9 / 44
第1章 桜の木の下で
9 君と呼ぶ彼
しおりを挟む** * **
桜舞い散る春から一年が経とうとしていた。
『ねえ』
『あのさ』
『君』
固有名詞を呼ばないでいい時は、ねえ、あのさ、とかだが、必要な時は君とずっと呼ばれてきた。
姫野は男女とも友人が多く、当然、周囲の者には名字や下の名前の違いはあれ、すぐに打ち解けて呼び合っていた。
利恵や聡美には名字でさん付け、男子には大抵呼び捨て。仲の良い友人は互いに下の名前で呼び合っているようだ。
仲良くはしても、女子には一歩引いているところがあるように思える。
見た目が髪を染めていたりピアスをつけていたりと軽く見えるが、軟派な発言もなく、告白されてもいつもそういう気分になれないからと丁寧に断っているらしい。
そういうところが紳士でクールと、またファンなるものを増やしモテているようで、彼の周りには絶えず人が群がっている印象だ。
何かを思い出したように、一日一度は静香に話しかけにくることはずっと変わらなかった。
すっかり当たり前になったそのやり取りに、静香も姫野がいつ話しかけてくるのか楽しみになっていた。
ときには、静香から話しかけることもあり、最初のころの探り合う会話ではなく柔らかい時間が二人の間に流れていた。
そういったフランクな姫野に、ずっと『君』と呼ばれることは不思議ではあったが、彼の視線がいつも真っ直ぐに静香を見ていたので、どんな呼び方をされても気にならなかった。
姫野に呼ばれ振り返ると、密かにほっと彼が小さく息を吐くのに気づいてから、それがとても愛おしくなっていた。
小さなやりとりが続けられるうちに、次第に彼を視界の隅に入れることが当たり前になった。
声がしたらそちらの方を意識する。動いているところを見ると、自然と彼を中心に見てしまう。
元気そうだな。
楽しそうだな。
気さくで元気でたまにやんちゃな青年。
その姿を見守っている自分がいた。
小さなことだ。
だけど、積み重なるとそれらが大きくなり、姿を捉えると嬉しいという気持ちが芽生えた。
「新学年でも元気な姿で会えるように。あまり羽目を外しすぎるなよ」
先生の言葉を最後に、一斉に椅子を引きがやがやと騒がしくなる。
今日は終業式。
明日から春休みでしばらく学校に来ることはなく、暖かくなりつつある気候とともに楽しみな分、後ろ髪が引かれるように彼と会えないのを寂しく感じている自分の気持ちを意識した。
会えないのが、寂しい。
でも、少しの間だ、と静香は自分に言い聞かせる。
すでに姫野は友人たちと教室を後にしたようで、姿は見えない。
仕方がないかと、何を仕方がないと思ったのかも曖昧なまま、静香は教室の窓際の机を見た。
閉め切られた窓。
よくあの窓辺で楽しそうに話し、たまに風が強いとカーテンが揺れ、日差しが強いと閉められ、カーテン越しに影とオレンジの光が入ってきていた。
それらが姫野と友人を照らし、一層穏やかで楽しい空気が教室を包み込むようであった。
その姿を眺めるのが好きだった。そこにあって当たり前であったのが、進級とともにクラス変えもあるし、メンバーが変わると雰囲気も変わる。
時は動き、変化し、過ぎ去ったものは戻らない。
この一年の記憶を思い出すと、景色が姫野込みで浮かぶ。
それだけ、自分の中で彼の存在が支配していたのだとようやく静香は認めた。
認めたところで、またどうしようといった具体的なものはない。
だが、離れたら次に必ず姫野の視界に入るところに自分が居ることができるかわからない。そのことが、どことなく寂しく感傷的な気持ちになった。
小さく、本当に小さく静香は息を吐き出す。
「静香、もう帰るの?」
鞄を持った静香に聡美が声をかけてくる。
「うん。また連絡するね」
「絶対だよ。春休み美味しいもの食べに行こうね~。春っていえばイチゴフェア。美味しいケーキ食べたい」
「そうだね。私は服買いに行きたいな」
利恵がそろそろデート服新調したいんだよね、と言葉を続ける。
「春服かわいいの多いしね。なら、それも込みでまた計画しよう。またね」
「うん。またねー」
「ばいばい」
友人と春休みの約束と挨拶をした交わした後、静香は教室を出た。
廊下には数人ちらほら話をしている人たちがいて、それでもその人数はいつもより少ないようだ。
だが、会話の内容は弾み、春休みを前にして皆どこか晴れやかな顔のような気もして、今学年は終わりなんだなっと実感する。
そして、さっきは何を仕方ないと思ったのか気づく。
「そっか」
今日は珍しく姫野と一度も話してないのだ。だから、学年最後ということもあり、落ち着かずどこか感傷的な気分だったのかもしれない。
……そうなんだ。
静香はゆっくりと窓の外を眺めながら歩き、何となく姫野の姿を探す。どこにもその姿が見当たらないと諦めて視線を前に戻し、階段を下りるために廊下を横切った。
「そっか……」
知らず知らず残念な気持ちから声がまた漏れる。
ふぅっと重い息を吐き出し、静香は階下を見つめた。
そのまま階段を一段降りようとしたところで、階段ホールの端から伸びてきた手に後ろからポンっと肩を叩かれる。
「わっ」
足を戻し驚いて振り返ると、壁に凭れながらにぃっこり微笑む彼がいた。
「ごめん、驚かせた?」
その姿を認めて、静香は目元を緩める。
