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【第6週】
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●11月1日
10月30日午後、東京の自宅で古都典敏氏が死亡しているのが発見されました。
30日午後4時ごろ、関係者の女性から119番通報がありました。
古都氏は、自宅で拘束され暴行を受けた後に殺害されており、その場で死亡が確認されました。
本事件の後、テロ組織アマテラスが犯行声明を発表しています。
証拠として、暴行および殺害時の状況動画をネット上に公開しており、当局は慎重に捜査をしています。
古都典敏氏は社会学者として知られ、著作も多数あり、最近ではTVコメンテーターとして活躍していました。
アマテラスに対しては、批判的な言動を行っており、その為に標的にされたと考えられます。
09 名前:名無しさん 20XX/11/01 22:25 ID:9OeSnlI90
古都さんの訃報、本当に残念です。
いつもテレビで拝見していて、ご意見に共感することが多かったです。
ご冥福をお祈りします。
こんな事件が起きるなんて、恐ろしい世の中になったものです。
10 名前:名無しさん 20XX/11/01 22:25 ID:inL2e7.o0
古都氏か。
テレビでよく上から目線で偉そうに語ってたよな。
正直、死んでも別にいいと思ってたけど、こんな形で命を落とすなんて、ちょっとかわいそうかも。
11 名前:名無しさん 20XX/11/01 22:26 ID:.nP2wvyE0
アマテラスなんて、テロ組織が許されるわけないだろ!
こんな卑劣な行為をする奴らは人間じゃない。
厳しく処罰されるべきだ。
12 名前:名無しさん 20XX/11/01 22:27 ID:XgRwNUMj0
アマテラスは正義の味方よ!
古都氏は思想的に間違っていたんだから、当然の結果でしょ。
世の中を変えようとしている人たちに、もっと注目すべき。
13 名前:名無しさん 20XX/11/01 22:27 ID:VJc72Lhl0
アマテラス、次はどこを標的にするんだろう?
これから一体どうなるの?
こんな状況が続いて、本当に怖い。
父さんは好き。
母さんは好き。
先生は…。
まぁ、好き。
友達は好き。
でも、その"好き"と恋愛の"好き"の違いって、どんな物なのだろう…?
ハイスクールの女子達は、カン高い声で恋バナをする事が多くなった。
誰が誰を好きだとか。
誰と誰がキスしたとか。
アタシは、その話に合わせて愛想笑いをする。
そして、思ってもいないエピソードや気持ちを話す。
でも、きっと周囲の皆もアタシと同じだと思っていた。
大人ぶって、ありもしない事。
興味の無い事を興味あるフリをしている。
…でないと、"子供"だと思われるから。
周囲の子達が"大人"になって行く。
それに取り残されないように、アタシは"皆と同じだと"振る舞う。
実際のアタシは、そんな色恋には興味なんか無くって。
その頃に一番興味があったのは、"マンガ"だった。
"マンガ"で見る、一番近い"異世界"。
東京。
渋谷。
日本という国、そこで暮らしてみたい。
そんな、漫然とした想いを抱いていた。
放課後は友達の家でマンガを読んで過ごすのが、いつもの日課。
同じハイスクールの男の子。
クラスメートのベン。
クルクルな金髪の天然パーマ。
明るい茶色の眼に眼鏡をしている。
本人曰く、遺伝的に弱視の傾向があるからだと言っていた。
白い肌にソバカスが強く浮いている。
目玉焼きの白身にコショウを振りまいたみたい。
その日もアタシは、彼の家で寛ぎつつマンガを読んでいた。
「ねえねえ、ココ見てみろよ。」
ベンが手にしたマンガのページを見せて来る。
「んー~??」
自分の読んでいたマンガを置いて、それを手に取る。
ばっと目に入ったのは、半裸の女性キャラだった。
淫らな姿の女性キャラが、後ろから男主人公抱かれているシーン。
「バカッ!!」
「何てモン見せるのよ…っ!?」
反射的にアタシは、渡されたマンガをベンへ叩き返した。
「バカッ!!アホッ!!」
突然のセクハラに、怒りが噴き出したアタシは読みかけていた単行本も投げつける。
「痛っ!ごめんっ!ごめんっ!!」
飛んでくるマンガの単行本を腕で払いつつ、ベンは平謝りしていた。
だが、アタシの怒りは収まらず、周囲にあったマンガを次々と投げつけた。
「もうっ!!ごめんって…っ!!」
周囲に投げつける物が無くなったのを見計らい。
ペンはベッドに居るアタシへ飛びかかる。
「こっ!こ…らっ、離しなさいよ…っ!!」
「もうっ!!謝っただろっ!!」
互いに罵りあいながらも、本気では無いのはスグに解った。
ベッドの上で子猫みたいにジャれ合い、両手を払い退け合う。
そして、アタシは枕もとにあった枕でベンの頭を叩いた。
「もう…っ、ばぁか…っ」
ぼふっと枕がベンの頭にクリティカルヒットする。
そこで、疲れ切ったアタシは、ベッドの上で横たわって大人しくした。
アタシの上に馬乗りになっていたベンは、アタシから枕を取り上げる。
ぐっと彼の顔が近づくと、互いの間にある空間の熱が1、2℃上がった気がする。
それと同時に空間の圧も高まった。
アタシの中で、彼に引き寄せられる気持ち。
押し退けたい衝動がせめぎ合う。
鼻先が触れる位に近づいて。
ススッと互いの唇が吸い寄せられた。
白い天井とLEDリビングライト。
リンカの視界に映った最初の光景だった。
身体は鉛の様に重く、それを無理くりに動かして上半身を起こした。
「…。」
「夢かぁ~…っ。」
昔の記憶を夢で見ていた事、その事を声を出して確認する。
大きな窓は白いレースカーテンで覆って、陽光を遮られていた。
6畳程度のワンルーム。
その部屋に布団で寝かされていたらしい。
小さい液晶テレビ。
ピンク色のビニールクローゼット。
シンプルな棚。
こじんまりとした、独り暮らしの内装の部屋。
襖で隣と仕切られていて、その向こうには誰かが居る気配がした。
リンカは、首を回して周囲の状況を確認し終えた。
すると、酷い脱力感が背中からリンカの身体を抱きしめて来る。
腕や脚を動かすのもダルい。
頭は内部で血管が破裂して、ジュクジュクと血が溢れている様な感じがする。
耐え切れずに、リンカは布団へ突っ伏した。
自分の家ではない。
だが、この部屋には見覚えがあった。
「あ。起きたーっ。」
襖が開くと、見知った女性が顔を覗かせた。
茶色に白いメッシュカラーのミディアムヘア。
くりんっと大きな瞳。
小動物的な可愛らしい雰囲気な女性が、にこやかな笑顔を見せた。
「びっくりしたよぉーっ。」
「病院の服でウチに来るなんてぇ。」
「しかも、びしょぬれだしぃーっ。」
彼女は突っ伏したリンカへ近づく。
そして、上半身を抱きかかえて布団へ寝直させた。
「もう、どうしたら良いかわかんなくってサァ」
非接触体温計を取り出すと、リンカのおでこから体温を計測する。
「…ん。」
「熱は下がったみたいだネ。」
「何か食べられる…?」
心配そうに彼女はリンカの顔を覗き込んだ。
「ごめんねぇーっ。」
大仰に彼女は両手を合わせ、リンカを拝む。
「リンカが入院してる病院の連絡先知らなくてぇーっ」
「…て、いうか。」
「何処に連絡して良いか解らなくてぇ…。」
「何にもしてないんだぁ~…っ。」
アオイはペコペコとリンカへ頭を下げた。
彼女は、リンカの友達。
元々は、リンカのパートナーだった物部タニヤの友達だ。
どうやら、謎の女性ディライラと、
その僕である右神と左神に追われた後。
意識朦朧となりつつも、彼女のアパートへ転がり込んだらしい。
「あ。お腹空いた?」
「何か食べる??」
リンカの無事を確認すると、アオイはすっくっと立ち上がる。
「ん…、そうね。」
「ごめん、ありがと…っ。」
疲労困憊なリンカは、彼女の行為に甘えて小さく応えた。
「…。」
「…!!」
布団に包まれて落ち着こうとしていたリンカは、ふと思い出した様に上半身を起こした。
そして、身体にかかっていた布団を退ける。
「何?どうしたの…?」
突然、起き上がったリンカを不思議そうにアオイが見守る。
彼女に構わず、リンカは自分の右脚へ触れた。
そこに右脚がある事を確認する様に掴み、軽く左右へ振ってみる。
慎重に膝を曲げ、更に右足首を曲げた。
動作を確かめる様に、脚の指をグッ、パッと開く。
すっかり右脚に異常はなく、痛みも何も感じなかった。
交通事故で折れた右足は、正常に動作して骨折の痕跡は跡形もない。
「…あれ?」
「リンカ…、脚は?」
「骨折で入院してたよね?」
リンカが自らの脚をセルフチェックしている光景。
それを眺めていたアオイは、不思議そうに彼女へ尋ねた。
「…うん…。」
「何か…、治ったみたい…?」
リンカは正直に今の状態をアオイへ伝えた。
「え…?」
「凄いじゃん…っ!?」
「何?、ナニ?? どーしたのっ???」
アオイは心底驚いた様子で、リンカへ詰め寄った。
「ぃゃ…。」
「なんだろ…?」
「よくわかんないや…っ」
リンカ自身も、一晩で自然治癒した原因は思いつかない。
脛の骨が折れた後、手術で金属の棒が入っている。
とは言え、骨自体が接合するのと、リハビリで全治2・3か月の大けがだった筈だ。
あの皇・ディライラという女性。
彼女なら、これの原因がわかるのだろうか…?
