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抱きしめられたまま②
しおりを挟むこれは危ない。
さらりと落ちる黒髪は艶やかに輝き、アンバーアイの瞳は唯一無二の神秘的な光を放ち、美しい顔をさらに引き立たせる微笑も何もかも神々しい。
ディートハンス様の笑顔は人の思考力を停止させるとぷるぷると首を振り、ようやく話の内容に思考を持っていく。
「はい。感覚的には全部ではないですが」
精霊のことを思い出し、精霊の力を貸してもらい聖力が使えることができるようになった。そして、本来の魔力も戻ってきたのを感じる。
記憶か、魔力か、精霊の力か、どれが先かはわからないけれど、どれか欠けていても力は使えなかっただろう。
「その力が私を浄化してくれた。きっと今回のことは呪の類いなのだろう。そして、ミザリアは聖力が使える。違う?」
「……そうです」
聖力を使える人は魔力を使える人口に対してかなり少ない。厳格な騎士団寮で働くのに申告しなかったとなれば問題になるかもしれない。
公の仕事に就く者は自身の魔法の虚偽は重罪だ。どんなことから犯罪に繋がるかわからないため、その管理は徹底されている。
そのことに思い至り、私は眉尻を下げ項垂れた。
「責めているわけではない。隠していたとも思っていない。ただ、どうして使えるようになったのかは知っておきたい」
「……はい」
「ミザリア、こっち見て」
そっと私の頬を撫でられ上を向くと、ディートハンス様はとても優しい顔をして私を見ていた。
じっと見る瞳は変わらないのに、その双眸はとても凪いでいる。
その瞳に後押しさせるように、私はおずおずと続けた。
「苦しむディートハンス様を見て、何もできないのがつらくて、役に立てるような力が欲しいと強く思いました。そしたら精霊の姿が見えて、幼い時に見えて使えていたことを思い出しました」
「そうか。ありがとう。思い出したのは精霊のことだけ? 他には?」
「力を使ったところまでは覚えているのですが、その後意識を失ったので実際どこまで思い出せたのかはわかりません」
精霊や聖力に関することは思い出せたが、これから徐々に思い出すのかこれだけ思い出せたのかは本当にわからない。
どちらかというとまだではないかと思う気持ちのほうが強い。
だって、伯爵夫人に憎々しげに私と似てきたと言われるほどの、母の姿がまだおぼろげだけにしか思い出せない。
大好きだったのに、たくさんのことを教えてくれた母との思い出がずっとおぼろげだ。
どうして私はこんなに何もできないのか。中途半端なのか。
大事な人のことを思い出せない薄情者なのか。
だから蔑まれても仕方がないのか。
たまにそんな思考に囚われる。
幼かったから、魔力なしの役立たずだからと思っていた、思うようにしていたけれど、なら魔力が戻った今もどうしてすぐ思い出せないのか。
――やっぱり私は……。
役立たず、と思考に陥りそうになった。
だけど、その度に母との覚えている会話や笑みを刻んでいた口元を思い出し、落ち込むなと気を奮い立たせる。
何より、きゅっと唇をかむと同時にディートハンス様が私の双眸を覗き込み、余計なことに捕われるなとばかりにこつんとおでこをつけてきた。
睫毛と睫毛が触れ合うくらい近くから射抜かれるような強い眼差しに見つめられる。
「そうか。私のために力を使ってくれたんだな。やはりミザリアは優しい」
「……役に立ちたい、居場所が欲しいからなのかもしれません」
あまりにもまっすぐに見つめられ、不安定な心が弱音を、どこかで思っている本音を、口にする。
励まされたいのか追い出されたいのか、ディートハンス様から伝わる体温は居心地がよすぎて心が揺れる。
「それのどこが悪い? 誰しも一つの思考で動いてはいない。誰かのために何かしたいと思うのも、その誰かを選ぶのもミザリア自身だ。居場所を選ぶのも。相手を思う心はあっても生きていく上では利害関係は必ず生じるのだからそれでいい。それに役に立ちたいとミザリアは言うけれど、私にとってはミザリアがそばにいてくれるだけで救われている」
いつになく饒舌なディートハンス様の言葉がまた心を揺らす。
だけど、落ち込んだ気持ちは浮上してくれなくて、魔力を関係なしに近づけられるからかなとか保身のようなことを考える。
いつでも後ろ髪を引かれないまま出て行けるように、また追い出されても傷つかないように、そんな人ではないとわかっているのに後ろ向きな思考は止まらない。
そんな私の揺れる心を見透かすように、ディートハンス様は腰に回していた腕をさらに力を入れこれ以上ないくらい身体を密着させた。
そのままじぃと見つめられ、次に耳が静寂を捉え、それからとくとくと規則正しいディートハンス様の鼓動を捉える。
その心音を聞いていると、徐々に気持ちが落ち着いてくる。
それを見計らったのかディートハンス様がよし、とでもいうように、満足げにちょっと口の端を上げた。
二十一歳とは思えないずっと遙かにいて届かない大人なイメージのディートハンス様の年相応、自分と近いと思えるようなその表情に目を見開くと、ふ、とディートハンス様は目元を和らげとんとんと私の背中をあやすように撫でた。
「言っておくが魔力のことだけではない。いつも頑張ろうと前を向くミザリアを好ましいと思っている。魔力なしだと蔑まれてきても背筋を伸ばして頑張ってきたミザリアを誇らしく、常に私たちのためにと純粋な眼差しとともに頑張ってくれている。だから、私のところに来てくれたことを感謝している」
まっすぐな眼差しと言葉に、私はかぁっと顔が熱くなった。
――ディートハンス様、まっすぐすぎる。
そして、行動もなんでも直球でくるというか。
ディートハンス様の懐に入れば、それを良しと判断すると加減がないというか。
顔を隠したいのに逃げられない距離に、伝わる体温に、先ほどよりも意識する羽目になった。
なのに、「話したいことがある」と続けるディートハンス様。しかも、ずっと抱きしめられたまま。
もしかしてこのまま話をするつもりじゃないのかと、私はいつ体勢のことを言い出そうと真剣な顔で私を気遣ってくれるディートハンス様を非常に近すぎる距離で見つめた。
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