桜咲く恋を教えて

篠宮華

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なれそめ②

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 本当は元々甘いものが好きなこともあり、さすがにブラックの珈琲をおかわりすることは出来ずにいた私に、先生は少しだけ砂糖を入れた紅茶を淹れてくれた。
 お祝いと言って、出てきた小さなケーキは、私が以前食べてみたいと言っていた、隣町にある人気洋菓子店の苺のショートケーキだった。「今日来るって聞いたから、午前中に行ってきたんだ」と言われて、再び顔が緩んでしまう。
 と、その時。

「あれ?スマホ鳴ってない?」

 私の鞄からスマホの振動音が聞こえる。音が途切れないので、どうやら着信のようだ。急いで確認すると、そこには表示されていたのは——。

「…お母さんだ」
「来栖教授?急いで出てあげて」

 通話ボタンをタップすると、いつものようにハイテンションな声が聞こえてくる。

『あ、もしもし?唯!卒業おめでとー!!』

 私だと名乗ってもいないのにそう言って、母は一気に話し出す。

「あ、ありがとう」
『卒業式行けなくてほんとにごめんねー!お父さんとちゃんと会えた?ていうか、お父さんだってわかった?あの人ここ何年かでちょっと太っちゃって、スーツが入らないって言ってたのよ。雰囲気も変わっちゃってたかなあと思って』
「うん、一瞬わかんなかったけど、よく見たらわかったよ」
『あはは!そっかあ、それならよかった!』

 母からの電話だと知った先生は、親子水入らずで会話がしやすいようにと気を遣ってくれたのかキッチンに向かったけれど、あまりに母の声が大きくて、結局会話は丸聞こえだ。漏れ聞こえてくる会話を聞いて、声を立てずに、でも微笑ましそうに笑いながら、再びお湯を沸かしている。
 すると、母は知ってか知らずか、急に声を潜めて言った。

『それはそうと、もしかして今葉山くんの家?』
「え?な、なんで?」

 突然出てきた先生の名前に驚いて狼狽える私を見て、先生は‘どうしたの?’と声には出さずに口の動きだけで伝えてくる。

『今日あたり、会いに行くかなって思ってね。近いうちに唯が行くかもしれないって伝えちゃってたし、行くなら今日かなって思って…ビンゴ?』
「そ、それは……」

 昔から直感の鋭い人ではあったけれど、まさかそんなことまで当てられるとは思っておらず我が母ながらちょっとだけ怖くなっていると、母は再び声のボリュームを大にして、話し始める。これでは先生にも聞こえてしまう。

『だってー、唯、葉山くんのこと大好きなんだもの。しょっちゅう葉山くんからのLINEチェックしてたし、彼が来る日はいつもそわそわしてたし。この間テレビでかっこいいって言ってた人、どうみても葉山くんっぽかったじゃなーい!』
「そ、そんなことは…」

 なんだかとても恥ずかしいことを暴露されているような気がする。母の危険なマシンガントークを遮ろうとすると、母は噂話をするように少し声のトーンを落とした。

『で?ちゃんと話は出来たの?』

 恥ずかしいからもうやめてー!と言おうとしたところで、ひょいとスマホが私の手から取り上げられた。

「来栖教授、葉山です」
『あっ!ほらやっぱり葉山くんいた!』
「お疲れのところ申し訳ないのですが、ご報告があります」
『はいはーい。何かしらー?』

 一体何を言うのかと私がはらはらしていると、先生は、さっきと同じように声を出さずに‘大丈夫だから’と伝えてきた。私の頭をぽんぽんと撫でて、手を繋ぐ。

「この度、唯さんと、お付き合いさせていただくことになりました。娘さんのこと、誰よりも大切にします。どうか見守ってください」

 驚いて口をあんぐり開けてしまった私とは対照的に、先生は落ち着いた様子でそう言った。
 少しの沈黙の後、スマホから漏れ聞こえてきたのは、ちょっとだけ嬉しそうな母の声だった。

『…はーい。唯のこと、くれぐれもよろしくね』

 元々決まっていたことを事後報告するかのようなやりとりに、訝し気な顔をしている私に「唯さんに戻します」の言葉と共にスマホが返され、繋いでいた手が離された。

『もー、ようやく両想いになったんだから仲良くね!邪魔しちゃ悪いから切るわよ。あ、改めて卒業おめでとう!今度ちゃんとお祝いするからね!』
「え、ちょ…」

 ぶつり。
 勢いよく切られた電話に呆然としていると、キッチンから「紅茶もっと飲む?」なんて呑気に声をかけられる。答えずにいると、珈琲を持った先生がちょっと心配そうにリビングに帰ってきて、隣に座った。

「大丈夫?…なんかまずかった?」
「…なんか、先生とうちの母のやりとり、ちょっと不自然じゃないですか?」
「あー…」

 眉間に皺を寄せた私を見て、先生は納得いったように笑った。

「唯ちゃんが予備校に通うってなったときに、来栖教授には直接連絡を受けていたんだ。研究室で会うこともあったしね。でもその後、君が大学に受かったって聞いて、もし嫌でなければお祝いさせてほしいって伝えたら、そのー…」
「…なんですか?」

 珍しく言い淀んだ先生にぐぐっと詰め寄ると、降参だとでも言うように両手を上げて、視線をちょっと彷徨わせながら言った。

「……唯ちゃんが、多分俺のこと好きだから、喜ぶと思うって言われて」

 冗談だと思ってたんだけどね、と自分は2杯目の珈琲を口に運びながら笑う。
 なるほど。だからさっきの発言か。母らしいし全部事実だけれど、恥ずかしいから今後はちょっと控えてほしい。
 でも、確かに母から先生に連絡を入れるのは、保護者として当たり前のことだ。自分がアルバイトを頼んでおいて、急に契約を打ち切るような形になったのだから、二人に何かしらのやり取りがない方がおかしい。

「ごめんなさい…家庭教師のアルバイト、突然勝手に終わりにしちゃって…」
「いや、それは気にしなくて全然大丈夫。まあ…めちゃくちゃ寂しいなとは思ったけど」

 先生は話しながら「今日ちょっと冷えるね」と少し開いていた窓を閉める。戻ってきて、また隣に座るから、私は自分の膝にかけてもらっていたブランケットを広げて先生の足にもかけると、ありがとうと笑う。

「でも、唯ちゃんは飲み込みも速かったから、あれくらいの時期から予備校に通い出してもちゃんと成績伸びそうだと思ったし、少し離れてみて自分の気持ちにも気付けたし」

 隣に座った先生は、私の肩に回したその手で頭をぽんぽんしながら話をする。
 この距離の近さは、さっきまでだったら到底考えられなかった。恋人同士になるとこんなに空気が変わるのかという驚きと、喜び。しかも先生との関係は母公認ときた。
——それならもう、躊躇うことはないんだ。

「なんだか信じられないです」

 私はそう言いながら、自分の頬をぎゅーっと抓る。ちゃんと、結構痛かった。
 すると先生が、抓ってじんじんしている私の頬を指の背で撫でながら笑う。

「こら、強くやり過ぎ。赤くなってるよ」

 くすぐったくて、照れくさくて、でも嬉しくて、首を竦めてふふっと笑うと、先生はちょっと真面目な顔でそのまま私の頭をゆっくりと引き寄せながら、さっき撫でた頬にちゅっと軽く触れるようなキスをした。
 驚いて目を白黒させていると、そのまま「目、閉じて」と囁くような小さな声で言われる。心臓が爆発しそうな中、どうにかこうにか目を瞑ると、頤に手を添えられて、唇が優しく触れ合う。柔らかくて、それなのに熱い。1秒にも、10秒にも思えるような時間の後、先生は私の額に自分の額をこつんと合わせた。

「可愛過ぎる」
「そ、そんなことは…」
「いや、可愛い」

 思わず自惚れてしまいそうなほど、きっぱりと言い切られる。雰囲気があまりにも甘くて、このままずっと触れ合っていたら、より離れられなくなってしまいそうだ。
——でも、なんだかもっとその先を知りたくなってしまう。
 自然と腕が伸びてしがみつくように抱き着くと、一瞬息をのんだような気配の後に、ぎゅっと強く抱き締め返された。髪の間に指を差し入れられて、ぞくぞくする。体がじわじわと熱を持ってくるのを感じる。
 その時、少し体を離して、でも睫毛が触れそうな距離で先生が言った。

「…これ以上は止められなくなるから、ダメだよ」

——止められなくなる。
 でもそれを聞いて、確実に欲が出た。
 止めなくていい。だって、両想いなんだから。
 この家に来てからずっとドキドキしているけど、来たときと今とではドキドキの種類が違う。顔を見て言うのが恥ずかしくて、先生の背中に腕を回して、耳元で尋ねる。

「止めないでほしいって言ったら、続けてくれるんですか…?」
「…唯ちゃん、」
「お祝い、されにきたんです。私」

 確かに急展開ではあるかもしれないけれど、どうなってもいいなんて投げやりな感情ではない。人生には、今、この瞬間である必要があることが、きっとある。

「だから…今日そうなっても、後悔しないです」

 言った。
 しばらく抱き合ったままで、先生の首に顔を埋める。
 すると、近くで大きなため息が聞こえて、一瞬我に返る。
 引かれたかもしれない。欲求不満で性欲しかない子ように思われたのではないか。さっき思いが通じ合ったばかりでやり過ぎた。…でも、今日はそうなってもいいと思って、ここへ来たのも事実なのだ。
 しかし、さすがに恥ずかしくなって体を離そうと身動ぎしようとしたところで、耳に掠れた甘い声が流し込まれた。

「…後悔なんて、させないよ」

 ゆっくりと床に押し倒されて、額にキスをされる。

「先生…」

 すると、私を見下ろす先生の動きがぴたっと止まる。

「……それ、ちょっといけない感じするから、名前呼んでくれない?」
「名前…いいんですか…!?」
「うん。ちょっとなんか…そういうプレイみたいな感じになっちゃいそうだから」
「プレイって?」
「あー…大丈夫。とりあえず‘先生’呼びじゃないのがいいな」
「えっと、じゃあ…わ、航さん?」

 その途端、再び唇が重ねられる。ぬるりと舌が歯列を割って入り込んできた。ゆっくりと探るように、口内を彼の舌が動き回る。ちゅくちゅくと音を立てながらされた深いキスに応えていると、口の端から唾液がつうっと伝ったのがわかった。息が上がってきて、服の袖をきゅっと掴むと、ようやく唇が離れて、気遣うように頭を撫でられる。

「…大丈夫?」
「平気、です…」
「……やっぱり止めておく?」
「え?なんで…?」

 後悔させないなんて言って、こんなキスまでしておいて、それなのにこちらを見下ろしたままそんなことを言うから、私は思わず尋ねる。

「さっき、これ以上は止められなくなるって言ったけど、絶対に無理はさせたくないし、唯ちゃんとのこと真剣に考えてるから、勢いではしたくないんだ」

 真剣に考えているいろいろについてちょっと詳しく聞きたかったけれど、それよりも、こんなときも私とちゃんと目を合わせて話をしてくれるんだなということにちょっと感動する。
——若気の至りって思われてるのかな。
 確かに、この先にある行為については未経験だ。でも、この人以外とすることは想像できなかった。

「止めないでください。私、…わ、航さんとだからしたいんです。…そういうことが」
「唯ちゃん…」

 先生…じゃなくて航さんは、私のことを抱き起こして、正面からぎゅっと抱き締めた。

「君を大切にしたい」
「…はい」
「だから、無理そうなら、途中でもちゃんと言うんだよ」
「わかってます」

 航さんの胸を押して、抱き締められた腕の拘束を解いてから、私はその頬にキスをした。その瞳を覗き込むと、そこにはいつもと違う、情欲を感じる眼差しがあった。


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