だが、あんな拉致誘拐まがいをする様な奴に同行する気にはなれない。
「まぁ、ごはん食べよっか…!!」
思い悩むリンカにアオイが声をかける。
そして、再び立ち上がると隣の台所へと向かう。
彼女の後ろ姿を無意識にリンカは目で追った。
アオイは、150cm程度の小柄な女性。
やや厚手な薄緑なスウェットシャツ。
身長と合わせた様なスタイルは、シャツにすっかり包まれている。
ふわりとした大人締めな胸のふくらみ。
下はデニムズボン。
上着と違い、デニムはピッチリと下半身にフィットしていた。
緩いラインを描く脚線。
小さいが強調した女性らしい曲線を描いている。
その緩い脚線の上にぷるっとしたお尻が乗っている。
小さい女性ラインを見たリンカの心にモヤッとした気持ちが滲む。
水面へ黒いインクを垂らした様な、小さいが目立つモヤった気持ち。
それは、ゆっくりとリンカの体内へ広がって、彼女の心を刺激した。
「…??」
慌ててリンカは布団へと潜り込む。
アオイは女友達であって、そんな対象で見た事はない。
突然に湧き上がった性欲、それに戸惑ったリンカはギュッと眼を閉じた。
水面に落ちた一滴の黒いインクが、モヤモヤと漂い溶けてゆく。
それは脳裏で、凝り固まって形を露わにさせた。
緩やかな山の様な白い胸の膨らみ。
滑りと肌触りが良さそうな肌。
もっちりとした太もも。
ゆったりとした腰つき。
それが、リンカの肉体に絡みつく。
妄想の中で、アオイの瞳は、ウットリして独特な熱を帯びていて。
アオイの吸い付くような肌触り。
アオイの熱い吐息と、甘い囁き。
そんな妄想がリンカの下半身へと収束して、熱く一か所を苛み始めた。
もどかしい疼きが彼女の下半身から背筋をぞろぞろと這い上がる。
必死にその邪な気持ちに眼を瞑り、リンカは布団にくるまった。
明るい光が瞼をくすぐって。
次にリンカが眼を覚ました時、身を苛む獣欲は失せていた。
耐えがたい倦怠感の残滓は残っていたが、先程よりは軽くなっている。
陽光は高くなっていて、すでに午後になっていた。
アオイと共に部屋で遅い朝昼食を摂り、まったりと静養する時間を過ごす。
物部タニヤの死も
病院での騒動も
ゆったりと過ごす時間の中、あれら全てが夢の様な気すらした。
そんな穏やかな時間、突然に冷たいナイフの様な感覚がリンカへ突き刺さった。
ぞろりっとリンカの背中に冷たい感触が突き立てられる感覚。
その冷たさは、リンカの体内で温まり、
それは、じりじりとした焦燥感へと変化して、背中から覆い被さってくる。
つい最近にも感じた感覚。
それを追う様にドアチャイムが鳴った。
「ん?」
「はーいっ★」
アオイが反応して台所を抜け、端にある玄関ドアへと向かった。
「…だ、だめ…っ!!」
リンカは反射的にアオイへ声をかけた。
それより早く、アオイは玄関を開けた。
だが、そこは女の一人暮らし。
ドアにはドアチェーンがかかっており、半開きで応対する。
「どうも、ごめんなさい。」
「今、大丈夫ですか?」
高くハキハキとした女性の声が響く。
「ええ…、何ですか?」
アオイはドアチェーンがかかった半開きなドアの隙間から、来訪者へ応対する。
「えーと、新藤アオイさんですわよね?」
「大己貴命大学病院の皇と申します。」
皇・ディライラは、にこやかな営業スマイルを輝かせた。
「こちらに、杉本リンカさんがいらしてないでしょうか…?」
「彼女、入院病院から行方不明になっていまして…。」
「新藤さんの所に御厄介になってないかと…?」
朗々と流れる様にディライラは説明をする。
「え…?」
「り、リンカですか…?」
アオイは、ちらりっとアパートの奥。
リンカの方へと一瞬だけ視線を向けた。
「…。」
「…失礼しますわねっ♪」
ディライラがそう告げると、大きな男の手が玄関ドアを掴んだ。
アオイが反応するより早く、ぬぅっと恐ろしい形相をした赤鬼がドアをこじ開ける。
それは、黒いビジネススーツ姿の筋骨隆々とした赤鬼。
左神の腕は、難なくドアチェーンを引きちぎる。
そして、玄関ドアを全開にさせると、アオイを突き飛ばした。
ズカズカッと土足でアパート内に侵入し、躊躇いもなく一番奥の部屋へ突入する。
だが、そこには空の布団だけが残されているだけだ。
布団を視認し、左神は顔を上げ、その先を確認する。
ベランダに立っているリンカと目があう。
「…ちっ!!」
ベランダに出ていたリンカは、周囲を見渡して脱出先を探した。
何個かの植木鉢。
物干し竿。
落下防止の柵。
隣との仕切り板。
場所は三階で、地上に飛び降りるには高すぎる。
左神の背後からディライラが顔を覗かせる。
彼女はリンカの姿を確認して、声をあげた。
「リンカさんっ!!」
「大人しくしなさいな…っ!!」
「左神っ、確保なさいっ!!」
ディライラの号令と共に左神は、ベランダで立ち往生しているリンカへ向かって歩き出す。
「くっ…!!」
「この…っ!!」
リンカは近くにあった植木鉢を掴み、勢い良く隣との仕切り板へ叩きつけた。
バンッと弾けた音が響き、素焼きの植木鉢が仕切り板を叩き割る。
火災が起きて逃げ場を失った時、隣へ避難出来る様に仕切り板は壊れやすくなっている。
下半分に穴が開き、もう一回植木鉢を叩きつけると、仕切り板の下半分は完全に吹き飛んだ。
リンカは身を屈めて隣のベランダへ脱出する。
左神がベランダに出るより早く、リンカは隣室へと逃げ出した。
隣の部屋は空き室のようで、窓越しに室内を見ると、何もないガランッとした室内が見える。
「…あっ!?」
リンカは突進してきた左神に驚いて声を上げた。
ビックリしてトンッと離れる方向へ軽く飛びずさる。
だが、仕切り板の開口部は、筋肉の塊である左神の巨体には狭すぎた様子だ。
彼はがっちりと穴にハマって、通り抜けられない。
「こらぁっ!何してるの…っ!!」
「早く通りなさい…っ!!」
アオイの部屋からディライラの憤る声が聞こえる。
リンカは、慌てている二人の光景を眺めていた。
すると、今いるベランダの部屋の奥から、ドカンッと空気が震える位の大きな音が響く。
はっとしてリンカは、空き部屋の奥へ眼を向けた。
長い白髪を振り乱した黒いスーツを着た青鬼が、空部屋の襖を勢いよく開いて出現した。
ディライラに従う、もうひとりの僕、右神だった。
再び脱出路を断たれたリンカは、更に隣の仕切り板へ向かう。
「ああっ!!くそ…っ!!」
この部屋は空部屋で、仕切り板を壊せる様な物体は何もない。
元居た部屋の仕切り板をバキバキと破壊している左神。
空き部屋の窓のカギを開けようとしている右神。
リンカは反射的に仕切り板へキックをかました。
一回。
二回。
どかんっと仕切り板は、リンカのキックでぶち破れる。
かろうじて出来た小さい穴から、リンカは猫の様にスルリッと隣の部屋へ脱出した。
「えぇっ!?誰ですかっ!?」
部屋に居た隣人の男性は、突然の出来事に大声を張り上げた。
仕切り板がぶち抜かれ、見知らぬ女性がベランダに入ってきたら、誰でも驚く。
ぐっとリンカはその部屋の窓へ手をかけた。
ここから、建屋内へ戻れば廊下を抜けて逃げられる…?
いや…。
アオイの部屋には左神。
隣の空き部屋からは右神。
まだ残っているディライラが、廊下で待ち構えているかも知れない。
リンカは現在の状況を再確認する為、脱出経路を振り返って見た。
右神はパンチを繰り出して、リンカが通った仕切り板を壊している。
リンカを追って突入しようと、自分たちが通過出来る様に仕切り板を壊しているのだ。
その後ろには、アオイの部屋から追って来た左神の姿が見えた。
今、リンカが居る部屋からディライラが突入して来てもおかしくない。
そう判断した彼女は、ベランダを横切って次の仕切り板へ向かった。
「ふ…っ!!」
反射的に彼女は、腕を突き出して仕切り板へパンチを繰り出した。
どんっと一撃で仕切り板は抜け、リンカは両手で仕切り板を引き裂いた。
ちぎった板片を投げ捨て、次の部屋へ侵入する。
だが、そこは角部屋で行き止まりだった。
「あーぁっ!?もうっ!!」
リンカは憤りの声を上げ、後ろを振り返った。
もうすでに隣のベランダまで、右神が迫っているのが見える。
リンカの居る位置は、角部屋でもう逃げ場は無い。
場所は三階。
地上には飛び降りるには高すぎる。
でも、隣の建物なら…?
リンカは慌ててベランダの端から隣の建物を確認した。
幅2m程度の細い路地を挟み、
隣には二階建てのアパートが立っている。
再びリンカは自分の背後を確認した。
背後からは、迫りくる赤鬼と青鬼。
眼前は、切り立った崖の様なアパートの端。
「もーっ!!」
「ちっくしょぉーっ!!」
一瞬、地団駄を踏んだリンカは、少し後ずさる。
そして、躊躇なく助走をつけて走り出した。
止まることなく、ベランダの柵を飛び越える。
風きり音がリンカの耳を擦り、空気がどっと抵抗として彼女を押し返す。
リンカは完全に三階から宙へと舞った。
ぐんっと身体を大きく弓反りにしつつ、路地の空を横切る。
大きな放物線を描き、彼女は隣のアパートの屋上へ転がり落ちた。
ごろんっと一回転すると、その勢いを殺さずに走り出す。
後ろを振り返りもせず、飛んだ勢いのままで屋上を駆ける。
その先は3階建ての建物。
今、駆けている場所より2m以上高い、
だが、リンカは勢いに身を任せた。
躊躇なく踏み切って、建物の間にある道路を跳躍する。
身体は軽く、蹴り出す脚は力強かった。
辿り着いた垂直の壁を駆け上がり、
隣の建物の屋上へ飛び上がる。
その動きは、重力を感じない。
トンッ、と宙へ舞い上がり
壁にある雨どいを掴む。
それを軸にして、身を振る。
生じた遠心力で加速して、次の屋上へと飛び移る。
更にそこから宙へ踊り出す。
くるりっ、と宙で一回転して、
そのまま下へ落下する。
鳥の様にふわりっと、非常階段の手すりに舞い降り
勢いを殺さずに、大きく背中からバク転する。
そして、往来の歩道へと着地した。
突然に宙から舞い降りたリンカ。
彼女の登場に驚いた歩行者達は、
彼女が下りて来た空中や、
彼女自身を不思議そうに見た。
「…ふぅ…。」
身体には血液が循環し、心地よい疲労と達成感。
リンカはパルクールの様なアクションが出来た事に自ら感嘆した。
こんな事ができる程、運動神経は良くない。
肉体が自然と動いた感じで、自分の意思で行った動きと思えなかった。
だが、そんな感激もすぐにかき消される。
熊の様な巨体が曲がり角から、ダンプカーの如く荒々しく出現した。
長い白髪を振り乱し、他の歩行者に構わず突進してくる。
青鬼の右神。
リンカの動きは、明らかに常人を超えたものだった。
あれだけ、派手なパルクールで、遠くへ逃げた筈。
そんなリンカを追跡して来るスピードと追跡能力。
彼等も明らかに常人とは違っていた。
「もう…っ!!」
「しつこい…っ!!」
くるりっと彼等に背を向けて、細い車道を超えた。
そのほんの一瞬の間で、右神はリンカの数歩手前まで駆け寄っていた。
くるんっと体を反転させ、リンカは拳を繰り出す。
リンカへ突進していた右神。
その眼前にリンカの拳が突き出される。
カウンターでリンカのパンチが右神の胴体へ叩き込まれた。
リンカのパンチ力に右神自身が突進する速度が合算される。
まるで、トラックが電柱にでも衝突したかの様に、右神は大きく跳ね飛ばされた。
リンカは普通の女性で、格闘家でもない。
攻撃が倍化するカウンター。
更にクリーンヒットしたとはいえ、2mの巨体を持つ男が女性のパンチで吹き飛ばされる。
リンカ自身も驚愕する程に、異常な事態だった。
どうっと大きな音を立て、車道に右神の巨体が仰向けに倒れ込む。
ぐんっ、とゴムボールの如く筋肉の塊は丸まる。
そこから、逆再生しているかの様に動いて右君は跳ね起きた。
さすがに女性のパンチだけでは、ノックアウトは無理らしい。
跳ね起きた右神は、乱れた長髪を手櫛で直す。
その振る舞いから大したダメージを感じていない様子だ。
そして、右神は慎重に身構える。
「くそ…っ!!」
「いい加減にしてよっ!!」
リンカは吐き捨てる様に呟きつつ、臨戦態勢に構えた。
互いに相手の出方を伺いつつ、じりじりと距離を詰めて行く。
まるで、あやういバランスで保っている様な感覚。
しかも、リンカから見て、右神は青鬼の仮面で表情が見えない。
何を考えているのか表情が読めないのは、思考が読めず不安にさせた。
ぐっと右神の身体が少しだけ縮こまる。
"…くるっ。"
そう意識するより先にリンカの身体は動いた。
だが、それは目の前を横切った車に邪魔される。
リンカの目の前で急停車した車は、躊躇なく右神の巨体を跳ね飛ばしていた。
「…リンカっ!!」
「乗ってっ!!!」
数メートル先に跳ね飛ばした右神に構わず、運転していたアオイが声を張り上げる。
リンカは、開かれた助手席のドアから車へ飛び乗った。
「うあーっ!!」
「どうしよーっ!!」
「アレっあれっ、人跳ねちゃったーっ??」
パニックになったアオイがリンカへ叫ぶ。
「大丈夫っ!!」
「いいからっ、車出してっ!!」
勢いよくドアを閉め、リンカはアオイへ下知を飛ばした。
言われるままにアオイは、車を急発進させる。
伸びている右神を放置して、どんっと勢いよく車は走りだした。
助手席に座ると、ドッと疲れがリンカの身を包む。
頭から浴びた様に疲労感がつま先まで流れ、リンカは意識が朦朧となる。
アオイが急発進させた軽自動車は、通りを曲がった。
片側2車線の大通りに入ると、車の速度は巡航速度に入る。
「多分…。」
「もう、大丈夫だと…、思う。」
アオイは運転に集中して正面を見据えつつ、リンカへ告げた。
疲労による解脱感に混じりつつ、ビリビリとした感覚がリンカの身体を苛んでいる。
そんな、強い"殺気"を感じていたが、リンカは意識を保つことが出来ない。
助手席にもたれかかったまま、彼女の意識は深く暗い底へと沈み込んだ。
アオイの軽自動車がタイヤを鳴らしつつ道路を曲がる。
その後には、大きな牛が横になった様に男が倒れていた。
「…もうっ。」
「ほらっ、いつまで寝てるの…っ!!」
皇・ディライラは、道路に伸びている右神の頭を叩く。
相棒の左神が、跪くと彼を助け起こす。
「まったくぅ…。」
「完全に適合しちゃってるじゃない~っ♪」
「困ったわぁぁ~…っ」
逃走したリンカ達の車の痕跡を眺めつつ、
他人事の様にディライラは溜息を吐いた。
「まあ、いいわ♪」
「あの子が次にどうするかなんて…。」
「マルッと、お見通しですし…♪」
「ほら、二人ともっ!!」
「行きますわよ…っ!!」
まだ本調子でない右神と、
それを介抱している左神に声をかけ、ディライラは歩き出した。
「…ぅ…。」
意識が現世に戻った時、ひどい頭痛が頭を殴打する。
あまりの痛みにリンカは眼を閉じたまま、ベッドの上で身を転がした。
ぎゅっと、自分の頭を両手で抱えて、頭痛と相殺させる様に強く圧す。
脈を打つペースで頭を叩く痛みの鋭さが鈍り、何とか二日酔いに似た程度までに収まった。
「…くそ…ぉっ!!」
再びベッドの上で体を転がし、リンカは仰向けになる。
「あ。」
「起きた…、大丈夫?」
リンカが寝ている近くのベッドのマットが沈む感触。
アオイはリンカの頭に手を当て、熱が無いかを簡易的に計った。
「大変だったんだから、ここまで連れて来るの…。」
「何か飲める…?」
アオイの申し出にリンカは、眼を塞いでいた自分の両手を退ける。
そして、仰向けになったままで隣に座って居るアオイを見た。
「ぅん…、何がある?」
「うーん…、コーヒーと炭酸。」
「あとは…、ビールかな?」
ポンッとベッドから飛び跳ね、アオイはホテルの冷蔵庫を確認した。
シックな間接照明。
パステルカラーな収納棚と大型テレビ。
キングサイズのベッドがひとつ。
小さなテーブルと一人用のソファが一対。
部屋は小奇麗だが、簡素な設備だけだ。
ベッドの正面に大きな窓がひとつ。
そこから広く大きな浴室が丸見えになっている。
「…ここ、何処…?」
リンカには、おおよその予想は付いていたが、確認の為に聞いてみた。
「郊外のラブホ♪」
リンカは冷蔵庫からコーヒー缶をリンカへ手渡した。
「大変だったんだから、車から直に部屋に入れるトコ探すの…。」
「いやぁ、Google検索便利っ★」
明るく応えるとアオイは、リンカの隣へお尻からベッドにボフンッと飛び込む。
そして、ビール缶のプルトップを開いた。
「だって、私のウチには帰れないし…。」
「ホテル以外、行くトコなくない…?」
「でも、変にフロントがあるホテルだと、詮索されちゃうし…?」
ぐいっと大きく顔を上へ向け、アオイはビール缶を煽った。
ビールの苦みと刺激が彼女の喉を通り過ぎる。
冷たさとアルコールが、ジワリッとアオイの肢体へ乾いた砂の様に染み込んだ。
「まぁ…、何があったのかは…。」
「知らないけど…っ?」
ビール缶片手に彼女は、ベッドに横たわるリンカを眺めた。
「ごめん…。」
「でも、アタシも何が何だか…。」
リンカは神妙な表情で上体を上げる。
そして、コーヒー缶を開けて一口啜った。
「ふーん…。」
「でも、これからどーすんの?」
体育座りをしつつ、アオイはビールを飲む。
「何が起きてるのか、知らないと…。」
「アタシが何に巻き込まれたのか…?」
鈍痛が響く頭を抱えつつ、リンカは上半身を起こした。
「…アタシ…?」
「アタシ達じゃない…?」
ごつんっと体育座りの状態で達磨の様に転がり、アオイはリンカを小突いた。
そのままもたれ掛かって、リンカの間近でアオイはクスリッと微笑んだ。
「さっ、てぇ~とっ♪」
ごろりっとアオイはそのままの体勢でベッド端へ転がる。
そして、ベッドから転がり落ちて床に立ち上がった。
浴室へ向かうと、上着を脱いだ。
「あー~っ、もう今日は大変だったぁっ」
「先にお風呂使っちゃうね♪」
遠慮もなく彼女は着ている洋服を脱ぎ捨てる。
浴室へ入りつつ、
下着を脱ぎ、
バスタブの水栓を空ける。
全裸になったアオイの姿。
それがリンカが寝ているベッドの窓から見えていた。
白くスレンダーなアオイの裸体。
緩やかな円錐形だが、張りのありそうな胸。
肉付きは薄く、胸の下にはうっすらと肋骨が見えた。
ウエストは細い体形らしく、キュと絞れている。
細い脚と腕。
そんな女友達の裸体をリンカは、呆けた顔で眺めていた。
その視線に気が付いたアオイは、揶揄うような笑みを浮かべて視線を返す。
白く細身だが女性らしい可愛らしさのある女体。
シャワーの飛沫がその肢体へ当ると、キラキラと水滴が転がった。
アオイの肌に水流が筋を描き、舐める様に這い回る。
形の良い胸を辿り、
窪んだヘソを舐め、
うっすらと茂る陰毛を濡らす。
その姿を眺めていると、身体の内側からグラグラと何かが煮え立つのを感じる。
見えない何かが、自分の下半身にある敏感な部位を舐める様な感覚。
ぞろりっとそれが体の中を這い回って、リンカの乳首をくすぐる。
「…!?」
全裸でシャワーを浴びる女友達に欲情している?
そんな性欲を抱いた事にリンカは、自分で自分に驚いた。
リンカは確かに同性愛者だが…、
今までアオイにそうした感情を抱いた事はない。
その前に、女性が性的刺激だけで発情する訳でもない。
あの小さいが弾力のある胸へ触れてみたい。
指を食い込ませ、頂点にある乳首を責めて見たい。
どんな喘ぎ声を出すのだろう?
どんな甘い声で囁いてくれるのだろう?
身を焦がす性欲と共に、止めどなく妄想が溢れ返る。
それにリンカは耐え切れず、視線を外してベッドに伏せた。
視界を遮断すると、自分の体内で渦巻く肉欲がリンカを襲う。
ジリジリとした疼きが下半身に溜まって、彼女はモゾモゾと腰をくねらせた。
今ここに、一人きりだったら…。
そんな苦悩ともどかしさに身が狂いそうになる。
見えない業火で炙られている気分だった。
"疲れているからかしら…?"
"子孫を残す本能が働いたから…?"
"そんなの男だけじゃないっ"
"このまま、アタシも浴室に乱入しようかしら…?"
"それとなく…"
"自然に…、普通に装えば…"
"だめ、ダメ、駄目…っ"
悶々としつつ、とりとめのない想いで気を紛らせようと藻掻く。
だが、水中へ飛び込んだ時の様に、リンカの脳内に無数の妄想が泡立つ。
ホテルの浴室で
口づけを交わすリンカとアオイ。
再びキスをする相手は、タニヤに変わる。
豊満で柔らかいタニヤの肢体。
それが、リンカの裸体と重なる。
互いに指を絡ませ、見つめ合う。
浮いては消え、
消えては浮いて
リンカの脳内に走馬灯に様に妄想が煌めいた。
アオイの可愛らしい口元から、舌が蠱惑的にのたうつ。
互いに裸体を絡ませ、シャワーを浴びる妄想。
気がつくと、抱いていたアオイは姿を変え、
ふかりっとしたボリューム感のある肢体の女性へ変わっていた。
シャワーで濡れた物部タニヤがリンカを見詰めている。
ベッドの上でタニヤに抱かれ、下になって身を絡ませる。
密着した白く柔らかい、滑りの良い肌に混じった異物感。
それを下半身に感じた。
リンカは、視線を下へ向ける。
彼女の眼に入ったのは、反り返った肉の棒。
リンカが呆気に取られていると、タニヤの肢体全体が硬く大きく変貌する。
異変に慄いて顔を上げた。
ベンがリンカに覆いかぶさっていた。
リンカの"初めての男"。
その熱く硬い肉の感触。
ハッとベッドの上で現実へ意識を戻す。
だが、リンカの身を焦がす欲求だけは、現実にまで付いて来た。
身の内から恐怖や驚愕より、強く大きな欲求がリンカを襲う。
その渇望感は、飢餓感の様だった。
柔らかさより、硬い肉。
硬く反り返った肉の棒。
渇望。
強く大きな男の肉体。
煩悩。
どっ、と汗が噴き出す様に、リンカの体内に性欲が溢れ出す。
たが、求める相手は女では無かった。
女性より、男が欲しかった。
喉を掻きむしりたい程の渇き。
その感覚が煩悩に置き換わり、リンカを襲う。
もどかしい感情が、彼女の神経をギリギリと引き絞る。
誰でも良かった。
男性なら、誰でも。
あの肉で貫かれたい。
熱い迸りで汚されたい。
そんな強い欲望がリンカの身体から抜けるのに、かなりの時間を要した。
"骨折が自然治癒したり…。"
"馬鹿高くなった身体能力。"
"代わりに憑りつく疲労感。"
"男みたいな汚い性欲。"
"何なのよぉ~…一体っ!?"
"絶対、聞き出してやるわ…っ!!"
こんな、異常事態の原因と打開策を得るのに
何処に行けば良いのか?
誰を問い詰めれば良いのか?
リンカにその目星は、すでについていた。
10月30日午後、東京の自宅で古都典敏氏が死亡しているのが発見されました。
30日午後4時ごろ、関係者の女性から119番通報がありました。
古都氏は、自宅で拘束され暴行を受けた後に殺害されており、その場で死亡が確認されました。
本事件の後、テロ組織アマテラスが犯行声明を発表しています。
証拠として、暴行および殺害時の状況動画をネット上に公開しており、当局は慎重に捜査をしています。
古都典敏氏は社会学者として知られ、著作も多数あり、最近ではTVコメンテーターとして活躍していました。
アマテラスに対しては、批判的な言動を行っており、その為に標的にされたと考えられます。
09 名前:名無しさん 20XX/11/01 22:25 ID:9OeSnlI90
古都さんの訃報、本当に残念です。
いつもテレビで拝見していて、ご意見に共感することが多かったです。
ご冥福をお祈りします。
こんな事件が起きるなんて、恐ろしい世の中になったものです。
10 名前:名無しさん 20XX/11/01 22:25 ID:inL2e7.o0
古都氏か。
テレビでよく上から目線で偉そうに語ってたよな。
正直、死んでも別にいいと思ってたけど、こんな形で命を落とすなんて、ちょっとかわいそうかも。
11 名前:名無しさん 20XX/11/01 22:26 ID:.nP2wvyE0
アマテラスなんて、テロ組織が許されるわけないだろ!
こんな卑劣な行為をする奴らは人間じゃない。
厳しく処罰されるべきだ。
12 名前:名無しさん 20XX/11/01 22:27 ID:XgRwNUMj0
アマテラスは正義の味方よ!
古都氏は思想的に間違っていたんだから、当然の結果でしょ。
世の中を変えようとしている人たちに、もっと注目すべき。
13 名前:名無しさん 20XX/11/01 22:27 ID:VJc72Lhl0
アマテラス、次はどこを標的にするんだろう?
これから一体どうなるの?
こんな状況が続いて、本当に怖い。
父さんは好き。
母さんは好き。
先生は…。
まぁ、好き。
友達は好き。
でも、その"好き"と恋愛の"好き"の違いって、どんな物なのだろう…?
ハイスクールの女子達は、カン高い声で恋バナをする事が多くなった。
誰が誰を好きだとか。
誰と誰がキスしたとか。
アタシは、その話に合わせて愛想笑いをする。
そして、思ってもいないエピソードや気持ちを話す。
でも、きっと周囲の皆もアタシと同じだと思っていた。
大人ぶって、ありもしない事。
興味の無い事を興味あるフリをしている。
…でないと、"子供"だと思われるから。
周囲の子達が"大人"になって行く。
それに取り残されないように、アタシは"皆と同じだと"振る舞う。
実際のアタシは、そんな色恋には興味なんか無くって。
その頃に一番興味があったのは、"マンガ"だった。
"マンガ"で見る、一番近い"異世界"。
東京。
渋谷。
日本という国、そこで暮らしてみたい。
そんな、漫然とした想いを抱いていた。
放課後は友達の家でマンガを読んで過ごすのが、いつもの日課。
同じハイスクールの男の子。
クラスメートのベン。
クルクルな金髪の天然パーマ。
明るい茶色の眼に眼鏡をしている。
本人曰く、遺伝的に弱視の傾向があるからだと言っていた。
白い肌にソバカスが強く浮いている。
目玉焼きの白身にコショウを振りまいたみたい。
その日もアタシは、彼の家で寛ぎつつマンガを読んでいた。
「ねえねえ、ココ見てみろよ。」
ベンが手にしたマンガのページを見せて来る。
「んー~??」
自分の読んでいたマンガを置いて、それを手に取る。
ばっと目に入ったのは、半裸の女性キャラだった。
淫らな姿の女性キャラが、後ろから男主人公抱かれているシーン。
「バカッ!!」
「何てモン見せるのよ…っ!?」
反射的にアタシは、渡されたマンガをベンへ叩き返した。
「バカッ!!アホッ!!」
突然のセクハラに、怒りが噴き出したアタシは読みかけていた単行本も投げつける。
「痛っ!ごめんっ!ごめんっ!!」
飛んでくるマンガの単行本を腕で払いつつ、ベンは平謝りしていた。
だが、アタシの怒りは収まらず、周囲にあったマンガを次々と投げつけた。
「もうっ!!ごめんって…っ!!」
周囲に投げつける物が無くなったのを見計らい。
ペンはベッドに居るアタシへ飛びかかる。
「こっ!こ…らっ、離しなさいよ…っ!!」
「もうっ!!謝っただろっ!!」
互いに罵りあいながらも、本気では無いのはスグに解った。
ベッドの上で子猫みたいにジャれ合い、両手を払い退け合う。
そして、アタシは枕もとにあった枕でベンの頭を叩いた。
「もう…っ、ばぁか…っ」
ぼふっと枕がベンの頭にクリティカルヒットする。
そこで、疲れ切ったアタシは、ベッドの上で横たわって大人しくした。
アタシの上に馬乗りになっていたベンは、アタシから枕を取り上げる。
ぐっと彼の顔が近づくと、互いの間にある空間の熱が1、2℃上がった気がする。
それと同時に空間の圧も高まった。
アタシの中で、彼に引き寄せられる気持ち。
押し退けたい衝動がせめぎ合う。
鼻先が触れる位に近づいて。
ススッと互いの唇が吸い寄せられた。
白い天井とLEDリビングライト。
リンカの視界に映った最初の光景だった。
身体は鉛の様に重く、それを無理くりに動かして上半身を起こした。
「…。」
「夢かぁ~…っ。」
昔の記憶を夢で見ていた事、その事を声を出して確認する。
大きな窓は白いレースカーテンで覆って、陽光を遮られていた。
6畳程度のワンルーム。
その部屋に布団で寝かされていたらしい。
小さい液晶テレビ。
ピンク色のビニールクローゼット。
シンプルな棚。
こじんまりとした、独り暮らしの内装の部屋。
襖で隣と仕切られていて、その向こうには誰かが居る気配がした。
リンカは、首を回して周囲の状況を確認し終えた。
すると、酷い脱力感が背中からリンカの身体を抱きしめて来る。
腕や脚を動かすのもダルい。
頭は内部で血管が破裂して、ジュクジュクと血が溢れている様な感じがする。
耐え切れずに、リンカは布団へ突っ伏した。
自分の家ではない。
だが、この部屋には見覚えがあった。
「あ。起きたーっ。」
襖が開くと、見知った女性が顔を覗かせた。
茶色に白いメッシュカラーのミディアムヘア。
くりんっと大きな瞳。
小動物的な可愛らしい雰囲気な女性が、にこやかな笑顔を見せた。
「びっくりしたよぉーっ。」
「病院の服でウチに来るなんてぇ。」
「しかも、びしょぬれだしぃーっ。」
彼女は突っ伏したリンカへ近づく。
そして、上半身を抱きかかえて布団へ寝直させた。
「もう、どうしたら良いかわかんなくってサァ」
非接触体温計を取り出すと、リンカのおでこから体温を計測する。
「…ん。」
「熱は下がったみたいだネ。」
「何か食べられる…?」
心配そうに彼女はリンカの顔を覗き込んだ。
「ごめんねぇーっ。」
大仰に彼女は両手を合わせ、リンカを拝む。
「リンカが入院してる病院の連絡先知らなくてぇーっ」
「…て、いうか。」
「何処に連絡して良いか解らなくてぇ…。」
「何にもしてないんだぁ~…っ。」
アオイはペコペコとリンカへ頭を下げた。
彼女は、リンカの友達。
元々は、リンカのパートナーだった物部タニヤの友達だ。
どうやら、謎の女性ディライラと、
その僕である右神と左神に追われた後。
意識朦朧となりつつも、彼女のアパートへ転がり込んだらしい。
「あ。お腹空いた?」
「何か食べる??」
リンカの無事を確認すると、アオイはすっくっと立ち上がる。
「ん…、そうね。」
「ごめん、ありがと…っ。」
疲労困憊なリンカは、彼女の行為に甘えて小さく応えた。
「…。」
「…!!」
布団に包まれて落ち着こうとしていたリンカは、ふと思い出した様に上半身を起こした。
そして、身体にかかっていた布団を退ける。
「何?どうしたの…?」
突然、起き上がったリンカを不思議そうにアオイが見守る。
彼女に構わず、リンカは自分の右脚へ触れた。
そこに右脚がある事を確認する様に掴み、軽く左右へ振ってみる。
慎重に膝を曲げ、更に右足首を曲げた。
動作を確かめる様に、脚の指をグッ、パッと開く。
すっかり右脚に異常はなく、痛みも何も感じなかった。
交通事故で折れた右足は、正常に動作して骨折の痕跡は跡形もない。
「…あれ?」
「リンカ…、脚は?」
「骨折で入院してたよね?」
リンカが自らの脚をセルフチェックしている光景。
それを眺めていたアオイは、不思議そうに彼女へ尋ねた。
「…うん…。」
「何か…、治ったみたい…?」
リンカは正直に今の状態をアオイへ伝えた。
「え…?」
「凄いじゃん…っ!?」
「何?、ナニ?? どーしたのっ???」
アオイは心底驚いた様子で、リンカへ詰め寄った。
「ぃゃ…。」
「なんだろ…?」
「よくわかんないや…っ」
リンカ自身も、一晩で自然治癒した原因は思いつかない。
脛の骨が折れた後、手術で金属の棒が入っている。
とは言え、骨自体が接合するのと、リハビリで全治2・3か月の大けがだった筈だ。
あの皇・ディライラという女性。
彼女なら、これの原因がわかるのだろうか…?
だが、あんな拉致誘拐まがいをする様な奴に同行する気にはなれない。
「まぁ、ごはん食べよっか…!!」
思い悩むリンカにアオイが声をかける。
そして、再び立ち上がると隣の台所へと向かう。
彼女の後ろ姿を無意識にリンカは目で追った。
アオイは、150cm程度の小柄な女性。
やや厚手な薄緑なスウェットシャツ。
身長と合わせた様なスタイルは、シャツにすっかり包まれている。
ふわりとした大人締めな胸のふくらみ。
下はデニムズボン。
上着と違い、デニムはピッチリと下半身にフィットしていた。
緩いラインを描く脚線。
小さいが強調した女性らしい曲線を描いている。
その緩い脚線の上にぷるっとしたお尻が乗っている。
小さい女性ラインを見たリンカの心にモヤッとした気持ちが滲む。
水面へ黒いインクを垂らした様な、小さいが目立つモヤった気持ち。
それは、ゆっくりとリンカの体内へ広がって、彼女の心を刺激した。
「…??」
慌ててリンカは布団へと潜り込む。
アオイは女友達であって、そんな対象で見た事はない。
突然に湧き上がった性欲、それに戸惑ったリンカはギュッと眼を閉じた。
水面に落ちた一滴の黒いインクが、モヤモヤと漂い溶けてゆく。
それは脳裏で、凝り固まって形を露わにさせた。
緩やかな山の様な白い胸の膨らみ。
滑りと肌触りが良さそうな肌。
もっちりとした太もも。
ゆったりとした腰つき。
それが、リンカの肉体に絡みつく。
妄想の中で、アオイの瞳は、ウットリして独特な熱を帯びていて。
アオイの吸い付くような肌触り。
アオイの熱い吐息と、甘い囁き。
そんな妄想がリンカの下半身へと収束して、熱く一か所を苛み始めた。
もどかしい疼きが彼女の下半身から背筋をぞろぞろと這い上がる。
必死にその邪な気持ちに眼を瞑り、リンカは布団にくるまった。
明るい光が瞼をくすぐって。
次にリンカが眼を覚ました時、身を苛む獣欲は失せていた。
耐えがたい倦怠感の残滓は残っていたが、先程よりは軽くなっている。
陽光は高くなっていて、すでに午後になっていた。
アオイと共に部屋で遅い朝昼食を摂り、まったりと静養する時間を過ごす。
物部タニヤの死も
病院での騒動も
ゆったりと過ごす時間の中、あれら全てが夢の様な気すらした。
そんな穏やかな時間、突然に冷たいナイフの様な感覚がリンカへ突き刺さった。
ぞろりっとリンカの背中に冷たい感触が突き立てられる感覚。
その冷たさは、リンカの体内で温まり、
それは、じりじりとした焦燥感へと変化して、背中から覆い被さってくる。
つい最近にも感じた感覚。
それを追う様にドアチャイムが鳴った。
「ん?」
「はーいっ★」
アオイが反応して台所を抜け、端にある玄関ドアへと向かった。
「…だ、だめ…っ!!」
リンカは反射的にアオイへ声をかけた。
それより早く、アオイは玄関を開けた。
だが、そこは女の一人暮らし。
ドアにはドアチェーンがかかっており、半開きで応対する。
「どうも、ごめんなさい。」
「今、大丈夫ですか?」
高くハキハキとした女性の声が響く。
「ええ…、何ですか?」
アオイはドアチェーンがかかった半開きなドアの隙間から、来訪者へ応対する。
「えーと、新藤アオイさんですわよね?」
「大己貴命大学病院の皇と申します。」
皇・ディライラは、にこやかな営業スマイルを輝かせた。
「こちらに、杉本リンカさんがいらしてないでしょうか…?」
「彼女、入院病院から行方不明になっていまして…。」
「新藤さんの所に御厄介になってないかと…?」
朗々と流れる様にディライラは説明をする。
「え…?」
「り、リンカですか…?」
アオイは、ちらりっとアパートの奥。
リンカの方へと一瞬だけ視線を向けた。
「…。」
「…失礼しますわねっ♪」
ディライラがそう告げると、大きな男の手が玄関ドアを掴んだ。
アオイが反応するより早く、ぬぅっと恐ろしい形相をした赤鬼がドアをこじ開ける。
それは、黒いビジネススーツ姿の筋骨隆々とした赤鬼。
左神の腕は、難なくドアチェーンを引きちぎる。
そして、玄関ドアを全開にさせると、アオイを突き飛ばした。
ズカズカッと土足でアパート内に侵入し、躊躇いもなく一番奥の部屋へ突入する。
だが、そこには空の布団だけが残されているだけだ。
布団を視認し、左神は顔を上げ、その先を確認する。
ベランダに立っているリンカと目があう。
「…ちっ!!」
ベランダに出ていたリンカは、周囲を見渡して脱出先を探した。
何個かの植木鉢。
物干し竿。
落下防止の柵。
隣との仕切り板。
場所は三階で、地上に飛び降りるには高すぎる。
左神の背後からディライラが顔を覗かせる。
彼女はリンカの姿を確認して、声をあげた。
「リンカさんっ!!」
「大人しくしなさいな…っ!!」
「左神っ、確保なさいっ!!」
ディライラの号令と共に左神は、ベランダで立ち往生しているリンカへ向かって歩き出す。
「くっ…!!」
「この…っ!!」
リンカは近くにあった植木鉢を掴み、勢い良く隣との仕切り板へ叩きつけた。
バンッと弾けた音が響き、素焼きの植木鉢が仕切り板を叩き割る。
火災が起きて逃げ場を失った時、隣へ避難出来る様に仕切り板は壊れやすくなっている。
下半分に穴が開き、もう一回植木鉢を叩きつけると、仕切り板の下半分は完全に吹き飛んだ。
リンカは身を屈めて隣のベランダへ脱出する。
左神がベランダに出るより早く、リンカは隣室へと逃げ出した。
隣の部屋は空き室のようで、窓越しに室内を見ると、何もないガランッとした室内が見える。
「…あっ!?」
リンカは突進してきた左神に驚いて声を上げた。
ビックリしてトンッと離れる方向へ軽く飛びずさる。
だが、仕切り板の開口部は、筋肉の塊である左神の巨体には狭すぎた様子だ。
彼はがっちりと穴にハマって、通り抜けられない。
「こらぁっ!何してるの…っ!!」
「早く通りなさい…っ!!」
アオイの部屋からディライラの憤る声が聞こえる。
リンカは、慌てている二人の光景を眺めていた。
すると、今いるベランダの部屋の奥から、ドカンッと空気が震える位の大きな音が響く。
はっとしてリンカは、空き部屋の奥へ眼を向けた。
長い白髪を振り乱した黒いスーツを着た青鬼が、空部屋の襖を勢いよく開いて出現した。
ディライラに従う、もうひとりの僕、右神だった。
再び脱出路を断たれたリンカは、更に隣の仕切り板へ向かう。
「ああっ!!くそ…っ!!」
この部屋は空部屋で、仕切り板を壊せる様な物体は何もない。
元居た部屋の仕切り板をバキバキと破壊している左神。
空き部屋の窓のカギを開けようとしている右神。
リンカは反射的に仕切り板へキックをかました。
一回。
二回。
どかんっと仕切り板は、リンカのキックでぶち破れる。
かろうじて出来た小さい穴から、リンカは猫の様にスルリッと隣の部屋へ脱出した。
「えぇっ!?誰ですかっ!?」
部屋に居た隣人の男性は、突然の出来事に大声を張り上げた。
仕切り板がぶち抜かれ、見知らぬ女性がベランダに入ってきたら、誰でも驚く。
ぐっとリンカはその部屋の窓へ手をかけた。
ここから、建屋内へ戻れば廊下を抜けて逃げられる…?
