気付いてしまった。
その秘密はリーンにとって許せないものだった。結婚1日目にして離縁を決意したリーンの夫婦生活の始まりだった。
本編完結してます。
番外編を更新中です。
婚約者の浮気相手が子を授かったので
澤谷弥(さわたに わたる)
恋愛
ファンヌはリヴァス王国王太子クラウスの婚約者である。
ある日、クラウスが想いを寄せている女性――アデラが子を授かったと言う。
アデラと一緒になりたいクラウスは、ファンヌに婚約解消を迫る。
ファンヌはそれを受け入れ、さっさと手続きを済ませてしまった。
自由になった彼女は学校へと戻り、大好きな薬草や茶葉の『研究』に没頭する予定だった。
しかし、師であるエルランドが学校を辞めて自国へ戻ると言い出す。
彼は自然豊かな国ベロテニア王国の出身であった。
ベロテニア王国は、薬草や茶葉の生育に力を入れているし、何よりも獣人の血を引く者も数多くいるという魅力的な国である。
まだまだエルランドと共に茶葉や薬草の『研究』を続けたいファンヌは、エルランドと共にベロテニア王国へと向かうのだが――。
※表紙イラストはタイトルから「お絵描きばりぐっどくん」に作成してもらいました。
※完結しました
国王陛下、私のことは忘れて幸せになって下さい。
ひかり芽衣
恋愛
同じ年で幼馴染のシュイルツとアンウェイは、小さい頃から将来は国王・王妃となり国を治め、国民の幸せを守り続ける誓いを立て教育を受けて来た。
即位後、穏やかな生活を送っていた2人だったが、婚姻5年が経っても子宝に恵まれなかった。
そこで、跡継ぎを作る為に側室を迎え入れることとなるが、この側室ができた人間だったのだ。
国の未来と皆の幸せを願い、王妃は身を引くことを決意する。
⭐︎2人の恋の行く末をどうぞ一緒に見守って下さいませ⭐︎
※初執筆&投稿で拙い点があるとは思いますが頑張ります!
最愛の側妃だけを愛する旦那様、あなたの愛は要りません
abang
恋愛
私の旦那様は七人の側妃を持つ、巷でも噂の好色王。
後宮はいつでも女の戦いが絶えない。
安心して眠ることもできない後宮に、他の妃の所にばかり通う皇帝である夫。
「どうして、この人を愛していたのかしら?」
ずっと静観していた皇后の心は冷めてしまいう。
それなのに皇帝は急に皇后に興味を向けて……!?
「あの人に興味はありません。勝手になさい!」
公爵様、契約通り、跡継ぎを身籠りました!-もう契約は満了ですわよ・・・ね?ちょっと待って、どうして契約が終わらないんでしょうかぁぁ?!-
猫まんじゅう
恋愛
そう、没落寸前の実家を助けて頂く代わりに、跡継ぎを産む事を条件にした契約結婚だったのです。
無事跡継ぎを妊娠したフィリス。夫であるバルモント公爵との契約達成は出産までの約9か月となった。
筈だったのです······が?
◆◇◆
「この結婚は契約結婚だ。貴女の実家の財の工面はする。代わりに、貴女には私の跡継ぎを産んでもらおう」
拝啓、公爵様。財政に悩んでいた私の家を助ける代わりに、跡継ぎを産むという一時的な契約結婚でございましたよね・・・?ええ、跡継ぎは産みました。なぜ、まだ契約が完了しないんでしょうか?
「ちょ、ちょ、ちょっと待ってくださいませええ!この契約!あと・・・、一体あと、何人子供を産めば契約が満了になるのですッ!!?」
溺愛と、悪阻(ツワリ)ルートは二人がお互いに想いを通じ合わせても終わらない?
◆◇◆
安心保障のR15設定。
描写の直接的な表現はありませんが、”匂わせ”も気になる吐き悪阻体質の方はご注意ください。
ゆるゆる設定のコメディ要素あり。
つわりに付随する嘔吐表現などが多く含まれます。
※妊娠に関する内容を含みます。
【2023/07/15/9:00〜07/17/15:00, HOTランキング1位ありがとうございます!】
こちらは小説家になろうでも完結掲載しております(詳細はあとがきにて、)
夫の不貞現場を目撃してしまいました
秋月乃衣
恋愛
伯爵夫人ミレーユは、夫との間に子供が授からないまま、閨を共にしなくなって一年。
何故か夫から閨を拒否されてしまっているが、理由が分からない。
そんな時に夜会中の庭園で、夫と未亡人のマデリーンが、情事に耽っている場面を目撃してしまう。
なろう様でも掲載しております。
5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?
gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。
そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて
「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」
もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね?
3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。
4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。
1章が書籍になりました。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる