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大正幽霊
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「――で、ついにプロポォズなさったのですって!」
『キャーッ!』
と、
『イヤーッ!』
の、混ざったような声が教室に響き渡った。
同級の姉ヶ崎さまが、自由恋愛を実らせてついにご婚約なさったらしい。
「――まったくっ。人の噂もって言うけれど、まだ蒔絵さまが亡くなってから七十五日経ってもいないのにねぇ」
お隣りの席の志津子さまが、頬杖をついて苦笑している。
指をさして、わたしに後ろを振り返るように促すが、
「そっ、そうですわね!」
見ない! 絶対に見ない!
振り返ってなるものですか!
「あら。碧子さまには、そう珍しいことではないのよ」
からかうような口調は、後ろの席の志保美さま。
「だって、おうちの書生さんと――……うふふふ」
なっ――……!
「なにをおっしゃるの!
むしろ、わたしは一朗太さんのことなんて大き――……!」
しまった!
振り返ってしまったわ!
教室の後ろには、噂話に興じる数人の女の子と――反対側の隅に、俯きぼんやりと佇む一人の女学生。
三つ編みにした長い髪。
白い額。矢絣の着物に、海老茶の袴。
――蒔江さまだ。
ああ、蒔江さま。
生前はあんなに目立たなかったあなたが、死んでからこんなに存在感を増すなんて………。
なんてことを思った一瞬の内に、
ス――……。
と顔を上げた蒔江さまと――……。
――バチッ!
目が合ってしまった!
ま、まずいわ!
まだ何やらわたしと一郎太さんの事をからかう志保美さまを放っておいて、わたしは黒板の方へ向き直った。
(わたしには貴女を助けることは出来ない………わたしには貴女を――………)
目を閉じ心の中で唱える念仏も虚しく、気配を感じて瞳を開くと、
「――う……っ!」
そこに。
わたしの目の前に。
蒔江さまがいた。
彼女はスゥ――……、と右手を上げると、一週間前に自動車事故で主を亡くした机を指さした。
一輪挿しに飾られた撫子の花が、風にちりりと揺れた。
その後の事はあまり思い出したくない。
蒔江さまのおかげで板書は見えないし、
「良き妻、良き母になるためには――……これっ! 白山さん!」
家政の時間に目をつむって念仏を唱えていたら、居眠りと勘違いされて先生に注意を受けてしまうし……。
☆
「た……ただいま……戻りました……」
ぐったりとして家の門をくぐると、竹箒で石畳を掃き清める清々しい音がした。
「おや、お嬢さん」
眼鏡にボサボサの総髪。よれよれの袴を着た長身の青年が、振り返り箒を動かす手を止めて、ちょこんと小首を傾げた。
「今日はまた、面白いお友達を連れていらっしゃいますね」
「面白くないわよ! 誰のせいよ!」
「おや、僕のせいだと?」
「そうよ!
一郎太さんのせいで、わたしまでこんなモノが見えるようになってしまったんじゃない!
忘れないわよ!
五才の時、初詣に行った神社で、見えないキツネと3時間お話ししてたあなたの事を!」
「あれは話してたんじゃなくてですね――……、」
無表情のまま何やら言い募る一郎太さんを残し、わたしは家に入ろうとする。
だが。
くいっ!
振袖を引っ張られるような感覚に、足をよろけさせた。
「おっと!」
一郎太さんに支えられ、
『………』
二人揃って犯人を睨む。
視線の先には、悲しげな顔をしてある方向を指さし続ける蒔江さまの姿があった。
「お嬢さん」
蒔江さまの唇が、ぱくぱくと動く。
「何か言ってますけど」
「聞こえない! 見えない! 何もいない!」
「いやでも、これ放って置くと怨霊になりますよ」
一郎太さんは、眉一つ動かさずに、母屋の方を指差した。
御仏間の方を。
「危ないですから、白桐丸で斬っちゃいましょうか?」
「き、斬る!?」
蒔江さまを!?
「そんなのダメよ!」
「じゃあ、成仏させてやったほうが、いいんじゃないですか?
