パンドラ

猫の手

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二章

【約束-4】

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 修一はスマホを渡しアドレスを無くしたら、彩とはもう二度と会えないと思っていた。確かにこのアドレスで連絡は取れなくなるが二度と会えなくなるわけではない。刑務所から出てくればまた再会は出来る。だが、今の修一はそこまで考えが回らなかった。彩との約束で頭は一杯だったからだ。そして自分の変化と彩との出会いを思い出し、アドレスに対する感謝の気持ちは大きかった。自分に変化を与えてくれ、自分を救ってくれた、そして彩にも変化を与え命を救ってくれた、修一は約束とアドレスに対する気持ちで心が埋め尽くされていた。

「聞いてるのかしら? 大事な返答を迫られてるのよ」

(村野……オカマ達……)

 修一は三人の方に顔を向け重要な選択の今とるべき方を選んだ。

「わかりました……」

 そう言った修一の表情にはやりきれない気持ちが溢れている。

「それで良いのよ、お利口ね」

「本来は我々のモノなんだよ。帰るべき場所に帰るだけだ。君が関わることでも知ることでもない。そしてプログラムの謎を望んじゃいけなかったんだ」

「さあ、渡しなさい」

「その前に村野達を、三人を解放してください」

「ふふ、わかってるわよ」

 沙羅は微笑を浮かべ荒木に伝える。

「荒木もういいわよ! 交渉成立よ!」

 沙羅の声が届き、荒木は少しばかり物足りなそうな表情をする。蒼太の首に腕を絡めて締め上げている最中だった。すぐそばには鼻から血を流している紅太。村野は脚のダメージのせいで立ち上がり闘うだけの体力は残っていなかった。

「クソガキども良かったな。お楽しみは終了だとよ。まぁ俺にとってのだけどな」

 荒木はそう言ってから蒼太を突き飛ばした。

「ゴホッ……ゴホッ……っ」

「蒼ちゃん大丈夫」

 紅太が駆け寄り蒼太の背中を擦りながら荒木を睨む。

「オイオイ怒んなよオカマ。弱いのが悪いんだろうが。いや、あの修一ってガキがワガママだからお前達に被害拡大した。恨むんならあのガキを恨めや」

 そう言って荒木はニヤリと笑いオカマ達を見下ろす。それを見ている村野が口を出す。

「最低のクズ野郎だぜ。てめえは」

 怒りを込め荒木を睨み付ける。ダメージが無かったら今スグにでも飛びかかりそうだった。

「はぁ……そ……そうよ。最低だわ」

「そうよぉ、クズよぉ、あんたなんか」

「オイ、敗者は黙ってろや! てめぇらはもうなにを言っても負け犬の遠吠えなんだからよ」

 相手をバカにする荒木の言葉に三人は我慢がならなかった。しかし、言っていることに間違いがないのも確かだった。

「確かに俺はあんたに負けたけどよ、負け犬の遠吠えでもなんでもあんたは最低のクズ野郎に変わりはないぜ。この俺と一緒でな」

 村野は血の唾を吐き捨て言った。

「なに、お前と一緒? よくわからねぇが遠吠えも出来ないようにその口を塞いでやろうか? なぁ、オイ!」

「もうやめてよ! あの女の人が終わりだって言ったじゃない!」

「あの女の人あんたの上司でしょう? だったらこれ以上なんかやったら困るのはあんたよぉ!」

「女上司には逆らえないかい?」

 村野は小馬鹿にしたように言った。

「このクソガキがぁ! てめぇなんかいつでもトドメさせんだからなぁ!」

 荒木は村野に今にも襲いかかりそうだが沙羅の命令には逆らえず自分を制止した。

「やってみろよ」

「村野さんもやめて。これ以上ケンカしても苦しいだけだわ」

「私も嫌よぉ。これ以上わぁ……」

 それはオカマ達の切実な気持ちだった。

「安心しなクソガキども。てめぇらに手は出さねぇよ。そこのザコ野郎にもよ」

「腹立つ野郎だぜ。確かにあんたの言う通り俺は負けたぜ。ハッキリ言って完敗だ。だがな、やり合おうって気持ちでケンカした俺はいいけどよ、この二人は関係無いんだぜ。こいつらにまで手を出したお前を俺は許さねぇからな、覚えとけ」

「許される気もねぇし、覚える気もねぇ。忘れていいか?」

 荒木はヘラヘラ笑い出した。

「今までケンカで負けたこと無かったんだけどよ……参ったぜ。お前らもまともに守れないでよ」

 村野はオカマ達を一度見てから下を向きどこか悲しそうになにかを思い出すように項垂れた。

(友達を守る時だけは、またケンカをするって言っても、結局守れなきゃな……)

