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第4話

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噂が広がるのは思ったよりも早かった。

「オスワルド伯爵と結婚するんだって?」

 栗色のショートヘアにソバカス顔の野暮ったい青年でクローディアの幼馴染であるケビンの耳にも入っていた。
 彼はクローディアの親の知り合いの息子で、現在は父がやっている商会で運搬に関わる業務をしている。

「どこからそれを……」

「お前の親が彼方此方に言いふらしていたぞ。宝飾店の店主も店に来る客に面白おかしく言い回ってるな」

「事実無根、ただの噂よ」

 クローディアはケビンに背を向けた。

「……え?」

「何?何か用だった?うちの屋敷にやって来て」

「何かって、クローディア、夜な夜などこかしらの貴族や金持ちの屋敷のパーティー行くから馬車を出せって頼んできたのはお前じゃないか」

 あ、そうだった。
 以前のクローディアは玉の輿を狙ってて、毎晩の様に社交界に顔出して夜遊び放題だったわね。
 父は少し厳しかったから許してくれなくて、こっそり抜け出していたんだわ。
 しかもケビンは幼い頃からクローディアの便利な召使い状態。いつもいつも高飛車な態度でワガママ放題アゴで使い彼を振り回していたっけ。

 なんだか気の毒ね。

「ごめんね、あ~、あなたも大変でしょうし、もうそういうのは良いわ。今まで私のワガママ聞いてくれてあんがとね。もう言わないから、帰っていいわ。今後はもう夜遊びもやめるから来なくて良いわよ」

「はぁ?」

 ケビンの目は点になっていた。

 ああ、それよりも噂を早いところどうにかしないと……。
 でも翌朝さらに噂話は広がっていた。

 イケメンバツイチ伯爵が今度は中産階級の成金お嬢様にゾッコンだと。
 伯爵の家にも行き来する仲で、お互いの瞳の色の宝石を贈り合ったと。
 路上キッスしていたと。

 みんなゴシップネタ好きだなあ。
 周りに噂の話の真偽を問われるたびに否定して回るのも大変だった。

   貴族との結婚って、変に舞い上がっている両親にも全力で否定した。
   
 それなのに……。

「今度、婚約式のドレスを仕立てに行こうか。君は華やかな顔で色白だから鮮やかな彩色が似合いそうだね。……ところで、いつまでそうやって頭を垂れているつもりだい?」

 レストランの広い個室には優雅な音楽が流れている。
 私はまだ料理の運ばれていない白い布が掛けられたテーブルの上に額をくっつけて、伯爵様に頭を下げていた。

「土下座が良いですか!?」

 食前酒をスタイリッシュに飲んでいた伯爵様は涼しい顔をしている。

「何についての謝罪かな?」

「単刀直入に申し上げます!伯爵様とご結婚はできません!」

「……私が何か君に対して失礼な事でもしてしまったかい?」

「そうではありません。……えっと、ご縁が無かったということで……、あ、それに私は平民で、伯爵様とは身分が違いすぎます」

 しどろもどろではあるが告げた。

「今の時代、自由恋愛も解禁されて結婚において身分差なんて昔ほどないだろう?」

 何も言い返せなくなるほどの眩しいイケメンの笑顔。

「あっそうだ、でも、きっと、伯爵様のご両親はお認めになりません!」

 初恋相手の平民の娘とも両親の反対で破局したと、小説に……。

「両親は既に鬼籍に入っている、家督はこの私だ。口うるさい姑も居なくて良い嫁ぎ先だと思うが?まあ、喧しい執事は居るが君なら彼も気に入るだろう」

「……ぐっ」

 イケメン、貴族、お金持ち、紳士的で物腰柔らか、両親既に他界……こんな優良物件と巡り会えることは、宝くじで一等当てるほどの確率だろう。
 だが、いくら駅近の一等地かつ豪邸・低家賃の優良物件でも、心理的瑕疵あり事故物件だということを忘れてはいけない。
 ていうか私こそがこれから彼という物件の心理的瑕疵の原因になる予定なんです。

 ここ数日必死に抗っているのにこの予定調和はなんだろう?