何か訴えたいこともあるみたいだし」
ちらりと蒔江さまの方を見ると、
『………』
彼女はペコリと頭を下げた。
☆
蒔江さまのさす指をコンパス代わりにして、わたしと一郎太さんは夕暮れの学園に来ていた。
一郎太さんが、相変わらずの無表情でボソリ、呟く。
「お嬢さんと二人きり、」
きり、じゃないわよ。
幽霊もいるわよ。
「黄昏れ時の、女学校に忍ぶ……。
……なんだか、ドキドキしますね」
…………この人を斬り捨てたほうが、良いのではないかしら?
蒔江さまの指に案内されて来たのは、わたし達の教室。
そういえば、最初に目が合った時から御自分の机を気にされているふうだったわね。
机の上の一輪挿し。
その中では、撫子が萎れて首を垂れていた。
ついこの間まで、蒔江さまは。
ここで。
この場所で。
学び、話し、笑っていた。
皆と同じ時を過ごされていた。
時間は有限だ。
わたしにだって、いつか終わりは来る。
『――後悔しないで』
言われた気がして、振り返る。
蒔江さまが困ったような顔をして笑っていた。
『――私のように、後悔しないで』
唇が、そう、動いたように見えた。
「あれぇ? 教科書が、まだありますよ~?」
物思いに沈むわたしを、一郎太さんの無遠慮な声が急速浮上させた。
……無粋な人ね。
「ご両親、取りに来られてないんですねぇ」
「ショックで、お母様が寝込まれてるらしいわ。きっとそれどころではないのよ」
一郎太さんは、本人が目の前にいるというのに、おかまい無しでどんどん机の中身を引っ張り出していく。
と、その手の中から、数枚の藁半紙がぱさりと落ちた。
まったく、もうっ。
ごめんなさいね、蒔江さま。
心の中で謝って、一枚一枚、拾っていく。
あら……?
一番下にあったのは、藁半紙ではなかった。
桜色の綺麗な封筒。
『……! ……っ!』
それを見たとたん、突如、蒔江さまが挙動不審になった。
あわあわと両手を動かし、耳まで真っ赤にして何かを訴える。
……幽霊なのに、ちょっと可愛い。
「反応を見るに、それが当たりのようですが」
一郎太さんに言われて、わたしは宛名を見た。
――《野中 伍郎左衛門兼綱 様》
……のなか、
「ご、ごろーざえもん、かねつな……?」
すごい名前ね……。
歴史の教科書に出てきそうだわ。
わたしが名前を読み上げると、蒔江さまはますます頬を紅くした。
「あ―、あの優男ですかぁ」
「知ってるの!?」
一郎太さん、友達いないのに。
びっくりだわ。
「一応、同じ大学なので。
それに一回聞いたら忘れられない名前でしょ?
でも碌な男じゃないですよ。
ペラゴロで、いつも上野公園にたむろして、口を開けばどのコーラスガールと寝――……」
殺気を感じて振り向くと、蒔江さまが鬼の形相に変わっていた。
こ、怖い!
幽霊だから、怖さ5割り増しよ!
一郎太さんは無表情のまま、しかしわたしに向き直ると言った。
「――浅草オペラを嗜む、粋なヤツですよ」
……何気に彼も、怖かったらしい。
「じゃ、じゃあ。蒔江さまの心残りは、この手紙で間違いないのかしら?」
話しを逸らそうと、わたしは手紙をひらひらさせた。
すると彼女は、元のおとなしやかな蒔江さまに戻り、ぽっと頬を染めて頷いたのだった。
反応と、殿方宛てだというところを見るかぎり、これは間違いなく恋文だ。
う~ん。そりゃあねぇ。
「こんなもの、親には見せられないわよねぇ」
女性は太陽だ。解放で、自由で、権利なのだ。
と、騒がれていても。
それは、ソレが当たり前じゃないから騒がれているわけで。
新時代に入ってもまだ、わたし達は親や夫や家柄の所有物と見なされる事が多かった。
だが、しかし!
ご両親には見せないとしても!
「蒔江さま!
これ、さっきのすごい名前の――……え~と……、」
「伍郎左衛門」
「そう! その、ゴローさんに渡しましょうよ!」
しかし、蒔江さまはぶんぶん大きく首を振った。
口をぱくぱく動かす。
「そんなのダメよ。お止めになって。
と、言っています」
いきなり一郎太さんが弁士をやりだした。
すごいわ……。
帝国大学では、幽霊語の翻訳も教えるのかしら?
「そんなことされたら、わたし恥ずかしくて死んでしまうわ。
と、言っています」
いや。すでに死んでるし。
ついでに、同時通訳の一郎太さんの女言葉もキモチ悪い。
「それに――……、」
と。
いつも無表情の彼が珍しく僅かに眉をひそめた。
「……それに、死んでしまった娘からそんな物渡されても、困るだけだわ……。
……と、言っています」
あ……。
わたしは咄嗟に返す言葉が見つからなかった。
黙り込むわたしたち二人の女の子を、交互に見ていた一郎太さんが、
「お嬢さん」
不意にわたしに向かって言った。
「お嬢さん。
もし僕が幽霊になって会いに来たら、嬉しいですか?」
「え!?」
いきなり何を言い出すのよ、この人は!
一郎太さんは、思いっきり真顔だ。
でもこの人はいつも無表情だから、本気なのか冗談なのか分からない。
ちらりと横を見ると、蒔江さまが不安そうな面持ちでわたしの答えを待っていた。
……キライだわ。
そうよ! わたしは、一郎太さんが大キライなのよ!
「……う、……嬉しい、わ」
搾り出した答えを聞いても、彼は眉一つ動かさなかった。
代わりに蒔江さまに向かって、
「ね? 幽霊だって、意外と大丈夫なものなんです」
なにが大丈夫よ!?
わたしの心に受けた衝撃で、帝都全土を灰にできるわよ!
そんな内心の葛藤を知るよしもなく、蒔江さまは晴れやかな顔で笑った。
唇が、動く。
「――あの方の家は、白金台です。
と、言っています」
☆
野中さまのお屋敷の郵便受けに、こっそり手紙を投函して、
やったわね!
って、振り返ったら。
そこにはもう、蒔江さまの姿はなかった。
来世があるとして。
どうかその時は。
蒔江さまが、大好きな人と一秒でも長く一緒にいられますように……。
☆
家へ帰る途中の道は、すでに真っ暗だった。
ガス灯なんて洒落た物はこの辺りにはないから、すぐ隣を歩く人の顔も良く見えない。
しかたがないから、ほんとにもう、不承不承、イヤイヤながらも、わたしは一郎太さんにわたしの手を引く権利を与えた。
二人はずっと無言のままだった。
もうすぐ家についてしまうわ……。
いや、残念とか、もうちょっとこのままいたいなぁなんてことは、全然微塵も感じてないのよ!
ホントよ! 信じてちょうだい!
家の門の前まで来て、一郎太さんが不意に立ち止まった。
「もしお嬢さんが、幽霊になったら――……」
ちょっと、わたしはまだ生きてるわよ!
勝手に殺さないでちょうだい!
「そうしたら、僕のところにだけ出てきてほしいなぁ」
――え?
「他の人のところには行かず、僕のところにだけ」
それって――……、
本気なのか冗談なのか、相変わらずの読めない表情。
それって、もしかして――……、
「だって――……、」
一郎太さんは、繋いでいた手をぱっと離した。
「だって、これ以上お嬢さんが他人に迷惑かけてるところなんか、見たくないですものねぇ」
………………は?
「生きてる間に、ご両親にもご友人にも思いっきり迷惑かけてるんですから、死んでからまで迷惑かけちゃダメで――……」
ドカッ!!
言葉の終わらない内に、わたしは一郎太さんの背中を思いっきり蹴った。
舶来の編み上げブーツは、なかなかの威力だった。
「ど、どうしたんですか? お嬢さん!
な、何で怒ってるんですか!?」
「知りません!」
「? マゾッホの研究ですか?
お嬢さんがどうしてもと言うなら、僕もやぶさかではありませんが――……」
「ち・が・い・ま・す!!」
門の前で騒いでいたので、中から出てきたお母様にこっぴどく叱られた。
やっぱり一郎太さんなんて
だいだいだいっキライだ!
『キャーッ!』
と、
『イヤーッ!』
の、混ざったような声が教室に響き渡った。
同級の姉ヶ崎さまが、自由恋愛を実らせてついにご婚約なさったらしい。
「――まったくっ。人の噂もって言うけれど、まだ蒔絵さまが亡くなってから七十五日経ってもいないのにねぇ」
お隣りの席の志津子さまが、頬杖をついて苦笑している。
指をさして、わたしに後ろを振り返るように促すが、
「そっ、そうですわね!」
見ない! 絶対に見ない!
振り返ってなるものですか!
「あら。碧子さまには、そう珍しいことではないのよ」
からかうような口調は、後ろの席の志保美さま。
「だって、おうちの書生さんと――……うふふふ」
なっ――……!
「なにをおっしゃるの!
むしろ、わたしは一朗太さんのことなんて大き――……!」
しまった!
振り返ってしまったわ!
教室の後ろには、噂話に興じる数人の女の子と――反対側の隅に、俯きぼんやりと佇む一人の女学生。
三つ編みにした長い髪。
白い額。矢絣の着物に、海老茶の袴。
――蒔江さまだ。
ああ、蒔江さま。
生前はあんなに目立たなかったあなたが、死んでからこんなに存在感を増すなんて………。
なんてことを思った一瞬の内に、
ス――……。
と顔を上げた蒔江さまと――……。
――バチッ!
目が合ってしまった!
ま、まずいわ!
まだ何やらわたしと一郎太さんの事をからかう志保美さまを放っておいて、わたしは黒板の方へ向き直った。
(わたしには貴女を助けることは出来ない………わたしには貴女を――………)
目を閉じ心の中で唱える念仏も虚しく、気配を感じて瞳を開くと、
「――う……っ!」
そこに。
わたしの目の前に。
蒔江さまがいた。
彼女はスゥ――……、と右手を上げると、一週間前に自動車事故で主を亡くした机を指さした。
一輪挿しに飾られた撫子の花が、風にちりりと揺れた。
その後の事はあまり思い出したくない。
蒔江さまのおかげで板書は見えないし、
「良き妻、良き母になるためには――……これっ! 白山さん!」
家政の時間に目をつむって念仏を唱えていたら、居眠りと勘違いされて先生に注意を受けてしまうし……。
☆
「た……ただいま……戻りました……」
ぐったりとして家の門をくぐると、竹箒で石畳を掃き清める清々しい音がした。
「おや、お嬢さん」
眼鏡にボサボサの総髪。よれよれの袴を着た長身の青年が、振り返り箒を動かす手を止めて、ちょこんと小首を傾げた。
「今日はまた、面白いお友達を連れていらっしゃいますね」
「面白くないわよ! 誰のせいよ!」
「おや、僕のせいだと?」
「そうよ!
一郎太さんのせいで、わたしまでこんなモノが見えるようになってしまったんじゃない!
忘れないわよ!
五才の時、初詣に行った神社で、見えないキツネと3時間お話ししてたあなたの事を!」
「あれは話してたんじゃなくてですね――……、」
無表情のまま何やら言い募る一郎太さんを残し、わたしは家に入ろうとする。
だが。
くいっ!
振袖を引っ張られるような感覚に、足をよろけさせた。
「おっと!」
一郎太さんに支えられ、
『………』
二人揃って犯人を睨む。
視線の先には、悲しげな顔をしてある方向を指さし続ける蒔江さまの姿があった。
「お嬢さん」
蒔江さまの唇が、ぱくぱくと動く。
「何か言ってますけど」
「聞こえない! 見えない! 何もいない!」
「いやでも、これ放って置くと怨霊になりますよ」
一郎太さんは、眉一つ動かさずに、母屋の方を指差した。
御仏間の方を。
「危ないですから、白桐丸で斬っちゃいましょうか?」
「き、斬る!?」
蒔江さまを!?
「そんなのダメよ!」
「じゃあ、成仏させてやったほうが、いいんじゃないですか?
何か訴えたいこともあるみたいだし」
ちらりと蒔江さまの方を見ると、
『………』
彼女はペコリと頭を下げた。
☆
蒔江さまのさす指をコンパス代わりにして、わたしと一郎太さんは夕暮れの学園に来ていた。
一郎太さんが、相変わらずの無表情でボソリ、呟く。
「お嬢さんと二人きり、」
きり、じゃないわよ。
幽霊もいるわよ。
「黄昏れ時の、女学校に忍ぶ……。
……なんだか、ドキドキしますね」
…………この人を斬り捨てたほうが、良いのではないかしら?
蒔江さまの指に案内されて来たのは、わたし達の教室。
そういえば、最初に目が合った時から御自分の机を気にされているふうだったわね。
机の上の一輪挿し。
その中では、撫子が萎れて首を垂れていた。
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ここで。
この場所で。
学び、話し、笑っていた。
皆と同じ時を過ごされていた。
時間は有限だ。
わたしにだって、いつか終わりは来る。
『――後悔しないで』
言われた気がして、振り返る。
蒔江さまが困ったような顔をして笑っていた。
『――私のように、後悔しないで』
唇が、そう、動いたように見えた。
「あれぇ? 教科書が、まだありますよ~?」
物思いに沈むわたしを、一郎太さんの無遠慮な声が急速浮上させた。
……無粋な人ね。
「ご両親、取りに来られてないんですねぇ」
「ショックで、お母様が寝込まれてるらしいわ。きっとそれどころではないのよ」
一郎太さんは、本人が目の前にいるというのに、おかまい無しでどんどん机の中身を引っ張り出していく。
と、その手の中から、数枚の藁半紙がぱさりと落ちた。
まったく、もうっ。
ごめんなさいね、蒔江さま。
心の中で謝って、一枚一枚、拾っていく。
あら……?
一番下にあったのは、藁半紙ではなかった。
桜色の綺麗な封筒。
『……! ……っ!』
それを見たとたん、突如、蒔江さまが挙動不審になった。
あわあわと両手を動かし、耳まで真っ赤にして何かを訴える。
……幽霊なのに、ちょっと可愛い。
「反応を見るに、それが当たりのようですが」
一郎太さんに言われて、わたしは宛名を見た。
――《野中 伍郎左衛門兼綱 様》
……のなか、
「ご、ごろーざえもん、かねつな……?」
すごい名前ね……。
歴史の教科書に出てきそうだわ。
わたしが名前を読み上げると、蒔江さまはますます頬を紅くした。
「あ―、あの優男ですかぁ」
「知ってるの!?」
一郎太さん、友達いないのに。
びっくりだわ。
「一応、同じ大学なので。
それに一回聞いたら忘れられない名前でしょ?
でも碌な男じゃないですよ。
ペラゴロで、いつも上野公園にたむろして、口を開けばどのコーラスガールと寝――……」
殺気を感じて振り向くと、蒔江さまが鬼の形相に変わっていた。
こ、怖い!
幽霊だから、怖さ5割り増しよ!
一郎太さんは無表情のまま、しかしわたしに向き直ると言った。
「――浅草オペラを嗜む、粋なヤツですよ」
……何気に彼も、怖かったらしい。
「じゃ、じゃあ。蒔江さまの心残りは、この手紙で間違いないのかしら?」
話しを逸らそうと、わたしは手紙をひらひらさせた。
すると彼女は、元のおとなしやかな蒔江さまに戻り、ぽっと頬を染めて頷いたのだった。
反応と、殿方宛てだというところを見るかぎり、これは間違いなく恋文だ。
う~ん。そりゃあねぇ。
「こんなもの、親には見せられないわよねぇ」
女性は太陽だ。解放で、自由で、権利なのだ。
と、騒がれていても。
それは、ソレが当たり前じゃないから騒がれているわけで。
新時代に入ってもまだ、わたし達は親や夫や家柄の所有物と見なされる事が多かった。
だが、しかし!
ご両親には見せないとしても!
「蒔江さま!
これ、さっきのすごい名前の――……え~と……、」
「伍郎左衛門」
「そう! その、ゴローさんに渡しましょうよ!」
しかし、蒔江さまはぶんぶん大きく首を振った。
口をぱくぱく動かす。
「そんなのダメよ。お止めになって。
と、言っています」
いきなり一郎太さんが弁士をやりだした。
すごいわ……。
帝国大学では、幽霊語の翻訳も教えるのかしら?