 拳を握り締め悔しさを堪えていた。

「村野さんこんな奴もう相手にしなくていいわよ。私達は大丈夫なんだから」

 蒼太が村野に近寄り肩に手を添える。

「そうよぉ。村野ちゃんがいなかったら私達もっと酷いことされてたわぁ」

 紅太も同じく村野に近寄り手を添えた」

「けどよ、最低のクズ野郎ってんなら俺もこのオッサンと同類だ」

「そんなことないわ。だから自分を責めないでちょうだい。村野さんはこんな奴と同類じゃないわ」

「蒼ちゃんの言う通りよぉ。村野ちゃんはこいつとは全然違うわ」

 三人の会話を聞きながら荒木はニヤリと笑い、しばらく静観していたが口を開いた。

「オイオイ泣ける友情じゃねぇか。羨ましいね。ところでお前らがなんでこんなアッサリと負けちまったか教えてやろうか?」

「いきなりなんだよオッサン。ただたんに俺があんたより弱かっただけだろうが。言いわけする気はないぜ。それにこいつら二人はケンカなんか出来ないんだよ」

「そうよ。か弱い乙女がケンカなんか出来ないわよ」

「乙女に暴力を振るうあんたなんか信じらんないわぁ」

 荒木はヤレヤレと言わんばかりにため息を吐いた。

「てめぇらオカマはよくわかんねぇ生き物だな」

「なによ! 悪い?」

 荒木の言葉が聞き捨てならなかったのか、オカマ達は同時に怒鳴った。

 村野はオカマ達を見ながら思った。

(男は度胸、女は愛嬌って聞いたことあっけど……やっぱな)

「悪かった悪かった。オカマども」

 オカマ達をなだめる動作をしながら荒木は笑い出す。

「そんで? あんたが言ってた俺達がアッサリと負けた理由はなんなんだよ?」

「簡単なことだぜ。てめぇらはケンカの時、攻めるのも上半身、守るのも上半身、弱い奴ってのは大抵そんなもんだ。それじゃケンカをまともに出来ねぇわな。攻めと守りで大事なのは下半身だぜ。脚を痛めりゃいずれ筋肉がやられてフットワークが悪くなる。いずれ膝を落として尻餅つくわな。そのガキのようによ」

 そう言うと勝ち誇ったように村野を指差した。

「ちっ、そんなことは知ってんだよ。格闘の基本だからな。ただ俺はケンカで卑怯くさいことはしたくないだけだ」

「だからあんたは村野さんの脚ばっかり狙ってたのね」

「卑怯者よぉ」

「わかってて脚を守らねぇのもそれはそれでバカだぜ」

 荒木は蒼太と紅太の言葉を聞き流し言った。

「俺には俺のスタイルがあんだよ」

「結果は一緒だが、そんなやり方してっから大事な大事なオカマどもが傷つくハメになったんじゃねぇか? まぁ、あっちのガキも原因だけどよ。黙ってスマホ渡さねぇからな」

 修一達がいる方を見ながら言った。

「修一は悪くねぇ。俺もよくわからねぇけど修一はなにか守るもんがあるんだ。お前達が修一のスマホを狙ってる意味はわからないけどよ」

「村野さんも修一さんも悪くないわよ」

「悪いのは全部あんた達じゃないのぉ」

 荒木は首を左右に動かし軽くマッサージしていた。三人の会話などに耳を傾けてはいない。そして面倒臭そうに言う。

「まっ、この際誰が悪くて俺達がなんでスマホを狙ってるかなんていいじゃねぇか」

「適当な野郎だぜ」

「そうかい。だがてめぇには色々言われる筋合いないぜ。だって俺とてめぇは同類なんだろ?」

 村野の顔を覗き込むように面と向かって言った。

「そうだな……。最低なことをする奴には変わりねぇ……」

 荒木から顔を反らし夜空に目を向けた。

「村野さん……」

「村野ちゃん……」

 蒼太と紅太は村野の表情を見てなにか悲しみを感じ取った。それがなんなのかはオカマ達はわからなかった。

 オカマ達の視線に気付き村野は修一のいるところに目を向ける。 蒼太と紅太も振り返り顔を向けた。

「お楽しみも終わっちまったし、後は沙羅さんと池内さんがあっちを終わらすまではてめぇら三人の見張りか。俺のスキをついて逃げ出してくれたり警察呼ぼうとしたりしてくれたらお楽しみの再開なんだがなぁ」

 荒木は長々と話していたが三人の耳には入っていなかった。スグに修一の元に駆けつけたいが、荒木がそれを許さないのはわかっていた。だから三人は修一をただ見守っていた。

 修一は村野達の方を見て一応でも三人が解放されたことを知った。

「さぁ、荒木はもうなにもしないわ。だけど、あなた次第なのは言うまでもないわね?」

「わかってます……」

 修一はズボンの左ポケットから自分のケータイを取り出した。

「それでいい。さぁ渡してくれ」

 待っていたと言わんばかりに素早く池内が手を差し出す。

「さっきみたいにヤッパリなんて通じないわよ」

 沙羅は威厳のある態度で修一を真っ直ぐ見据えて言った。その表情から渡さなかったらどうなるか、修一は理解していた。

(彩、ゴメン。約束も大事だけど、目の前の友達も大事なんだ。それに刑務所から出てきたらまた彩に会える。さっきはアドレスの謎や約束で頭が一杯だったからそこまで考えが回らなかったけど、一番大事なのは笑顔で彩を迎えることだ。このアドレスを失ったら彩との約束は守れないけど彩とはまた会えるから許して……)

 修一は空を見上げ一息ついてケータイを池内に渡した。
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