いや…。
アオイの部屋には左神。
隣の空き部屋からは右神。
まだ残っているディライラが、廊下で待ち構えているかも知れない。
リンカは現在の状況を再確認する為、脱出経路を振り返って見た。
右神はパンチを繰り出して、リンカが通った仕切り板を壊している。
リンカを追って突入しようと、自分たちが通過出来る様に仕切り板を壊しているのだ。
その後ろには、アオイの部屋から追って来た左神の姿が見えた。
今、リンカが居る部屋からディライラが突入して来てもおかしくない。
そう判断した彼女は、ベランダを横切って次の仕切り板へ向かった。
「ふ…っ!!」
反射的に彼女は、腕を突き出して仕切り板へパンチを繰り出した。
どんっと一撃で仕切り板は抜け、リンカは両手で仕切り板を引き裂いた。
ちぎった板片を投げ捨て、次の部屋へ侵入する。
だが、そこは角部屋で行き止まりだった。
「あーぁっ!?もうっ!!」
リンカは憤りの声を上げ、後ろを振り返った。
もうすでに隣のベランダまで、右神が迫っているのが見える。
リンカの居る位置は、角部屋でもう逃げ場は無い。
場所は三階。
地上には飛び降りるには高すぎる。
でも、隣の建物なら…?
リンカは慌ててベランダの端から隣の建物を確認した。
幅2m程度の細い路地を挟み、
隣には二階建てのアパートが立っている。
再びリンカは自分の背後を確認した。
背後からは、迫りくる赤鬼と青鬼。
眼前は、切り立った崖の様なアパートの端。
「もーっ!!」
「ちっくしょぉーっ!!」
一瞬、地団駄を踏んだリンカは、少し後ずさる。
そして、躊躇なく助走をつけて走り出した。
止まることなく、ベランダの柵を飛び越える。
風きり音がリンカの耳を擦り、空気がどっと抵抗として彼女を押し返す。
リンカは完全に三階から宙へと舞った。
ぐんっと身体を大きく弓反りにしつつ、路地の空を横切る。
大きな放物線を描き、彼女は隣のアパートの屋上へ転がり落ちた。
ごろんっと一回転すると、その勢いを殺さずに走り出す。
後ろを振り返りもせず、飛んだ勢いのままで屋上を駆ける。
その先は3階建ての建物。
今、駆けている場所より2m以上高い、
だが、リンカは勢いに身を任せた。
躊躇なく踏み切って、建物の間にある道路を跳躍する。
身体は軽く、蹴り出す脚は力強かった。
辿り着いた垂直の壁を駆け上がり、
隣の建物の屋上へ飛び上がる。
その動きは、重力を感じない。
トンッ、と宙へ舞い上がり
壁にある雨どいを掴む。
それを軸にして、身を振る。
生じた遠心力で加速して、次の屋上へと飛び移る。
更にそこから宙へ踊り出す。
くるりっ、と宙で一回転して、
そのまま下へ落下する。
鳥の様にふわりっと、非常階段の手すりに舞い降り
勢いを殺さずに、大きく背中からバク転する。
そして、往来の歩道へと着地した。
突然に宙から舞い降りたリンカ。
彼女の登場に驚いた歩行者達は、
彼女が下りて来た空中や、
彼女自身を不思議そうに見た。
「…ふぅ…。」
身体には血液が循環し、心地よい疲労と達成感。
リンカはパルクールの様なアクションが出来た事に自ら感嘆した。
こんな事ができる程、運動神経は良くない。
肉体が自然と動いた感じで、自分の意思で行った動きと思えなかった。
だが、そんな感激もすぐにかき消される。
熊の様な巨体が曲がり角から、ダンプカーの如く荒々しく出現した。
長い白髪を振り乱し、他の歩行者に構わず突進してくる。
青鬼の右神。
リンカの動きは、明らかに常人を超えたものだった。
あれだけ、派手なパルクールで、遠くへ逃げた筈。
そんなリンカを追跡して来るスピードと追跡能力。
彼等も明らかに常人とは違っていた。
「もう…っ!!」
「しつこい…っ!!」
くるりっと彼等に背を向けて、細い車道を超えた。
そのほんの一瞬の間で、右神はリンカの数歩手前まで駆け寄っていた。
くるんっと体を反転させ、リンカは拳を繰り出す。
リンカへ突進していた右神。
その眼前にリンカの拳が突き出される。
カウンターでリンカのパンチが右神の胴体へ叩き込まれた。
リンカのパンチ力に右神自身が突進する速度が合算される。
まるで、トラックが電柱にでも衝突したかの様に、右神は大きく跳ね飛ばされた。
リンカは普通の女性で、格闘家でもない。
攻撃が倍化するカウンター。
更にクリーンヒットしたとはいえ、2mの巨体を持つ男が女性のパンチで吹き飛ばされる。
リンカ自身も驚愕する程に、異常な事態だった。
どうっと大きな音を立て、車道に右神の巨体が仰向けに倒れ込む。
ぐんっ、とゴムボールの如く筋肉の塊は丸まる。
そこから、逆再生しているかの様に動いて右君は跳ね起きた。
さすがに女性のパンチだけでは、ノックアウトは無理らしい。
跳ね起きた右神は、乱れた長髪を手櫛で直す。
その振る舞いから大したダメージを感じていない様子だ。
そして、右神は慎重に身構える。
「くそ…っ!!」
「いい加減にしてよっ!!」
リンカは吐き捨てる様に呟きつつ、臨戦態勢に構えた。
互いに相手の出方を伺いつつ、じりじりと距離を詰めて行く。
まるで、あやういバランスで保っている様な感覚。
しかも、リンカから見て、右神は青鬼の仮面で表情が見えない。
何を考えているのか表情が読めないのは、思考が読めず不安にさせた。
ぐっと右神の身体が少しだけ縮こまる。
"…くるっ。"
そう意識するより先にリンカの身体は動いた。
だが、それは目の前を横切った車に邪魔される。
リンカの目の前で急停車した車は、躊躇なく右神の巨体を跳ね飛ばしていた。
「…リンカっ!!」
「乗ってっ!!!」
数メートル先に跳ね飛ばした右神に構わず、運転していたアオイが声を張り上げる。
リンカは、開かれた助手席のドアから車へ飛び乗った。
「うあーっ!!」
「どうしよーっ!!」
「アレっあれっ、人跳ねちゃったーっ??」
パニックになったアオイがリンカへ叫ぶ。
「大丈夫っ!!」
「いいからっ、車出してっ!!」
勢いよくドアを閉め、リンカはアオイへ下知を飛ばした。
言われるままにアオイは、車を急発進させる。
伸びている右神を放置して、どんっと勢いよく車は走りだした。
助手席に座ると、ドッと疲れがリンカの身を包む。
頭から浴びた様に疲労感がつま先まで流れ、リンカは意識が朦朧となる。
アオイが急発進させた軽自動車は、通りを曲がった。
片側2車線の大通りに入ると、車の速度は巡航速度に入る。
「多分…。」
「もう、大丈夫だと…、思う。」
アオイは運転に集中して正面を見据えつつ、リンカへ告げた。
疲労による解脱感に混じりつつ、ビリビリとした感覚がリンカの身体を苛んでいる。
そんな、強い"殺気"を感じていたが、リンカは意識を保つことが出来ない。
助手席にもたれかかったまま、彼女の意識は深く暗い底へと沈み込んだ。
アオイの軽自動車がタイヤを鳴らしつつ道路を曲がる。
その後には、大きな牛が横になった様に男が倒れていた。
「…もうっ。」
「ほらっ、いつまで寝てるの…っ!!」
皇・ディライラは、道路に伸びている右神の頭を叩く。
相棒の左神が、跪くと彼を助け起こす。
「まったくぅ…。」
「完全に適合しちゃってるじゃない~っ♪」
「困ったわぁぁ~…っ」
逃走したリンカ達の車の痕跡を眺めつつ、
他人事の様にディライラは溜息を吐いた。
「まあ、いいわ♪」
「あの子が次にどうするかなんて…。」
「マルッと、お見通しですし…♪」
「ほら、二人ともっ!!」
「行きますわよ…っ!!」
まだ本調子でない右神と、
それを介抱している左神に声をかけ、ディライラは歩き出した。
「…ぅ…。」
意識が現世に戻った時、ひどい頭痛が頭を殴打する。
あまりの痛みにリンカは眼を閉じたまま、ベッドの上で身を転がした。