さっきまで憂鬱だった心が、一気に軽くなった。
0
お気に入りに追加
41
あなたにおすすめの小説
【全5話】わたくしの乳母はなんだかおかしい~溺愛が変化するそのとき~
鈴白理人
恋愛
東に位置する大帝国には長い間姫が生まれなかった。
歴史家たちは分厚い史料から、過去に同じ現象があったことを突き止め、皇帝に奏上した。
『姫は時が満ちれば生まれます。かの御方の存在は必ずや国の繁栄をもたらすでしょう』
なぜならば姫は――
-----------------------------
7000文字ほどの小品です。
よくある婚約破棄なので
おのまとぺ
恋愛
ディアモンテ公爵家の令嬢ララが婚約を破棄された。
その噂は風に乗ってすぐにルーベ王国中に広がった。なんといっても相手は美男子と名高いフィルガルド王子。若い二人の結婚の日を国民は今か今かと夢見ていたのだ。
言葉数の少ない公爵令嬢が友人からの慰めに対して放った一言は、社交界に小さな波紋を呼ぶ。「災難だったわね」と声を掛けたアネット嬢にララが返した言葉は短かった。
「よくある婚約破棄なので」
・すれ違う二人をめぐる短い話
・前編は各自の証言になります
・後編は◆→ララ、◇→フィルガルド
・全25話完結
私は聖女なんかじゃありません
mios
ファンタジー
会ったばかりの王子に聖女だと勘違いされ、求婚されるエミリア。王子は人の話を聞かないし、強引で苦手すぎるので、全力で逃げることにします。
私、ただの平民ですし、全く魔法は使えないし、好きな人いますので、迷惑です。
偶然が奇跡っぽく見えることで、勝手に聖女に崇められていく平民の恐怖の物語。
逃げる間ひたすら幼馴染とイチャイチャします。
本編・表側、懺悔編、王子・裏側の三部構成です。
アンサーノベル〜移りゆく空を君と、眺めてた〜
百度ここ愛
青春
青春小説×ボカロPカップで【命のメッセージ賞】をいただきました!ありがとうございます。
◆あらすじ◆
愛されていないと思いながらも、愛されたくて無理をする少女「ミア」
頑張りきれなくなったとき、死の直前に出会ったのは不思議な男の子「渉」だった。
「来世に期待して死ぬの」
「今世にだって愛はあるよ」
「ないから、来世は愛されたいなぁ……」
「来世なんて、存在してないよ」
星降る夜に君想う
uribou
恋愛
高校生の夏樹(なつき)は、星空を眺めるのが好きな少女。彼女はある夜、都会から転校してきた少年・透(とおる)と出会う。二人は星を通じて心を通わせ、互いの夢について語り合うようになった。
しかし、透には重い病気という秘密があった。余命が限られていることを知りながらも、彼は夏樹との時間を大切に過ごしていた。やがて病状が悪化し、透は入院することになるが、別れを告げずに去ってしまう。後日、夏樹は透からの手紙を受け取る。そこには、彼女への感謝と、星空の下でまた会おうという約束が綴られてあった。夏樹は透の夢を胸に抱きながら、自分の夢に向かって進んでいく決意を固める。
今さら、私に構わないでください
ましゅぺちーの
恋愛
愛する夫が恋をした。
彼を愛していたから、彼女を側妃に迎えるように進言した。
愛し合う二人の前では私は悪役。
幸せそうに微笑み合う二人を見て、私は彼への愛を捨てた。
しかし、夫からの愛を完全に諦めるようになると、彼の態度が少しずつ変化していって……?
タイトル変更しました。
後は野となれ山となれ
アキヅキナツキ
BL
長きにわたって、描いてたマンガだったんですが、発表するところが無かったので、設定変えて文章にしてみました。だって、二次創作だったもので(笑)昔みたいに、ビッグサイトとかに行けてたら、良かったんだけどな~(笑)三部作にしようとしたんですが、何とか前後編にまとめようと思います。ちょっとだけ長編です。久しぶりに、BLと言うものを書きました・・・昔は、BLばっかり描いてたんです(ちなみに、リサイクル店で扱われてた本は18禁でした・・・そんなにひどかったかな?)表紙は、再録だけど、ちょっと関連があるものですので、使ってみました。主人公のイメージを適度に壊しつつ、新たに考えようとしたんだけど、上手く行きませんでした。次までには、何とかなると思います。面白かったら、後編も見に来てね♪
いらないと言ったのはあなたの方なのに
水谷繭
恋愛
精霊師の名門に生まれたにも関わらず、精霊を操ることが出来ずに冷遇されていたセラフィーナ。
セラフィーナは、生家から救い出して王宮に連れてきてくれた婚約者のエリオット王子に深く感謝していた。
エリオットに尽くすセラフィーナだが、関係は歪つなままで、セラよりも能力の高いアメリアが現れると完全に捨て置かれるようになる。
ある日、エリオットにお前がいるせいでアメリアと婚約できないと言われたセラは、二人のために自分は死んだことにして隣国へ逃げようと思いつく。
しかし、セラがいなくなればいいと言っていたはずのエリオットは、実際にセラが消えると血相を変えて探しに来て……。
◆表紙画像はGirly drop様からお借りしました🍬
◇いいね、エールありがとうございます!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる