100日後に〇〇する〇〇

Angelique Fries

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1 はじまり

3日目 見栄を張る

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16時


 透き通った冬の空気の中、ぼくは、お気に入りの黒のフェルトコートを身にまとい、黒のブーツで石畳を鳴らしながら、アナちゃんの待つ、行きつけのカフェへと向かっていた。
 硬い靴底が石畳を叩く、こつこつという心地良い音を楽しみながら歩いていると、ふと、窓ガラスに映る可愛い日本人の女の子の顔が目に留まった。
 小さな顔、端正に整った堀の深い顔立ち、脂肪のない薄いまぶた、豊かな黒のまつ毛。
 身長は156cm、体重は36kg。
 血色は良く、骨が細いし、胸もないので、適正体重だと思う。
 黒のショートヘアを整え、シャンパンゴールド色の瞳を見つめて、無表情に頷く。
 大丈夫、今日も可愛い。
 世界一。
 ぼくは世界一可愛い自分の顔を見て、満足した気持ちでカフェへ向かった。
 約束の時間にカフェにたどり着くと、アナちゃんはテラス席に腰を下ろしていた。
 ブラウンの生地に黒の線が入ったチェックのジャケット、同じ柄のベレー帽。
 ベージュのシャツ。黒のパンツ、黒のブーツ。
 アナちゃんはパイプタバコを咥えていた。
 なんだか、名探偵みたいなかっこうだ。
「なに吸ってるの?」
「これ? チョコレートだよ」カリッと、口元の部分をかじるアナちゃん。
 言われてみれば、なんだか甘い香りがしてきた。
「どこで売ってんの?」
 アナちゃんが答えてくれたのは、この街について興味を持ってほんの少し調べた人なら誰でも知っているような大きなデパートの名前だった。
「暇なときは、たまに屋上行く」ぼくはアナちゃんの言語で言った。
「良いよね、あそこ。いつも人が多いけど」
「ほら、幽霊になれるから」ぼくは、指にはめた琥珀の指輪を見せた。
 アナちゃんは驚いたように目を見開いた。「良い友達持ったね」
「そうなんだよ」この指輪は、友達の魔女が作ってくれた物だ。魔法族は、自分の魔力で装飾品を生み出し、それを他者に渡すことで、自分の魔力を分け与えることが出来る。
 アナちゃんは、気怠げな様子で自分の目を指さした。
 琥珀色の瞳。
 万能の魔素を表す色だ。
 ぼくの瞳はシャンパンゴールドで、この色は、生命の魔素を表している。
 生命の魔素はたくさんの力を持っているが、そのうちの1つは、動物や幻獣とコミュニケーションが取れたり、幽霊とコミュニケーションが取れたりするというものだった。
 アナちゃんは本を読んでいた。
「なに読んでるの?」
「ポアロ。オリエント急行」
「良いね。ぼくも本読むよ」
「どんなのが好き?」
「ファンタジー」 
 アナちゃんは首を傾げた。
「人間の書いた本?」
「そう」
「優しいんだね。わたしは、人間のファンタジーはつまんないって思っちゃう。魔法が使えないなんて不便だなって」
 ぼくは相づちを打ちながら頷いた。「将来は、あっちに移るつもり?」あっちとは、並行世界に存在する魔法使いの世界のことだ。
 アナちゃんは首を傾げた。「一応その予定はないかな。こっちの方がご飯美味しいし。空気はあっちの方が綺麗だけどね」アナちゃんは、ぼくの手を引いた。アナちゃんが指差す先には、サンドウィッチスタンドがあった。並んでいるお客さんはいなかったけれど、その周りには、大きなサンドウィッチを頬張る学生たちがチラホラと見えた。「お腹空いてる?」
「うん」ぼくたち魔法族は、その身に宿る魔素のおかげで人並み外れた美貌と強靭な肉体を持つが、代わりに代謝が良すぎるのですぐにお腹が減ってしまう。1日に5食くらい採っているのにスタイルの良い、20代くらいの美男美女がいたら、それは多分、人間に混じって生活をしている魔法族だ。ぼくたちは、300年を越える寿命のほとんどを20代の容姿を保ったまま過ごす。「おすすめは?」
「チキンがオススメ。安いしお腹に溜まる」
「良いね」ぼくは、財布を出したが、アナちゃんに止められた。
「わたしが出す」
「良いの?」
「この次の店で奢って」
 ぼくは頷いた。
 アナちゃんは、サンドウィッチスタンドの店主さんと、軽い世間話をして、ぼくを紹介した。
 サンドウィッチスタンドの店主さんはカナダ出身の魔法使いだった。
 店主さんは、周りにお客さんがいないからと魔法族同士のよしみで9割引してくれた。
 渡されたサンドウィッチは、小さくて堀が深くて可愛いぼくの顔くらいある楕円形のパンに、巨大なチキンのパティと、大量のピクルス、オニオン、チリソースが挟まっている、非常にハンバーガーに似ている1品だった。
 料金は9割引きで1,2ユーロ。
 ぼくは、チップボックスに5ユーロ紙幣を入れておいた。
 ぼくとアナちゃんは、それを食べながら、道を歩いた。
「最近、歩いたことのない道を歩くようにしてるんだ」
 アナちゃんは、巨大なハンバーガーを頬張り、その細長い指でピクルスのスライスをつまみ上げながら頷いた。
「色んな景色が見たくてね」
「雰囲気良いところが好きなら、意外と見るもの多いでしょ、この街」
「天国」
 アナちゃんはほくそ笑んだ。「わたしが来たのは3年前だけど、もう飽きちゃった」
「出身はどこ?」
「リモージュ、オート=ヴィエンヌ」
「高1の交換留学で行った。リラックス出来る場所だったよ」
「そっか」アナちゃんはゆったりと頷いた。
 ぼくは、サンドウィッチを頬張った。
 アナちゃんは、ピクルスを口に入れた。「いつもなにしてるの?」
「カフェでバイトしたり、あっちこっち歩き回ったり。アナちゃんは?」
「音楽聴いたり、勉強したり、本読んだり」
 ぼくは、頷いた。「ぼくは、本読んだり、音楽聴いたり、ラジオ聴いたり」
「料理はする?」
「しない」ぼくは、自分の住んでいる場所を思い浮かべた。広々とした屋上。その角にある小さなはこのようなワンルーム。ワンルームの中には小さなキッチンもあるけど、狭すぎて料理をする気にならない。屋上のど真ん中には焚き火があるから、そこでするのも良いかも。
「屋上に住んでるの?」
 ぼくは、顔を上げた。にやりとして、アナちゃんの腕を優しく叩く。「心読まないでよ」
「行ってみたいかも」
「え……」ぼくの脳裏に、アナちゃんとのすけべが浮かんだけれど、ぼくは意識して心を無にした。「人呼んだことないからな……」
「ソラって友達いなさそうだもんね」アナちゃんはにやにやしていた。「女としたことある? わたしはある」
 言葉に詰まったぼくは、喉の奥をくっ、と鳴らして、3歳年上の大人の余裕を醸し出すべく、不敵に微笑んだ。「あるよ」ぼくは、嘘を吐いた。男とも女ともやったことないし興味もない。多分今後もそうだけど、アナちゃんはどうやらそういうのが大好きなようだし、そういうところで優越感を持ったりする人もいる。
「どうだった?」
「男とするよりも良いね。優しくしてくれるし」ぼくはさも知り尽くしているかのような口調で言った。まあ、その手の小説は、中学生の頃にたくさん読んだし。
「お互いわかってるからね」一方、経験者のアナちゃんはさらりとした口調で言った。
 人生経験の違いを見せつけられた気分になったぼくは、平静を装いながら、どうやってこの会話を終えようかと、意識の深いところでぼんやりと考えた。思考を脳内で言語化してしまうと、意識の表層に浮かんできてしまう。言語化しないままに思考を進めれば、万能の魔法や精神の魔法を扱う魔法族に読まれることもない。「そ、そだね」
「男とはどう?」
「二度とごめんだね」
 アナちゃんは声を上げて笑った。心の底から楽しそうだ。「何回寝たの?」
「さ、3回」
「ふーん」アナちゃんはにやにやしていた。
 ぼくは心の内を読まれていないかとひやひやしながら平静を装った。「アナちゃんは?」
「覚えてない。数え切れない」
「そっか。どこ連れてってくれるの?」
「暇なときに行くところ。わたしも雰囲気良くて落ち着けるところが好き」
「そっか」ぼくは、サンドウィッチを飲み込んだ。「楽しみ」
 ぼくは空を見上げた。
 空はもう薄暗くなっていた。
 この国の夜は早い。
 ぼくたちは、カフェでたむろする学生たちや、腕を組んで歩くカップルとすれ違いながら、明るくきらめく通りを進んだ。
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