ぎゅっと、自分の頭を両手で抱えて、頭痛と相殺させる様に強く圧す。
脈を打つペースで頭を叩く痛みの鋭さが鈍り、何とか二日酔いに似た程度までに収まった。
「…くそ…ぉっ!!」
再びベッドの上で体を転がし、リンカは仰向けになる。
「あ。」
「起きた…、大丈夫?」
リンカが寝ている近くのベッドのマットが沈む感触。
アオイはリンカの頭に手を当て、熱が無いかを簡易的に計った。
「大変だったんだから、ここまで連れて来るの…。」
「何か飲める…?」
アオイの申し出にリンカは、眼を塞いでいた自分の両手を退ける。
そして、仰向けになったままで隣に座って居るアオイを見た。
「ぅん…、何がある?」
「うーん…、コーヒーと炭酸。」
「あとは…、ビールかな?」
ポンッとベッドから飛び跳ね、アオイはホテルの冷蔵庫を確認した。
シックな間接照明。
パステルカラーな収納棚と大型テレビ。
キングサイズのベッドがひとつ。
小さなテーブルと一人用のソファが一対。
部屋は小奇麗だが、簡素な設備だけだ。
ベッドの正面に大きな窓がひとつ。
そこから広く大きな浴室が丸見えになっている。
「…ここ、何処…?」
リンカには、おおよその予想は付いていたが、確認の為に聞いてみた。
「郊外のラブホ♪」
リンカは冷蔵庫からコーヒー缶をリンカへ手渡した。
「大変だったんだから、車から直に部屋に入れるトコ探すの…。」
「いやぁ、Google検索便利っ★」
明るく応えるとアオイは、リンカの隣へお尻からベッドにボフンッと飛び込む。
そして、ビール缶のプルトップを開いた。
「だって、私のウチには帰れないし…。」
「ホテル以外、行くトコなくない…?」
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ぐいっと大きく顔を上へ向け、アオイはビール缶を煽った。
ビールの苦みと刺激が彼女の喉を通り過ぎる。
冷たさとアルコールが、ジワリッとアオイの肢体へ乾いた砂の様に染み込んだ。
「まぁ…、何があったのかは…。」
「知らないけど…っ?」
ビール缶片手に彼女は、ベッドに横たわるリンカを眺めた。
「ごめん…。」
「でも、アタシも何が何だか…。」
リンカは神妙な表情で上体を上げる。
そして、コーヒー缶を開けて一口啜った。
「ふーん…。」
「でも、これからどーすんの?」
体育座りをしつつ、アオイはビールを飲む。
「何が起きてるのか、知らないと…。」
「アタシが何に巻き込まれたのか…?」
鈍痛が響く頭を抱えつつ、リンカは上半身を起こした。
「…アタシ…?」
「アタシ達じゃない…?」
ごつんっと体育座りの状態で達磨の様に転がり、アオイはリンカを小突いた。
そのままもたれ掛かって、リンカの間近でアオイはクスリッと微笑んだ。
「さっ、てぇ~とっ♪」
ごろりっとアオイはそのままの体勢でベッド端へ転がる。
そして、ベッドから転がり落ちて床に立ち上がった。
浴室へ向かうと、上着を脱いだ。
「あー~っ、もう今日は大変だったぁっ」
「先にお風呂使っちゃうね♪」
遠慮もなく彼女は着ている洋服を脱ぎ捨てる。
浴室へ入りつつ、
下着を脱ぎ、
バスタブの水栓を空ける。
全裸になったアオイの姿。
それがリンカが寝ているベッドの窓から見えていた。
白くスレンダーなアオイの裸体。
緩やかな円錐形だが、張りのありそうな胸。
肉付きは薄く、胸の下にはうっすらと肋骨が見えた。
ウエストは細い体形らしく、キュと絞れている。
細い脚と腕。
そんな女友達の裸体をリンカは、呆けた顔で眺めていた。
その視線に気が付いたアオイは、揶揄うような笑みを浮かべて視線を返す。
白く細身だが女性らしい可愛らしさのある女体。
シャワーの飛沫がその肢体へ当ると、キラキラと水滴が転がった。
アオイの肌に水流が筋を描き、舐める様に這い回る。
形の良い胸を辿り、
窪んだヘソを舐め、
うっすらと茂る陰毛を濡らす。
その姿を眺めていると、身体の内側からグラグラと何かが煮え立つのを感じる。
見えない何かが、自分の下半身にある敏感な部位を舐める様な感覚。
ぞろりっとそれが体の中を這い回って、リンカの乳首をくすぐる。
「…!?」
全裸でシャワーを浴びる女友達に欲情している?
そんな性欲を抱いた事にリンカは、自分で自分に驚いた。
リンカは確かに同性愛者だが…、
今までアオイにそうした感情を抱いた事はない。
その前に、女性が性的刺激だけで発情する訳でもない。
あの小さいが弾力のある胸へ触れてみたい。
指を食い込ませ、頂点にある乳首を責めて見たい。
どんな喘ぎ声を出すのだろう?
どんな甘い声で囁いてくれるのだろう?
身を焦がす性欲と共に、止めどなく妄想が溢れ返る。
それにリンカは耐え切れず、視線を外してベッドに伏せた。
視界を遮断すると、自分の体内で渦巻く肉欲がリンカを襲う。
ジリジリとした疼きが下半身に溜まって、彼女はモゾモゾと腰をくねらせた。
今ここに、一人きりだったら…。
そんな苦悩ともどかしさに身が狂いそうになる。
見えない業火で炙られている気分だった。
"疲れているからかしら…?"
"子孫を残す本能が働いたから…?"
"そんなの男だけじゃないっ"
"このまま、アタシも浴室に乱入しようかしら…?"
"それとなく…"
"自然に…、普通に装えば…"
"だめ、ダメ、駄目…っ"
悶々としつつ、とりとめのない想いで気を紛らせようと藻掻く。
だが、水中へ飛び込んだ時の様に、リンカの脳内に無数の妄想が泡立つ。
ホテルの浴室で
口づけを交わすリンカとアオイ。
再びキスをする相手は、タニヤに変わる。
豊満で柔らかいタニヤの肢体。
それが、リンカの裸体と重なる。
互いに指を絡ませ、見つめ合う。
浮いては消え、
消えては浮いて
リンカの脳内に走馬灯に様に妄想が煌めいた。
アオイの可愛らしい口元から、舌が蠱惑的にのたうつ。
互いに裸体を絡ませ、シャワーを浴びる妄想。
気がつくと、抱いていたアオイは姿を変え、
ふかりっとしたボリューム感のある肢体の女性へ変わっていた。
シャワーで濡れた物部タニヤがリンカを見詰めている。
ベッドの上でタニヤに抱かれ、下になって身を絡ませる。
密着した白く柔らかい、滑りの良い肌に混じった異物感。
それを下半身に感じた。
リンカは、視線を下へ向ける。
彼女の眼に入ったのは、反り返った肉の棒。
リンカが呆気に取られていると、タニヤの肢体全体が硬く大きく変貌する。
異変に慄いて顔を上げた。
ベンがリンカに覆いかぶさっていた。
リンカの"初めての男"。
その熱く硬い肉の感触。
ハッとベッドの上で現実へ意識を戻す。
だが、リンカの身を焦がす欲求だけは、現実にまで付いて来た。
身の内から恐怖や驚愕より、強く大きな欲求がリンカを襲う。
その渇望感は、飢餓感の様だった。
柔らかさより、硬い肉。
硬く反り返った肉の棒。
渇望。
強く大きな男の肉体。
煩悩。
どっ、と汗が噴き出す様に、リンカの体内に性欲が溢れ出す。
たが、求める相手は女では無かった。
女性より、男が欲しかった。
喉を掻きむしりたい程の渇き。
その感覚が煩悩に置き換わり、リンカを襲う。
もどかしい感情が、彼女の神経をギリギリと引き絞る。
誰でも良かった。
男性なら、誰でも。
あの肉で貫かれたい。
熱い迸りで汚されたい。
そんな強い欲望がリンカの身体から抜けるのに、かなりの時間を要した。
"骨折が自然治癒したり…。"
"馬鹿高くなった身体能力。"
"代わりに憑りつく疲労感。"
"男みたいな汚い性欲。"
"何なのよぉ~…一体っ!?"
"絶対、聞き出してやるわ…っ!!"
こんな、異常事態の原因と打開策を得るのに
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