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第3章 彼女と出会った俺の時間

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 中間テスト最終日。
 好きな教科は力を入れ、興味がない教科はほどよくそれなりにこなした。普段は適当に見せているし、本気で寝ている時もある。

 だが、その態度のまま馬鹿なんだというレッテルを貼られるのは嫌で、なんだかんだで最低点数は取らないようにしていた。
 やりたいようにすると決めた。これも自分なりのやりたいように、だ。
 残す何かが格好悪いのは、嫌だと思ったのだ。

 もし、もし、何かの奇跡が起きてこのまま手術を受けずに心臓が治るのならば、大人になり社会に出る。手術を受けて成功する確率だってある。
 ならその時、何もしてなくて後悔をしたくないと思う気持ちもあった。

 そうあってくれと思う気持ちと、たまに苦しく感じる心臓にだめかもと思う時もある。
 その狭間で揺れ動きながら、とにかく好きなことを好きなように、でも格好悪くなくというのが自分なりの過ごし方だ。そうすると決めた。

 午前中で終わる今日は、誰もが気持ちも晴れやかに時間に余裕があり足取りも軽くなる。
 草木が茂り満ち薫風くんぷうに吹かれながら、ゆっくりと歩む道のり。桜色に染まるのはたった短い期間で、川が薄いピンクで染まるのはたった数日。 

 今、木々は緑に彩られ、日中の太陽の日差しを和らげてくれていた。
 緩くぬるい風。気温。見えない川の中では新たな生命が活動し、全てが、のんびりと穏やかに流れていくようだった。

 手を繋ぎ、名前を呼び、彼女に近づいていく。
 自分が笑うと、呼応するように彼女も微笑むことが増え、触れ合うことが増えていく幸せに、達貴はどうにかなりそうだった。

 彼女と出会うまでは考えられなかった温かくトクトクと心臓が脈打つ日々は、達貴を幸せにするとともにどうしようもない不安を常に抱えることになった。
 胸の鼓動を感じるたびに、動いている嬉しさと、いつどうなるかわからない不安に身がすくむ。

 伸ばしてしまった手に、後悔はしていない。
 だけど、前より先を思うのが怖くなった。

 繋いでいた手に重みを感じ、横で歩くペースを下げた彼女をそっと見下ろす。
 川沿いの草花の方を見ていたようで、視線に気づいた彼女は口元に笑みを浮かべ達貴を見上げた。

 笑みを返し、達貴も彼女が見ていた場所へと視線を向ける。ところどころに、小さな、白、黄、紫と雑草の花が彩っている。
 毎年この時期になると見ているが、名前は知らない。でも、緑だけではなく、可愛く健気に彩る花が今日は何だか可愛く見えた。

 当たり前の日常にいて、その中で感じるもの、感じれることを達貴は嬉しく思った。
 彼女といるから、小さなことでも感動を覚え優しい気持ちになれる。

 学校からいつもの道のりをさらに歩き、川に向かう斜面を少し降りたところに木陰を見つけると、達貴は静香を誘い座った。
 一歩ずれれば光に包まれるその場所は、影に入るだけで自分たちだけの空間ができあがる。

 意識しないと聞こえないほどの小さな川の流れが耳をくすぐり、上の道では自転車が通る音や人の話し声が聞こえる。
 いつもの日常の中なのに、そこだけ今だけ時間の流れが違ったように感じた。

 肩と腕が触れ合う。

 見交わす。

 目が合うだけで優しく眼差しを緩め、少し口元が上がっていく。それだけで、特別だと告げられているようで、達貴は目を細めた。
 自分よりも長い睫毛が動き、小ぶりだけど形の良い唇がぷるりと潤っているのを目にすると、触れたくなる。

 全てが可愛く見え、気持ちよさそうな頬に、唇に視線が吸い寄せられる。


 ────触れたい。


 無性に込み上げる感情が達貴の脳を、身体を支配した。
 ただ、横にいるだけでは抑えられない。もっともっと彼女を感じたい。

 とっとっとはやる心臓を意識しながら、達貴は静香を覗き込むように顔を近づけた。
 その距離に目を見張った静香の双眸が、大きく見開かれる。黒い瞳の中に自分の顔が映し出される。

 達貴はそれらを目に焼き付けながら、ゆっくりと口を開いた。

「キスしていい?」

 その言葉にさらに目を見開いた彼女は、言葉を理解するとパシパシと瞬きする。

「……」

 薄く口を開き何かを言いかけたがまた閉じると、目元をピンクで染め、恥ずかしそうに頷く。
 その全ての動作を眺めながら、達貴は彼女の肩を掴み、顔をさらに近づけた。

 吐息を感じ、その柔らかな唇に自分の唇をゆっくりと重ねる。
 しっとりと吸いつく唇に自分まで潤うようで、その柔らかな感触に目を閉じてさらに感じ取るように押し付けた。

