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十七章
しおりを挟む「全く。湯にあたりやすいのなら先に言っておけ」
寝転がされた敖暁明は、扇を片手に小言を言う朱丽を見遣った。
彼は朱丽の前で鼻血を出した挙げ句、横抱きで榻に運ばれてしまったのだ。
確かに朱丽はこの現世で一番美しく、一番強いと言っても過言ではない。そんな彼に抱き上げられること自体は悪くないが、この失態はかなり苦いものが込み上げてくる。
敖暁明はつい、はぁと溜息を吐いてしまった。
すると驚くことに、朱丽は珍しくも彼を慰めた。
「気にするな。疲れが溜まっているのなら今日は昼寝でもしておけ。宮中に戻ったら安眠できる日などそうないぞ」
──冗談なのか、本気なのか。
朱丽は時折、碌でもないことを言う。
敖暁明はつい笑ってしまった後、榻から起き上がり地に足を下ろした。
「服は自分で着替えるよ」
「そうか。なら本王は主殿へ行く。何かあれば银义にでも頼め」
そう言った朱丽は面をつけ、既に着替えていた為すぐに出て行ってしまう。
敖暁明は彼を見送ってから立ち上がり、濡れている中衣の襟を落とした。
凹凸がある腹部が顕になり、水滴が流れ落ちる。
もうすぐ十九になる彼は若々しくも、どこか色気があった。
過去の生い立ちからか、滅びの美しさを持つ敖暁明は、その鍛えられた肉体だけでなく雰囲気にも何故か異性を惹きつけるものがある。
敖暁明は器用に片手だけで服を着替え、髪を絞ると朱丽の部屋を出た。
そして私室に向かって長い廊下を歩いていると偶然、蔣浩宇と会った。
「蔣浩宇」
「あ?」
蔣浩宇は頭の上で腕を組んだまま軽く振り向き、面倒くさいのに捕まったと言いたげな顔をしている。
「お前、先代の岁王のことを何か知らないか」
敖暁明は彼の反応を特に気にすることなく、図々しく問いかけた。
「先代の岁王?」
「ああ。前に歴代の王についての書を探したが、一冊も無かった」
蔣浩宇は相手にしていないのか興味がないのか、適当に答える。
「さあな。俺が生まれた頃にはもう今の王だったぜ。知ってるのは银义くらいじゃないか?知りたいならアイツに聞けよ」
……やはり時間の無駄だった。最初から期待はしていなかったが。
敖暁明はその返答を聞き、ならば用は済んだとその場を立ち去ろうとするが、続いた言葉に足を止めた。
「ま、噂ならあるけどな」
「噂?」
振り向いた敖暁明は蔣浩宇を見遣り、言外に先を促す。
彼はちらりと廊下を見渡してから、口を開いた。
「先代は弱王だった、ってやつだ。歴代の岁王の中で、一番弱い王だったらしい。逆に、今の朱丽様は一番初代に近いらしいぜ」
敖暁明は口元に手をやり一瞬考えた後、薄く口を開く。
「……初代に近ければ近いほど、強いのか」
「ま、俺たちには比較できねぇしわかんねーけど」
話は終わったとばかりに手を振り去っていく蔣浩宇を見送り、敖暁明は秘密主義な飼い主のことを思った。
まず、朱丽には全くと言っていいほど血族の影がない。
そして、彼が肌身離さず身につけている形見の持ち主は既に死んでいる。これらのことを踏まえると、あの形見は血縁者以外の物である可能性が高い。
朱丽の昔の恋人か、先代の岁王──もしくは、そのどちらもか。
敖暁明は、はっと小さく笑い、再び私室に向かう。
彼の瞳は、泥のように濁っていた。
・・・
夜の帳が下りた京。
人気のない静かな通りを抜けると、一際大きな敷地──帝師府が現れる。
突然強い夜風が市井に吹き荒れ、木の葉を飛ばした。
それは、月明かりに照らされた部屋に飛び込む。
白と黒が混ざる艶やかな長髪が、宙を舞った。
文臣らしい綺麗な手は髪を押さえ、もう片方の手で木の葉を摘み上げる。
紋様の入った平たい布で目隠しをしている美しい男が、ゆっくりと背後を向いた。
「殿下。数日間の間はお気をつけください」
落ち着いた透明感のある声は、不思議とよく響く。
そして暗闇の中──彼の背後から出てきた端正な青年は、柔らかい雰囲気を纏っていた。
その弧を描いた唇は、僅かに敖暁明を彷彿とさせる。
彼は瞳に美人を映し、穏やかな笑みを浮かべた。
しかし、その美人はにこりともしない。ただ無表情に、真っ直ぐ立っていた。
「帝師は一体何が見えたのか。私にも教えてくれないだろうか」
血の気がない白い指が、外に向かって葉を飛ばす。
帝師──胡星は目を隠しているというのに、まるで足元が見えているかのように窓際から離れた。
「もう時期、鼠が戻って来るようです。果たしてこの鼠が蝙蝠になるかは……殿下次第でしょう」
青年とすれ違った胡星の外衣が、暗闇の中に溶けていく。
逆光になった第二皇子──敖煜光は飾り窓に寄りかかり、去ろうとする背に声をかけた。
「ならば膠着していた宮中内が再び動き出しそうだ。なあ帝師、貴方も楽しみだろう」
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