「そんなことされたら、わたし恥ずかしくて死んでしまうわ。
と、言っています」
いや。すでに死んでるし。
ついでに、同時通訳の一郎太さんの女言葉もキモチ悪い。
「それに――……、」
と。
いつも無表情の彼が珍しく僅かに眉をひそめた。
「……それに、死んでしまった娘からそんな物渡されても、困るだけだわ……。
……と、言っています」
あ……。
わたしは咄嗟に返す言葉が見つからなかった。
黙り込むわたしたち二人の女の子を、交互に見ていた一郎太さんが、
「お嬢さん」
不意にわたしに向かって言った。
「お嬢さん。
もし僕が幽霊になって会いに来たら、嬉しいですか?」
「え!?」
いきなり何を言い出すのよ、この人は!
一郎太さんは、思いっきり真顔だ。
でもこの人はいつも無表情だから、本気なのか冗談なのか分からない。
ちらりと横を見ると、蒔江さまが不安そうな面持ちでわたしの答えを待っていた。
……キライだわ。
そうよ! わたしは、一郎太さんが大キライなのよ!
「……う、……嬉しい、わ」
搾り出した答えを聞いても、彼は眉一つ動かさなかった。
代わりに蒔江さまに向かって、
「ね? 幽霊だって、意外と大丈夫なものなんです」
なにが大丈夫よ!?
わたしの心に受けた衝撃で、帝都全土を灰にできるわよ!
そんな内心の葛藤を知るよしもなく、蒔江さまは晴れやかな顔で笑った。
唇が、動く。
「――あの方の家は、白金台です。
と、言っています」
☆
野中さまのお屋敷の郵便受けに、こっそり手紙を投函して、
やったわね!
って、振り返ったら。
そこにはもう、蒔江さまの姿はなかった。
来世があるとして。
どうかその時は。
蒔江さまが、大好きな人と一秒でも長く一緒にいられますように……。
☆
家へ帰る途中の道は、すでに真っ暗だった。
ガス灯なんて洒落た物はこの辺りにはないから、すぐ隣を歩く人の顔も良く見えない。
しかたがないから、ほんとにもう、不承不承、イヤイヤながらも、わたしは一郎太さんにわたしの手を引く権利を与えた。
二人はずっと無言のままだった。
もうすぐ家についてしまうわ……。
いや、残念とか、もうちょっとこのままいたいなぁなんてことは、全然微塵も感じてないのよ!
ホントよ! 信じてちょうだい!
家の門の前まで来て、一郎太さんが不意に立ち止まった。
「もしお嬢さんが、幽霊になったら――……」
ちょっと、わたしはまだ生きてるわよ!
勝手に殺さないでちょうだい!
「そうしたら、僕のところにだけ出てきてほしいなぁ」
――え?
「他の人のところには行かず、僕のところにだけ」
それって――……、
本気なのか冗談なのか、相変わらずの読めない表情。
それって、もしかして――……、
「だって――……、」
一郎太さんは、繋いでいた手をぱっと離した。
「だって、これ以上お嬢さんが他人に迷惑かけてるところなんか、見たくないですものねぇ」
………………は?
「生きてる間に、ご両親にもご友人にも思いっきり迷惑かけてるんですから、死んでからまで迷惑かけちゃダメで――……」
ドカッ!!
言葉の終わらない内に、わたしは一郎太さんの背中を思いっきり蹴った。
舶来の編み上げブーツは、なかなかの威力だった。
「ど、どうしたんですか? お嬢さん!
な、何で怒ってるんですか!?」
「知りません!」
「? マゾッホの研究ですか?
お嬢さんがどうしてもと言うなら、僕もやぶさかではありませんが――……」
「ち・が・い・ま・す!!」
門の前で騒いでいたので、中から出てきたお母様にこっぴどく叱られた。
やっぱり一郎太さんなんて
だいだいだいっキライだ!
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---------------------
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王太子殿下に嫌われたくはないキャロラインは、王太子殿下の前から姿を消すことにした。そんなお話です。
ちょっと切ないお話です。
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