 惜しみながら一度離し静香を見ると、彼女も閉じていた瞳を開ける。
 その瞳がゆらゆらと潤み揺れながらも、達貴をじっと映し出してきて、愛おしさが込み上げ双眸を和ませた。

 彼女の眼差しに、唇に、全てに誘われるように、もう一度達貴は顔を近づける。
 重なり合うと同時につんつんと舌で突き、さらに深くと彼女を誘う。

 おずおずと開かれた口の中に舌を差し入れ、探し出した彼女の舌を軽く絡める。
 それにはなかなか応えてくれなかったが、拒まれなかっただけでも達貴は満ち足りた気分になった。

 舌を戻し優しく口づけを落とすと、達貴は少し距離を取り彼女をじっと見つめた。
 瞼が上がり見つめる達貴に気づくと、彼女の耳元が赤く染まっていく。
 その変化が愛おしいとともに、我に返ると恥ずかしくなり、達貴は静香の手を繋ぐと、わずかに横を向いた。


 ────今の俺、きっとものすごく緩んだ顔をしている。


 そんなしまらない姿を見られたくなくて、でも、きっとこういった態度の自分の気持ちも見透かされていたりするのかもと思うと二重に恥ずかしく、それごと好いてくれていると思うと嬉しかった。

 気持ちを整え小さく息を吐き出し、彼女を見る。
 かすかに頬を赤く染めた静香が、とろんと潤んだ瞳で見返してくる。

「……この後、どこ行く?」

 話題に触れるのも恥ずかしいのか、口を開くとわずかに視線を逸らせながらいつも通りの会話をしようとする彼女が可愛いすぎる。
 達貴は特に考えもせず、静香を見つめながら告げた。

「家、来る?」

 彼女の唇がさっきのキスのせいで濡れている。
 視線が吸い寄せられるまま、達貴は親指でくいっと静香の唇を優しく撫でる。
 びっくりしたように身体を動かせた静香が、達貴の顔を見るとふっと笑った。

「それは、また今度で」
 
 期待していなかったし、達貴自身するりと出た言葉であったが、まだ早いと思っていた。
 家族に紹介するのも気恥ずかしく、今はこうした気恥ずかしさとともにほのかに熱くなるものを大事にしたかった。

 そういった気持ちが表情に出ていたのか、優しく笑う彼女が愛おしい。全てを受け入れてくれているようで、幸福感に包まれる。

「うん。次の機会ってことで。なら、映画にする?」
「映画かぁ。あっ、前に話していたサスペンスものまだやってるよね。私はそれが観たいな」
「ちょっと、グロいところあるって聞いてるけど大丈夫?」
「それはそれだよね。それ以上に緊迫感あるってネットでも書かれていたし、映画館で観れるなら観てみたいかも」
「ふーん。恋愛もの見るよりは楽しそうだからいいけど。それでいいの?」
「うん。それがいい」
「なら、そうしよう」

 携帯で上映時間を調べ、それに合わせて動くことを決める。
 女子なら恋愛と思ってしまうが、静香は本でも恋愛ものより推理ものが好きだと言っていた。

 達貴は本をあまり読まないが、甘々の恋愛よりはサスペンスとかそっちの方がスリリングで楽しいとは思うので、彼女が楽しいなら異はない。
 今までアクション系ばかり観ていたが、彼女と付き合うようになって、誰がどうなってどう動き犯人や原因を考えることや、なぜそのようなことをするのかといった心理を考えるのは面白いと思うようになった。

 彼女も自分が好むハードアクションものを、楽しそうに観てくれる。
 好みがすぐに変わることはないが、互いを知り理解しようとすることで、自分の世界が広がっていく。そこから、次へ、次へと扉が開き、また広がる。

 知らなかった自分に出会うことになる。
 その全てが、静香とこうして過ごすことによって繋がっていくのなら全てが愛おしいと思うのだ。

 もっともっと、いろんなことが繋がり広がればいい。
 そして、静香も自分が思うように優しい世界が広がってくれればいい。その横に、ずっと自分がいれることを達貴は願う。



 繋いだ手が、温もりが、ずっとずっと先まで続きますように、と。



 穏やかな優しい日々に、不安を抱えがなら達貴は思うのだった。




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