「申し訳ございません!」

 食事を運んできたウェイターがびっくりするくらいテーブルに頭を打ち付けた。
 ウェイターは冷静を装いながら料理を運んできて、気まずそうにそそくさと退散した。

「伯爵様ほどの立派なお方でしたら、もっと相応しい女性がいらっしゃるはずだわ」

「……私は……僕は……、君が思っているほど立派な人間じゃないよ」

 伯爵様は憂いを帯びた様な表情をした。

「小さい頃から長男なのに気弱で泣き虫で引っ込み思案でね。弟にもよく泣かされていたよ。恥ずかしながら初恋の相手にもヘタレ男だとか頼りないって言われて振られたんだ。みんな表面的な部分だけ見て立派だとか過剰評価するんだけど僕は最初からただのヘタレだよ。こんな情けない男は君も嫌いになるよね」

 そんな顔をさせたいわけじゃ無かった。
 私は事の顛末を俯瞰で見ていて全て知っているから必死に運命を回避したくて、それだけで、目の前の彼というこの世界をリアルに生きている人間の気持ちなど考えていなかった。

「……カボチャのパイ、最初の茶会で茶請けに出してくれた焼き菓子って、オスワルド様が用意してくれたものよね?」

「?、ああ。君が初めて会った時に好きだと話していただろう。作らせておいたんだ」

 意識が戻る前のクローディアが伯爵様の気を引こうと適当に話していただけなのに。
 クローディアに対して淡々としていて興味はなさそうだったが、クローディアが喋っていると相槌は必ず打ってくれていたし、紳士的にエスコートも欠かさなかった。

「……気弱で繊細か。だから、きっと、お優しいし、周りにも配慮もできる方なんでしょうね」

 伯爵様は心底驚いた様に目を見開いた。
 ビードロのように潤んだ青い瞳がじっと私を見つめている。

「君ね……。せっかく君のために、私を振るための理由をわざわざ差し出してあげたのに、それでは意味が無いよ?」

「え?……あっ」

「その中途半端な優しさは、男に付け入る隙を与えるだけだからね」

「ははは……、えっと、ワンチャンありますか?」

「ダメ、もうチャンスは与えない。僕は君にカッコ悪い姿を出してしまったからもう取り繕わないよ。みっともなくても、君を求めるよ」

 失敗した……?腹いせに高級料理と高いワインを暴飲暴食してしまった。
 帰りの馬車に乗り込む時にはベロベロに酔っ払って、足元もおぼつかなかった。
 伯爵様が介抱してくれた。

「飲み過ぎだね、酔い潰してしまったのは僕の責任だ。このままじゃ君の家まで送れないよ」

「……私は酔っ払いですよ。どうぞ、こんな私なんか嫌いになってください」

 頭や足がふわふわするし口も回らない。
 ワインは1~2杯程度でそんなに酔うほど飲んだ覚えもないけれど、クローディアの身体がアルコールに耐性がないの?前世でOLだった頃は飲兵衛だったんだけどな。

 馬車に乗り込むと目を閉じた、そしてもう一度細く目を開けると真っ暗な部屋の中。
 ああ、ここ知ってる。伯爵様の部屋だ。
 私はベッドの上に眠ってて、黒い影に身体を支えられながら服を脱がされていた。
 ベッドの脇の小テーブルの上にはこの前の琥珀のブレスレット……。
 男性用の大きな寝間着を一枚羽織らされ、またゆっくりと寝かされて。
 黒い影は私の首元や胸元にチュッとリップ音を鳴らしながら口付けた。

 眠くて眠くて、私はそのまま目を閉じた。
 部屋の外から微かに会話が聞こえてくる。
 伯爵様と、知らない若い男の人の声。

「“クリス”、クローディアの実家へ連絡を、彼女は今日ここに泊まっていくと」

「……“また”、薬を盛ったんですね?エゲツないですね」

「ものすごく微量のね、害はないよ。それに乱暴もしてないだろ?私は身体だけじゃなくて、彼女の心も欲しいんだ。でも、こうでもしないと彼女を足止めできないからね」

「あ~怖い怖い。厄介な男に惚れられたもんだ。可哀想に……アーメン」

「明日は“また”あのお喋りな行商人がやってくるだろ?」

「ハイハイ、それとなく吹き込めば良いんですね。クローディア様がお泊りなさったと、それはそれは燃えるような夜だったと……口の軽い男ですから、1日あれば広まりますね」

「ふふ。そういえばお前に頼んでいた“ケビン”の調査はどうなっている?」

「ああ、あいつですね、実はーーー」

 何の話をしているの?
 目蓋は重くて開かないが声だけは聞こえた。
 考える間もなく寝落ちしてしまった。
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