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第1章 桜の木の下で

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「だってさ、よく考えてみなよ。トラックを走るってことは、好きな男の前で疲れてだるだるになって必死こいている顔を見られる可能性もあるんだよ」
「だるだるは言い過ぎ。どうせみんなそこまで必死に走るわけじゃないし。しんどくなっても、そこはこう優雅に顔を決めて」

 そこで口元をキュッと引いて、聡美は笑顔を作った。
 すかさず、利恵のダメ出しが笑いながら入る。

「ここで決めポーズされても。やっぱり無理でしょ。最後は絶対しんどいに決まってるし。あのスポ根教師の前でそれが通用するかも疑問だし」
「そこは気力。恋する力でなんとか」

 そう言うと、聡美はにっこり笑ったまま愛想よく手を振ってみせる。きゅっと上がった口角に、なんとも異様な圧力を感じ静香は苦笑する。
 恋する乙女はポジティブで元気だ。

「まあ、聡美がそれでいいならいいけどさ。吉村も含めてこっちのクラスに姫野たちもいるし、他の女子もそれなりに意識してるんじゃない? その中で目立つなら、いっそ一位目指すとか、もしくは盛大にこけるとか」
「ほんとだ。こけるのは絶対目立つよね」

 静香がいいかもしれないと相槌を打つと、聡美は静香に呆れた顔を見せ、言い出した利恵をじろりと睨んだ。

「わざと言っているでしょ?」
「あっ、わかった? まあ、ようは競争率高そうだと大変だなって。頑張れ」

 詫びれもなく利恵がさらりと応じながらエールを送る。
 むぅっと唇を尖らせて、聡美は不貞腐れた。

他人事ひとごと
「他人事だもん」

 利恵はふふっと笑っていなす。

 そんな会話を聞きながら、静香は意識かぁと考えた。
 意識して顔を作って走る姿を想像する。しんどいのを我慢しながら、みんながやたらと笑顔を浮かべて走っているって結構異様かも……。

「ふっ」

 想像して思わず笑いを漏らした静香に、利恵が双眸に笑みを湛えいち早く反応した。

「静香、変な想像したでしょ?」
「つい」
「笑いを漏らすほどの何を想像したの?」
「大したことじゃないのだけど。みんなでキリッとした顔をして、もしくは終始笑顔でトラックを走ってる姿って、ちょっとパレードみたいだと思って」
「……ふっ、ははっ。私も想像しちゃった。確かによく考えると面白いよね。それは見たいかも。聡美頑張れー」
「頑張って」

 二人なりのエールを送ると、聡美は疑わしげな眼差しで自分たちを見つめてきた。

「二人ともほんと他人事」
「ごめん」
「ごめん、ごめん」

 静香が苦笑まじりに謝り利恵が軽く謝ると、聡美はわかってるとばかりに溜め息をついて話を続けた。

「ま、でも、そうなんだよね」
「何が?」
「モテるって話。私もわかってるよ。彼はモテるし、まともに話したこともないし。でも万が一、ってことがあるじゃない。その時に、少しでも印象がいいにこしたことないし」
「そういうもの?」
「そういうものなんだよ。やっぱり少しでも近くにいれる時間は貴重だし、この乙女心がわからないとは、静香は乙女ではないな」

 聡美がふざけた口調で静香に詰め寄り、持っていた箸の先をピッと差す。行儀の悪い行いに、すかさず横から利恵が箸を下ろさせた。

「ん~。そう言われても」

 静香は言葉に詰まり、聡美に指導を入れたあとも横でもくもくと箸を動かし続ける利恵に助けを求めた。
 利恵は口の中の物がなくなると、小さく溜め息をついた。

「静香は静香。聡美は聡美。第一、乙女とは何だろうか。恋してたら乙女ってわけじゃないし」
「そうだけど」

 利恵の言葉に、聡美はむぅぅっと口を尖らせた。
 身長も低めでそんな仕草が可愛く映る友人に利恵は眦を緩めたが、ばっさりと切りにかかる。

「恋愛は自由だけど、私は吉村のどこに萌え要素があるかわからない」
「ひどい」
「だから、こればっかりは好みの問題だし。好き嫌いとか言えるほどそこまでよく知らないけど、誰にも愛想がよく顔が良いだけの男ってイメージかな。いわゆる八方美人」

 すっぱり言い切る利恵に、静香は苦笑する。
 好きな人を貶された聡美は、案の定、口を引き結んで頬をぷっくり膨らませながら文句を言った。

「ひどい。彼氏持ちの人はそうやって余裕こいて物事見れるからいいよね。静香はわかるよね?」
「何が?」
「吉村くんの魅力」

 また矛先を向けられて、静香は何度か見かけた彼を思い浮かべる。

 教室にやってくるときも嬉しそうにやってきて、パタパタと動いてよく話し、時間になるとばたばたと風のように去っていく。
 例えて言うならば──。

「犬、みたいな人だよね」

 徐々に小さな声で本音をぽろりとこぼすと、聡美は眉間にしわを寄せ微妙な顔をした。
 その横で、ぷっと利恵が吹き出す。

「静香に同意を求めても無駄だって。でも、私も静香も同じ見方ってこと。愛想が良くて可愛がられるタイプではあるよね。でも、それってそういう意味では案外ライバル少ないかもよ? あの中ではやっぱり姫野が目立つしね」
「むぅ~」

 好きな人を同じように受け止めてもらえないことに、不服そうに唇を尖らせた聡美はしばらく考えるように唸る。
 ちろりと自分たちを何とも言えないような顔で睨んでいたが、今度は深く頷いた。

「まっ、いっか」

 口元に笑みを刻んだその姿は、ライバルが少ないことはいいことかもと気持ちを切り替えたようだ。
 そして、開き直ると熱弁が始まった。

「顔が良くて愛想がよくて何が悪い。やっぱり見た目は大切でしょう? 同じ顔をしてても、受ける印象は違うからそれを含めて顔って大事だって。見るだけで幸せな気分になれるんだよ。それは持って生まれたものと、積み重なった年月のものが今きてるんだよ」
「はいはい」
「確かに雰囲気って大事だよね」

 堂々と清々すがすがしく言い切る聡美に呆れるように相槌を打つ利恵の態度を、補うように静香は言葉を付け足す。

 確かに、聡美の言わんとすることもわかる。
 見た目からはいって、その人の持つ空気感に惹かれ、話すこと、付き合うこと、段階を踏んでまた互いに思うことも変わっていくものだろう。
 どこに重きをおくかは人それぞれだし、膨れ上がった気持ちをどのように扱うかも人それぞれだ。

 いつもの昼休み。
 明るく恋する乙女の聡美の話に、相変わらずマイペースで辛口の利恵がばさばさと切っていく。

 裏表のない性格の利恵の言葉に、聡美も深く気にすることなくめげずに反撃していく姿は頼もしく映る。
 今は一歩引き気味(?)の恋も、いつかはそれくらい頑張って欲しいと思う。それは利恵も同じ気持ちだろう。

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